第11話その1 重なる行事に「子息たちの舞の師」としてかり出される行正くんと仲頼くん

 あて宮の入内は左大将家では一大事である。

 だがそれだけが全てではない。



 年末も近づいたある日、正頼は長男の忠純ただずみを呼んで相談する。


「今度の御神楽は師走に行うのだが、その際の舞をする者をお前が選んで、その辺は上手くやってくれないか」


 そうですね、と忠純は考え込む。


「派手にはしないほうがいいですね」

「最近はそういうものか?」

「最近は、という訳ではないですが、当初あまりぱっとしなくとも、後で『あああれは良かったねえ』と噂される様な感じがいいと思います」


 ううむ、と正頼は眉を寄せる。


「このところ、色々あるからな。派手すぎたことをして、後で難癖つけられるのも困るし。かと言って才ある人々に後で『物足りなかった』と言われるのも何だし」

「ともかくいつもの方々はいらっしゃるでしょうから…… 我が家の者や婿殿達の他に、雅楽寮の長官にもおいで願いましょう」

「おいでなさるかな」

「そりゃまあ。父上の催す御神楽に、宮廷直属の官が参上しない訳にはいかないでしょう」

「そうだな。あとは… そう、廻状を送って奥に草仮名で追記して誘えば、そうそう辞退する者も居まい」

「雅楽寮に属する物の師達は漢文はともかく、追記の和歌は読むでしょう」

「まあそんなところだな。お前に任せるよ」


 承知しました、と忠純はうなづく。  


   *


「そんな訳で、御神楽をこの師走の十三日にすることになったから、父上も『あまり見苦しいものにはしないように』と仰せのことだし、皆しっかりやってくれ」


 忠純は政所へ行くと、家司達にそう切り出した。

 ちなみにこの家司の中には、滋野の宰相の息子、和政も居た。

 忠純は家司達に向かって言う。


「現在、内裏で今度の御神楽のために召されているのは、…そうだな、まず

 右近将監の松方、平惟則、

 右衛門佐の藤原遠政、

 右兵衛尉の時蔭、

 左衛門尉の藤原師直、平惟介、

 それに

 宮内少輔の源直松、

 内蔵寮尉の平忠遠、

 内舎人の行忠、道忠、

 雅楽寮尉の楠武、村君、

 ……馬寮尉の川敏、泰親、晴親、

 大和介の直明、

 信濃介の兼幹……

 うん、他の者もそうだ。三十人の者は皆現在のその道に優れた者だ」

「私でもよく名を聞く者達です」


 和政は大きくうなづく。


「これらの者は、たとえ内裏のお召しであっても簡単には応じないだろうな。だが父上のお召しなら話は別だ。皆に廻状を作って送ろう」


 家司達は皆それぞれの役割を与えられ、仕事に移る。

 その内の一人、義則には御神楽そのもの、奏者達への饗応のこと、彼らに与えるべき禄のことなどが命じられた。


「布は甲斐や武蔵から納められたものを、相撲の還饗かえりあるじの時や、相撲人への禄にさせよう。そうそう、信濃の朝廷御用の牧場から持ってきた二百反と、上野の布三百反は政所にあるな。そっちも使おう」


 忠純は事細かに指示を出す。


「饗応の方はどうなさいますか」


 義則は問いかける。


「美作から米を二百石送ってきている。それに伊予の封地からの産物や荘園のものもあるから、それでやった方がいいな。我が家の内にある神々を、この御神楽の機会に祭ろうとう思う。何かと大変だが、義則、和政、そなた達ぜひ心を一つにして、この大事を乗り切って欲しい」


