第5話その2 夏神楽と、懸想する僧―――夫の幼なじみに対する大宮の不安

 宴が終わり、公達も女君達もやがてそれぞれの居場所に戻って行った。

 正頼も寝殿に戻った。そこでは妻の大宮がゆったりと迎えながら、宴の様子を訊ねた。


「どうしてそなたは涼みに出て来なかったのかな? せっかくの釣殿という錦も、闇の中では映えない様に、あなたという光が無かったからつまらなかったよ」

「まあ、おっしゃる。ずいぶんと楽しそうな音が、こちらまで聞こえてきましたわ」


 大宮はほほほ、と明るく笑う。正頼は昔から彼女のそういう所を愛していた。


 正頼には二人の妻が居る。

 元服時の添い伏しから共にある、当時の太政大臣の娘である大殿おおいどのの上と、帝の妹である大宮おおみやである。

 彼はこの二人のもとを、一日おきに行き来している。

 正妻は大殿の上であるが、大宮はその身分故に、二人は同等に扱われる身である。

 正頼自身の気持ちは、この大宮の方に傾いている。

 だからという訳ではないが、大殿の上のもとに生まれたのが男子四人に女子四人に対し、大宮腹の子は男子八人に女子九人である。

 そしてまた、大宮腹の子達の方が何かと出来が良い。大殿の上腹の子達は、何処かしらのんびりとし、良く言えば伸び伸びとし、悪く言えば凡庸だった。


「そう言えば、夏神楽を十七日にしようと想う。その用意を頼むよ」

「何処か良い場所はございましたか?」


 大宮は訊ねる。


「右大将の三条の北の方を今住まわせているという桂殿にしようと思っている」

「まあ」


 ぱっ、と大宮の表情が明るくなる。


「あそこは右大将が心を込めて造らせたところだからな」


 大宮は大宮で、右大将の三条の北の方のことが気になる。

 まだ若い頃、あの見目麗しく才長けた青年は、一体誰のもとに落ち着くのだろう、と女君という女君、女房という女房が噂をしていた。

 そう言っているうちに、父帝が妹の女三宮を彼に降嫁させた。

 一条の新居で、それなりに上手く行っているかと誰もが思った。大君も生まれ、東宮に入内させている。それが現在の梨壺の君である。

 しかしそれはそれとして、兼雅は一条の屋敷の中に、自分の愛人を次々に住まわせていった。


「もっとも、本当に好きで手に入れたというよりは、頼まれたという感じが多いのですけど」


 女房の一人がそう伝えてきた。


「三宮さまは今はもう、梨壺の君さまのことをのみ心に置き、すっかりと静かな生活に馴染んでいる様子です」


 あの妹はそういう気質だった。大宮は思う。

 自らに与えられた運命はそのまま受け入れ、静かな心持ちで生きて行くつもりらしい。


「故左大臣の大君、故式部卿宮の中の君、故源宰相の女君などは、それぞれの父君から頼まれたという形を取っている様です」

「うちの大君さま、仁寿殿の女御さまとも何度かお文を交わしたことがある様ですが」


 女房は口を濁した。それに関しては心配はないと、大宮自身が一番良く知っている。


梅壺更衣うめつぼのこういと通じられたと聞きました折りには、皆唖然と致しましたわね」


 古参の女房がため息混じりに言う。

 嵯峨院の美しい更衣に、年下の兼雅が迫りに迫り、とうとう落としたというのは、半ば伝説と化していた。

 そして、その梅壺更衣腹の皇女がまた、大宮の三男の祐純の妻であるのだから世間は狭い。

 もっともこの階層の人々の世界は狭い。対等に付き合う人間はごくごく限られている。婚姻も同様である。


「そんな中で、いきなり右大将さまが、一条から三条へお移りになったと聞いた時には耳を疑いましたわ」

「全くですわ。しかも女君と若君を伴ってなど」

「それがまた、昔失った恋人だったなんて、まるで物語の様ですわ」

「そしてその若君が仲忠さまだなんて!」


