15.鬼の御守り

「俺か。俺は何処にいるかな」


 嘉勝ははっはっはと大口を開けて笑う。


「殿!」

「だがそれは大した問題ではないぞ、櫂山、南里」

「何処が大した問題ではないのです!」

「国は誰のためにあると、お前らは思うか?」


 二人は言葉に詰まる。何を言うつもりだ。


「俺は国は民のためにあると思っている」

「それは確かにそうです」


 二人は常々嘉勝が、もしくは先代の国主がそう言ってきたのを知っている。


「つまりは誰が統べたところで大した問題ではない」

「……」 

「問題は、どう統べられるか、だ」


 二人はどう言っていいのか判らない、というように、驚いたのか呆れたのか、ひどく複雑な表情になった。


「何も俺である必要などどこにもないのだ」

「それでは殿はそのお役目を放棄するおつもりか!」


 それまで黙っていた南里が急に声を荒げた。最も南里の高い声では、いささか迫力には欠けたが。


「では太鼓打ちにでもなろうか。俺はどうやら筋が良かったらしい」

「殿!」


 だが嘉勝はその南里の怒りにも似た言葉には、笑いに乗せたたった一言で返した。


「先のことなど判らないさ」


 木々が色づきはじめていた。



 野武士の集団は、半年程の間に、次々に阪島の拠点を奪っていった。

 阪島は、桜野よりはずいぶん広い国だったが、それゆえに統治にはすき間ができがちだった。そして彼らはそのすき間をついた。

 全てが全て、無条件に阪島の国主に服従している訳ではなかった。例えばこの国と隣国との交易を行う商人の寄合、生活に必要な道具を生産する工房の一群。もともと自主独立の気運の高いそういった集団は、現在の国主にずいぶんと不満を持っていた。

 幾つかの条件と引き替えに、彼らは野武士の集団と手を組んだ。

 一方嘉勝はその頃、まるで自分の命を何とも思っていないかのように走り回っていた。

 実際何とも思っていなかったのかもしれない。腹心の二人が心配せずにはいられない程に、いつも一番前を真っ直ぐ走っていた。

 この野武士の集団の頭領、やがてこの国の国主となる男は、この隣国の国主である嘉勝を信用して、話し合いで決裂したような地の奪取を幾度となく頼んでいた。実際それは適任だった。

 もともと彼は、陣地にでんと座りこみ命令だけを出すような類の人間ではなかった。

 前へ出て、実際に戦う相手の手応えが欲しい類の男だった。

 腹心の二人は彼らの主君を信じていたが、時々不安になった。


 一体殿は、御自身の先のことを考えておられるのだろうか?


 彼が国や民にとっての先のことを全く考えていない訳ではないことは、無論腹心の二人には判っていた。実際その件について、頭領とずいぶん話し合っていたことは、彼らもよく目にしている。

 この頭領、幼い頃に現阪島国主の手により野に捨てられた前国主の一人息子は、その育ちのせいか、実に柔軟性のある男だった。

 育った環境も何もかも全く異なっていたというのに、如何なる点がこの二人、通じる所があったのだろうか。彼らは野営の日々、度々二人で酒を酌み交わしては、現在必要な戦略戦術ではなく、それ以降の、国を統べる方法について話し合っていた。


「国を統べるのなぞ、誰であろうが構わんさ」


 嘉勝は言う。つまみの豆をぽりぽりと咬みながら、頭領はうなづく。


「そうだ。誰だっていい。だが統べる資格の無い奴にだけは任せてはおけない」


 それが誰を指しているかは暗黙の了解だった。


「そうだ。だからそれは叩くべきなんだ」


 自分達でなくともそれは構わない。だがとりあえず適任が自分達しかいない。だから動くんだ。

 その点で二人は話が合ったと言えよう。 



 この一年は嵐の様な日々だった、と後に腹心の二人は思い出す訳だが、その中で、奇妙に残っている光景があった。


「それは何なんでしょう」


 櫂山がある日、嘉勝に訊ねた。夜だった。そう大きくもない火を囲んで、短い休息を取っている時だった。


「何だとは何だ?」

「殿は時々その飾り紐に触れておりますが」

「ああこれか」


 確かにそうだった。この時も彼は胸元からややはみ出した飾り紐をもて遊んでいた。

 彼は胸元から飾り紐を取り出す。櫂山はそれをじっくり見るのは初めてだった。水浴びの際にも嘉勝はそれを外さないので、手に取れる程近くで見たことがないのだ。

 飾り紐自体は、桜野で作られた、黒と朱の糸で編まれた、単純なものであった。だがそこにはやや大きめの珠が付けられていた。炎に照らされて、黒いものが二つと紅いものが一つ、つやつやと輝いていた。

 櫂山は、何となくその珠に見覚えがあるような気がしていた。何かが記憶の中で引っかかっていた。だがやはり思い出せなかった。

 嘉勝はにやりと笑って答えた。


「まあお守りみたいなものだ」

「殿とお守りとは多少合わないような気も致しますが」


 お前さりげなく無礼な奴だな、と嘉勝は幼なじみの頭をこづく。


「俺には鬼がついているのよ」

「鬼、ですか」


 櫂山はやや不思議そうな顔をした。


「そうだ、鬼だ。優しそうな顔をしてひどく恐ろしい鬼が、俺を守っているのよ」


 はあそうですか、と櫂山は言うしかなかった。

 後になって櫂山は思い出す。ずいぶんその時の主君の顔が楽しそうだった、と。

 だがその時には、その意味は全く判らなかった。  



 嘉勝はまた、国の、残された家臣と渡りをつけた。桜野の地に隠れ住んでいる彼らを、野武士の集団の中の隠密に値する者が見つけ出したのである。

 彼らは主君の元気な姿を見て安堵し、告げられた主君の考えに驚いた。


「残念なことです」


 先代からの家臣の一人はそう言った。


「ですがあなた様の決められたことですから」


 国は消えても人が、田畑が残ればいい。国など本当にその気になればまた作りなおせるが、殺された人は戻ってこないし、焼きはらわれた作物も戻ってこない。

 無論家臣の中には、それに反発する者もあった。

 だが少なくとも、目の前で行われている現実に比べればましな考え方だったのだ。

 その当時、桜野の地ではいつもの年の倍以上の収穫物を徴収されていた。もちろん徴収するのは、桜野の国主ではなく、阪島の国主であった。

 今は阪島の一部であるゆえ、その同じ国の者が困っているのを黙って見ていられるのか、とか、桜野と反対方向の隣国に迫りつつある新興勢力を食い止めるために武器の増産が云々。

 お題目はひとまず流され、それを良いことに桜野の農民は持てるものを大半もぎとられた。


 ……我らが国主殿だったらそんなことはないのに……

 殿は何処にいなさる?


 そしてその殿が言うことであるなら。単純と言えば単純である。だがこの地の人間はその国主同様、単純ではあるが、実に理屈臭かった。


 理にはかなっている。


 普段より彼とよく議論し合っていた城下の学者がそう認めてしまったら、仕方がない。

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