 は、と二人は畏まって承る。

 義則は廻文を書かせて忠純や正頼に見せる。正頼は満足そうにうなづく。


「これなら皆おいでになるだろう。禄の方も綺麗なものを用意しておいてくれ」

「普段でも綺麗にしてますけど?」


 大宮はそう言って微笑む。


 その後、次男の宰相兵衛師純を通して、伊勢守から絹を召し出させた。伊勢守は白絹三十匹を差し出した。

 召集した三十人にはそれで細長を一襲、袴を一具づつ揃えたということである。


   *


 ところで、御神楽と平行して、更にもう一つ、左大将家ではしなくてはならない催しがあった。

 大宮の母后の六十の賀が、翌年に迫っている。

 これはとばかりに、左大将の妻として何かと忙しいにも関わらず、大宮は周到に用意を始めていた。

 厨子や屏風からはじめ、手回りの道具を非常に美しいもので揃えておく。

 だがそれだけでは御賀には足りない。

 そこで彼女は自分で出来る範囲を用意した後に、夫に切り出すことにした。 


「ちょっとよろしいですか?」

「何だね、どうぞ」


 二人は差し向かいで話し出す。


「先日、弟の兵部卿宮に、母上のところには顔を出しているのか聞きました」

「ほぉ。どうだったのかね? 兵部卿宮と言えば、この前もいらして、あなたに何かと愚痴を漏らしていた様だが」

「まあ。あて宮のことではなかなかしつこいのですが、別に弟はそれだけで私のところへ来るのではないですよ」


 大宮はころころと笑う。


「母上の元には、宮はよくいらっしゃる様です」

「それは良かった」

「ただその時に、私が何でちょくちょく訪ねて来ないのか、と母上から嫌味を言われてしまった様で」

「まあ、あなたも何かと忙しいことだし、仕方がないことだがなあ」

「母上は『自分の老い先も見えてきたから、若い人々にも会いたい』としきりとおっしゃっていた様です。呆れる程久しく、私がお伺い申し上げないので、そうお考えになるのももっともですが… 実は、母上は来年が六十の御賀なのです」

