第8話 日々の訓練

 辺りは薄暗くモヤのような霧が森全体を覆っている。

 風で揺らめく木々や虫の音が静かな音を奏でていた。

 薄暗い森の空の向こうに視線を移すとうっすらだが明るくなってきている。

 もうしばらくすれば陽の光が森を照らし始めるであろう。


 暗がりの中ステータス画面に視線を移す。

 そこに現在の時刻が表示されている。

 時刻は午前6時を過ぎたところだ。


 辺りが薄っすらと明るくなり始めたことを確認しながら行動を開始する。

 洞窟の入り口で大きく深呼吸をする。こうして身体に新鮮な空気を取り込み気持ちを切り替える。そしてストレッチをした後軽く体を動かす。


 動く準備が出来たら手元の時計を確認する。そして森の中に向かって足を進めていく。ゆっくりとしたランニングからはじまり、そして徐々に走るスピードを早くしていく。険しい森の中であるはずだが、そこは慣れ親しんだ道のように足取りは軽い。それもそのはず、これは毎日の習慣であるからだ。


 この世界で生きていくと決めたその日から、生きるための生活をするためにあることを日々の課題とした。

 

 それは身体を鍛えること。

 まずはこの身体に慣れていかなければならない。そして身体を動かすという感覚を取り戻さなければならなかった。


 事故にあってから8年という長い月日を座ったままで過ごしていた。それは決して短いものではなかった。なのでそのブランクを払拭しなければならないと感じていた。

 その為にまずはランニングで軽く身体を動かす事から始める。

 じっくりと走り込みを行う。走り終えた頃には辺りはすっかり明るくなっており、朝独特の空気や匂いが森全体に広がっている。


 走り込みを終えた後河原の側まで移動し、近くに流れている湧き水の元まで足を運ぶ。水を両手ですくい口元に運んでいく。走り込んで熱くなった身体に染み渡る。

 さらに水をすくい顔を洗う。人の顔と違いこの狼の顔は洗うのがかなり大変だった。だかそれも何度も繰り返せば慣れるものでいまでは普通に洗うことが出来るようになった。


 顔を洗いさっぱりしたところでまた別の場所に移動する。


 移動した先には巨大な木がそびえ立っている。大の大人数人が抱きかかえようとしても周りを囲えないほどの大きさだ。その木の幹には縄のが巻き付いている。縄は樹の皮を細かく裂いて紐のようにし、それを紡いて作ったものだ。それをさらに紡ぎ丈夫なロープ状にしたものをその太い木に巻きつけ、そして縄の両端のを1メートルほど余らせて結ぶようにしてある。縄は所々擦れたようになっているが、何重にもして紡いでいるのでかなり頑丈な作りになっているので簡単には擦り切れないようになっている。


 木の周りの地面は踏み慣らされて固くなっている。

 木の前に立ち縄の両端を両手でしっかりと握り込む。

 

 左腕を肘を引くようにして身体を後ろに引き手を目の高さまで持っていく。右腕は手首を返し腕に巻き付けるように縄を握り肘で上に押し上げる。そのまま身体を半回転させ足を踏み込上半身を手前に倒すようにし全身で縄を抱え込む。


 背負投


 木に括り付けた縄で投げの動作を行う。

 打ち込みである。

 打ち込みとは投げの動作を何度も繰り返しそ投げの動作感覚をその身体に叩き込むという練習方法だ。


 現役時代何千何万回と繰り返したその動作を木を相手に延々と繰り返す。

 これを日々の日課としていた。

 打ち込みをすると全てを忘れられた。

 練習に直向きになれた。

 実際のところトレーニングというより現実逃避に近いものだと思う。

 自覚もしている。

 それでもこの日課を止めることはない。

 それに



 楽しかった。




 背負いや大外など一通りの打ち込みを何度も何度も繰り返す。

 8年という長い年月のブランクで錆びついたものを削ぎ落とすように。

 現役の頃と比べるとその技術、精度はまったく話にならない。

 それらを必死に取り戻すかのように。

 ただ直向きに。



 かなりの回数を行ったところで突然アラーム音が辺りに鳴り響く。

 森の中という自然に似つかわしくない人工音なのでひどく目立つ。だからこそそれに気がつくことが出来るのだが。


 手元の腕時計に目を向ける。事前に設定していたアラームである。これにより打ち込み練習の終了を告げる。アラームが無いと永遠と練習をしてしまうのでこの機能はとても役に立っている。


