第3話その3 行正の事情、そして賀茂祭の際の求婚者からの文に姫君たちは

 仲頼が左大将と談笑していると、行正と仲忠からも使いが来た。


「本人達は?」


 仲頼は問い掛ける。


「これから内裏や東宮、それに嵯峨院へと参上するとのことで」

「それはまあ水くさいことだ。しかしまあ普段から院や東宮に可愛がられている二人だから仕方がないだろう」


 左大将は仕方ない、とうなづく。


「お父様お父様、あの方々は何を送ってきたの?」


 正頼の息子の中でも最も小さな「宮あこ」、「家あこ」といった若君が期待に満ちた目で父親を見る。


「まあ落ち着きなさい」


 使いの者が目録を渡す。さらさらと解くと、ほぉ、と正頼は小さく声を立てた。

 行正からは、二郎・師純もろずみ以下の男君達に馬と牛を二頭ずつ、鷹を一羽。

 大宮の方に透箱すきばこを。

 被物として貰った女装束は、あて宮付きの女房達にと箱に入れ、中に文を入れてよこした。

 また、その下仕え達には、縫っていない衣を一人一人に渡る様に送る様にしていた。


「ふうむ、なかなか気が利いているな。あて宮に執心なのは知れているというのに、あえて女房達に送るとは。さて仲忠の方はどうかな?」


 正頼は微笑を浮かべる。

 仲忠からは、正頼に対し牛と馬を二頭ずつ。

 男君の中では、兄弟の契りをした仲純に、丈が四尺八寸ある鶴斑つるぶちの馬を一頭。

 そしてあて宮宛に、女装束を入れた衣箱を一つ、あの黄金の舟をそっと忍ばせていた。


「おや、孫王そのうよ、そなたにも届いているぞ」


 畏まりながらあて宮付きの女房はそれを押し頂く。中には美しい絹や綾などが詰められていた。


「まあ何と言うか、皆、それぞれまず馬を射よ、というところか」


 正頼はつぶやく。

 女君達はあて宮の元へと集まり、送られた舟を我先にと見ようとする。


「すごーい。こんな細工、見たことが無いわ」

「あて宮のためなら、こんな素晴らしいものも、ぽんと仲忠さまは差し上げてしまうのね」


 姉君達が口々に言う中、あて宮は舟をそっと手に取り、女房に耳打ちする。

 やがて女房は使の者への返しの品を運んで来る。


「これも一緒に返して頂戴な」


 返しの衣装の上に、舟を載せる。女君達の間から驚きの声が上がった。


「こんな珍しいものを、どうして」

「そうよ、私だったら絶対取っておくわ」


 あて宮は黙って首を横に振ると、歌を書きつけて使者に言付けた。

 姉達は呆れてこの冷たい妹を眺めるばかりだった。

 だが使者は、すぐに戻ってきた。何事か、と女君達が固唾を呑んで眺める。

 使者は再び舟を渡した。そしてこう言い残して戻っていった。


「返事は貰わずに戻ってくる様に、とのことですから」


 さすがにこう言われると、またそれを返すのは失礼だろう、と舟はようやくその場に留められた。



 贈られた側の気持ちも様々だが、贈った側の気持ちも様々である。

 その一人である行正は、正頼邸での反応を使者から聞くと、「まあそんなものかな」とつぶやいた。


「馬を射る……そこまで私は考えてはいないけどね」


 ちなみに、舟は東宮に、旅籠馬の細工は嵯峨院に、破子わりごは后の宮に贈っている。

 細工物が結構残ったが、何処に贈るという宛も無かった。

 彼の脳裏を、宮内卿宅での仲頼の姿がよぎった。少しだけ羨ましく思った。

 良峯よしみね行正には、土産を渡すべき家族というものが無かったのである。 


   *


 彼は十歳の時に、唐国人に連れ去られ、そのまま八年もの間、外つ国にて過ごした。

 当時彼は、「花園」と呼ばれ、帝にずいぶんと可愛がられた殿上童てんじょうわらわだった。

 その彼が、父の筑紫下向に付いて行った時のことだった。

 父は唐船が入港する時の検査役だった。

 可愛らしい少年が父親の後をついて回りながら、物珍しいもの、目新しいものを澄んだ目でじっと見つめている様に、唐国人は思った。


「何って可愛い子だろう。頭も良さそうだ。我が国で生まれた子にも劣らないな」


 やがてその唐国人は、幾度かの検査役一家との交際の後、彼を断りもなく国へと連れ帰ってしまった。

 父母の嘆きは深かった。目に入れても痛くない程の一人息子だったのだ。

 嘆きはやがて彼等の身体を蝕み、八年後、交易船に乗って「花園」が戻ってきた時には、既に彼等はこの世の者ではなかった。

