跋
「夢ではなかったよ」
桜の木の下に座り込んで、櫂山と南里は酒を酌み交わす。
「あれは、夢ではなかったんだ」
*
二人が気がついた時には、既に全ては終わっていた。
どのようにして燃え落ちる城から出て来られたのか、二人にはまるで記憶がなかった。
目を覚ました時には、やはり自分達と同じようにやや怪我や火傷を負った者達が周りに居た。
中には自分達よりもずっと深い怪我をしたり、腕全体を火傷のために布でぐるぐる巻きにしている者も居た。
近くには、あの家臣も居た。
どうやら何やら前国主の怒りを買ったらしく、その身体のあちこちに拷問をふるわれた跡があった。
何処を見渡しても、痛々しい。だがどの者の顔も一様に明るかった。
二人が気がついたと聞いて、頭領が…… 新しい国主が二人の元にやってきた。
国主は二人に頭を下げた。主君を失わせるようなことをさせてしまってすまない、と。
自分達を見つけたのは、城の裏手の築山の中だったと言う。三人が三人とも戻ってこなかったので、頭領は本気で後悔していた、と。
「だからお前達だけでも生きててくれて、俺は嬉しい」
そして本当に素直に涙を流した。
「頼む。これからもずっと俺を助けてくれないだろうか。お前らの主君の代わりでは物足りないかもしれないが」
櫂山はひどくその新しい国主の様子に驚きを覚えた。……いや、国主の姿、というよりは、それを見ている自分の心に、である。
好感が持てたのだ。ひどく素直に。
それまでは、ただ生まれながらに与えられたその主君を敬愛し、仕えることしか自分にはなかった。だがその主君は消えた。死んだかどうかは判らない。だが、もう決して自分の前に姿を現すことはないだろう、と櫂山も南里も感じていた。
つまりは、次の主君は、自分で選ぶことができるのだ。
「自分如き、さほどのお役には立てないとは思いますが」
櫂山は静かな声で言った。
「自分でよろしければ」
南里もまた、うなづいた。
*
燃え落ちた城の代わりには、当座の建物が作られ、そこで新しい、野武士からのし上がった者、旧家臣の中でも前国主に批判的だった硬骨漢、そして桜野の生き残りの家臣が寄り集まって新しい国を動かそうとしていた。
冬の寒い日から始まった、その毎日はひどく勢いをもって流れていく。
最初の雪が降った日、南里が櫂山に言った。
「ひどく寒いな」
「底冷えするな」
「だったら火を炊けばいいのに。やせ我慢は病の元だぜ」
「放っておいてくれ。どうも一人で居る時に、そうそう火を炊く気にもなれぬ」
「それをやせ我慢というのだ」
そう言って南里はあっさりと火を起こす。
「それとも櫂山、お前もあの時の火を思い出すのか」
櫂山は目を見開いた。
ああそれではやはりあれは夢ではなかったのだ。
炎をくるくると衣のようにまとって、嘉勝を抱いたまま、鬼はその姿を揺らがせていった。
目が強く明るい、その炎に焼けそうだったが、どうしても彼らには目を背けることができなかった。
鬼は笑っていた。声も楽しく高らかに、もしかしたら彼らの主君も笑っていたかもしれない。
声が頭の裏にまで響いて、響いて……
だが不思議な気分だった。
目の裏に、あの日の桜の宴の様子が浮かんでいた。
目の前の光景と二重映しになっていた。
花が舞う。ひらひらと。白い袖をふわりと舞い上げて。
炎が舞う。ひらひらと。血に染まった袖を振りかざし。
そのまま意識が遠のくのを、二人は同時に感じとっていた。
*
彼らの国は隣国と一つになった。直系の跡継ぎがいなかった上に、嘉勝が生前に伝えた願いは、きちんと伝わったのである。
要は、民が潤えばそれでよし。
その代わり、と言っては何だが、彼らの国の家臣の、生き残りの大半がこの新しく大きくなった国に召し抱えられたのである。実際武人は多かったが、それ以外の者は実に少なかったもと野武士の群れは、ほどほどの分を知っているこの国の文人達と共に手を組むことをよしとした。
そしてこの二つの国が一つになったことで、近隣の戦国大名の動きを牽制することとなった。
すぐには手を出してはこないさ、と新しい国主は言った。
だからできる時に、できることをしようや、と。
*
その上での花見である。
どういう訳か、この年は、花が咲かなかったこの国の土地にも変化があったらしく、枯れ果てたと思われた木々も芽が吹き出していた。
そして少ないながらも、この国にも桜の花が咲いたのである。新しい国主は花見を奨励した。
二人は少しばかりの暇をもらって、この桜園にやってきていた。
「……これで、良かったと思うか?」
櫂山は南里に訊ねる。
「良かったも良くないもなかろう。俺達がどうそれを決めつけたところで、終わってしまったものは戻ってはこない」
「ああそうだ。俺は女々しい。終わってしまったことにいつまでもこだわっている」
櫂山は杯を一気にあおる。……もともとそう強くはない彼は、勢いよく呑んだそれにむせる。南里は相棒の背をさすってやる。
「それは仕方のないことだ。所詮我々は煩悩にまみれた人に過ぎない。だが同じ花は二度と咲かないが、よく似た花を愛でることはできる」
「そうであろうか」
「そう考えるしかなかろう」
「……そうだな」
そう答えて、櫂山はうつむく。
「何だお前、泣いているのか?」
「泣いてはおらぬ!ただ目から水が流れているだけだ!」
何処からか、笛の音に混じって、歌声と太鼓の音が聞こえてきた。
祭りでもないのに……
そう思った時、櫂山ははっとして顔を上げた。
何処にも太鼓なぞないではないか。
「南里」
「何だ」
「それでも、立ち止まっては、ならないのだな?」
「そのようだな」
ぐい、と櫂山は袖で目から流れる水をぬぐった。
見上げれば、花雲。
触れる風は、柔らかに。
桜の花が、舞う。
花の下にて春 江戸川ばた散歩 @sanpo-edo
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