第13話その1 難波行き、そして何処かで共感しあう仲忠と涼
それからしばらく経った三月の十日過ぎ。
上巳の祓のために、左大将家の人々は難波へと出掛けた。
婿君達も殆ど出払い、屋敷に残る者は殆どなかった。
米を百五十石くらい積める船が六つ用意され、それぞれに御殿の屋根の様な檜皮葺の船屋形を載せ、高欄を廻らし、金銀瑠璃で飾り立てる。
その一船に舵取りを四人、船子を二十人使う。
彼らは皆、この時の為の装束をした見栄えの良い者ばかりである。
船の備品は、正頼の所有する荘園のある国の守達一船づつ準備したという。
第一の船には、大宮と女御、それにあて宮が乗り込んだ。
第二の船には大殿の上腹の娘の婿君達が。
第三の船には婿を持つ女君達が七人皆乗り込んだ。
その三隻にはそれぞれ、似合った身分の大人が十二人、童が四人、下仕えを四人、装束を揃えて乗り込ませている。
第四の船には左大将、仲忠、涼、それに実忠が。
第五の船には宮腹の婿君七人が乗り込んでいる。
仕人は、ある者は宮や正頼の乗っている船に、ある者は別の小舟に乗って行く。
淀川を下って行くうちに「冠柳」と呼ばれている木を通り過ぎた。
すると昔の歌を引いて大宮が詠んだ。
「―――冠があるという名の通りに五位だったら、浅緋の袍を着るから柳も朱色のはずなのに、その朱の衣は縫わないで、緑の糸を縒りかけていますね」
それに仁寿殿女御が返す。
「―――河辺の柳の枝に居る鷺を白く咲く花の様に思ってしまいます」
更にあて宮が返す。
「―――冠柳という名がついてから久しいのに、一向朱色にならなくて、青柳はずっとずっと深い緑になることですね」
一方、淀川の長洲に至った時、鶴が立っているのを見て、第三の船でも同じ様な光景が繰り広げられる。
まず、式部卿宮北方である五の君がこう詠んだ。
「―――千年も生きてきた田鶴が降り立ったこの場所が、今日から長洲という名で有名になるでしょう―――
おや、鶯が」
それを聞いて、中務宮北方である中君が返す。
「―――誰でも惜しんでいる春が長いという長洲の浜辺に来て、鶯は何が悲しくて鳴くのでしょう」
それにまた、左近中将実頼の北方である四の君が返す。
「―――長洲に来てあんなにのどかに鳴くのだから、野は勿論花盛りに違いないですわ」
更に民部卿北方の七の君が返す。
「長いという長洲に来たのだから、花の名残も久しいと思います」
似た様な光景は、淀川を下りきった摂津国の西岸の港、御津でも八の君や三の君、それに六の君の上に繰り広げられていた模様である。
その港で御祓いをするうちに、あて宮の元に、東宮からの文使いがやって来た。
「―――遠くはるばると行って、河ごとに祓いをなさっても、私は嘆き/木から離れてしまいはしまいでしょう」
あて宮はそれを聞いて、ほほほと声を立てて笑う。
「こんなところまで、嫌な方。
―――禊ぎをすれば嘆き/木の花も散るでしょう、八重雲を払う風の寒さで」
六月晦の大祓の祝詞の引用である。
あて宮は使いの者には女装束と立派な鞍をつけた馬をつけて返す。
難波では機内、山陽道、南海道の受領達が集まって、左大将一行の泊まる場所を珍しい趣向を凝らして待っていた。
自然の浦そっくりに植え並べた花の林。砂子や岩も風趣のある姿に配されている。
用意万端である。
やがて船がやって来た。
船に居る殿上人の中でも、特に上手と言われる人々が舟歌に楽器を吹き合わせ、船同士互いに管弦を奏している。
万歳楽を船側からすると、磯では受領達がそれに合わせて唱歌をしながら待ち受ける。
やがて船を岸へ漕ぎ寄せると、船ごとに祝詞をあげて一度に御祓をする。
そこへ仲忠の御祓の贈り物が持ち出された。
黄金つくりの、人の乗った牛車。仕人も皆金銀作り。
仲忠はそれをあて宮に捧げながらこう詠む。
「―――せめて月にかかる雲に心を慰めて、生涯月を眺めていましょう」
あて宮はそれにこう返す。
「―――雲だけでも心の慰めになるのでししたら、大空に飛ぶ車だったら……?」
