第51話 アネアの涙、そして決意
宿屋の一室のベッドの上、そこで二人の姉妹が静かな寝息をたてている。
長いこと泣き続けていたので鼻や目は真っ赤になっている。泣き疲れたのだろう、充電が切れたかのように眠ってしまった。しかし、その表情はとても穏やかで、憑き物が落ちたような、そんな表情だ。
「沢山泣いてたわね。」
「これまで二人で懸命に頑張ってきたんだ。今は静かに寝かせてあげよう。」
「こんな小さな子が、よくここまで頑張れたと思うよ。シュンに出会えた事は不幸中の幸いだったのかもしれないね。」
エインセルが、寝ている姉妹の髪を優しく撫で、そんなことを口にする。
「幸いかどうかはわからないけど、出来得る限りは守ってやりたいと思う。それに…。」
「うん? どうかしたのかい。」
「……いや、なんでもないよ。」
寝ている姉妹から視線を外し、室内に顔を向ける。そこにはこれまでの出来事を黙って見ていた他の子供たちがいた。
『ネルエルザとウルエルザにも言った事だが、俺は二人を守ってやりたいと思う。そして、それは皆にも言えること。もちろん強制はしない。ただ、覚えていてほしい。俺は言った約束は違えない。キミたちが大人になるまで、決して突き放したりはしない。』
一人ひとりの顔をしっかりと確認し、その言葉が嘘ではないことを伝えるために真っ直ぐ顔を見つめる。
『今直に決めろとは言わない。数日はこの町にいるつもりだ。その間に決めてくれればいい。もちろんその間は頼ってくれて問題ない。宿や飯の心配はしなくていい。』
鍛冶屋に追加で頼んだマチェットが用意されるまであと4日かかるので、それまではこの町を離れることは出来ないので、それまで待つことにした。無論もう少し考えさせてほしいというのであれば、待つつもりではいる。
『さてと。二人が起きてきたら、皆でご飯でも食べにいこう。 それまではゆっくり休むと良い。』
――――――――――――――――――――
「ぴぃ! ぴぃ! 」
「はむっ はむっ」
「もぐもぐっ もぐもぐっ」
「はうはうふあ はふはふはふ」
泣き疲れて寝ていた姉妹が起きた後、時間は昼を過ぎていたので宿屋を出て屋台で食事を取ることにした。
育ち盛りの子供たちは勢いよく食事を食べている。
皆美味しそうに、幸せそうに食べている。
その顔を見ているだけで、こちらも幸せな気持ちになる。
やはり子供には笑顔が一番だなとあらためて思う。
『シ…、シュン』
『うん、どうした? ウルエルザ』
『これ…』
ウルエルザが手にしていた食べ物をこちらに差し出してくる。先程屋台で幾つか買ったケバブのような食べ物だ。
『俺にくれるのか?』
『う、うん』
『そっか…。ありがとうな。』
出された食べ物を受け取り、ウルエルザの頭を撫でる。
頭をなでられたウルエルザは、えへへと笑いながら隣に腰掛けてくる。
『せっかくだから、半分こしよう。』
受け取ったケバブのようなものを半分にわけ、ウルエルザへと手渡す。
『いいの?』
『ああ、一緒に食べよう。』
半分こにしたケバブのような食べ物を、ウルエルザはニコニコしながら食べ始める。足をぶらぶらさせ、とても楽しそうだ。
「ずいぶん懐かれたわね。」
「子供は本来、大人に甘えるものだからね。特にウルエルザぐらいの年頃の子はまだまだ甘え足りないんだと思うよ。」
「ふーん。そんなものなのかしら。」
「そんなもんだよ。」
手にしたケバブのような食べ物を食べながら、頭の上の座っているミミと会話をしていると、ウルエルザがこっちをじっと見つめていた。
『ん、どうした?』
『精霊とお話ししているの?』
『ああ、そうだ。』
ウルエルザには精霊であるミミが見えないので、独り言を言っているようにしか見えない。だが、精霊が一緒にいると知っているので、そう思ったのだろう。
『シュンは、精霊とお話しできるんだね。村では精霊と話せるひとなんて居なかったから、精霊ってどんな感じなのか知らなかったけど…。その精霊___ミミっていうんだよね。ミミってどんな精霊なの?』
『ミミか…。』
頭の上で、ドヤ顔でふんぞり返っている精霊が、これでもかと言わんばかりに胸を張っている。
『いつも食べては寝、食べては寝を繰り返しているグータラ精霊だよ。』
「はぁぁぁぁあああああーーーーー???! 何よそれ!!!!!!」
思いっきり頭に噛み付いてきた。
「その言葉!撤回しなさいよ!!!」
「いたたたたたっ!! ちょっと!! いきなり噛み付くなよ!!!」
「あんたが適当なこというからでしょ!!」
「いたたたっ! 適当って、本当のことじゃないか!!」
「言うに事欠いて、このミミさんの事をぐーたらぁ!? 二度とその減らず口がきけないようにしてあげるんだから!!」
頭をバシバシ叩いていたミミが、スルリとマズルまで降りてくると、今度は思いっきりくちびるを引っ張ってきて、歯茎にパンチを繰り出してくる。
「痛い痛い!! それ地味に痛っ! いっったっ!!!!! それダメ!!!」