 若い女房になると、兼雅と三条の北の方の、半ば物語の様に脚色された出会いの方に心惹かれるものがあるらしい。


「三条の北の方は一体どんなお方なのでしょう」


 それはどの女房達も、大宮ですら気になるところだった。娘の女御はそれを聞いてどう思うだろう、とも思った。

 故・治部卿じぶきょうは、嵯峨院の時代の古き良き言い伝えの主人公と化していた。

 素晴らしい人物だと、嵯峨院は現在でもことある毎に漏らしている。

 その一人娘である。全く才の無い女人だとは考えられない――― いや、皆、考えたくはなかったのだ。

 いずれ、いつか――― 大宮は会ってみたいものだと思う。

 妹を忘れ去られた存在とするまでの人。

 あの仲忠を息子とする母。

 いつか。大宮は思う。         


   *


 神楽の当日になった。

 大宮と仁寿殿女御、それに北の方となっている二十歳以上の女君は青朽葉あおくちはの唐衣からぎぬ、それより下の方々は二藍ふたあいの小袿を身につけている。

 お供の者は赤色。

 御神子みこうのこと呼ばれる神楽の舞姫は青色の唐衣をつけ、共に二藍の表着うわぎ

 下仕えの者は檜皮ひはだ色。

 彼女達は車を二十ばかり用立てて、四位や五位の者を数知らず従え、桂川の方へと向かった。

 最初の車から御神子を下ろすと、それが舞をしながら内へと入っていく。桟敷に下りて、御祓いをする。

 その後に舞楽に召し出された人々が続く。

 「催馬楽さいばら」の上手な右近衛将監の松方。

 笛の上手な近正。

 篳篥ひちりきの得意な右兵衛尉の時陰ときかげ

 それに神楽や「催馬楽」等の歌を譜に合わせて上手に歌うことのできる殿上人が。

 上達部や皇子達も、主催である左大将正頼と親しい者は皆、この神楽に出席してしまい、御所には殿上人が残っていないんじゃないか、と思われるくらいである。


 やがて宴が始まり、御馳走が出た頃に、桂に住む右大将兼雅から川向こうから趣のある小舟に趣深いものを載せて運んできた。


「ほうこれは」


 正頼は微笑する。

 舟からは兼雅が、息子の仲忠に高麗から伝わったとされるこまの楽をさせながら、こちらへと渡ってくる。

 正頼は大喜びで彼を迎え、二人を催馬楽の「伊勢の海」の調子で歌を詠んで迎えた。

 こうして左右近衛の人々が集まって管弦の遊びが始まった。

 御祓いのために同じ河原にやってきていた兵部卿宮も参加し、正頼は喜んで迎える。

 東宮からも、使いからあて宮宛にこの様な歌が送られた。


「―――前々からずっと私に冷淡なあなただから、今日の祓もあなたには効き目は無いでしょうね」


 するとあて宮はこう返歌する。


「―――引く手あまたのお方にはお目にかかるまいと思い、会うことの無い様にと御祓いを致しました。今日の御祓いは、きっと神様もお聞き届けくださるでしょう」


 東宮の使いの者には女装束一式を被けて返した。



 夕暮れになると、女君達の所の御簾が上がる。

 その代わりに細紐ではなく、糸を幾筋も結び垂らした几帳を立て並べて、外からは見えない様にする。

 なだらかな石や、角のある岩などをその前に拾い置き、孫王の君、中納言の君、兵衛の君、帥の君といった女房や童子達が控える様に命じられる。

 彼女達は琴をかき鳴らす。歌を詠む。

 その様子をあて宮以外の女君達は非常に楽しく眺める。

 仲忠は湧き出る水を見ながら、馴染みの孫王の君に詠みかける。


「―――河辺にある石の思いが消えないで燃えるから、岩の中から水が湧き出るのでしょうね…… 私があの方にとって数の内に入らない者だとしても、取り次ぎはしてくれる?」

「―――底が浅いので、岩間を湧き出る水は湧くと見えはしますが、温みさえも致しません。あなたは燃えているおつもりでも、水はちっとも温かにはなりませんこと…… そういう冷たい方のお取り次ぎは致しませんわ」