「おお、そうであったね」


 うんうん、と正頼は大きくうなづく。

 彼にとってこの妻を授けてくれた嵯峨院と、彼女の母后は非常に大事な人々である。現在の彼があるのは、そもそも帝の女一宮を得たからである。


「ですのであなた、母上には、できるだけ私の思う通りにお祝いをして、その時には子供達も連れて行きたいと思います」

「おお、それはいい」


 ぽん、と正頼は手を叩く。


「何もあなたは心配なさることはない。そう、実はお祝いの準備は前々から心得ているのだ」

「まあ、そうだったんですか?」


 大宮はびっくりした様に目を大きく広げる。小首を傾げて夫を見る。そういう仕草は若い頃からまるで変わらない。彼の目には可愛らしいものと映る。


「年が明けたら、の日の祝いも兼ねて、行ってらっしゃい」

「ええ勿論。私の方でも何かと用意はさせておりました。ただ」

「ただ?」

「ただまだ、その折の被物と、法師達への法服がまだ用意できておりませんの」


 なんの、と正頼は手をひらひらと振る。


「被物など、用意などすぐ出来る。まあまず精進落としの御馳走だな。それから法服のことも考えよう」

「では母上への御馳走や、童舞わらわまいのことも、お願いしても宜しゅうございますか?」


 ここぞとばかりに頼む妻に、正頼はくす、と笑う。


「そうだな、御馳走のことは、向こうの方に任せようか」

「向こうの方ですか。なら安心です」


 もう一人の妻、大殿おおいどのの上に頼むと言う。そして大宮はそれに全く疑念も無く賛同する。

 こういう時、正頼は他家の男が妻達の嫉妬に苦しむという話を思い出す。そして自分にはそういうことが起こらなくて本当に良かった、と実感する。


「童舞のことは…… そうだな、民部卿に頼もう」

「よろしくお願いします。私ではさすがに判りかねますので。我が家のあこ君達はさてどの様に舞ってくれますことか」

「とは言え、今から舞の準備というのはなかなか大変だな」

「駄目ですか?」


 正頼は笑って妻の肩をぽんと叩く。


「あなたときたら、私が居るのに、何かと心配ばかりなさるんだね、残念なことだ」

「でも」

「忘れていた訳ではないんだよ。実はずっと前から少しづつ用意はさせていたんだ。年が明けたらすぐに参賀できる様にね」

「はい」


 ちら、と大宮は夫を上目づかいで見る。


「ここしばらく、あなたには私の急ぎの用ばかりいつもあなたには任せてしまったから、それで心配になったのかな。そうだったらすまないね」


 正頼は恐縮して言う。


「いいえ。それ以外の部分はもう大体私の準備は出来ておりますもの。あなたにも相談できたことだし、ゆっくりでいいことは後回しにしようと思いますわ」


 そう言って朗らかに笑う大宮に、正頼はふと女の強かさを見た思いがした。


   *


「……という訳で、色々忙しいことが重なってしまったことで、院の后宮きさいのみやの六十の御賀のことがついつい後回しになってしまったのだ」


 「大丈夫」と大宮には言ったものの、実際はそうは言っていられなかった。

 正頼は慌てて忠純や婿達を集めて相談を始める。


「私も縁あって皇女を妻に迎えた身ゆえ、正月上の子の日に若菜を奉る時に、一緒に御祝いしようと思う。その時にはぜひ童舞をお見せしたい」

「って父上、今はもう師走ですが」


 忠純が口をはさむ。


「だから急ぐのだ! さて皆様方、どういう風に致しましょうかな」


 すると民部卿 実正さねまさがまず口を開く。


「舞の童のことは、私が何とか致します」

「おお、そうして下さるか」

「私に仕える十四人に命じます。何せ沢山の御子がこの館にはいらっしゃる。舞以外のことも色々ありましょうから、そのあたりも一切合切任せて下さいませ」

「そう言っていたただけると非常に頼もしい。しかしあなた一人ではそれでは荷がかち過ぎるでしょう」


 そうですね、と周囲からも声が上がる。


「ですから一人につき一つのことをお願いしたいと思います」


 話し合いはそれからも、だらだらと続いた。

 やがて右大臣忠雅には威儀納めの物のことを、左衛門督には御箱のこと、となど役目が振り分けられた。

 何かと忙しい師走の左大将家であった。


   *


「急いでね、けど……」


 大宮は自分ではそう手を出すことができないだけに、女房達の姿をおろおろと眺める。


「大丈夫です、ね!」

「ええ!」


 長い馴染みの女房達は、皆縫い物や染め物には堪能である。何かと催しの多いこの屋敷では、衣装の居る機会が半端ではない。

 そのたびに女房達は、腕と才覚を生かして、美しい衣装を仕立てるのだ。


「私達を信じて下さいませ」

「そうよね。ただ、つい母上の御賀のためと思ったらね……」

「それは当然でございますよ」


 ねえ、と女房達は手を一瞬止めては顔を見合わせる。

 現在縫わせているのは被物かづきもの用の御衣おんぞや装束、それに法服である。

 二つの行事が次から次へとやってくる。どちらも大切なものなので、皆非常にめまぐるしい。


「太宰大弐のもとから綾三十匹持って参りました」

「美濃より絹六十匹が」

「丹後より小打絹百匹持って来ました」


 地方からは、大急ぎで次々と布が運ばれてくる。

 大宮が衣類のことで大忙しの間、正頼は、五尺もある黄金の薬師仏を七体用意し、陀羅尼だらに経などを読んでいる。

 無論それだけではない。彼は息子達の童舞について、一つ考えていることがあった。



「息子や娘達にも演奏させて、大后にお聞かせしよう。そうそう、舞にはうちの上の奴等の子供達も出てくるな。忠純や祐純の子供達はまあ心配することはないだろう。娘達も皆、そうそうこちらが困ってしまう様な下手な弾き方もするまい」


