第4話 女の子と友達になったその日から、一風変わった病院生活が始まった。

 女の子と友達になったその日から、一風変わった病院生活が始まった。

 最初のうちはお見舞いに来てもあまり会話することはかった。彼女はまだ上手く話をすることが出来なく、こちらが話しかけるということがほとんどだった。


 相変わらず彼女は学校には行けていないらしい。毎回病院に来るのも凄く頑張って来てくれているらしい。彼女にとって病院までの道のりがある種のリハビリテーション代わりなのである。家から出ることで一歩先に進めるのだ。


 そんな行き来を繰り返していく中で、ほんの少しずつではあるが、彼女に少しずつ変化が見え始めてきた。最初はただこちらの問に対して頷くだけであったが、次第に短い言葉ではあるが、声を出して返答してくれるようになって来た。


「いらっしゃい、美希ちゃん。来てくれてありがとう。」


「…ぅん」


 その日もいつものように挨拶をし、軽く言葉を交わしていく。最初よりだいぶ挨拶を返してくれるようになってきて、思わず笑みがこぼれる。

 彼女との挨拶がある程度終わると、ベッドに横付けしている棚の方に身体を向け、台の上のものを取り出す。


「今日はさ、昨日頂いた見舞いの品の果物を食べようと思っていたんだけど、もしよかったら美希ちゃんも一緒に食べない?このメロンすっごい甘くて美味しいらしいよ。有名なデパートの高級メロンだって。お兄ちゃん初めて食べるから今から楽しみだよ。」


「…」


 言葉での返答はないが、小さく頷いてくれた。


「こう病院で寝てばっかだと、やることあんまりなくってさ、だからこうして果物切り分けたりしてると、どんどん包丁の扱いが上手くなっちゃうんだよね。将来お料理屋さんになっちゃったりして。っていってもまだ果物ぐらいしか剥けないんだけどね」


 そう笑いながら頂いたメロンを切り分けていく。二人分に切り分けたメロンを紙皿の上に載せ、一つを美希ちゃんの前に持っていく。彼女が受け取ったのを確認してからもう一方を自分の膝の上に持ってきて、フォークをメロンに刺して一口頬張る。

 病室内にある冷蔵庫で今日食べるために冷やしていたので、ひんやりとしていて、それでいて果物特有の甘みが口の中いっぱいに広がる。高級メロンという訳ではないが、それでも十分美味しいと言える旨さだ。高級メロンの名は伊達ではない。


「んまぁっ。これ甘くって美味しい!もう一口!」


そう言って切り分けたメロンをさらに口に入れる。一口サイズに切り分けているので食べやすくなっている。


「もぐもぐ。 んーやっぱり美味しいー。さすが有名デパート。自分じゃ絶対買えないからこんな時ぐらいしか食べられないってのがあれだけど。」


 そう言いながらさらにもう一口食べる。食べながらふと彼女の方に視線を向ける。

 女の子の手元を見るとまだ手が付けられていないメロンがそこにあった。


「もしかして、メロン嫌いだった?」


 そう尋ねると彼女は小さく首を横に振る。良かった、嫌いでは無いらしい。


「よく冷えてて美味しいよ。」


 そう言いながら彼女の方を見ると、やはりまだ手を付けていない。さっきはああ言ったが本当はメロンが嫌いなのだろうか。そう思いながら彼女の手元のメロンを見る。お皿の上にメロンだけが乗っかっている。メロンだけが。


「あっ」


そうメロンだけ乗っかっていて、食べるためのフォークを用意し忘れていたのだ。


「あ~…、あはは、はぁ。うん。ごめん」


 乾いた笑い声をあげながらごまかそうとする。

 若干気まずくなった空気をなんとかしようと、あたふたしながら、何を思ったのか、おもむろにメロンにフォークを刺す。


「はい、あーん」


 彼女の方にメロンを差し出す。

 メロンを向けた後、なんちゃってと小さく呟く。

 少しの間メロンを見つめていた女の子だったが、ふとメロンの方に近づく。



 ぱくっ



 差し出したメロンを頬張る女の子。

 思いがけない彼女の行動のに思わず目を丸くする。その間も彼女はメロンを咀嚼する。そして充分味わったのちゴクンと口の中のものを飲み込む。


「…どう、美味しい?」


 彼女が飲み込んだのを確認した後、そう尋ねる。


「…うん」


 小さい声ながらはっきりと、そして微かではあるが、確かに彼女はそこで微笑んでいた。そのあまりにも小さな微笑みであったが、それは決して小さくはない大きな変化であった。