 アラームを止めて時間を確認する。時刻は12時を回ったところだ。おおよそ3時間近く打ち込みをしていることになる。本当はもっと別の練習もしたいのだが、相手がいないので乱取りも行うことが出来ないのでしかたがない。それに、奇跡的に歩けるようになったことで、こうしてまた柔道の練習が出来るようになったのだ。これ以上贅沢を言ったらバチが当たるというものだ。


 そうして数時間に及ぶ打ち込み練習を終えクールダウンのため軽い運動をした後、湧き水のところまで赴き喉を潤す。

 昔からそうだったが、この練習を終えた後に水を飲むのがたまらない。全身に水が行き渡るような感覚がなんとも言えないのだ。

 それに昔を思い出すようで少しだが幸せな気持ちになれる。


 喉を潤した後手持ちのレーションを一つ取り出し半分ほど食べる。一日一つ追加されるので一個を昼と夜の二回に分けて食べるようにしている。

 そして、やはりと言うべきか、レーションは10個が上限となっていた。なので無駄使いをしないよう計画的に消費していかなければいけない。


 味気ない昼食を終えるとその足を河原へと運んでいく。

 河原へ着くと定位置まで移動しそこで衣服を脱いで川へ入っていき、そして打ち込み練習で掻いた汗をそこでキレイに流すようにして身体を洗ってく。冷たい川の水が火照った身体を冷やしていきとても気持ちが良い。


 頭のてっぺんまで水に浸かり手でゴシゴシと洗っていく。本当は石鹸やシャンプーなどがあったら最高だったのだが、残念ながらそれらの消耗品は所持していなかった。まぁFPSでゲームにそれらは必要ないので当たり前といったら当たり前なのだが。 



 さっぱりした後、そのまま河原の近くにある少し開けた広場のような場所に移動する。

 そこは土砂崩れでも起きたかのように土の壁がむき出しになっておりちょっとした崖のようになっている。高さは5メートル位あるだろう。


 壁からおよそ25メートルぐらい離れた所に位置取りをし大きく深呼吸をする。

 これから行うのはかなり危険な行為なので未だに気を張り詰めて行わなければならない。逆に慣れてしまうほうが危ないのでもしかしたらこれぐらいの緊張感があった方がいいのかもしれないが。



 これから行うのは射撃練習だ。



 ホルスターから拳銃を取り出す。

 マガジンキャッチを押し込みマガジンを取り出し弾が込められていることを確認する。

 本来であれば弾は毎回マガジンに込め直さなければならないのだが、マガジンに弾が込められた状態で出現するのでいちいち込める必要がないのだ。これもゲームと同じ現象なのだろう。


 弾が込められているのを確認できたらマガジンを銃にセットしスライドを後ろに引いてチャンバーに弾薬を装填する。これにより銃本体に弾がセットされた形となる。これにより銃が撃てる状態にになる。

 右手で銃のグリップを握り左手で反対側から覆うようにして手を握る。そして右足を一歩後ろに引き正面から見て身体が半身になるように銃を構える。

 ウィーバースタンスと呼ばれる銃の構え方だ。よく映画やドラマなんかで見かけることが多い構え方でゲーム内でも使用されているオーソドックスな構えである。これは身体を半身にすることで被弾面積を少なくし被弾率を下げる効果がある。


 右手の人差し指をトリガーガードに添えて一度深呼吸をする。

 目前にある標的に狙いを定める。標的には不繊維ガーゼを使用している。飛ばされないように四隅を木の枝で壁に縫い付けてある。

 そしてトリガーに指をかける。



 パァーーン



 乾いた音が辺り一面に広がる。

 自然の中の破裂音はかなり異質でかなり遠くまで鳴り響く。

 そして二発三発と続けざまに射撃する。

 数秒に一発の感覚で毎回感覚を確認しながら丁寧に射撃していく。


 そして15発全て撃ち切るとスライドが後ろに下がりスライドストップの状態になる。

 マガジンキャッチを押し込み空になったマガジンを取り出し、ポケットから弾薬が込められている新しいマガジンを取り交換する。スライドリリースレバーを解除しスライドを元に戻す。これらの動作を一つ一つ丁寧に確認しながら行う。これにより再び射撃出来る状態になる。


 そして再び銃を構えトリガーに指を掛けて射撃を開始する。

 これらの行動を繰り返し何度も行う。身体に馴染ませるようにより自然にスムーズに行えるように。


 何事に置いても上達する為には反復練習はとても重要なことである。全てのことにいえるだろう。ゲームでもエイム力を上げる為に何時間もエイム練習をしていた。それと同じように何度も繰り返し練習する。