 うーん、と正頼は考え込む。格別問題は無い。だがここ一番という出し物が無いものか、と。


「そうだ、宮あこと家あこを、その辺に居る様な舞の師につけるのではなく、仲頼や行正に頼んでみるか」


 ふふふ、と彼の口元に笑いが浮かぶ。そうだそうだそうしよう、と思わずぽん、と手を叩く。


「まあ、この二人のことだ、ただ教えろと言ってもそうそう簡単にうんとは言わないだろうが、私が直々に頼めば」


 早速正頼は二人を呼び出し、人払いをした御簾の中に招き入れた。


「な、何だろう」

「知りますか」


 こそっと二人して囁きあう。

 仲頼も行正もただごとではない、とやや緊張する。

 正頼は神妙に、だが柔らかく切り出す。


「これから私が言うことに関しては、きっとそなた達は私程には大切に考えてはくれないとは思うのだが……」

「何でしょうか。何でもお言いつけ下さい」


 仲頼はさっくりと言い、身体を乗り出す。


「でもああ、どうして言わずにいられよう。ぜひ聞いてくれまいか」

「そんな大事なのですか。それをわざわざ私共に」


 感動に震える仲頼とは裏腹に、行正の心中では「何かあるぞ」という思いが進行していた。


「そう、山一面に生えた小さな雑木を山とも林ともする様に、どんな困難にも堪えて、今、この事をしなくてはならないのだ。今はただ、大宮もそのことに忠実に準備を進めておいでだ」

「一体、一体何が!」

「実は院の后の宮の六十の御賀を、新年早々に行うつもりなのだ」


 それは既に噂で聞いていた。何を今更、と行正は思う。


「そこで」


 ぽん、と正頼は脇息を扇で叩く。


「そなた達、家あこと宮あこにぜひ、舞を教えてはくれまいか」

「は」

「それは」


 二人は思わず顔を見合わせた。


「そこらでする様な舞の手はもう古い。あの子達にはぜひ、新しい手を、と思うのだ」


 はあ、と二人はうなづく。


「そこでそなた達の新しい手をぜひ伝えてやって欲しいのだ」

「え」

「それは」

「ぜひうちのあこ共を、二人の弟子にしてはくれまいか…… そのために、今日直々に呼び立ててしまったのだ」


 いえ、と仲頼は慌てて首を横に振る。


「舞など! 引っ込み思案のため、一向にやらなかった舞でございます。既にお聞き覚えかと存じますが、吹上の浜で我々はこれでもかとばかりに自分の持つ芸を披露しましたが、その折にも舞は決して致しませんでした」

「私も同じく」


 行正は短く答える。


「ああもう、そんな、二人で辞退し合っていてどうするのだ。行正が嫌がるから仲頼も嫌がる。そういう遠慮はよさないか。もう決めた」

「決めたって……」


 行正は眉を寄せる。


「仲頼は宮あこに『落蹲らくそん』を、行正は家あこに『陵王りょうおう』を十二分に習わせ、音楽に合わせて舞ができる様にしてくれ。他の子供達に劣らぬ腕まで上げて欲しい」


 もしそれが出来なかったなら、と正頼は付け加える。


「その時には、生きている時だけでなく、死んでからもお互いに仇敵となるだろう」

「そんな」


 仲頼の顔色が変わる。


「だがすっかりと教えてくれるというならば、連理の友情を誓おう。宜しいな」


 そう一方的に言い放つと、正頼は奥へと引っ込んでしまった。

 残された仲頼と行正は、顔をしかめて見合わせた。


「……おい、誰が俺達が舞ができるなんて漏らしたんだ?」

「……まあ全く知られないと思っていた方が浅はかだったということか……」

「おい!」


 ふう、と行正はため息を一つつくと、顔を上げた。


「どっちにしても私達はしなくてはならない様だし。前向きに考えましょう。あなたは宮あこ君。私は家あこ君。私はよく向こうの若君達と遊ぶからそういう割り振りになったんですかね」

「あて宮の弟達か……」


 そう言えばそうだったな、と行正は今更の様に思い出す。

 さて、と二人はどういう風にこの家の子息達を仕込めばいいのか、しばらく話し合った。


「で、その他の子に関しては、数を割り振ればいいですよ。五人づつ。私はあまり人に知られたくないから、水尾みのおに籠もります。あなたはどうしますか?」

「そうだな、俺は栗田の奥にいい場所を知っているから、そっちに子供達を連れて教えることにしよう」


 それにしても、と二人は顔を見合わせ、ため息をついた。

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