微妙な返しだ、とそこに居た人々は皆思う。
いつもそうだった。
仲忠は、決して他の者の様な激しい思いをぶつけたりはしない。
あて宮は、仲忠には儀礼的な言葉に対してしか冷ややかな返事はしない。
言葉を伝える孫王の君は思う。
このひと達は初めから何かあきらめているのではないか、と。でも忘れないで、と。
一方涼も、同じように用意した贈り物を渡し、こう歌を添える。
「―――恋をすまいと祓をする船が漕ぎ寄せたら、大海原に追いやってしまいましょう」
あて宮は「こんな場所で何も言わないのは気の毒だから」と中納言の君にこう言わせる。
「―――わが恋忘れさせ給え、と禊ぎをして、恋人を見ないうちから忘れる様な人の船を吹き払わない船は無いでしょう」
一方実忠は。
彼は、仲忠や涼が女君達の側で話をしているのを見ると、たいそう羨ましく思った。
そして「遠くからでも」とこう詠んだ。
「―――松の様に並び立っている人々がねたましいです。恋忘れさせ給えとこの難波津で度々禊ぎをするのに、験が無くて思いは勝るばかりですので……」
すると、あて宮から返しがあった。
「―――あなたの思い違いですよ。岩の上に茂る松の岸なものですか。かみおかの禊ぎでしょうよ。あなたの恋は思い違いですわ」
何を言っているんだ、まるで自分の気持ちが伝わっていない、と実忠は「木工の君に」とこう伝えた。
「―――いいえ、思い違いなどではございません。あなたの仰る住吉の松の縁を頼みにして願をかけているのですから。難波での禊ぎをきっと神は受け取って下さるでしょう」
木工の君はそれを聞いてこう詠んだ。
「―――今難波津は花盛りですから、その折りの禊ぎでは仇っぽいことがどうしてもついてまわりましょうよ」
*
月の光も美しい夜、この日は浜も静かだった。
そこで、様々な花が咲く浦に潮が満ちて行くのを見ながらの歌の宴が行われた。
歓待してくれた国々の受領やその下役達には裳唐衣一揃いや桜色の細長や袴といった女物の衣服を与えられた。
一行はその後、様々な面白い所を見てから帰還した。
「お帰りなさいませ。東宮さまから御文が届いております」
早速あて宮はその文を開く。
「いつという訳でもないけど、ここのところ何かと物思うことが多くて。
―――待つということは辛いものですね。住吉の岸に一本一本陰を作るのを見て、松…… 待つ…… 松…… 待つ…… と思ってしまいますよ」
あて宮はそれにまた古い歌をかけて返す。
「―――あだし心を持つ松は、枯れ枯れになって住吉の忘れ草ばかりが繁っているそうですよ」
*
「それにしても皆今になって大変ですねえ」
仲忠は春の終わりを共に、と涼の屋敷にやってきていた。
「昨年の今頃、我々は出会ったんでしたね」
ええ、と杯を交わしながら低い声で彼らは話す。彼らは二人で話す時、出来る限りの人払いをしている。
「君はどうなの?」
「僕はもう。はじめから彼女自身は望んでいないから」
「本当に?」
「疑います?」
くすくす、と仲忠は笑う。
「僕は音さえあればいいから、と何度あなたに言いましたっけ?」
そうだった、と涼は思う。
「けど本人が欲しい方は大変だ」
「そう。実忠どのとか本当に大変だと思いますよ」
「何でも」
と涼は「女房」から伝えられた話を切り出す。
「実忠どのはあれから賀茂に詣でて、たいそうな大願をかけたということですが、それでもまだ忘れられない、と御社から文を届けたそうだ」
「何って?」
面白そうに仲忠は猫の様に口元を上げる。
「―――あなたを置いて自分一人賀茂の社にお参りしても、血の涙を止めることができません」
「返事は?」
「なかったそうだ」
「あて宮だったらそんなこと言われたら退くと思うな」
「君なら?」
「僕にどうしてそこまで思ってくれる人が居ると思うの?」
「私は結構君のことは思っているよ」
「それは嬉しいな」
「本気だよ」
「うん、本気でしょうね」
信じていないな、と涼は思う。
