花の下にて春
江戸川ばた散歩
序
「綺麗、ですな」
見上げれば花は盛り。薄青の空を透けるような花びらが埋め尽くすような春の昼下がりである。
穏やかな陽の光がゆらゆらと揺れる。何処からか陽気な笛の音が聞こえてくる。
まぶしげに二人の武士は陽に手をかざす。
「そうですな」
花の季節である。
城の桜園は一年前の戦により、半分が燃えてしまったが、残りの半分がこの年もまた美しく花を咲かせた。
だが城の主はいないままだった。……最も既にこの城自体が無人のものであったのだが。
だが花には人が集まる。
戦はひとたび治まった。またいずれかの国との間に戦火が立ちのぼるとしても、ひとまず開放された桜園には、今年も国の民が集まってきた。
そしてこの二人も。
かつてはこの桜野の城主に仕え、その右腕とも知恵袋とも呼ばれた南里と櫂山の二人である。
現在桜野はその主を持たぬ。
あの戦ののち、この国は隣の
現在この二人はその阪島の国主に仕える。先の戦により新しく生まれた国主は彼らの戦友とも言える者であり、また、仕えるに値する人物であった。
最も、南里と櫂山の二人にとって、それでもこの現在の主は、二番目に他ならない。彼らにとっての主は、先の国主ただ一人であり、それはこの先も変わらない。阪島の国主が羨ましがるが、それも仕方がない。消えてしまった者には勝てないのだ。
「櫂山よお、この一年…… 夢のような日々だったなあ」
南里はその高い背と身体つきからは想像のつかないような高い声で嘆息した。
「おや南里どの、珍しい。ずいぶん年寄りめいたことを言いなさる」
「この一年で俺はずいぶん年老いた気がする」
冗談はおよしなさい、と南里よりはずっと低い声で櫂山はこたえ、手をひらひらと振る。櫂山は南里よりは声も背も低かった。
「それなら俺も御同様」
そてここいらで呑もうか、と櫂山は持っていた徳利を下ろす。徳利には四つの杯がくくりつけられている。所々に緋毛氈が敷かれている。彼らが用意させたものだ。やがて次々とかつてこの城で仕えた者達は集まってくるだろう。
南里は杯を一つ一つ下ろすと、その全てに酒を注いだ。ふっと風に乗って運ばれてきた桜の花びらが、その一つに舞い降りる。二人はその杯には手をつけない。
「信じられるか御同輩? 一年前はここで宴をしたのだぞ」
櫂山はうなづく。
「そうだ。あの夜の折の花は見事だった」
「あまりにも見事だったので、鬼が怒ったのだろうよ」
櫂山はその言葉に苦笑する。そしてしみじみと目を閉じる。
「あの折は、もう花など見られぬと思っていた」
「我々は運が良かったのさ」
南里はさらりと言い流す。
「生き残っただけでも上等」
「そうだ…… だがやはり俺はまだ女々しいのであろうか? いなくなった花を嘆くなぞ」
「仕方あるまい。鬼は俺達同様、とても趣味が良かったのだよ」
そうかもな、と櫂山はつぶやく。
ひらひらと花びらが舞う。
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