「そっか!よかった」


 彼女の微笑みにこちらも自ずと笑顔になる。

 そしてさらにメロンを彼女に差し出す。彼女もそれを自然と受け取る。

 気が付くと彼女用にカットされたメロンが全てなくなっていた。


「…ごちそうさまでした。」


 そう言って彼女は小さくお辞儀をする。こちらもお粗末さまでしたと返す。すると彼女がこちらの手元に目配せをした後手を伸ばしてくる。


「メロンもっと食べたい?」


 そう聞くと彼女は首を横にする。


「…フォーク」


 そう呟く彼女。

 フォークを彼女に手渡すと、それを自分用に切り分けたメロンに差し込む。


「……」


 彼女は無言でこちらにメロンを向けてくる。

 メロンを見た後彼女に視線を向けると、彼女は小さくコクリとうなずく


「パクッ」


 差し出されたメロンを口に咥える。


「んー。やっぱり美味しい!美希ちゃんありがとう」


「…うん」


 そうしてしばらくは彼女から差し出されたメロンを美味しく食べる時間が続いた。








 病院に見舞いに来るようになり、少しづつではあるが話せるようになってきた。短いながらも自分の意見を言葉で表せるようになってきたので、会話が続くようになってくる。時折笑顔も見せてくれる。しかしそれでもやはり彼女が負った傷は決して小さなものではなく、未だに小学校には通えていないという。


 彼女の母親から聞かされた話では、どうやら学校で辛い思いをしたとのことだ。連日メディアが彼女の小学校に押し寄せたことで彼女の周りで良くない噂が広がり、イジメまでとは言わないがそれに近い扱いを受けてしまったのだという。そうした理由から彼女にとって学校が怖い場所になってしまったのだ。

 そういった話を聞いていく上で、自分の中である思いが強くなっていく。






 その日も女の子が見舞いに訪れたので、軽く世間話をしていく。

 暫くの間お喋りした後、ベッド脇の棚から荷を出しテーブルに置く。


「さてっと。それじゃあ始めようか。」


「うん」


 そう言いうと二人ともに作業を開始する。


 勉強会だ。


 女の子がお見舞いに来た時に、学校に行くことが出来ないと聞かされてからずっと考えていたことだ。学校に行かずとも学ぶことは出来ないか。そう思い彼女にこの勉強会を提案したのだ。とはいえ、付きっきりで勉強を教えるというものではなく、お互いに自分の勉強をするというものだ。自分もまだ学生で勉強をしなければならない事が多いので病院で遅れを取り戻すべくの自習である。今は休学状態であるが、いつまでもそのままで居るつもりはない。たとえ留年したとしても、高校はなんとしても卒業するつもりである。


 彼女も同様に、小学生とはいえ勉強は生きて行く上で絶対に必要なもので特に今は義務教育であり、彼女に教育を学ばせる必要がある。無論他人である自分がやらなければならない義務はないが、せっかくお互い不登校同士、一緒にやらないかと提案したのだ。


 むろん自分で教えられる事があれば積極的に教えようとは思っている。それがこちらとしてもある程度の息抜きにもなるのだ。


 こうした思惑の中での勉強会であるが、これらを初めてあることが分かってきた。

 彼女はとても賢い子であった。


 不登校と聞いて漠然と勉強が出来ないと勝手にイメージしてしまったのだが、よくよく考えると別に彼女は昔から不登校だったのではなく、これまで普通に学校に通っていたのだ。

 自分自身も今は休学しているが、だからといって勉強がまったく出来ないかというとそうではなく、そこそこ勉強は出来た方だと思っている。文武両道をモットーに勉学にも力を入れていたからだ。以前勉強をおろそかにして学校の成績が酷かった時に叔父に死ぬほど説教されたことがあった。柔道家たるもの勉学をおろそかにするとは何事かと。そんなことがあり名門校に入った今でも結構よい成績だったりする。叔父さんには本当感謝しかない。