 

 本来の実銃であれば、延々と練習することは難しい。というのも弾薬というのは無限にあるわけではなく数に限りがあるからだ。しかし今回の射撃練習にはそのことを気にしなくても良かった。ゲーム内では初期装備ハンドガンは弾数が無限に設定されていた。そしてその設定は転移後も有効であったようだ。この仕組を利用しない手はない。出来る限り練習はしておくべきだろう。


 一時間以上の射撃練習を終え、マガジンを外しスライドを後ろに引き装填されていた弾を抜き取り再びマガジンをセットし銃をホルスターに収める。そしてメニュー画面を表示しサブ武器スロットからP226Xを外しM500xをセットする。


 今までP226xが収められていたホルスターにM500xが現れる。

 こうした武器の交換はメニュー画面からしか行うことが出来ない。武器スロットに武器をセットして初めて召喚できる仕組みでありこれはゲームと同じ仕様である。ゲームではサブ武器は一つしか装備することができなかったので、武器を変えるのにはこうして一々画面を開かなければならないのだ。なので普段は弾倉数が多いP226xを常備していた。


 サブ武器を切り替えM500xをホルスターから抜き取る。

 ずっしりとした重みが手にのしかかる。この重量が先の拳銃とはまったく別物だということを自覚させる。


 シリンダーをスイングアウトさせシリンダー内に弾が込められていることを確認する。

 .500S&M弾というM500x専用のマグナム弾が5発装填されている。

 確認した後シリンダーを戻し銃を構える。


 P226xの時は半身の体勢で銃を構えたのに対し今回は正面を向いて構える。

 アイソサリーズスタンスと呼ばれる構え方である。

 両足を肩幅より広めに開き両腕を正面に伸ばし銃は身体の中心に来るように構える。

 大口径の銃はその反動も凄まじく衝撃に備えるようにこのような構えになる。 

 トリガーに指をかけ息を整える。



 爆発


 そう捉えても差し支え無いほどの破裂音が鳴り響く。その凄まじい衝撃で空気が震えたのではないかと思えるほどだ。明らかに先の銃とは一線を画すその威力に身が引き締まる。


 本来この銃は人などに向けて使うものではなく大型獣に襲われた際の護身用として作られた銃であり、そのため大型口径は過剰とも思える威力を携えていた。できればこんな銃を使う場面には出くわしたくないものだ。だがもしそんな場面に出会した時に使うことが出来ないという事態にはなりたくない。その為にやはり練習しておくべきだろう。


 5発撃地終わるとシリンダーをスイングアウトし弾を込め、また構えて撃つ。その繰り返しを計10回行う。合計射撃数50をワンセットとして練習を行う。

 

 P226xはそのゲームの設定上弾数が無限となっているが、このM500xはそういう訳にはいかない。ゲーム内でのこの銃の弾数は5/45となっており、一度の戦闘で50発しか撃つことが出来なかった。それはこの世界でも似たような状況になっていた。


 5/45の50発をワンセットとして1日ワンセット補充されていき、ストック数は10を上限にそれ以上増えなかった。なのでMAX上限が500発となる。

 なので1日で補充される50発を練習として使用している状態になる。


 こうして両銃の射撃訓練を昼のトレーニングとして習慣づけてた。



 午前午後のトレーニングを終え時刻を確認する。

 時刻は14時を少し回ったところだ。太陽の位置は未だ高く真上からその光で地上を照らしている。


 銃をホルスターに収め、メニュー画面を開きMAPを確認する。

 現在位置を中心に半径2kmが表示されている。


 この表示された範囲が今現在自身で確認した地形になる。このMAPのお陰で迷わず森の中を探索することが出来ている。ただそれでも森という険しい地形の為そこまで探索範囲を広げることが出来ず未だその足を遠くまで伸ばせないでした。


「探索範囲もう少し伸ばす頃合いなのかな」


 今までは完全を考慮してかなり慎重に森の中を進行していた。なので帰りの事も考えるとどうしても片道2kmがギリギリであった。ただ探索も1っヶ月もすればそれなりに範囲が広がっている。それでもやはり今のままではこれ以上探索できないだろう。


 永遠と洞窟で暮らすわけにもいかない。そろそろ次の段階へステップするときなのかもしれない。




 遠征を決行することにした。





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