第50話 姉妹の涙

 宿屋の一室、そこでは子供たちがベッドの上にちょこんと座っている。


 若干一名、仰向けにひっくり返っているがもう慣れたものだ。

 …アセナ、それ毎回しなきゃ駄目?

 まぁ、マメもまんざらでもなさそうなので、これでいいのだろう。


 外で買ってきた食事を皆に分けると、ネルエルザが心配そうな顔でコチラを見つめてくる。


『どうした?』


『私達には、お返し出来る事が何も…』


『子供がそんな遠慮しなくていい。』


 彼女の頭を撫で、食べるように促す。昨日も感じたことなのだが、多眼族姉妹の姉のネルエルザは責任感がとても強い。それでいて妹のウルエルザのことを、とても大切にしている。本当はこちらに迷惑がかからないよう、断りたいのだろう。だが妹の事を思い、罪悪感を懐きつつも受け入れているのだ。


 優しい子だ。



 お腹いっぱいの食事をし、子供たちは皆満足したような表情をしている。昨日は食事量が全然足らなく、あわてて少量を追加で買いにいったものだ。そんな事もあって今日は初めから多めに買い込んでいた。おかげで足らなくなるということは起きなかった。


 食事を食べ終えたネルエルザが、姿勢を正し、真剣な顔をしてコチラに向き直る。


『おかげさまでこうして無事穏やかな朝を迎えることが出来ました。そう上このような温かい食事まで。本当にありがとうございました。』


『あ、ありがとう、ございました。』


 妹のウルエルザも、慌てて姉と同じように頭を下げてくる。


『昨日も言ったが、気にするな。』


『いえ、そういうわけには…』


 言葉を続けようとするネルエルザを手で制し、視線をウルエルザへと向ける。それを見てこちらの言いたいことが判ったのだろう。静かに頭を下げる。


 やさしくて、それでいて頭のいい子だ。

 彼女は妹のためを思い、妹のために生きている。


 しかし、いくら妹のためとはいえ、彼女もまだまだ幼い子供。

 出来ることなど限られている。


『ネルエルザ。』


 名前を呼ばれたネルエルザはこちらの顔を伺う。次に発せられる言葉を待っているようだ。


『これから、どうする。』


 そう言われたネルエルザは、思いつめた顔をし、そして静かに目を閉じる。数秒ほど沈黙した後、ゆっくりと目を開け、口を開く。


『妹と二人で、静かに暮らしていこうと思っています。』


『あては、あるのか。』


『いえ…。ですが、それは村を飛び出した時から覚悟していました。』


『村に戻ろうとは、考えないのか。』


『それは…。確かに村に戻れは、今回みたいな事件には、遭わないと思います。ですが、それでもやはり村は…。』


 ネルエルザは妹の方を見る。視線を向けられたウルエルザは姉に近寄りその胸に抱きついてくる。


『村に…、あそこに妹の居場所はありませんでした。あのままではいずれ妹は…。それならば、たとえ貧しかろうと、忌避の目がない村の外で暮らした方が…。』


『君は、それでいいのか。』


 ネルエルザはぎゅっと力強く、そして優しく妹を抱きしめる。


『私の居場所は妹の傍にあります。ならば私が妹の居場所になってあげなければなりません。』


『…そうか。』


 やはりネルエルザの意志は固いようだ。


『ネルエルザ、そしてウルエルザ。 聞いて。』


 二人は揃って顔を向けてくる。

 その顔は幼く、そして彼女たちは儚い。

 それこそ吹けば消えてしまいそうなほど。


 そんな二人の顔を見ながら、ある考えを口にする。

 昨日からさんざん悩んでいたこと。

 自分の考えをミミに聞いてもらったこと。

 

