第72話 屋敷にて

 夜が更け街は静まり返っていた。無論すべての住人が寝静まっているわけではない。夜を商売にしている者は今が稼ぎ時である。また昼間の疲れを吹き飛ばすように酒を浴びる者もいる。そういった者のためにある店は、夜だからこそ喧騒が絶え間ないのかもしれない。


 虎人はそういった夜の街には眼もくれず、街中を静かに通り過ぎる。そして一軒の大きな屋敷へとたどり着く。周りには同じような屋敷がいくつか存在しており、この辺り一帯が高級住宅街であることがうかがい知れる。


 屋敷の前には警護らしき人物がいるが、それには眼もくれず横を通りすぎる。


「なっ! おいっ! 止まっ……」


 警備は言葉を続けることが出来なかった。虎人の睨み一つで体が硬直し、身動き一つする事が出来なくなっていたのだ。


「フンッ、くだらなぬ。それで何を警備するというのだ。幼児の方がよほどマシというものだ。」


 虎人はつまらなそうにそのまま通り過ぎる。後ろでは未だ身動き出来ないでいる警備が恐怖に立ち竦んでいた。





「これはタオロン様っ! よくお越し下さいました!」


 屋敷に入りしばらくすると、執事風の格好をした人物が腰を低くして虎人を迎え入れた。


「貴様の主は来訪者をいつまでも立たせているのか?」


「こっ、これは失礼いたしましたっ! すぐに客室にご案内させて頂きます! さっ、こちらに! 」


 額に汗を滲ませ、執事は屋敷内を案内する。その姿を何の感情もこもっていない目で一瞥し、それもすぐに別のものへと視線を移す。虎人にとってはなんの興味もない。どうでもよいものだ。




「それではタオロン様、そちらの少女をお預かりしてもよろしいでしょうか。」


 客室に案内され、豪華な椅子に腰掛け茶を出された後、屋敷の使用人達がパーピー族の少女を受け取ると申し出てきた。


 視線を向けると、使用人たちは皆顔を真っ青にし、額に汗を浮かべていく。虎人はつまらなそうにその者たちを見る。別に殺意を向けたわけではない。ただ視線を向けただけだ。だが弱者にとっては、それだけでこうも萎縮してししまうのだ。

 しかしこの者たちが特別というわけではない。世の大半がこの者たちと同じように虎人の存在に恐怖する。


 くだらぬ。


「ふん。 連れて行くが良い。」


「はっ、有難うございます! お前たち、これを地下へ連れて行け。」


 執事の命令を受け、使用人たちは急いでハーピー族の少女を連れて行く。


「それではタオロン様。今より主人に報告してまいります。それまで客室にて、今しばらくお待ち下さい。」


 執事は深々とお辞儀をした後、客室を後にする。残されは虎人は室内を一瞥し、そして気配で探りを入れる。


「フム…。先程までの気配が離れておる……か。やはりあの少女に付き添っていたか。」


 これまで虎人の傍から離れることなく、ここまで付きまとっていた気配。それがハーピー族の少女の傍にそうようにこの場から離れていった。これはやはり単なる偶然ではなく、明確な意思を持って行動していることに他ならない。


 先程までの気配、おそらくその正体は精霊で間違いないだろう。本来虎人の種族では適正がなく、その存在を視覚で確認することは出来ないが、虎人は本人のその鋭い感覚によって薄っすらとではあるが、存在を認識することができていた。


「精霊に好かれる__か。本当に面白い奴らだ。」


 精霊に好かれた存在、歴史を紐解けばいくらでもその存在は確認できる。しかし実際目にするのはやはり珍しい。昔、精霊と共に生きている者と会ったことがあるが、そいつもやはり興味深い者であった。


 先のハーピー族の少女をはじめ、かの者たちは皆虎人の興味を引くに十分な者たちであった。その誰もが虎人を楽しませてくれた。

 

 それに比べこの屋敷の者らは、いや、比べるべくもない。此処にいるのはどいつもこいつもくだらぬ雑魚ばかりだ。虎人からして不愉快でしかない。しかし、それも無理からぬこと。それが当たり前なのだ。


 もはや此処には何の興味もない。依頼が終わった今、やるべき事をやった後、立ち去るだけである。




「失礼します。」


 客室に先程の執事が断りとともに入室してくる。


「準備が整いました。主人の元にご案内いたしますので、ご同行お願い申し上げます。」


「ふむ、ではさっさと案内してもらおう。」


 執事に案内され客室を後にする。





――――――――――――――――――――





「この度は我が依頼を達成して頂き、誠にありがとうございます。」


 案内された一室で、今回の依頼主である男が、感謝の言葉と共に頭を下げてくる。でっぷりと出た腹がベルトの上に乗り、体中に脂肪を蓄えている。虎人からしたら取るに足らない存在である。


「依頼の娘、確かに届けたぞ。」


「タオロン殿には感謝してもしたりません。まさに噂に束わぬ御仁。ご依頼をお願いして正解でした。」


「噂__のぅ。」


「ええ、それはもう。 おいっ!」


「はい。」


 商人の男は執事に合図を送る。執事は使用人に命令を下し使用人が部屋から退室していく。そして幾許かの時間も立たずに部屋へと戻ってきた。そして手にしていた革袋を執事へと手渡す。手渡された執事はそれを商人の男の元へ持っていく。


 中身を確認した商人はそれを再び執事へと返すと、今度はそれを虎人の元へと持運んでくる。


「こちら、今回のご依頼の代金となります。お納め下さい。」


 執事から革袋を手渡される。受け取った革袋の感触に虎人は違和感を覚える。


「依頼料がちと違いやせぬか。」


「おお。中身を確認せずともわかりますか。 ええ、こちら今回の依頼に対しまして、私どもは大変満足しております。ですので、心ばかりではありますが色を付けさせていただきました。」


「そうか、では受け取っておこう。」


 感触からしてかなり多めの金貨が追加されていると思われる。それをこうも簡単に追加するとは、この商人の商売はうまく行っているのだろう。しかし、そんなことは虎人にとってはやはりどうでもいいことである。


「これで依頼は終了だな。」


「はい。この度は私めの依頼を受けてくださり、本当にありがとうございました。」


 商人は再び頭を下げる。


「さて。ではこれから依頼とは別の事になるのだが___その前に。」


 虎人は入ってきた扉とは別の、入り口から向かって左側の扉、その奥に視線を向ける。


「ワシはコソコソされるのは好かん。出て来ぬのであれば相応の対応をさせてもらうぞ。」


 淡々と、特になんの感情も含まれない声でそう言葉を口にする。虎人が喋り終えると、ほとんど間を置かずして扉が開かれる。そしてそこから一人の男が入室してきた。



「ご無礼をお許しください。私の非礼この上ないこと、謹んでお詫び申し上げます。」


 その男は部屋に入るなり直様頭を下げ謝罪の言葉を口にする。その姿は齢五十を超えているであろう、頭髪は白髪が目立ち、顔に少なくないシワが刻まれている。しかし、その年齢に似つかわしくない、芯の通った立ち姿をしていた。ただの初老では出すことの出来ない雰囲気に、虎人は己が感じたことを口にする。




「おぬし、この屋敷の者ではないな。」

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