 仲忠はくすくす、と笑う。


「元より、あなたが容易くそうするとは思っていないよ」

「なら仰らなければ宜しいのに」

「そういう訳にもいかないでしょ」


 そしてまたくすくす、と笑う。仕方のないひとだ、と孫王の君は苦笑する。


 一方では実忠が兵衛の君に託し、あて宮に文を送る。それを女君達は来た来たとばかりに開いて見る。

 あて宮は何も答えない。

 実忠は必死な顔でこう訴える。


「―――私の恋の願いが叶うまでは、八百万の神々がお読みになっても尽きない程、文を書くでしょう」


 しかしあて宮の方からは何の反応も無い。


 夜になり、中心である神楽が終わると、座興の「才名乗り」が始まった。

 兵部卿宮は前の岩に座ると、姉である大宮に聞こえる様にこう言った。


「風流人の才は大したものですね」


 全くだ、と几帳の陰で大宮は思う。兵部卿宮は言葉を続ける。


「今宵は神でも、いやましてや人なら勿論、願いを叶えてくださるでしょうね」

「そうね」

「私はね、姉上、ここ数年来、あて宮にお便りを出しているのだけど、まるで相手にしてはくれないのですよ」


 大宮は首を傾げ、苦笑する。この弟の気持ちも判らないのではないのだが。


「姉上の方から、どうかあて宮に『あのひとは振り捨ててはならない方だ』とでも言ってはもらえないものですかね」


 ほほほ、と大宮は乾いた笑いを漏らす。


「御祓いの日には、却って神様も忙しくて、他にばかり気を取られておいでだと思いますよ」


 兵部卿宮は顔をしかめる。大宮は困った人ですね、と微かにつぶやく。


「あなたまでがあの子のことが気にかかっている様ですね。もっと早く言って下されば、そこまであなたに物思いはさせなかったのに。早く本人に知らせてあげましょう」


 そうは言うものの、大宮はずっと前から知っている。誰があて宮に文をよこしているかなど。


「でもね、あなたに格別すすめなかったのは別に悪気があってのことじゃあないのよ。あなたに相応しいと思える様な娘がいなかっただけのことだわ。大きくなったら、とは思ったけど」

