第12話その1 正月辺りの三条殿のひとびとの目まぐるしい日々

 御神楽が終われば、あとは新年に向けて大忙しである。

 母后の長寿を祈る読経の用意がまず始まった。

 正頼も息子達も皆一丸となって準備に追われる。


 まず中の大殿の東の方に本尊を安置し、臨時の御堂とした。そのための僧官の世話は息子達が行った。

 その他の僧の世話はこの家に仕える侍が行うこととなった。彼らは使い勝手のよさげな場所を僧室として用意した。


 政所では中務丞や義則が読経の僧具の用意をする。

 家司達は納殿から細海布やさとめ、紫海苔などを出してくる。

 その結果、僧坊は僧以外にも、弟子や童子などであふれそうな位だった。


 御堂では、花机に積み重ねられた経を大徳が配り、禅師がそれを読む。

 読経は三日間に渡る。

 大徳だいとこ達は御布施として白絹十匹を貰った。

 ちなみに彼らは終わればそこからすぐに帰るという訳ではない。

 左大将家のこの読経があろうがなかろうが、十九日から二十一日の三日間と決まったこの時期、内裏の御仏名があるのだ。

 全くもってこの時期は行事が目白押しなのである。


   *


 御仏名が終わって晦日つごもりになると、何処の家の中も、正月の装束のことでばたばたと急ぎ出す。


「とは言え、私達が直接動くという訳ではないからね」


 今宮はこの周囲ばかりがばたばたと忙しそうな空気に、何となく微妙な気持ちになる。


「あら、姫様も縫い物を覚えておくくらいは良いのではないですか?」

「苦手だもの」

「一宮さまは縫い物も染め物も上手でございますよ」

「駄目駄目、私それでお母様に、宮はもっとゆったりとしてなくちゃって言われたんだから」


 そう言いつつ、一宮は近くの女房から一つ貸して、と縫い物を一つ取り上げる。


「一宮さま」

「だってこういう時に一人で琴鳴らしてたって面白くないでしょ?」


 そう言いつつ、彼女はせっせと手を動かす。

 自分は姫君らしくない。今宮はずっと思ってきたし、あて宮に対する反発もあってか、自分でも殊更にそんな行動をとってきた。

 だが自分だけではない。どうやら一宮も内親王らしくないのではないか。

 今更の様に彼女は気付いた。

 ちくちくと針を動かす様は実に上手い。一体いつ覚えたのか、と今宮は思う。自分と一緒に育ってきたのに、と。

 もっとも、同じ様に育ってきたはずのあて宮は、恐ろしいまでの琴の腕を持っている。

 同じところで一緒に育ったところで、違いは確実に存在するのだ。


「ともかく私は何となく暇だわ」

「だったら今宮、またあて宮へ来たお文でも読んで欲しいな」


 そう可愛らしい顔で頼まれると、今宮は嫌とは言えない。

 ひょいひょい、と最近のものらしい文を持ち出すと、ちくちくとやっている一宮の側にぺたんと座る。


「はあ……」


 一宮は手を出して息を吹きかける。


「一宮さま、火桶に手をおかざし下さい」


 女房は慌てて火桶を側に持って来ようとする。


「大丈夫。それにすぐそこに置いては火が移っても困るでしょ?」


 そしてまたちくちく、とやる。


「でも今日は本当にお寒うございます」

「ここ最近は起きると外の葉に霜がびっしりとついていることも多いですわ」

「はいはい、とりあえずここまで縫わせてね。で、今宮、どう?」


 どちらにも一宮はにこにこと顔を向ける。叶わないなあ、と今宮は思う。


「はいはい。孫王そのうに聞いたけど、どっちにも返事はしなかったってことよ。だから持って行ってもいいって言われたわ」

「ま」


 一宮は肩をすくめる。


「まず平中納言さまから。

『懲りなくてはならない程つれないあなたのご様子を充分知っているはずなのに、それでも懲りなくて。

 ―――霜が冷たくて忍草は枯れるでしょう。独り寝の夜々、霜の様に冷たいあなたのつれなさに、私は生き長らえることはありますまい―――』」

「霜の様にってとこは綺麗よね。あて宮にはぴったりと思うわ」