隣でそのやり取りをみていたウルエルザが声を上げて笑っている。
『あははっ! シュンと精霊はとっても仲良しなんだね!』
この今のやり取りを仲良しに見えるとは…。ウルエルザは将来大物になるに違いない。などと、そんなワケのわからないことを考えながらミミの執拗な攻撃に耐え続ける。
いやこれ本当に痛いからやめて欲しいのだが…。
そんなやり取りをしていると、ふと視線を感じ、そちらの方に顔を向けると、アネアがこちらを見ていた。他の子供たちは楽しそうに食事をしていたのだが、アネアは浮かない顔をしている。
『アネア?』
席を立ちアネアの方へと近寄っていく。
『アネア、どうした?』
『……。』
何か思いつめたような表情をしている。
『食事が口に合わなかったか?』
『いや、そういうわけでは…。』
皆の食事風景を観察していたが、その時はアネアも普通に食事はしていた。では何を思いつめているのだろうか。 いや、彼女の考えていることはなんとなくわかっている。
『……、これからのことについて、悩んでいるのか。』
『っ!!』
驚いた表情でこちらの顔を見てくる。どうやら図星であったようだ。思い返してみると、アネアは今朝今後の話を持ちかけた時からそんな表情をしていた。アネアには何か思うところがあるのかもしれない。
アネアを連れて席へと戻り、アネアにも座るように促す。
『何を考えているのか、聞かせてくれないか。』
『……。』
決心がつかないのか、アネアはなかなか口を開こうとはしなかった。
しばらくの間そうしていると、別の所から声がかかる。
『アネアはアラクネ族として、このままシュンと共にいていいのかと悩んでいるじゃないかな。』
『っ!』
『エリィ?』
食事を手にしながらエインセルが近づいてきて、同じ席につく。
『アラクネという種族は、森の番人と言われるほどの狩りの名手でね。そのことを彼女たちアラクネ族は誇りに思っている。でもね、だからこそアネアは悩んでいるのさ。まだ子供とはいえ彼女も立派なアラクネ族。そんな誇りあるアラクネ族であるのに、他人に頼りっぱなし…、守られてばっかりでいいのか___ってね。』
「守られてばかりって…。彼女はまだまだ子供だ。そんなのいいに決まっているじゃないか。」
『普通はね。でも彼女はそう思わないのさ。それがアラク族という種族なんだよ。それに彼女の両親はアラクネ族の中でも特に優秀だったらしいし。そんな両親の元に生まれた自分が、そんな事でいいのかってね。』
『……、そうなのか?』
『……。』
彼女は俯いたままじっと地面を見つめている。彼女の小さな両の手はぎゅっと握られている。どうやらエインセルの言ったことはあたっていたらしい。
アラクネが誇り高い種族だというのは理解した。
でも、やはりアネアはまだ子供である。大人を頼ってもいいのはないか。
アラクネ族…アネアについて思いを馳せていると、隣で俯いていたアネアがポツリと言葉を漏らした。
『……それだけじゃ…』
『___アネア?』
『……確かに、私達アラクネ、狩人としてを誇りもっている。他者に頼るでのはなく、己の力で生き抜く。それが誇り高いアラクネの狩人。でも……。』
アネアが己の足を擦る。
半ばから欠損している足を。
アネアが集落を飛び出す原因となった足を。
『私は…。私は狩人ではない…。成人の儀を迎える前に戦士になる資格を剥奪された脱落者…、未熟な愚か者。』
アネアが発した言葉は彼女にとってとても重要な事なのだろう。その声には幾多の感情が込められているように思えた。
『そんな未熟者…。なのに…、それなのに…』
アネアはぎゅっと目をつぶり、悲痛な面持ちで言葉を絞り出す。
『シュンに助けてもらった。私が未熟なせいで人間族に捕まったというのに…。本来ならば自分で起こした失態は自分で始末しなければならないのに…。シュンには大きな借りが出来てしまった。命を助けてもらった恩が。私はその受けた恩を返さなければならない。なのに……。』
アネアの声が震えている。涙こそ流れてはいないが、そこには涙を我慢する少女がいるようにしか見えない。
『すでに恩義があるのに…。それなのに、恩に報いるでなく、厚かましくもさらに世話になるなんて……。そんなの……、誇りある戦士のやることじゃない……。私は……、すでに落脱した者。だから、だからこそせめて内面だけでも立派でありたい…。ありたかった…。 私は… わたし…、内も外も……全てが、何もかもが未熟者……。』
絞り出すように出した言葉は、アネアの心の叫びであった。
戦士で在りたかった。しかしそれは成すことが出来なくなってしまった。
しかし、だからこそ、その心は戦士らしく在ろうと。
幼いアネアはそう考えていたのだ。
しかし、現実は無情なものである。
幼い身でこの世界を生き抜くのは難しかった。
アネアは無様に捕らえられ、そして第三者に助けられた。
一人では何もすることが出来ない。