 一方、「花園」が戻ったと聞いた帝は、彼を召しだして外つ国でのことを訊ねた。

 彼は弁説爽やかに、向こうでの勉学の様子を述べた。

 手に入る漢文の書は何でも読んだ。書だけでなく、楽についても熱心に学んだ。特に琴を初めとした管弦の道には本気で取り組んだと。

 帝は彼を元服、昇殿させ良峯の家を継がせた。

 やがて彼は帝の命で、東宮に琵琶を、その他の宮にも箏を教える様になった。

 帝の覚えめでたく、時めいている公達の一人である。

 だがその彼には、定まった妻は居ない。

 彼を婿に、と思う者も多い。だが彼はそんな話には知らない顔をして、管弦や仕事に日々を過ごしている。

 そんな彼を同じ兵衛府に勤める友人が心配してこう言った。


「君は決まったひと、決まった里というものを持たない様だから、どうだろう、うちを里だと思ってはくれないか?」


 彼は左大将の五郎・顕純あきずみと名乗った。


「うちには小さな兄弟も居るので、ぜひ君に色んなことを教えてもらいたいんだ」

「そう言ってもらえるのは嬉しいですね」


 行正はそれ以来、左大将宅の顕純の居る辺りによく居る様になった。

 そんな折、例の美女が同じ邸内の別の対に居たな、と思いだした。彼はふと茶目っ気を出し、自分の生徒にこう言った。


「姉上に文をお願いできるかな?」


 桜の頃だった。


「そういうことは駄目だ、って言われてるんですけど…」


 「宮あこ」と呼ばれている少年は困った様にうつむいた。


「そう? でもお願いだよ。お返事を貰ってきてくれないかな」

「でも」


 なおも言い淀む少年の両肩に手を置き、彼はそっと囁いた。


「お返事を貰ってこないと、勉強を教えてあげないよ」


 それは嫌だ、と少年は駆け出した。彼はくすくす、と少年の後ろ姿を見ていた。

 返事は期待していなかった。

 だが文を出すことは続けた。返事はそれからも全く無かった。

 そもそも彼は、返事をもらう気は無いのだ。

 彼が求めているのは、別のものだった。 

 桜の花びらが舞う。

 子供達の声が聞こえる。生き生きとした、楽しそうな。

 それをたしなめる乳母の声。何処かで誰かが箏や琵琶を弾いている。また何処かでは、漢文を音読する声が聞こえる。

 女房達のうわさ話が風に乗って来る。

 人の気配。だがそれは決して警戒すべきものではなくて。


「何だ、こんなところに居たのか」


 顕純は気が良くて大らかで。


「何をしてるんだい?」

「昼寝でもしようかな、と」

「外でかい?」


 ああそうだ、と行正は思う。こんな外でのんびりと昼寝でもできる、この家が。自分をゆったりとくつろがせてくれる場所が。

 遠くでまだ小さな姫君達の声も聞こえる。

 あの美しい姫とは別の母君を持った。顕純と同腹の彼女達は、兄同様のんびり大らかに育ったらしい。そんな声も耳に楽しく。


   *


 彼は将を得るために馬を射る気はない。

 もっと別のもの。

 それが何だか、まだ彼には上手く掴めなかったが。


***


「それでは行って参ります、父上」

「うむ、しっかりとお役目を果たしてくるのだぞ」


 四月の中の酉の日―――賀茂祭がやって来る。

 この年は左大将家から祭の使が出立することとなっていた。

 近衛府の使には、中将の祐純すけずみが。

 内蔵寮くらづかさの使には兵衛佐ひょうえのすけの勤めの他にこの部署の頭を勤める行正が。

 馬寮むまづかさの使には式部卿宮家の馬頭うまのかみの君が。

 左大将は祐純に、冠にかざす桂をあげながらこう歌を詠む。


「―――まだ生まれたばかりの双葉の桂の木だと思っていたお前が、何とまあ、かざしにする程/勅使に立てる様になるまで、立派に成長したことだな」

「―――幹はしっかりと高い桂/父上という大きな木であるというのに、今日私という桂の枝を見た人々は、元木に比べてさぞ枝は劣っていると見ることでしょう……」


 祐純も謙遜しながら父に返す。


「桂殿からも祝いの品が贈られてきている。見るがいい」


 兼雅からだった。

 立派な馬が二頭。そして金細工の桂の枝に付けた小さな壺に桂川の水を入れたもの。加えて、美しく着飾った三十人もの舎人が採物とりもの歌を披露する中、兼雅の代理でやってきた仲忠が歌を伝えに来た。

