第49話 ネルエルザの幸せ

 宿屋の一室、そこには多様な種族の子供が穏やかな朝を過ごしていた。

高級なベッドという訳ではない。しかし、そのどこにでもあるようなベッドがとても心地よかった。


 長いこと感じることのなかった平穏、そして安らぎ。

 何者にも害されることのない、気を張り詰めることをしないでもいい。そんな安心感。そんな当たり前のもの。しかしけっして簡単には得ることのできないもの。何ものにも代えがたいもの。その幸せを全身で感じていた。


「…ん、おはよう、お姉ぇちゃん」


 横を見ると、眠そうな目を擦りながら、可愛らしい笑顔で朝の挨拶をする妹がいた。


「うん、おはよう。」


 未だ眠そうな妹の頭を優しくなでながら、ネルエルザはこの幸せを噛み締める。

 

 ベッドで寝るなど何時ぶりだろう。人間に捕まってからしばらく、粗末な布切れに包まって寝ることが当たり前になっていたのは、つい先日のことだ。さらにその前ともなると、布に包まることも出来ず、雨風を凌ぐため建物の隅っこで小さくなって夜を過ごしていた。そんな生活が長く続いていた。


 それを思うと、今こうして温かいベッドで寝れることの、なんと幸せなことか。このまま時が止まってくれればいいのに。そんなことを考えていた。

 でもそんなことはあり得ない。時は誰にでも平等に訪れる。時は決して止まることはないのだ。


 横で寝ている妹をぎゅっと抱きしめる。


「ん、お姉ちゃん…?」


「ううん。 なんでもない。」


 妹のぬくもりを肌で感じる。

 小さな体は、とても温かかった。


 ウルエルザも姉の体をぎゅっと抱きしめる。


「お姉ちゃん、あったかい…。」


「そう?」


「うん。 ぽかぽか。 とっても気持ちがいい…。」


 お互いの体を抱きしめ、その鼓動を肌で、心で感じ取る。

 何時までも、こうしていたかった…。




――――――――――――――――――――



 これまでの事を思い返す。


 人間に囚われ、何処かに連れて行かれいくところであった。

 行き場所はわからない。だが、ろくでもないことになるということは、幼いながらもなんとなくは感じていた。


 人間族の全てが悪だとは思わない。しかし、自分たちを捕らえた人間族たちは決して善ではなかった。粗悪に扱われることはなかったが、それは親切心からではない。価値を落とさない為の行動にすぎないからだ。その証拠に、人間族たちが向けてくる視線は、恐ろしい程冷たかった。


 他にも囚われている子供たちがいた。

 皆疲れていた。

 この先明るい未来は決して訪れないと知っていた。

 ただ、アラクネ族のアネアだけは、状況を打開するべく思いを巡らせていた。

 アネアは周りの子供たちを元気づけていた。

 アネアは皆の盾になるように、皆を庇うように立ち振る舞っていた。

 彼女のおかげで皆なんとか心を保つことが出来ていた。


 彼女はまだ幼く、他の子供たちとたいして年齢も変わらぬように思えた。

 それでも彼女は気丈に振る舞っていた。


 とても凄いことだと思った。

 ネルエルザはただ妹を抱きしめることしか出来なかったからだ。




 つい昨日の出来事。


 その日もいつもと同じように暗い荷馬車に押し込められ街道を移動していた。荷馬車の周りには子供らが逃げないように取り囲んでいる人間族が複数。

 

 いつもと同じ。

 何も変わらない。

 そう思っていた。 

 

 でも違っていた。


 荷馬車の周りが何やら騒がしい。

 外では猛獣の唸るような声が聞こえてくる。

 それもしばらくすると聞こえなくなった。


 外ではいったい何が起こっているのだろう。

 自分たちは、これからいったいどうなってしまうのか。

 たまらなく怖かった。

 妹をぎゅっと抱きしめる。

 ネルエルザは必死に願った。

 自分はどうなってもいい。

 せめて妹だけは…。


 ゴトゴトッと扉を叩く音が聞こえる。

 人間族を襲った何者かが荷馬車を開けようとしているのだろうか。

 ネルエルザは妹を庇うようにして抱きかかえ、入り口に背を向ける。

 アネアが子供たちの盾となるべく、一歩前へと出る。 

 不安や恐怖、緊迫した空気が荷馬車内を支配する。




『___聞いてくれ。俺は怪しいものじゃない。君達を助けに来た。』




 この日、ネルエルザ達は解放された。

 

 助けてくれたのは狼族のひとだった。


 喋りにどことなく癖があり、訛りのある言葉を使うひとであった。

 まとってる雰囲気が、どこか普通の狼族とは違うような気がした。

 

 彼はいったい何者なのだろう。 

 

 狼族の彼__シュンは色なことをしてくれた。

 皆を守るようにして町まで護衛し、宿屋に連れてきてくれた。

 そこでシュンの仲間を紹介し、その後食事を与えてくれた。



 久しぶりの温かい食事だった。

 

 

 村を飛び出してきてから、初めてかもしれない。ネルエルザは夢中になって食べた。隣にいる妹も小さな口を懸命に動かし食べていた。他の子供たちも勢いよく食べいている。

 犬族の子に至ってはあまりの興奮に思わず遠吠えをしてしまい犬の妖精に叱られていたぐらいだ。皆それくらい我を忘れて食べていた。


 そんな子供たちの様子を見て、シュンは食事を追加で買ってきてくれた。流石にそこまでしてもらうことは出来ないので、最初は断ろうとした。でも、妹の顔を見ると断ることが出来なかった。妹にお腹いっぱい食べてほしい、そう思ってしまったのだ。結局シュンの好意に甘え、何度もおかわりをしてしまった。


 久しぶりにお腹が膨れるほど食事をすることが出来た。

 ふと妹の方を見ると、目をこすり眠そうにしている。お腹いっぱい食べたことで、眠くなってしまったのだろう。他の子供たちも眠そうにしている。


 シュンは新たに部屋を借り、そこで寝るようにと言ってくれた。

 その言葉にネルエルザ驚いた。自分たちの為にわざわざ部屋を取ってくれたのだ。人間族から助け出してくれ、暖かい食事まで与えてくれた。それなのに部屋まで…。


 シュンには本当に感謝しかない。


 ネルエルザ達は、久しぶりに暖かいベッドで夜を過ごすことが出来た。

 何者にも害されることのない、安心して眠ることの出来る夜を。





――――――――――――――――――――




 腕の中で気持ちよさそうにしている妹の頭をなでる。

 久しぶりのベッドでの目覚めはこんなにも幸せなのかと噛みしめる。

 できればこのままでいたい。

 ずっと幸せでいたい。



 でもそれは叶わぬ願いだ。



「お姉ちゃん?」


「ううん。なんでもない。 さて。それじゃあそろそろ起きようか。」


「うん。」 


 この幸せは今日までのものだ。

 また明日からは道端で、建物の裏でひっそりと暮らしていかなければならない。でもそれに文句を言うつもりはない。こうして囚われの身から解放されたのだ。これ以上望んではバチが当たるというものだ。


 大丈夫、妹と一緒ならばどんなことがあっても生きていける。自分の幸せは妹のそばにある。ネルエルザは腕の中で幸せそうな顔をしている妹を優しく見つめるのであった。




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