「そう言えば、うちの父上も結構見苦しいことをしていたそうですよ」
「右大将どのが?」
身内のことをいいのか、と涼は思う。
「父上はまあ、昔からの『色好み』という名にかけてというところなんでしょうけど。母上が一番好きなんだから、もういい加減止せばいいのに」
「辛辣だなあ。それで?」
「うん、父上は長谷にお参りに行ったんですよ。で、山吹の花の綺麗なのがあったので、それにつけて文を送ったけど、返事は無し」
「……まあいつものことだな」
「そういつものこと。あて宮はそもそも、父上という人を嫌なんだと思うよ。色好み、というひとは」
「君の父上だろう?」
「でも僕だって、もし僕が女だったら、父上の様な人は嫌だし」
「そういうことを考える?」
「僕が女だったら、涼さんを婿にしたいな」
そう言って仲忠は涼にしなだれかかる。
「私だって、君が女だったら真っ先に妻問いするよ」
そう言って肩を抱き寄せる。くすくす、と二人で笑い合う。女でなくても、という言葉は口にはしない。
「父上はね、母上が見つかるまでは色んな人を泣かせてきたんだ。そうゆうのを色好みっていうんなら、僕は色好みなんて絶対にならない」
「孫王の君は?」
「彼女は僕の妻になろうという気は無いもの。僕がちゃんとしたところへ婿に入ることを望んでるんだ。僕は彼女のことが大好きなのに」
「で、右大将どのはその後どうしたの?」
涼は話を逸らす。
ん、と仲忠はとろんとした目で話し出す。
「何か返事が無かったのが結構堪えたみたいでね、長谷でも一度願をかけて、七日ばかり籠もったって言うんだ。母上と一日たりとも離れてはいられないって言うあの父上が!」
へえ、と相づちを打ちながら、涼は肩にかかる温みと重みを味わう。
「で、毎日毎日お経を読んで、こう言ったらしいの。『この願いが叶うならば、黄金の堂を建てましょう。金色の仏像を作りましょう。月に一度、左右の御燈火を命のある限り奉りましょう』って」
「そりゃ凄い」
「それで同じことを竜門、比曽、高間、壺坂、御獄に忍んで行ってやった訳」
「根性だね」
「それは認めるよ。母上もいつもべたべたと甘える父上が居なくて、久々に御髪を洗ったりのんびりしてたなあ」
「君の母上は右大将どのをそう思っているのかい?」
「夫婦のことはわかりませーん」
あはは、と仲忠は笑った。
「でまあ、そういうところへ毎日毎日願かけに行ったりしてれば、普段山歩きなんかしない人だもの。足がやられるでしょ。それでまたずいぶんとへたってしまったんだって」
「まあそれはあるだろうね。身体が疲れると気持ちもやられてしまうし」
「僕なら大丈夫だけど。いや、もうなまってるだろうな」
ふっ、と仲忠は遠い目をする。
「昔はね、涼さん、山に住んでて食べ物を探してたりしてたから、父上がそれで足が腫れて大変だったって話を聞いても、僕はふーん、としか思えないの」
涼は黙る。仲忠がこういう言い方をした時には、口を挟まない方がいい、と彼は思っていた。
仲忠は誰にも言えないことを酔いに任せて言いたいだけなのだ。
「にわか雨に降られて、雷がごろごろ鳴った時には、自分の命もこれまでかと思ったんだって」
「都人は雷を恐れるからね」
涼は自分のところに最近仕え出した女房達を思い出す。
彼女達は吹上の女達とは違う。春雷が光ると慌てて母屋へ入って同僚同士で固まってぶるぶると震えている。仕事どころではない。
吹上の女は、皆平気だった。海に反射する光を楽しむ女童も居たくらいだ。
仲忠はそんな涼の言葉を半分否定する。
「都人と言っても、上つ方やらそういうとこに仕えてる人だけだよ」
「君は怖くない?」
「僕?」
口元に笑みが浮かぶ。
「僕は平気。雷は綺麗だもん。それに皆引っ込んでしまうから、何かと持ち出すのに好都合だったしね」
「持ち出す」
「前言ったでしょ。僕は小さい頃は、ようやく生きてきたぐらいって」
ああ、と涼はうなづく。
