13.最大の呪文
「だからあたしは、やっとお前と会えたんだ」
彼女は嘉勝の手を取りながらつぶやく。しばらくはそれを揉んだり撫でたりしていたが、やがて舌を小さく出し、軽くなめた。
「ずいぶん傷が増えたな。だけどあたしは今のお前の手の方が好きだ」
そして両手でぎゅっと握る。
……ああそうか。
奇妙だった。頭が空っぽになっているのに嘉勝は気付いた。
自分の中にも、彼女がほえんと同じと感じる部分と違うと感じる部分があるのにずっと気付いていた。だがその説明がつかなかったのだ。身体は確かに相手を本物と認めていたのに。
……まあ鬼と一つになったのなら口調くらい多少は変わっても仕方なかろう。
もともとのほえんとて、ただしとやかな少女ではなかったんだし。
それで納得してしまうのがこの男の凄いところなのかどうなのか。
「さて話を元に戻そう。さらわれたこの国の跡継ぎはどうなったか」
「お前は近くの里へと回したと言ったのではないか?」
「そう。回したんだ。だけど『うっかり』跡継ぎである証拠の品を残してしまった。薄着だったけれど、お守りみたいに身につけたものとか、あったらしいね。でまあ、大変と思いつつも、その育ての親はその子供が大きくなってから本当のことを話したんだ」
「それって育ての親がひどく大変じゃあないか?」
「だからその時の鬼はそこまで考える気力が無かったらしいよ。結構気も滅入っていたらしいしね。結構その辺がいい加減だったらしい。だがそのいい加減さが結構効を奏したよね」
言い換えれば行き当たりばったりということだが。
「長じたその子は、秘かに立ち回り、今の国主に不満を持つ連中を集めていると」
「それが俺の幸運とどう関係あるんだ?」
「最後まで話は聞くもんだよ。さてその集団の頭領となったその元子供は、国主の兵の中に紛れ込むんだ。敵を知るには敵の中に入り込めって」
「……」
「さてここからだ。どうしてお前は逃げられた?」
「あれが、か!」
妙に情勢に詳しい馬引き。その後ろに居たらしい仲間。
「そ」
鬼であり、ほえんである彼女はにやりと笑った。
「さてどうする? お前はここで居ようと思えばずっと何ごともなく暮らしていくこともできる。あたしはずっとお前に歌を歌ってあげられる。この森は深い。まあ聞こえたところで鬼の仕業としか思われぬだろうよ。何処かから太鼓を調達してきて一緒に鳴らすも良かろう。それも悪くはないとは思うが?」
なるほどそれも悪くはない、と嘉勝は思う。
確かに目の前の彼女は、多少の姿は変わった。多少の性格は変わった。ほえんをよく知らない奴から見たら、とてつもなく変わったと言われるかもしれない。
だがこれはずっと、手放してから会いたくて仕方がなかった相手だ。一瞬、この国さえどうでもいいと思いかけた相手だ。
この森にはおそらくこれからも下手な侵入者は入って来ることはない。もしも現れたにせよ、それをはね除けるだけの力はあるだろう。
悪くはない。
だが。
嘉勝は軽く目を伏せる。そして捕らわれた手を軽く払った。一瞬戸惑った目を彼女は向ける。彼は一度離した手を彼女の真っ赤な髪に差し入れた。そして何度も何度もそれをもてあそぶ。
彼女は喉を撫でられた猫のように時々目を伏せる。それはほえんの癖でもあった。その表情が見たくて、よく彼はそんな風に彼女を撫でたものである。
「それも悪くはない。だがそれは少し先に延ばしてはくれぬか」
「先延ばし?」
「そこまで知った上で何もせずに居るというのは俺の性にには合わぬ」
もちろん人の好い人間そろいの国の国主である自分が、この国をどうこうできるなど考えるのは甘っちょろい考えだということは嘉勝にも判っている。
だが、かと言って、一度知ったことを放っておく訳にもいかない。それに借りもある。
「なあ、この国も俺の国も両方豊かになる、というのは無理かな」
「両方?」
「そもそも二つの国が争わねばならぬという決まりがある訳ではない。組めば別の側からの力に対しての強い対抗力となれるではないか」
「でも現在の国主とは無理だね。お前は今奴に会えば殺されるのがいい所だ」
「無論今の国主とどうこうしようなんて馬鹿なことは俺も考えてはいない。次の国主だ」
「ふん、やっとそこに思い当たったようだ」
「黙りやがれ」
くすくすくす、と彼女は笑った。
「何やら呼ぶべき新しい名も持ってもいるらしいが、あたしにはまあどうでもいいことだ。奴はこの森の周辺につなぎを持っている。それに、おそらくはお前の二人の部下も」
「助かっているのか?」
「お前が助かるくらいなら大丈夫だろう? 全くしぶとい奴だから」
さりげなくほえんは、片方についてだけ一言はさんだ。
「行けばいいさ。でもお前はあたしのだ。最後はあたしがもらう。だから死ぬな。いいや死のうとしても死なさん。それでも死体になったらそれを食らうぞ。お前はあたしのものだ」
言葉に力が込められているのが嘉勝にも判った。それは呪文だ。それまでに聞いたこともない、最大の呪文だ。
そして自分がその言葉から逃れられないのを嘉勝は感じていた。
だがそれは決して悪いものではなかった。
「こんな怖い奴とは思わなかったな」
くくく、とほえんは喉の中から音を立てる。
「知らなかった?」
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