9.使者の望み

 満開の桜が庭を埋め尽くす。隣国の使者は、噂には聞いていたこの桜園の見事さにため息をついた。


「さすがに見事なものですな」


 夜になり、あかりが所どころに灯され、花を下から照らす。夜空の闇の色に比して、花はあまりにも白く、光を発しているようにも思われた。

 城の庭にあつらえられた席に酒が運ばれ、次第に宴は形をなしていく。


「そちらのお国にも花はございましょうに」

「いえいえ」


 嘉勝の言葉に、使者はやや表情を暗くし、手をひらひらと振った。


「我々の国には今は花など」

「さてそれは何故に。この国と大して気候も変わらぬ筈」

「それは……」


 使者が不安げな顔で言いかけた時だった。

 ぽん、と鼓の音が響いた。使者の耳には珍しい速さだった。

 合わせて笛と琵琶の音が聞こえてきた。琵琶は一人ではなく、多人数だった。下手するとうるさいのではないか、とその筋の専門は眉をひそめた。

 それでいいのか、と嘉勝はほえんに聞いていた。

 ええいいのです、とほえんは嘉勝に答えていた。

 だが何となく奇妙な組み合わせにも嘉勝ですら思えた。あまり聞いたことのない組み合わせだな、と。

 だいたい琵琶と歌、というのは。

 人の声とただ組み合わせるというなら、琵琶法師の語りというのもある。だがそこへ旋律をつけた歌を入れるというのは。

 するとほえんは付け加えた。


 本当は、別に何だっていいんです。ただ殿がそう思われるのでしたら、隣国の方も驚かれるのではないでしょうか? 


 そう言って首を傾げてみせた。

 嘉勝は目を瞬かせた。


 いい性格だな全く。


 みんなそうおっしゃいます。


 ほえんは動じなかった。

 最初からそんな気はしていたし、おそらくはそういう部分があるからこそ、彼は彼女を気に入ったのだろうが、実に彼女は度胸があった。

 そしてそのほえんが舞台の真ん中に出てきた。腕をゆっくりと上げると、歌が始まった。

白い着物。

 その上に山伏が上に羽織る鈴懸けのようなものをつけ、袴はひきずりはしないが、ずいぶんとほえんには大きなものをつけているように見える。

 それでいて髪は髪で長いまま、上で一つにまとめているだけ。そこに幾つかの珠をつけた飾り紐を掛けている。


「ずいぶんと変わった御衣装で」


 使者は目をむいている。

 嘉勝も実の所かなり驚いていた。だがほえんがどうしてそういう恰好をしたかはすぐに判った。

 その細い腕を上げると白い大きな袂がひるがえる。くるりと回ると羽織ものと飾り紐と、そして髪が揺れる。飾り紐につけられた珠が跳ね上がり、灯にきらりと光る。

 そしてそこに声が入った。その時初めて嘉勝は目をずっと奪われていたことに気付いた。

 笛の音はとうの昔に消えていた。そこには琵琶の音も鼓の音も残されてはいたし、音の大きさも変わらない筈なのだが、気がつくとそれは耳の裏側、遠い向こうに行ってしまったかのようだった。

 そして正面には、ただほえんの声が、歌があるだけだった。

 まずい、と嘉勝は思った。慣れた筈なのに、ずいぶん慣れたはずなのに、また不覚にも涙腺が緩みそうだった。

 それは最初にほえんの歌を聞いた時と似通っていた。

 だが明らかに状況は違っていた。

 険しい視線を嘉勝は感じた。

 足どりは軽く手は宙を舞い、くるくるくるくる。

 だが視線は常に一つの方向を。目が向いていなくとも必ずそれは。

 嘉勝は気付いた。彼女の険しい視線を。それは今まで一度たりとして見たことがなかったものだった。

 琵琶の音が消えていく。

 鼓の音だけが耳の後ろで響いていた。

 花が消えていく。

 灯が消えていく。

 全てが消えていく。

 残ったのは…… 舞台の上のほえんと、鼓の音と、自分の身体だけだった。

 くらりと頭の芯が揺らぐ。


 俺はいったい何処にいるのだ?