「次は…… 実忠さまから」

「んー、これもお返しは無しなの? 最近ずいぶんお体の調子がお悪いって聞くけど」

「そうでございます」


 耳聡い今宮の女房は口をはさむ。


「ここのところ本当に源宰相さまは調子が優れない様でございます。倒れたり青くなったり赤くなったりもう大変ということで」

「それは大変だわ」


 その一言で今宮は片づける。


「で、その実忠さまだけど。

『―――夜々誰とも契っている訳ではないのに、朝になるといつも涙で袖が凍っているのです。できればご同情下さい』」

「やだ」


 一宮もこれまた切って捨てる。

 廂を通ってくる女房が、姫様外の梅に雪が、と声をかける。今宮はそれを聞いて、さっそく立ち上がった。



 さて、同じ屋敷の他の場所では、地方の国々から送られてきた、節会のための料が山となっていた。

 政所は大忙しだった。

 料を一族から使人達へ配らなくてはならない。諸国の御初穂を帝の祖先父母の陵へと献上する「荷前」の準備もある。

 そして大宮は一日のための装束に忙しい。



 「荷前」が滞り無く終わり、夜中の「鬼やらい」の儀式がけたたましくも忙しく終わると、もう新年である。

 大宮その他の女君達の努力も叶い、皆の装束は新しく美しく出来上がった。

 家長である正頼に皆新年の挨拶に出向いた。その様子はたいそうおごそかであった。



 そして新年。

 これがまた実に忙しい。

 元日、内裏では四方拝に始まり、朝賀、小朝拝、元日節会と続く。七日には白馬節会がある。

 若水、若菜、卯杖に卯槌。

 何と言っても県召あがためし除目、進退に関わるこの日には人々の動きが騒がしい。

 その後に踏歌節会、男踏歌と女踏歌の間に七草粥…


 そんな中、の日の祝いと一緒に、と正頼一家は大后の宮の六十の賀を祝うべく、準備も最終段階に入っていた。

 そのために準備したものはというと。


 まず厨子が六具。これは沈や麝香、白檀に蘇芳といった香木で作られている。

 やはり香木で作られた唐櫃からびつ。これは織物と錦で覆われている。

 箱や薫き物、薬の壺、硯の道具。

 衣装は寝具に装束の、四季おりおりのもの。夜装束、唐衣、裳といった礼装などひと揃い。

 漆の蒔絵になった胴の琴も非常に美しいものである。

 手洗いの道具や銀杯。

 手付きのたらい。この盥の覆いにする簾は沈木を丸く削ったものを糸で編んだもの、中に入れた湯水を他の器に注ぐのに使う半挿は銀製。

 あとは沈木の脇息、銀の透箱、唐綾の屏風。

 几帳は骨を蘇芳や紫檀で作り、四季それぞれに合う帷子が添えられている。

 東京錦の縁取りの綿入れ座布団や二重畳のおまし所などは言葉では言い尽くせない程に高雅で美しいものである。

 台は六具。金物の器に金の毛彫りがされている。

 準備は全て整った。



 さて、そんな正頼一家は祝いの前日、二十六日に参賀した。

 車は二十台。

 そのうち糸毛車が十、黄金作りの檳榔毛びらんげの車が十、髫髮うない車が二、下仕えの車が二。

 同行するのは、天下人と呼ばれる人はもちろん、四位や五位の人々が百人、六位の人々はもう数知れず。

 この時の女性方の装束も実に美しいものであった。

 大宮と大姫である仁寿殿女御、そして今宮までの姫君は、赤色の表着うわぎに葡萄染めの襲の織物に唐衣と綾の裳と言った正装。

 ただ、この時十五歳であるあて宮ばかりは別だった。赤色の織物の唐衣に五衣の袿に表着、そして白い綾の表袴。

 お供の者は青丹に柳襲の平衣に青摺の裳を揃いで身につけている。女童も同じである。下仕えは平絹の三重襲であった。


 参上してすぐ、大宮は母后のもとに向かった。


「格別なことがあった訳ではないのですが、何かと毎日の雑事に追われまして、ずいぶんとご無沙汰してしまいました。先日も、母上がご病気と聞き、すぐにでも駆けつけたかったのですが、仁寿殿が身体の調子が優れず、その時ひどく命の危険すら感じさせたので、慌ててしまいまして……」