 彼女も不登校になる前は真面目に学校に行って頑張って勉強していたのだろう。だからこそこの勉強会の話を持ち掛けた時もすんなりと受け入れたのだろう。本当はきちんと学校に行って勉強したいのだ。


 そうしたこともあって、彼女は真剣に勉強に励んでいる。今まで学んだことをきちんと思い出しながら勉強する姿は小さいながらも立派に思えてくる。そして分からないこともまずは自分できちんと考え、理解しようと一生懸命だ。それでもわからないことがあった場合はこちらに訪ねてくる。


 小学校3年生の学習内容なのですんなり答えられるのだが、理科と社会では時折ドキリとする時があって冷や汗をかくこともあった。虫の名前とかアバウトにしか覚えておらず、地図記号なんかは完全に頭から抜け去っているものもあった。なんとか今までは質問に答えられてきたが、このままでは年上としての尊厳が粉々になってしまう恐れがあったので、ちゃっかり小学校の勉強をし直したのは秘密である。

 

 そして勉強会が終わった後は、また一緒におしゃべりしたりゲームなんかをしたりして過ごす。こういった時間も日常生活を取り戻す上では重要になってくる。


 これらの生活をして行くうちに、彼女の感情表現もだいぶ良くなってきたように感じる。会話も普通に出来るまでに回復し今では普通に笑顔を見せてくれるようになった。彼女の笑顔はこの辛い入院生活の中でとても助けになっており、自分自身かなり救われていると自覚している。最初は彼女を何とかしてあげたいという理由であったが、今では逆に救われている。彼女にはすごく感謝している。






 そんな入院生活を送ること二ヵ月、いよいよこの日がやってきた。


 退院だ。


 やはり下半身不随というのはかなりの障害で、最初は普通に生活するのもにも身体への負担が凄まじかった。車椅子に乗れるようになるのにも一ヵ月以上もの時間を費やした。また普段生活をする為のトレーニングにも苦労し、退院までここまで時間がかかってしまったのだ。ただしこれでも一般的な人から比べればだいぶ早い方なのだという。普通はこんな短時間でここまで回復することは珍しいのだとか。


 そんなわけで長いようで短かった、それでいてやはり凄く長かった入院生活ともお別れである。そして女の子とのお見舞い生活もここで終わりである。


「退院おめでとう、お兄ちゃん」


「ありがとう美希ちゃん。」


 退院祝いに駆けつけてくれた女の子にお礼を言う。

 今日でお見舞い生活も終わりだが、これでお別れというわけではなかった。


 実は退院後も勉強会をやろうと約束しているのだ。お互いの家の距離が電車で一時間かからないということが分かったので、家でも勉強しようとなったのだ。

 ただ自分は車椅子で移動もまだ十分に出来るというわけではいので、初めは自分の家に彼女を招くという形になっている。そして車椅子生活にも十分に慣れてきたら女の子の家に足を運ぶという形である。


「お兄ちゃん」


 病院の駐車場で迎えに来た車に乗ろうとした時、女の子に呼び止められた。

 車椅子を止め女の子の方を向くと彼女が自分の身体に頭を埋める様に抱き着いてきた。

 かすかな鳴き声とともに声が聞こえてくる。


「…グスッ…… ゴメンナサイ…」


 その声を聴いてやさしく彼女の頭を抱きかかえてあげる。

 入院中何度となく言われた言葉だ。ふとした拍子に彼女の中で感情がコントロール出来なくなり、不安定になったことで罪悪感などがぶり返し泣き出してしまうのだ。


「大丈夫だよ、大丈夫。安心して。有希ちゃんは悪くないよ。お兄ちゃんがついていてあげるから。大丈夫。」


 そういいながら背中をやさしくトントンと叩いてあげる。

 しばらくすると落ち着いてきたのであろう、女の子が鼻を赤くして離れていく。


「ありがとうお兄ちゃん。」


「うん、それじゃまたね。次は家でお勉強会しようね。」


「うんっ!」


こうして自分の入院生活は終わりを告げたのである。

 

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