 そしてそれは頭の芯に直接飛び込んできた。


 約束して下さい。


 ほえんの声だった。耳に飛び込んできた訳ではない。耳には鼓の音が未だに響いていた。


 もしもあなたの身に危険になることが起きるなら私を見捨てると。


 そんなことができるか!


 いいえ、して下さい。約束してください。あなたはそうしなくてはならないのです。


 嘉勝は手を伸ばそうとする。ほえんはすぐ目の前に立っているような気がする。だが手が動かない。


 約束してください。


 ほえんは険しい目のまま繰り返す。


 できない。


 約束して下さい……


「……どう致しましたか?」


 隣に座っていた使者が、赤い目をして嘉勝に訊ねた。彼は何でもない、と答える。


「聞いてはおりましたが、いや素晴らしい…… ご自慢の歌師と聞きましたが」


 嘉勝はうなづく。まだ頭が半分元に戻っていない。あれはいったい何だったのだろう。琵琶の音は止んではいなかった。鼓の音はちゃんと前から聞こえてくる。


「何でございましょう。ひどく胸が締め付けられるような思いを致しますな。そうは思われませぬか?」

「そうですな」


 嘉勝はひとまず目を伏せる。


「もしかしたらこれなら」


 使者は自分の考えに感じいったようにうなづく。


「どうなさいました」


 訊ねてみる。すると使者はいきなり嘉勝の方を向くと、平身低頭した。嘉勝は驚き、どうか顔をお上げ下さい、と慌てて言った。

 使者はそれでも頭を低く下げたまま強く振った。


「いいえ、これから私が申し上げることを聞けばあなた様にはそのようなことを私には決して言えなくなりましょう」


 嘉勝はひどく嫌な予感がした。ちらりと舞台を降りていくほえんを見た。ほえんは至って冷静だった。何ごともなかったように。


「あの歌師をわが国へ頂けないだろうか」


 嘉勝は耳に入った音を疑った。


「無論無理な相談とは判っております。ですが現在わが国を襲っている未曾有の困難にはあのような者が必要なのです」


 未曾有の困難?


 使者の話は次のようなものだった。

 つまりは現在国が飢えている理由がそこにあるのだ、と。

 国の奥には森があるのだという。

 その森には古くから鬼が住んでいるという。

 古くから鬼は人間と共存してきた。最も、それは共に暮らすという意味ではない。

 鬼は森を自由にし、森の生気を国の地全体に与えてきたという。そのおかげで国の地は豊かになる。田も畑も毎年豊かな実りをあげてきた。

 その代わり、国はその鬼に対し、時々贄を与えなくてはならなかった。

 それはただの人間ではいけなかった。ただの人間では鬼は満足しなかったのだ。

 それはどんな、とひとくくりできるようなものではなかった。

 要は何でもいいのだ。どんな方向でもいい。

 別に歌でなくともいい。踊りでもいい。笛でもいい。音楽でなくてもいい。

 高名な僧であった時もあった。

 国一番の秀才であることもあった。

 また時には、そんな才能など全くなかったが、強烈な美しさを持つ少女が選ばれたことがあった。

 つまりは、どんなことであれ、飛び抜けていることが大切だった。

 だがそれがここ近年は見つからなかった。

 約束の年は既に過ぎていた。だから時々それでも、と思う者を森に送り込んでみる。だが無駄だった。そんな時にはその贄にされた人間は殺されて返ってくる。森の出口に、血の臭いを振りまいて。

 何処かに、鬼を満足させるような者はいないのか。国主は嘆いた。国は年々荒れていく。田にも畑にも実りはない。人は飢え、その心も次第に荒れていく。

 広いからいいというものではない。広いからそこ収拾がつかなくなっていくことが多いのだ。

 食い扶持を少しでも減らしたい農民は、志願して国の兵になろうとする。だが国にしたところで、兵士をそうそう養っておく余裕もない。

 では豊かな隣国を取り上げてしまえば。

 そう思った所でおかしくはないのだ。

 

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