5.幸せな出会い①
「……何故だそれは!」
その時嘉勝は叫んでいたのだ。
「仕方のないことでございます」
幼なじみの腹心の部下、南里と櫂山が並んで、なるべく無表情を装って自分に答えていた。
彼らはいつもそうだった。言いにくいことがある時には、なるべく表情を隠した。それは彼ら自身にも辛いことであることが多かった。
「ほえんがそれを選んだのでございます」
「ほえんは殿のことを考えてそれを選んだのでございます」
高さの違う二つの声が、同じことを繰り返し繰り返し語る。だがそれは嘉勝の耳に素通りしていった。
「何故だそれは!」
嘉勝は再び同じ問いを二人にぶつける。
「それは」
櫂山がまず顔を上げた。
彼はこの桜野に昔から住む武家の息子で、嘉勝より一つ年上である。
優しげなその風体は、その柔らかな物腰と相まって、初対面の人間の気を解かすには十分である。
だがその外見に騙されると手ひどい火傷をすることになる人物でもあった。
彼はそれこそ幼少の頃から、将来の主君とともに武芸を身につけてきた。結果的には主君の方が腕が立ってしまったが、いつでも一歩先を目指してきた彼もまた、腕は立つ武士となっていた。
その彼が、言う。
「お分かりでございましょう?」
無表情では、もはやなかった。
下手をすると泣くのではなかろうか、と嘉勝が思う程に困り果てた顔をしていた。櫂山の、いつもは優しい瞳はすぐさま潤み、涙滴るのではなかろうか、と思われる程だった。
だが幼なじみの部下は泣くことはない。少なくとも自分の前では。
おそれながら、と声と背が高い南里が続きを受け取った。
彼は幼なじみと言っても、やや櫂山よりは新しい。
彼らが師について学問を学ぶ時になって得た友人であった。
彼は師の孫息子である。それまでは毎日毎日野山を駆け回って、その手足をすくすくと伸ばしていたのに、急に部屋の中に閉じこめられて学問をさせられることになったのだ。
だが同じ年頃の友を得たのは彼にとって良かったようで、彼は彼で、学問と武術とともに、落ちつきというものを次第に身につけていった。
不思議なもので、彼は声変わりをしても、大して低い声にはならなかった。しかもそれはひどく大きいので、城の中でも彼はすぐに有名になった。
「わが国は決して力のある国ではないのです」
無論ここで国というのは、後に藩となる程度の単位の、各地の武家が治める地域のことと思っていただければよい。
世は戦国だった。
名のある武将、名の無い武将、積極的に戦国に参加する国、そうでない国、それは様々だった。
だが一つだけ共通していたことがある。いずれにせよ、目をつぶり耳を塞ぎ無関係ではいられなかったということだ。
この国、桜野は小さいが、穏やかな気候と豊かな土地を持ち、平和だった。
太郎嘉勝はその国をつい最近引き継いだばかりだった。彼は若かった。二十四、五というのは、国一つ統治するには実に若すぎる年齢だったと言えよう。
だが彼は、そしてこの国は恵まれていた。先代国主の頃から仕えていた家来は誠実かつ有能、そして幼なじみの腹心の部下もまた然りだった。
そしてまた、嘉勝自身も国の民に人気があった。
国主というものは自身が有能であるかどうか、はさほど問われはしない。無論それに越したことはないが、それ以上に必要なものがあるのである。
すなわち、人を引きつける力である。
嘉勝はその点に置いては充分以上だった。何しろ鍛え抜かれた身体、武芸を一通りこなし、それが人並外れている。
だがその中身は実に気さくである。下手すると常識外れに自由奔放であった。
嘉勝はたびたび城を抜け出しては国のあちこちをぶらついている。
馬の時もある。徒歩の時もある。国の民は彼が誰だか知っていたし、彼も民が自分の正体に気付いていることも知っていたが、そんなことは双方に大した問題ではなかった。
彼は誰にでも陽気に話しかける。
豊作の翌年だったら、田のあぜ道で弁当を食べる農民ににぎり飯の一つも貰っては世間話をする。
町の学者のところへ出かけていっては、判らない者にとっては何をそんなことぐたぐだ並べ立てているんだと言いたくなるような実に理屈臭い話を一晩中することもある。
祭囃子が出るころになると、その音の衝動に耐えかねて、とうとう自分で太鼓のばちを握るようなこともあった。そしてめっぼう酒に強かった。
国の民はこの若い国主を呆れながらも実に敬愛していた。どんな行動をしようと、その彼が選んだ家臣は実によく国を治める。
そして家臣達は嘉勝のそういう行動も判っているが、必要以上に大げさな警護はしなかったし、実際必要はなかった。彼自身がとんでもない使い手ということは国中に知れ渡っていたのである。
その国は平和だったのである。
だがそれは長くは続かなかった。
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