第7話 通商都市ジュスト③


 神殿広場。人の流れに乗って市壁から離れる方向に大通りを歩いていくと、その広場には簡単に着いた。アリアに訊くと、多少の違いはあれど大抵の街は神殿のある広場を中心に作られているらしい。


「さっきより人が多いな」

「昇日の大祭は神殿のお祭りですからね。むしろ大通りの人混みはほとんどがここを目指してただけだと思いますよ。ジュストほど大きいと近隣都市からも見物客が来るでしょうしね」

「へえ。市門のあった通りはそこまでじゃなかったけど」

「市門のあたりが混むと商人が困りますからね。通商都市の仕事がなくなるわけでもなし、衛兵が整理してるんでしょう」

「なるほどなあ」


 勉強していたというだけあって、アリアは物知りだ。何を訊いても納得する答えが返ってくるのにひとしきり感心して頷いていると、広場の中心の方から大きな歓声が上がる。


「あれは?」

「劇が盛り上がっているみたいですね。こういう広場には真ん中に見世物のための舞台があるものなんです」

「へえ。どういう場面かアリアからは見える?」

「神様たちが集まってイリス様を打ち倒し、太陽を取り戻したとこですね」

「……そっか」


 うちの女神様は本当にとんでもない邪神らしい。しかし、そうなると少し不思議なところもある。


「ん? でもこの街にはイリスの聖堂もあるんだよね?」

「ありますよ」

「邪神なのに?」

「えーと、そこが難しいところで、イリス様は行き場のない死者を受け入れる神でもあるんですよ。だから遺族がいない方や、めったにいないですが無宗教の方は便宜上イリス様の墓に入るということになっているんです」

「それで聖堂があるのか」

「はい。小さな村でも、墓場の一区画に聖印シンボルを掲げるくらいはしてますし、意外と馴染みのある神様なんですよね」

「ふーん」

「そういう話がお好きでしたら、ここはきっと楽しめると思いますよ。……着きました」

「お」


 アリアに促され、前を見る。人混みで見えていなかったが、いつの間にか近くまで来ていたらしい。


「こりゃ……随分とまた大きいな」

「ですね。想像以上です」


 それは巨大な建造物だった。天にも昇るようなねじれた塔と、それと一体化したパンのように平たく膨らんだ基部。その奇妙な構造は人造のものではまずあり得ない。


「ここが……名高いジュストの書庫ですか」


 ほう、と感極まったようにアリアがため息をつく。僕もまた威容に圧倒されてはいたけれど、アリアはそれどころではないようだ。くすりと笑うと、彼女も我に返って照れくさそうに笑う。


「……行こうか」

「はい!」




 中に入ると、空気が変わったようだった。

 矛盾しているようだが、秩序だった喧騒と言えばいいのだろうか。相変わらず人は多いが、皆が皆がなりたてるように喋っていた外とは違い、ここでは人々の声が波のさざめきのようだ。神域だからだろうか。


魔術師ウィザードが多いな」


 ぽつりと洩らす。見渡すと、僕自身が着ているのと同じような、黒いローブを着た人が多い。


「知の神の神官は魔術師でもありますからね。それに、ここは魔術師ギルドも兼ねているみたいですから」


 アリアが指差す方を見ると、その黒いローブたちが吸い込まれていく一角があった。本棚と本棚の間に狭そうに収まる建て付けの悪そうな木の扉には、虫眼鏡を模したような印が刻まれている。どうやら元からある図書館の中に無理やり建て増ししたらしい。


 魔術師たちの節操の無さに呆れていると、もう一つ人が集まる一角があることに気付く。これもまた後付けらしき木製のカウンター越しに何かをやり取りしているようだ。


「あれは?」

「知の神殿ですね」

「あれが?」

「ええ。お布施をすると本を持ち帰れるんですよ。正確にはあそこで働いているのは神官ではないのですが、神殿には公認されています」

「……要するに本屋か」

「まあ、そうですね。あとは上の階に行くと役所もあるそうですよ」

「……」


 建物が大きく、また記録を集積しているから便利なのはわかるが、仮にも神殿に色々と間借りしすぎではないだろうか。世界が変われどそこは変わらない人のたくましさにしばし思いを馳せる。


 だが、よく考えると、いいことを聞いたのも確かだ。そもそも僕もアリアも、街にいるだけリスクが高まる。ここに長々と居座って本を読むよりも、必要そうな本を見繕って持ち帰った方がいいだろう。少し考えて、口を開く。


「アリア」

「はい?」

「本を探してきてほしいんだ」

「私が、ですか?」


 きょとん、と見つめ返される。こういう所はやはり少し抜けている。


「うん。見つけたいのは神様に関する本。アリアの方がそれは詳しそうだからね。代わりに、好きな本一冊買ってあげるから」

「か、代わりになんてそんな! 私はカケル様の下僕です。カケル様の好きに使ってくださればそれが私の幸せです!」

「僕にできないことを頼むんだから、ね。本、好きでしょ?」


 というか、公衆の面前で下僕とか言わないでほしい。正直言って、一介の高校生だった自分に、他人を顎で使うのはやはりまだ荷が重い。アリアに本を買うのは、どちらかと言えば自分の精神の安寧のためだ。


「うう……。でも私風情がダンジョンのためのお金を……」

「大丈夫」


 お金ならいっぱいあるから、と。言おうとしながらアリアを安心させようと懐を叩いて、はたと気付く。ない。


「……あれ?」

「……カケル様?」

「……ない」

「……ぇ?」


 アリアの間の抜けた声。状況を理解できていないそれに、僕の焦りだけが加速していく。


「ない、ない!」

「カ、カケル様!? い、一体、何を……」

「ないんだ……」


 絶望。左右を変えても、マントをひっくり返しても、結果は変わらない。確かにあったはずの重みが、消えている。


「500gp……盗まれた」

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