 良い良い、と母后はおっとりと笑って言う。


「私は大したことは無かったゆえ、心配しないように。それより仁寿殿はどうだったのかえ?」


 女同士の話はとんとんと進んで行った。



 やがて夜に母后が御賀を受けるべき場所がしつらえられた。前から念入りに支度されてきた調度も規定通りに行われる。

 屏風に描かれているのは一年十二ヶ月折々の風景。

 そしてその絵にちなんだ歌が、当代の才人達によって詠まれ、仲頼の手で書かれている。


 一月は左大将正頼。


「正月の子の日の祝いをしている場所の岩に、松が生えている上に鶴が遊んでいます。

 ―――この岩の上に生えている松は、かつてこの鶴が落とした松の実から芽吹いたものだろう―――」


 二月は民部卿実正。


「とある人の家に花園があり、今そこで植木をしています。

 ―――こうして花園に植えている人こそ、花の色はいつ見ても飽くことのない美しさだと知るでしょう」


 三月は中将涼。


「上巳の祭りで御祓いをしているところに松原があります。

 ―――禊ぎをする春の山辺に並び立っている杉の久しい命をあなた様(大后)に捧げましょう」


 四月は頭中将仲忠。


「神を祭っているところに、榊を折って祭場へ来た山賎が帰ってきます。

 ―――神を祭る榊を折りながら山賎が夏山を往復する度数は限りがありません」


 五月は中将祐純。


「ある人の家の橘に時鳥がいます。

 ―――私の宿の花橘に来た時鳥は、千代にもなる長い間住んだ自分の里だと思っている様です」


 六月は少将仲頼。


「ある人の家の池に蓮の花が咲いています。

 ―――浮かぶ池の水も、その葉の緑の色も深いこの姿に、気持ちも自然、のどかになっていくものです」


 七月は少将行正。


「七夕祭りの折りに。

 ―――織女に会って帰ってくる彦星と行きずりに会って、今ここに帰って来る雁は、織女にやる後夜の文となるでしょう」


 八月は侍従仲純。


「美しい十五夜の月を惜しむかの様に、雁が声を上げて名乗っています。

 ―――秋になると今夜の月を惜しんで鳴く初雁の音を私は毎年聞き慣れてきました」


 九月は中将実頼。


「人々が紅葉を見に集まっていますが、その脇では稲刈りをしています。

 ―――秋の錦に織りなした席に人々は団居していますが、汗になりながら稲を刈り集めているのを見ようともしません」


 十月は左大弁。


「網代のある河原に舟が集っています。

 ―――氷魚を運ぶうちに、舟は幾年もの冬を積み重ね、網代とも懇意になったものです」


 十一月は兵衛督。


「雪が降って濡れている人を見ました。

 ―――頭に積もった雪を見てふと思う似た様に白い私の頭――― 白髪になって初めて老いを知るものです」


 十二月は左衛門督。


「御仏名をしているところです。

 ―――祈願する仏の教えが多いので、年に一度の仏名会ではありますが、恵みの光は千代を経ても注ぐでしょう」


 やがて辰の刻ほどになって賀宴が始まった。

 舞台が設えられ、笛や笙、鼓の音が響き始める。楽人や舞人もやって来る。

 火桶が運び込まれる。沈木で出来たそれに銀のほとぎ――― 火入れのついたものに、鶴の形の「黒方」の香を入れ、これまた沈木の柄が付いた銀の火箸を添えて嵯峨院や大后の前に奉る。

 左大将一家は、これまでの日々に懸命に用意したものを、ここぞとばかりに奉った。


 楽が始まり、子息達の舞の番である。

 左大将の宮あこ君は予定通り「落蹲らくそん」を舞った。

 大宮腹の末っ子である彼は現在九歳。

 仲頼は急拵えのこの舞人の様子をはらはらとしながら送り出す。

 大丈夫ですよ、とばかりに少年はにっこりと笑う。

 しかし仲頼は気が気ではない。ここで彼が下手な舞しかできなかったら、自分が左大将宅に出入りを許されなくなるかもしれないのだ。

 あて宮に本気で懸想している彼にしてみれば、これは非常に大きな問題だった。

 だがその心配は杞憂に終わった。宮あこ君は「落蹲」を非常に立派に舞ってみせたのだ。

 見物人達は非常に驚いて、口々に言う。


「当世は実に様々の才の最も盛んな時です。人の容姿さえ優れていますが、その中でも、選ばれた人々が、此の世では知られぬわざをしようとした吹上や、神泉の御幸でも見られなかった程の、すばらしい舞の手ですなあ」


