7.隣国との微妙な事情①

「隣の国の国主どのから同盟の申し入れがございました」


 ある日、櫂山が嘉勝に言った。いつものように、南里もその横についている。そしてさらにその周りには他の家臣が。


「同盟。さてそれは何故に」


 無論嘉勝とて全く判らない訳ではない。信頼する臣の一人の意見を聞いてもみたかったからである。


「つまり」


 南里が手にしていた地図をさらさらと広げた。


「殿。わが国は一方を海、一方を***方、もう一方をかの国と接しております」


 南里は最近名が知れ渡りだした戦国大名の名を出した。


「それで」

「この海、が問題でございます。わが国はさほどにここを重視しておりませんでしたが、向こうには重視する理由がございます。つまりは」

「他の国との海路の確保という点でございます」


 櫂山は続きを受け取った。


「***方にとって同盟を組む大名の国の海路と、ちょうどこの国はよい連絡地となりうるのです」

「それはあまり面白いことではないな」


 嘉勝は考え込む。


「今のところどちらにつくのが良いとも言えません」


 慎重な部下はそう結ぶ。

 正直言って、有名な戦国大名の***と結ぶのも、隣国と結ぶのも、どちらも嫌、というのがこの場にいる者の一致した意見だった。

 無論それが感情に過ぎないことも誰もが判っていた。この国の頭脳達はその程度の分別がつかない程馬鹿ではなかった。

 だがどちらにつくか、となると彼らは非常に困った。どちらもしたくない。だがどちらかしなくては下手するとどちらも敵に回すことになる。

 それだけは防がなければならない。この国が戦に巻き込まれるのだけは、何としても防ぎたかった。


「……ひとまず隣の親父をかつぎだしてみるか……」


 部下は一斉にうなづいた。れると寺の本堂の縁に腰を下ろした。暑くなったからと汗をかいた着物の上をはだけ、



「大変なことになっているのですね」


 ほえんは嘉勝に言った。

 その頃ほえんは城の一角に小さな庵をもらって暮らしていた。城の中に来ればいいのに、という嘉勝の言い分を丁重に断った結果である。

 その時にもほえんはくすくすと笑いながら、でも駄目ですよ、と確固とした口調で言ったのだ。

 この強情な奴め。それに対して嘉勝は苦笑いを返した。

 ほえんの名目は、「お抱え歌師」だった。無論そんな役まわりなど当時のこの国にはなかった。だからそれが名目であるとは誰でも予想がついた。

 だがその「名目」がほえんに関しては当てはまることも、誰もが知っていた。一度ほえんの歌を耳にした者なら、それはそれで事実であることも知っていた。

 ほえんはそんな「名目」のことなど全く気にしていないようだった。

 ただでさえあまり裕福ではない寺のことを考えると、自分が城の方へ召し抱えられることは悪いことではない。それに彼女はこの「殿様」が好きだった。名目など別に何だってよかったのだろう。

 だが城の中、というのはどうも気にいらなかったらしい。

 それだけは、とほえんは固辞した。そして城内の桜園の近くに、ちょうど空いていた庵があったので、それを簡単に整えたところにさっさと自分で移り住んでしまった。

 嘉勝はそこへ時々歌を聞きにやってくる。

 それ以外に何をしているか、は腹心の二人にも明かしはしなかった。聡い二人のことであるから、そんなことは見通しだったろう。その程度のことは微笑ましく見守れる程度のことだった。


「それで」


 ほえんは立てた茶を進めながら、嘉勝に訊ねる。


「一体どうなさるおつもりですか」

「その用で来たのだが」

「その用でですか」


 くす、とほえんは笑う。


「お前、歌を歌ってくれまいか。使者を迎えての宴が開かれるのだ」


 ほえんは驚きもしなかった。


「いつでございますか。どのような方がおいでになるのでしょう」

「それは未だはっきりしてはおらぬ。だがその前にお前の返事が聞きたい。お前が嫌だというなら別の宴を考える。どうだ?」

「私に何の断る道理がございましょう? 私はこの国の、この城の、殿のお抱え歌師でございます。それが仕事でございましょう?」

「まあそれはそうだが」


 嘉勝は呑んだ茶の渋さに対してなのか、ひどく顔をしかめた。


「何でしたら殿も太鼓を御披露なさっては如何ですか?」

「お前面白がってるな?」

「あら、以前から私は申し上げておりますよ。私は殿の太鼓はとても好きですから、と」

「あいにく俺はお前程物わかりのいい人間じゃあねえんだよ」


 物わかりが良くないから、自分以外に…… ましてや隣国の使者なんぞにほえんの歌を聞かせるのが嫌なのだ。その程度は嘉勝は自覚している。


「ほら地が出ました」


 くすくすくす。ほえんはそういう時そういう笑い方をする。


「だいたい」


 嘉勝はぐっと飲み干した茶器をいささか乱暴に置く。


「お前は俺の太鼓のどの辺が好きだというんだよ」

「全部でしょう」


 あっさりとほえんは言う。


「全部ですよ」


 嘉勝は目をぱちぱちと瞬かせる。


「からかっているのではないだろうな」

「いいえ私はいつもとても真面目ですよ」


 ほえんは真顔でそう言う。


「殿の叩かれる音には、殿そのものがうつるのです。ずいぶんと剛毅大胆で、時にはとんでもなく理屈屋で、それでいて妙に細かいところに気を回していらっしゃる。……ああ誤解なさらないでください、誉めているのですよ」


 そうは聞こえないが、と嘉勝は黙った。


「だから、そういうところが好きなのですよ」


 くすくすくす、とほえんはまた笑った。

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