「里だけじゃないな。山でも、雷だと大きい動物が引っ込むからね、いつもだったら行きにくい場所にも行けたし」
「雷が落ちるとは思ってなかった?」
「思ってたよ」
ぽつんと仲忠はつぶやいた。笑みは消えていた。
「雷が鳴れば、いつか僕は雷で死ぬんだろうって思ってた。嵐が来れば、嵐で死ぬんだろうと思ってた」
「それでも?」
「その時はその時。誰だっていつかは死ぬじゃない。生きているのが不思議なくらいだったから、いつ死んでもおかしくはないと思ってたもの」
でもね、と仲忠はがくんと涼の肩に頭をもたれさせる。
「母上が居たから死んではならないと思ったの」
「母君が」
「うん。あのひとは何もできなかったから。僕に乳をやることはできたけど、他のことは何もできなかった。それに僕を怖がってるし」
「怖がってる?」
そんなことは、言いかけた涼の口を軽く塞ぐ。じっと目を見る。
「でもそれを言ったら、涼さんだって同じだよね」
「私も? 私には母は居ないけど」
「母君じゃなくて、涼さんの場合は、種松どのが」
「怖がっている……」
そうだな、とうなづく。
「畏れているのは確かだね。仕方が無い。私は彼らにとっては、死んだ娘の子というよりは、帝の御子だったから」
「あて宮も」
不意にその名が出たことに涼は驚いた。
「時々思うんだ。あて宮は僕に似ているって。それは勝手な思いこみだけど……」
そうでもない、と涼は思う。
あの「女房」にしても。
正体が誰であれ、文面の端々にあて宮への恐れの様なものが浮かび上がってくる。
「そう言えば、右近中将が」
「父上について、何か別の話があるの?」
「まあね」
「女房」は、あて宮の兄である右近中将祐純が右大将にずいぶんと頼まれて疲れている、と書いてきた。
「祐純さんは、上司である君の父上からずいぶんと頼まれたらしくてね。もう最近は、両親が側に居て自分達に会わせてももらえない、と言ったにも関わらず、君の父上はしつこかったそうだ」
あはは、と仲忠は笑う。ぱんぱん、と両手を叩く。
「らしい! すごく父上らしいよ! それでどうしたの?」
「言ったそうだ。『入内のことが近づいたからそうなっているのだろうな。時々はくれたお返しも最近は無いし。これじゃあ私は全くのいい笑い者だ。頼む、それだけは困るんだ。このままでは死んでしまう』」
「それで?」
「『別に死んでしまうのはいいんだ。私には子も少ない。その一人は仲忠で、あれは私など居なくとも自然に出世していくだろうし、東宮の梨壺の方には女三宮がついている。そのほうも仲忠がどうにかしてくれるだろうし……』すると祐純どのは『命を粗末にする様なことは仰らないで下さい』と呆れながら言ったと」
「父上は買いかぶりすぎだよ。それより母上のことを考えて欲しいのに。まあ方便だとは思うけど」
「で『人の命を助けると思って』どうかあて宮に、という訳だ。で、祐純どのは親のことを考えると、いくら上司の願いだってそんなこと絶対叶える訳にもいかないし、となだめるのが大変だったそうだ」
「は。全く困った父上だ。でもあの人が最初に困った心を起こさなかったら、僕はこの世に居ない訳だしね」
それは自分も同様だ、と涼は思う。
「だが、私と君が何処か似ているとは思うけど、あて宮はどうだろう」
「似ていないと思う?」
「琴を弾く。全てに秀でた美しい存在。それこそ両親が畏れる程に。でもあて宮は、君や私とは違って、たくさんの家族が居るじゃないか」
「涼さんは」
ごろん、とそのまま仲忠は涼の膝の上に転がり込む。
腰に腕を回す。
触れている頬の、胸の、腕の温みが伝わってくるのを涼は感じる。
「思ったことはない? 誰かにきつく抱きしめられたいって」
「抱きしめられたい」
「抱きしめたい、じゃあないよ。抱きしめられたいの。僕を恐れないで、ぎゅっと、強く抱きしめてくれる腕」
ぎゅっ、と腕が涼の腰を強く締め付ける。
「昔――― すごい昔にね、ある宮家に食べ物をもらいに行ったんだ」
「宮家に?」