 ___そして決断したこと。


 それを二人に伝える。




『もし、二人さえよければ、____自分たちと一緒に暮らさないか。』


 ネルエルザがその三つの眼を、ウルエルザがその大きな一つの眼を、大きく見開く。瞳の数が違えど、ふたりの仕草はとても似ていて、やはり姉妹なのだと感じさせられる。


『二人は、まだ幼い子供。そんな二人では生きていくのも容易ではない。だったら、大人になるまで、それまで自分たちと一緒に生活すればいい。』


 ミミに相談したこと。

 それは彼女らが大人になって独り立ちするまで、一緒に生活して子供たちを守るというものだった。


 このことをミミに伝えたら、ミミは笑って問題ないと言ってくれた。

 シュンが好きなようにすればいい。

 そう言ってくれた。


 ミミの言葉を受け、そして決意を固める。

 もし子供たちが受け入れてくれるのであれば、出来得る限り守ると。


『………こうして助けて頂いただけでも充分です。それに、これ以上お世話になるわけには…。』


『もちろん無理にとは言わない。それに俺のことが信用出来ないというのも理解できる。だから、もし嫌なのであれば断ってくれても良い。』


『いえ!! 信用出来ないなんてことは!! シュンにはこうして救けてもらって、私達本当に感謝しています!! 』


 大声をあげてしまい、後にはっとなって顔を伏せる。いきなり大声を出してはしたないと思ったのだろう。


『それに…、妖精や__精霊と一緒にいるシュンは、とても良いひとなんだと思います。精霊は決して悪人には近づかないと聞いています。そんな精霊と共に生きているシュンが、悪人のはずありません。』


「え、そうなの?」


 ネルエルザの発言に、驚いて思わずミミの方を凝視してしまう。


「何よその目は。 …それにしても、シュンが善人とか……。ぷーくすくす」


 お腹を抱えて笑っているミミを見ていると、精霊とは……そう思わずにはいられない。精霊と共にいることに善悪とか関係あるのだろうか…。


「確かにその子の言っている事は、あながち間違いではないよ。」


「エリィ?」


「かくいうボクも、そう感じた一人だからね。もちろんシュン本人に惹かれたとい事もあるけど。キミは不思議な雰囲気を纏っているからね。そしてシュンがミミと一緒に居たという事も、ボクがキミに心を許した要因のひとつさ。」


 エインセルが微笑んでそう言ってみせた。

 その言葉に、ふとピピィと出会った時のことを思い出す。

 確かあの時ピピィも、精霊と一緒にいた事で警戒を解いてくれたことを。


「精霊て、そんな感じの存在なのか…。」


 あらためてミミの方に視線を向ける。

 ミミはあいも変わらずプクススと笑っている。


「……なんかずっと笑ったままなんだけど…。こんなんでいいの?」


「得てして精霊とはそんなものさ。」


 それでいいのか精霊は…。


『どうして…』


 エインセルと精霊についてあれこれ話していると、ネルエルザが思いつめた表情をしながら話しかけてきた。


『……どうしてそこまでしてくれるんですか。』


 ネルエルザからしたら不思議で仕方がないのかもしれない。

 戸惑いや不安、それらが表情に現れている。

 

『…大人が子供を守る。それに理由が必要なのか。』


『でも……』


 ネルエルザは悲しい表情でこちらを見つめてくる。村で辛い経験をしてきたのだ。彼女らからしたら、そんな当たり前のことが当たり前ではなくなってしまっていたのだろう。


『……シ…シュンは…』


 今まで姉に抱かれ黙っていたウルエルザが真っ直ぐコチラを見据える。その瞳には様々な感情が渦巻いている。


『わ……私の一つ眼が、気持ち悪くないの…?』


 彼女の一つ眼は、先天性の異常。本来一つ眼は同族の男のみに現れるもので、同族の女は三つ眼が普通なのだという。その為彼女は生まれ育った村で忌避の目に晒されていたのだ。


『わ、私はこの…この眼のせいで…せいで…… うぅ…』


 これまで溜めていた感情が、こらえきれずに漏れ出したのだろう。ウルエルザは涙を流し、震える声に嗚咽がまじっている。


『わたし…、こんな…、…へ……変だからっ……』


 大きな瞳からは、涙が溢れている。涙だけでなく鼻もたれ、眼や鼻を真っ赤にして。感情を抑えられないでいる。


『わ…わたしの…せいで… ひっく…  お、おねえちゃんも…… わたしがこんなん…だから… だから…… 』


 今にも爆発しそうなウルエルザの頭にそっと手をそえ、優しくなでる。


『そんなに泣いたら、かわいい顔が台無しだ。』


 その場にしゃがみ視線をウルエルザと合わせ、取り出したガーゼで涙や鼻を拭いてやる。


 しゃくり上げながら、ウルエルザは濡れた瞳でコチラを見つめてくる。


『ウルエルザ。俺は二人に会うまで、単眼族・多眼族というものを知らなかった。__だから一族の常識なんかも知らなかったんだ。だから、初めてウルエルザを見た時、ああ、一つ眼の子なんだ。ぐらいにしか思わなかった。』