自分の中で在るべき理想と現実との差に、どうしていいのか分からなくなってしまったのだ。
すでにアネアは自分の感情をコントロール出来ないでいた。
我慢していたはずの涙は、頬を伝い地面へこぼれ落ちている。
『わたしは… わたしは… 』
『なら、これから成長すればいいと思うよ。』
ここまで話を聞いていたエインセルが、アネアの正面へと立ち、その小さな手を優しく握る。
『アネア、君はまだ幼い。ボクからしたらほんの子供さ。だからね、焦る必要はないんだよ。君が誇り在るアラクネ族だという事は知っている。君自身が否定さえしなければ偽りにはならない。これから君は成長して大人へとなっていく。その時にアラクネ族として、そしてアネア個人として、誇り在る存在になっていれば良いんだよ。焦る必要はないさ。』
エインセルはアネアの頭を優しく撫でる。
そして言い聞かせるように、ゆっくりと、優しい声で言葉をかけていく。
『君は自分の事を未熟だと言っていたね。いいじゃないか未熟でも。完璧な者なんていやしないよ。誰しもがどこかしら未熟な部分があるもんさ。君よりもずっと長い時間を生きているボクが言うんだ。間違いないよ。でもね、だからこそ人は強くなれるのさ。未熟な自分を認め、それを補い、克服する。そうして成長していくのさ。』
アネアは涙を流している瞳をエインセルへと向ける。エインセルは向けられた視線を正面から、しっかりと受け止める。
『だからねアネア。君もこれからゆっくりと成長していけばいいのさ。自分の未熟な部分を認め、そして向き合うのさ。それら全てが君の成長の糧となる。君の行動一つ一つの積み重りが、君という存在が形作っていくものさ。』
アネアを優しく諭すように、語りかける。
『君は囚われていた他の子供たちを守ろうとしていたよね。子供たちの前に立ち、壁となり、盾となるように。皆を励まし、そして少しでも不安を取り除ければと優しく接していた。子供たちから聞いたよ。そんなアネアの行動に皆勇気つけられていたんだ。簡単に出来ることじゃない。それを君はやってのけたんだ。君は自身の行動で示したんだよ。誇り在る存在だと。』
エインセルは、未だ顔に涙を溜めているアネアに微笑んで見せる。
『幼く、そして未熟者。それでも尚誇り高いアラクネ族。それが君という存在さ。アネア、君はそれを誇っていい。』
これまでエインセルの言葉を黙って聞いていたアネアは、今まで以上に涙を流しだす。頬を伝う涙を手で拭うが、後から後から流れる涙が絶え間なく頬を濡らす。今流している涙はどんな涙なのか。それは流している本人にもわからない。ただ、先程まで流していた悔し涙だけではないことは確かだろう。
『わたしは… わたしは…… 』
涙を流すアネアを、エインセルは見守り続ける。
しばらく涙を流すアネアに、エインセルは言葉をかける。
『これからの事なんだけどさ。君はこれ以上頼ってしまってはダメだ。そう思っているんだよね。だからね、こう考えてはどうかな。君が守る側になるんだって。』
エインセルの言葉にアネアは戸惑いをみせる。その真意を掴みかねているのだろう。
『これから一緒に暮らしていく中で、子供たちには、多分いろんな苦難が訪れると思う。もしかしたら、シュン一人では子供たちを守りきれない事もあるかもしれない。そんな時、君がシュンを手助けしてあげればいいのさ。』
アネアが目を見開き驚きの表情をみせる。
『シュンに恩義があるといったね。ならば君に出来ることをすればいい。庇護を受けるのではなく、シュンと一緒になって子供たちを守ってあげればいい。頼る側ではなく頼られる側としてね。』
アネアは声を詰まらせている。今までそんな事を、考えたこともなかったのだろう。それも当然のことだ。彼女はまだ幼い子供。そんな彼女に守る側になれなど、随分無茶な事を言っている。エインセルも自分で無茶苦茶な事を言っていると自覚しているのだろう。しかし、それでもあえて、エインセルはアネアに言ってのけた。彼女の為に。
アネアはじっと地面を見つめている。
どれくらいの時間そうしていたのだろう。
長いような、短いような、そんな時間だ。
両の目をぎゅっと瞑る。
しかしそれもそれもほんの少しの時間。
再び目を開き、涙を拭いとる。
その瞳にはもう涙は流れていなかった。
『___私は、私はシュンについて行く。受けた恩を返すため。誇り在るアラクネ族として。そして私自身が、私らしく在るために。』
アネアは決心した表情をしている。その瞳には先程までの戸惑いは感じられない。真っ直ぐ見据えるその瞳はとても力強い光を放っている。
アネアがこちらに顔を向け、己の決意を口にする。
『シュン。私は貴方について行く。私が皆を守る。そして___貴方も守る。この誇りにかけて。』
その瞳は、どこまでも透き通っていた。
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