 などと騒ぎ立つ。

 上達部や子息達はもちろん、何より仲頼が一番感動と安堵に涙を落とした。


「どうでした?」


 少年は師である仲頼に衣装のまま駆け寄り、伺いを立てる。


「素晴らしかったですよ。本当に嬉しいですよ」

「本当ですか?」

「ええ。本当に。実のところ、あなたがここまでやって下さるとは…… いや、その」

「無理してお世辞言わなくても大丈夫です。僕だってびっくりしているもの」


 他の師となっている公達同様、仲頼があて宮に懸想していることを宮あこ君は知っていた。

 だが少年はそれでも嫌な気はしなかった。

 他の人々は、何かと言っては自分に姉への取り次ぎを頼もうとする。

 その時少年は、相手がどれだけ徳が高いと言われている者であろうが、学があろうが一瞬で軽蔑する。

 だが仲頼はそうではなかった。

 理由はどうあれ、自分の舞の手を一生懸命に教えてくれる時、彼はただもう真剣そのものだった。

 時間が無いとか、出入り差し止めがかかっているという事情も判るが、それでも。


「これからも教えて下さいね」


 無論、と仲頼は答えた。宮あこ君はにっこりと笑った。

 次に家あこ君の「陵王」が始まった。その様子は、さながら陵王が生きているかであった。

 「落蹲」と「陵王」は対になる童舞である。それだけに家あこ君の師となった行正も、彼への指南には気合いを入れた。

 行正はあて宮に対し、仲頼ほどの差し迫った思いは無かった。つきあいで懸想している様な状態である。

 彼を駆り立てたのは、むしろこの家あこ君の周囲に対する思いである。

 行正は普段から大殿の上の側の子息達との付き合いが長い。大殿の上からも息子同様の扱いを受け、温かく迎えられている。  

 それだけに、彼にとって家あこ君は本当の弟の様に思えた。

 自分の手を伝えるなら、皆の前で恥ずかしくないように、いや、それ以上に、と願った。

 そしてどうやらそれは叶った様である。

 ひらひらと華やかな「陵王」の衣装を身につけ、やはり家あこ君も走り寄って来る。

 多くの言葉は無い。

 だがそれでも笑みを交わしあい、その兄弟達にも「やったな」とばかりに合図を送られる。行正にはそれが心地よかった。


 院は舞い終わった二人を揃ってお側に召し上げた。

 そして杯を取らせるとこう詠んだ。


「―――雲近く遊び始めた田鶴たづの雛鳥の様な二人の少年のおかげで、過ぎ去った年が延びる様だな」


 それに宮あこ君が杯を受け取りながら返す。


「―――院に捧げようと、世の掟も存じませぬままに、私供雛鳥は一緒に舞ったのでございます」


 一方、大后の宮は女一宮からはじめ、左大将の女君達に順に琴を弾かせた。

 一宮はゆったりと。

 今宮は多少不安もあったが、それでも何とか危なげなく弾きこなしていく。

 皆それなりに普段から何処であっても恥をかかない程度には、と練習を重ねているのである。

 それは「姫君らしくない」と言われている程の活発な今宮であっても同様なのだ。

 自分の番が終わってほっとしていると、ふと大后の宮の方から声が上がった。


「あて宮はどう? 居ないのかしら?」


 やっぱり来たか、とそこに居た女君達は皆思った。

 特に今宮はやっぱりな、と陰で苦笑した。

 この日、女君の中でもあて宮だけは高貴たる赤の強い別の装束をまとっている。他の娘達は、既婚だろうが未婚だろうが同じなのに。

 彼女には「大后の宮にあて宮の晴れ姿を見せて、この先の入内に向けて心証を良くしておこう」という父母の気持ちが透けて見えた。

 几帳が用意され、あて宮は大后の前に出される。

 大后の宮はほぉ、とため息をついて言う。


「父君達に心配をかけさせるのも無理はありませんね。こんなに美しく生まれついたのでは」


 そして箏の琴を二つ合わせると、彼女の前に出した。


「ここにはこれ以上のものは無いのですよ。さあ、一つ弾いてちょうだい」


 大后の宮はそう言ってあて宮にさあ、と勧める。


「……全く弾けませんので……」


 曖昧な答えが返る。

 そんなこと無いでしょう! と他の女君達はじりじりしながらやり取りを聞いている。

 無論、まずは断るのが礼儀だから仕方が無いが、普段の彼女の手を知っている姉妹達はあて宮の口調も相まって、内心「早く!」と叫ばずにはいられなかった。


「全く弾けない? その様には聞いていませんよ。ほら」


 そう言ってまたもうながす。仕方なしに、という様にあて宮は受け取るとさらりとかき鳴らした。

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