「いやあ、まあこれだけのことをしていただくなど、私も立派になったものですね」

 祐純はそう言って笑った。

 勅使の三人が出立した後は、見物の車の用意に屋敷中が大わらわである。

 大宮をはじめ、女君達は十台もの車で息子の、きょうだいの晴れの姿を見ようと一条大路へと向かった。


   *


 女君達が三条殿へと戻ってくると、あて宮宛に、沢山の文が届いていた。


「いつもながら凄いものね」


 今宮は山と積まれたそれに呆れる。


「あて宮や、いつもつれない返事しかしないと女房達が嘆いているが、さすがにこれにはきちんとお返事なさい」


 中の一つを正頼はあて宮に渡す。東宮からだった。


「―――賀茂祭にかざす葵/あなた自身を、今年からは摘んでもよろしいか?」


 見向きもしない訳ではないが、すぐには返事を書かない娘に「必ず」と念を押し、正頼は娘達の前から立ち去った。

 するとうるさい父親が去った、とばかりに少女達はわっとあて宮のもとに群がる。


「皆、まめねぇ」


 一宮はほとほと感心する。


「あて宮が返したり返さなかったりするからよ。返しても冷たい言葉ばかりだから、逆に皆燃えるんじゃないかしら?」


 今宮は容赦なく男達を評する。


「そんなもの?」


 一宮は少し拗ねた顔で問い掛ける。


「そんなものでしょ?」


 問い掛けられた方は、今度はちご宮へと振る。


「どうかしら。でも確かにあて宮のお返事で、色好いものなど、見たことが無いわね」


 そうじゃなくて? と姉は妹に問い掛ける。すると。


「色好い返事など、どうしてしなくちゃいけないの?」


 珍しい、と今宮は驚く。あて宮が即座にはっきりと返すことは滅多にないことだ。


「決まり事の様なものでしょう? ねえ木工もく?」


 は、と側に控えていた木工の君がうなづく。


「必ずしなくてはならないということはありませんが、……一応、形というものがありますから…… 先様に恥すかしい思いをさせないように、と」

「そう」


 あて宮は小さくつぶやく。


「あ、ねえ、その…… 今度の文はどんな方からだったの? 聞かせてくれる?」

「ええ」


 あて宮は惜しげもなく、贈られてきた文をいつもの様に彼女達に見せる。


「あら、実忠さねたださまは御病気の様だわ」


 ちご宮はやや心配そうな顔になる。今宮はそれを聞いて露骨に不快そうな顔になる。


「ええと、

『―――奥山の古い住処を出た時鳥/自分は、旅の浮き寝を長年続けています』

 歌はいつもの通りお上手ね。あら、

『こうして書くことさえ今は身も衰えて出来なくなることが悲しいです』

 ですって。本当に病気になってしまったのかしら」


 ちご宮はあて宮の顔をのぞき込む。あて宮はつぶやく。


「―――夏が来るとやっと初の旅をする郭公ほととぎすは元の巣に帰らない年はないでしょうよ」

「またずいぶんと皮肉な返しね」


 ちご宮は苦笑する。


「それでも返されるだけまし、というものじゃないかしら」


 別の文を一宮が手にする。


「ええと、こっちは兵部卿宮さまからだわ。

『―――夏になると板囲いの井戸の清水もぬくもりが出て来るものです。たとえ底が冷たかろうと、そのうちには暖かい心でお迎え下さることと頼みにしています』

