17.燃える城
「何処だ! 何処に居る!」
その記憶は、熱と煙と共に浮かび上がる。
低い声が辺り一帯に響きわたった。阪島の城。
いつの間にこんなに大きくなったのか、と頭領はその城を見た時つぶやいていた。彼の遠い記憶の中の城は、もっとこじんまりしていたという。
だとしたら現在の国主が増やしたに決まっている。
嘉勝も頭領もそう意見が一致した。
何にしろ物を大量に持つ、それを表にひけらかすということにずいぶんな手間と時間を使っている奴のようだった。
実際その後に投降し、捕らえた家臣もそう証言している。
その美しく磨かれた廊下を汚れた足でひた走る。階段を駆け昇る。襖をけり倒す。障子を突き破る。
「出てこい! 大人しく首を差し出せ!」
その声にはどういう力があったのだろう、と後になって櫂山と南里の二人は思う。二人はその声に思わず引きずられないようにするのに精一杯だった。
三人の走る勢いは止まらなかった。
所々に火がつき始める、壁に柱に襖に畳に床に。
落ち掛かってくる天井の梁。
美しく飾られた部屋も、仰々しく積み上げられた仏壇も、誰か側室の部屋だったのだろうか、掛けられた見事な衣装の数々も…… 全てが崩れ落ちていく。
落ちてくる火の粉を払いながら勢いよく彼らは駆け昇っていく。
駆けていく途中にも無論、敵の雑兵が向こうからこちらから飛びかかってくる。
その鍛えぬかれた嘉勝の腕が振り回されるごとに、その場に血が流れる。実際、その場に居合わせた敵兵は、嘉勝のその姿に恐怖した。
後ろでくくっただけの黒い長い髪は乱れ、汗と血で顔にべたべたと張り付いている。かっと開いた目はぎらぎらと光っていた。雑兵達は嘉勝に向かっていくのが怖かった。誰であったろうか。一人が叫んだ。
鬼だ!この男は鬼に決まっている!
雑兵達の間にざわつきが起こった。こに国の人間は鬼という言葉に敏感である。
「……ええい何をしとる! たった三人ではないか!」
兵の中でも少しは命令を出す側なのだろうか。少々上等な鎧をまとった者が部下を叱咤激励する。それでもその男も鬼という言葉に衝撃を受けていたのだろうか。語尾がやや震えている。
「殿! 後ろから……」
ち、と嘉勝は舌打ちをする。それでも懲りずに立ち向かう、泣きそうな顔の、まだ少年のような敵兵を切り払いながらも、嘉勝は何やら機会をうかがっていた。
どどどどど、と階段を昇る音が近付く。
城の他の場所からの増援がやってきたようだった。
それは背後からやって来る。……やって来た!
「殿!」
雑兵とは言え、鬼という言葉に震えたとはいえ、四方八方を取り囲んだことで、やや彼らは安心したのだろうか。急に表情を明るくして、手にした刀を握る手に力を込めだした。
万事休す。櫂山も南里も自分の額から背中から油汗が流れるのを感じていた。そしてそっと主君の姿を見る。
え?
櫂山は目を疑った。嘉勝は何一つ表情を動かしてはいなかった。むしろその表情は、笑っているようにも見えた。それもひどく人の悪い類の。
我が意を得たり。
嘉勝は懐に素早く手を入れ、黒の珠を一つ取り出し、それを思いきり床に投げつけた。
「!」
きん、と一瞬鋭い音が頭の中を突き刺した。
櫂山も南里も息を呑んだ。それはひどく気持ち悪い感触だった。よく鍛えられた鋼を舌で舐めさせられた時の、ぞわりと背中を這う気持ち悪さが、自分の頭の中に直接固められたような気がした。
しかもそれはそれだけでは終わらなかった。いや、むしろそれは始まりに過ぎなかった。
地を這う程低い声が、響いた。
地を這う程低いが、その声は、何者にも止め得ぬ程鋭いものだった。
「目を開けろ!」
言葉が頭に直接叩き込まれた。櫂山は思った。彼はこの感触に覚えがあった。
そうだ、これは。
あのほえんの歌と……
声が、音が、直接頭に叩き込まれる。ほえんの歌はその時自分の中の忘れかけていた記憶を掘り起こした。思い出して、と優しく。それとその感触は近かった。
だがその使い方は明らかに異なっていた。
何故その力を自分達の主君が使えるのかはまるで彼には判らない。聡明な彼は、判らないより前に、とりあえず考えられる頭ではないことに気付いていた。
声に込められた力は、そのまま絶対の命令となって、嘉勝を取り囲む全ての者に作用している。
櫂山はそれに気付くと、ともすれば動かなくなりそうな手を振り上げて、自分の頬を力一杯打った。
効果はあった。自分を動かす頭の全てが再びつながったのを感じた。そしてその手は、相棒にも同様に使われた。おそらくは自分に対してよりやや強く。
「……痛てえ! 何する櫂山!」
「気付いたか南里よ。殿、これは……」
「案ずるな。まぼろしよ」
敵兵は彼らを取り囲んだまま、呆然として誰も動こうとはしなかった。
何が見えているのか、二人には判らない。だがそれがひどく強烈な、心の中の恐怖をえぐり出しているものであることは想像に難くなかった。
何故なら。
何故なら、敵兵の顔という顔は、全て、叫び声を上げる寸前のものだったのだ。
目は大きく開いている。だがその焦点は合っていない。口は半開きとなり、次々に流れ出してくる唾液をくい止めることすらしない。
「行くぞ」
嘉勝はその叫ぶ寸前の者達をかき分けて、その横を悠々と走り出した。
その直後、叫び声が一つ上がるのが南里には聞こえた。そこが強烈な叫び声の渦と化するのが彼らにはたやすく想像がつく。三人は足を速めた。
その黒い珠は、途中でもう一度使われた。そこには女子供が味方の兵に、今にも斬られる寸前だった。
同様に投げつけた珠とともに、嘉勝は逃げろ、と言った。
そして、彼はそのようにした。それまで斬ろうとしていた刀を捨て、その手に女子供を抱きかかえ、走り出した。下へ下へ。……途中で叫び声を上げ続ける集団が居たのを見ただろうが……おそらくはそれを横目にも見ずに走り続けるだろうことは、二人にはたやすく想像ができた。
櫂山は複雑な表情をして主君を眺めた。彼は何と言ったものかすぐには判らなかった。だが知識欲は戸惑いに勝つ。
「……お見事でございますが…… その様な術を何処で」
「お前にしては珍しいな。忘れるなど」
は? と櫂山は問い返す。一体自分が何を忘れたというのだろう。
「俺には鬼がついていると言ったろう?」
鬼ですか、と櫂山は眉を寄せる。
そうだ鬼だ、とやや芝居めいた口調で嘉勝は声を荒げる。もっとも、と彼は付け足した。
「とても怖い奴だからな。なまじのことでは助けてはくれぬ」
そしてひどく晴れやかに笑った。血と汗にまみれているとは思えない程に明るく。
そして櫂山はその明るさがひどく怖かった。怖い怖いというこの地の鬼などよりずっと怖かった。
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