「そこは少し変わったとこでね、色んな人ががやがやと出入りしていたんだ。僕はそれを見て、ここなら何か僕と母上に食べ物をくれないかな、と入っていったんだ」
「それで?」
「驚いたことに、本当にもらえたんだ。それも、何の見返りも無しに!」
「見返り」
ああ、と涼は思い出した。それが浮かれ女の様だと言われること。
「そこには四人程、姫らしい女の子も居てね、皆親切だったんだ。姫と言っても、母屋の奥で大切に大切に可愛がられてるという訳じゃなくて、時には外で走り回ったり畑仕事を見たりする様な子でね」
「可愛かった?」
「可愛いかどうかは覚えてないな。それにどうでもよかった。僕はその頃、大きくなってゆく身体には合わない着物がぼろぼろなのも気付かないでいたんだけど、その姫はそんな僕をじっと見て、お腹空いてるでしょ、とか寒いでしょ、とか気にしてくれて――― 顔の美醜とか関係なし、僕はその姫が凄く綺麗に思えた」
ふと涼は首を傾げる。
そんな宮家などあっただろうか。四人も姫君が居れば噂になっても良いものも。
「その子は『お父様に頼んでここに置いてもらう様にしたいわ。ここの子になって』って言ってくれたんだ。凄く嬉しかった。でも僕には母上が居たから、それはできなかった」
「母君が居なかったら?」
仲忠はそれには答えず、腕の力を強めた。
その強さを心地よいと涼は思った。
「それで僕はもうここには来られないと思った。それからすぐに僕は琴だけ持って母上と山に移り住んだんだ」
琴の琴は箏や和琴に比べ、小振りで軽い。少年と女君が持って行くにも決して難しくはない。
「それからはもう精一杯。母上のことだけ考えてきたのだけど、母上はこうやって抱きしめてくれることはなかった」
思い返す。ああそうだ、自分にもなかった。
母は自分を生んですぐに亡くなった。祖父母は自分を崇め奉った。乳母もその祖父母の影響で、何処か自分との間には隔てがあった。
それが当然だと思っていた。浜で子供達と出会うまでは。
浜の子供達は遊んでばかりはいられない。何かしら親の手伝いをしている。
彼らは大声で何かと言いつけられ、怒鳴られ、殴られることもあるが――― 頭を撫でられ、抱きしめられる。
ぎゅっと。
子供達は親にいっぱいの笑顔を向ける。親はそれを見て笑い返す。
つん、と胸の何処かが痛かった。
親子はそのままじゃれあっては家へと戻っていった。たくさん並ぶ掘っ立て小屋の一つだ。自分の吹上の宮では馬だってそんな所には住まないという様な場所だ。
それでもそこから夕食の煙が上がり、楽しそうな笑い声が聞こえてくると、ひどく薄ら寒くなったことを思い出す。
「ぎゅっと?」
涼は仲忠の背に手を回す。
「そう、ぎゅっと」
*
「孫王の君は言うんだ」
仲忠はつぶやく。
「ちゃんとした姫君を迎えて幸せになってくれって。僕だって自分の未来にはそれしかないとは思うから仕方ないとは思うけど」
「女一宮をもらうんだろう?」
「本決まりなのかな」
「気が乗らない?」
「乗る様にしようとは思う」
「君を好きな人は多いというのに」
「僕の何処を見て好きって言うんだろ」
「君だったら何処でも」
「今の僕だったらね」
「それを言ったら私だって」
「涼さんへの約束は反故になってしまったよね」
「元々信じてなかったよ」
「ひどいね」
「全くだ」
くすくす、と彼らは笑い合う。
「あて宮にも幸せになって欲しいけど」
「本当にそう思うのかい?」
うん、と仲忠はうなづく。
「あて宮を本当に心からぎゅっと抱きしめたい人を僕は知ってるけど」
「誰?」
「それは言えないんだ。それに彼は決してそうしてはいけないんだ」
悲しいことに、と仲忠は付け加えた。
「こうやって」
腕を回す。
「そのままの身体の熱を感じてはいけないひとなんだ」
「可哀想に」
「そう、とても可哀想なんだ」
それよりはまし、と仲忠はつぶやいた。
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