 ですって」

「―――浮気な人が何かおっしゃると、夏衣の様な薄い心が見え透きますわ」

「うわ、きつい!」


 一宮は思わずそう口に出してしまう。次に今宮が別の文を拾い上げ。


「それじゃあ私は平中納言さまのを。

『―――あなたの返事がないのでいつもわびしい思いをしていますのに、卯の花が咲くと身を憂しと時鳥ほととぎすが私の悩みをかき立てるのです』」

「―――おっしゃり甲斐のない私を頼みにしておいでだから、時鳥の無くのを身を憂しとお聴きになるのでしょう」


 今宮はそれを聞いてさすがにげんなりした。


「いや、あなたがそういうひととは判っているけど…… そこまで一刀両断にしなくても、って感じよね」

「あ、今度は仲忠さまのだわ」


 一宮が拾い上げる。


「『―――あなたのお言葉を露の恵みとばかりにお待ちする私も空頼みに過ぎないと思うのはとてもわびしい限りです』……あて宮ぁ?」


 一宮は微妙な視線を若い叔母に向ける。

 あて宮は今度は少しばかり黙っていたが、やがて答えた。


「―――あなたに申し上げる言葉は何でもないと思いますが、私の文だと他の人が見てかれこれ言うでしょう。そう思うので申し上げにくくて」

「何か調子が今までと違うわ」

「そうかしら?」

「違うわよ」


 一宮は決めつける。


「そうなのかしら」

「そうなのかしら、ってあて宮、自分のことでしょうに…」


 ちご宮は首を傾げる。


「違うの――― かしらね」


 あて宮は口の中でしばらくつぶやいていたが、やがて箏を取り出すと、ゆったりとした調べを奏でだした。

 こうなってしまうと、もう誰も取り付くしまも無い。


「あ、紀伊国からも来てるじゃない。仲忠さま達が行かれたところよね」


 今宮はひょい、と中を見る。


「え?

『どうなさっていらっしゃるかと、あなたのことが気になっていましたのに、他人様まであなたの噂をしてお聴かせになるので、落ち着いてもいられずに』」

「どうしたの? 今宮」


 一宮はひょい、と文をのぞき込む。


「え? ええー?」


 思わず出た声に、一宮はぱっと手で口を塞ぐ。


「どうしたの?」

「どうしたもこうしたも」


 今宮はちご宮に文を渡す。


「別におかしな文では…… え?

『―――心もとないことです。どうして皆さんは夢中になってあなたほどの方はないと騒ぐのでしょう―――あきれるほどです』

 …………」

「あきれるのはこっちだわ」

「私びっくりした。あて宮にこんな歌贈る人って初めてじゃあない?」


 一宮はどきどきする、とばかりに胸を押さえている。


「絶対に仲忠さまだったらこういうことは言わないわよ」

「まあ確かに仲忠さまは言わないわよね」


 今宮は再びその文を取り上げ、まじまじと見る。

 あて宮の箏の音は、彼女達の騒ぎなど我関せずとばかりに揺らぐことがない。


「あー、お父様がこれを見たら、紀伊国の君、ずいぶんとお株が下がるわね」


 あははは、と今宮は笑った。


「返しは?」


 あて宮は何も返事をしない。ただ箏の音だけが、少女達の部屋に響いていた。

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