 大きな涙を溜めているウルエルザの瞳は、まっすぐこちらを見つめる。


『他のひとはどう思うかしらない。でも_____』


 こちらの意思をしっかりと伝える為に、視線を外さず、真っ直ぐ見つめ返す。




『_____俺はウルエルザを変だとは思わない。』




 ウルエルザはその大きな瞳をさらに大きく見開く。

 姉のネルエルザも驚きの表情を見せている。

 これまで家族以外でそんなことを言ってくれた者はいなかったのだろう。

 その瞳は、戸惑いを見せている。



『う… 嘘……』


『嘘じゃない。』


『でも…でも…』


『精霊が、嘘をつくヤツの傍にいると思うか?』


『ひっく……。 ほ…本当…に…? 本当に……気持ち…悪く…ない?』


 大きな瞳から流れる涙を拭ってやる。

 ウルエルザの、その小さな手を両手でつつむ。

 優しく微笑み、本心から思っている言葉を口にする。


『ウルエルザの大きな瞳、とても綺麗。誇りをもっていい。俺は、そんなウルエルザの瞳が好きだ。』





『……う…うぅ… う  う……  うあぁぁぁぁああああぁぁあああああああああああああああああああああああああああああああああああぁぁぁぁぁ』



 塞き止められていた感情という名のダムが決壊し、ウルエルザは叫んだ。


 これまで我慢していたものを、今まで吐き出すことの出来なかったものを、全て吐き出すかのように。


 一度吐き出したものは、止めることが出来ない。


 ウルエルザは、ただただ叫んだ。


 もう溜め込む必要はない。


 もう我慢する必要はない。


 涙が、よだれが、鼻水が、感情とともに流れでる。

 顔はクシャクシャで、息をするのも辛そうだ。

 それでも止まらない。


 ウルエルザを引き寄せ力強く抱きしめる。

 頭を抱え、落ち着かせるように背中を擦る。


『大丈夫。もう大丈夫。』


 顔を胸に押し付け、流れる涙を気にせず抱きついてくる。小さな手は、目一杯ぎゅっと、どこにそんな力があるのか、そう思えるほど力強く抱きしめてくる。

 

 小さな体から出される大きな叫び。

 その全てを受け止めるように抱きしめる。


『ネルエルザ』


 姉のネルエルザに声をかける。


 未だ感情が整理できていないのか、彼女は立ったまま呆然としていた。そんなネルエルザへ手を差し伸べる。


 差し伸べられた手を、ネルエルザは自然と受け取る。その手をゆっくりと引き寄せ、ネルエルザを妹と同じように抱きしめる。


『今まで、よく頑張った…。もう、我慢しなくていい。』


『あ…… あ、あ……』


『もう大丈夫。___今は泣いていい。』


『うう…う…』


 膝から崩れ落ち、こちらに体を預けるようにして顔をうずめ、妹と同じようにしがみついてくる。そして少しずつ、やがて大きな声をあげて、泣き始める。


 これまで、妹の為と頑張ってきた。

 気の休まる事がなかったのだ。

 無理をしてきた。


 姉だから。

 姉だから妹を守らなくては。


 でも、それでも…。

 

 ネルエルザはまだ子供だ。

 一人でやれることには限界がある。

 本人も気が付かないうちに、限界まで追い詰められていたのだろう。



 だからこそ救ってやらねばならない。


 妹と同じように。

 妹思いの姉も同じように守ってあげなければならない。


 二人の体を力強く抱きしめる。

 取りこぼさないように、離れていかないよに。

 周りから守るように。




 二人は、涙を流した。

 これまで我慢していた全てを吐き出すように。


 ただただ泣いていた。 







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