「それまで私が生きていられたらいいのですがね」


 そう言って弟宮は立ち去った。

 そういうひとだから、可愛い娘をやりたくはないのだ、とはあえて大宮は言わなかったが。


「疲れたのではないかな」


 宴が終わり、客人も全て引き上げた後、正頼は大宮に問いかける。いえ、と妻は答える。


「ただもう楽しかった。それだけですわ」

「けど少々お疲れ気味の様子だ」

「色々と最近立て込んでおりましたから」


 弟宮の愚痴に付き合って疲れた、とはさすがに彼女には言えない。


「それなら良いが」

「何か気がかりなことでも?」


 気がかりというのではないが、と正頼は続けた。


「ほら、二月の神楽のことを覚えているかね?」

「ええ。あて宮が『かたち風』を弾きましたわね」

「その時に、一人の行者がその音に誘われて来たのだ」

「それは初耳でございますが」

「あなたにわざわざ言うことも無いと思ったのだ」


 正頼はふう、とため息をつく。


「その行者は春日神社の前で、あて宮の琴の音に誘われて思わず足を踏み入れてしまったのだと言う」

「行者の方では、神社には」

「無論それで随身や舎人達にたしなめられたさ。ただそこでその行者が、歌を詠んだのだ」

「歌を」

「仲忠がそれを聞きつけ、取りなしてくれた」

「あの方なら成る程、と思います」

「そして行者にそのまま琴を聞かせてやった。まあ仲忠がその後『かたち風』を弾くから、その機嫌を損ねる訳にはいかなかったしね」

「それはまた。穿ちすぎでは?」


 大宮はほんのりと笑う。


「まあそのあたりはいい。仲忠はその行者のために、とばかりに彼にしては珍しく積極的に琴を弾いた訳だ」

「そう言えば弟が言っておりましたわ、『仲忠は帝の仰せ事であっても琴を弾こうとしないのに、行者のためなら手を惜しまないのだな』と」


 どうもあの弟は最近ひがみっぽくて困る、と大宮は思う。


「で、私は彼に被物かづきものを与えたのだけど、その時行者の姿を見て驚いた」

「驚いた、のですか?」

「ああ、驚いた。本当に驚いた」


 その時のことを思い出すのか、正頼は何度も何度も大きくうなづく。


「私が殿上童だった頃のことを覚えてますか?」

「覚えてますわ。『藤原の君』。あなたは父帝や殿上人の様な男の方だけではなく、宮中の女房女童にも大層な人気でしたもの」

「そう、私がそのように呼ばれていた時のことだ。その時、もう一人人気のあった殿上童のことを覚えていないかね?」


 もう一人、と言われ、大宮は首を傾げる。答えを待たずに正頼は腕を組み、吐き出す様に言う。


ただ君だよ」

「え」

「よくあの頃の帝が忠こそ、忠や、忠やと呼んで可愛がっていた、彼だ」


 大宮は言われて初めてその名の人物の記憶をひっくり返す。

 今となっては「藤原の君」以外、思い出す意味も無い。―――正直、忘れていた。言われても何処か記憶は胡乱である。

 夫はそんな妻の様子には気付かず、ただ自分の思いだけを口にする。


「私は思わず彼に駆け寄り『あの頃、藤原の君と呼ばれていた者を覚えていないか。あなたは忠君ではないか、どうして今そんな姿に』と問いかけた」

「行者…… だったのでしょう?」

「そう。行者だ。と言っても、今では鞍馬山に大きな寺を作り、日々父母君のことを祈っているということだが」

「それでも―――」

「ああ、あなたの言いたいことは判る。それでも舎人にまで馬鹿にされる様な格好だったのではないか、と。実際そうだったのだ。だから私も当初目を疑った。だがあの頃我々は確かに友だったのだ。それも、いきなり姿を隠してしまった悲しい記憶の友として!」


 大宮は黙る。夫であれ息子であれ、自分の知る限り、男がこの様に自分の話に陶酔してしまったら、女は黙るしかないと彼女は悟っている。


「賎しい姿になってずいぶん経つから、もう忘れられていると思っていた、と彼は言った。そして告白してくれたよ。彼の継母とのことを」

「継母…… がいらしたのですか?」

「彼は当時の右大臣の息子だったのだけどね。右大臣は北の方を亡くされて…… 誰も後添いにする気は無かったのだけど、故左大臣の北の方に懸想されてしまったのだよ」

「女の方からですか?」


 信じられない、という顔で大宮は夫を見る。


「何やら気の強い方だったらしい。そして右大臣よりずいぶんと年上で」


 大宮の表情が露骨に嫌そうなものになる。


「それでも右大臣は、向こうに恥をかかせたくないと思ったのだろうか、通ったのだという。北の方はずいぶんその右大臣に費用をかけたらしい。何はともあれ、好きであったことは間違いないのだろう」

「けど」


 大宮は言いごもる。


「右大臣も嫌ではない様にしようとは思ったらしい。が、こればかりは人の心。好きになれないものはなれない。けど通わないことにはお互いの恥になる」

「そもそもその様な関係を作ること自体が私には」


 言いかけて、それ以上言いたくないとばかりに大宮は首を振る。


「忠君は言った。『五つの時に母が亡くなり、寂しく思っていました。ことに私は一人っ子でしたから、父のために、と殿上でもがんばってはきたのですが、色々なことがございまして、恥ずかしながら耐えきれなくなり、十四の時、とうとう出家してしまったのです』と。二十年になるそうだ」

「まあ」


 大宮は思わず声を立てる。


「『幼い時に親に死なれることは生涯の悲しみと存じましたので、生まれる前の世に犯した罪も償いたい、また母君も極楽浄土に住ませたいと思いましたので』と彼は言った」


 その時のことを思い出すと、今でも正頼は涙が出そうになる。

 何不自由無い、将来を嘱望された帝のお気に入り。それが何故、とずっと思ってきた。


「かの故右大臣、橘千陰たちばなのちかげどのは、忠君が居なくなった翌日から、もうそれは大変な嘆きで、それからすぐに病を得て急にお亡くなりになった。そのことを言うと、彼はわっと泣き伏した。私は親が御承知ならまだしも、それが原因で父君が亡くなったのでは、せっかくの出家も不孝の罪にあたるのでは、と言った」

「何やら深い事情がお有りだったのでしょうね」

「うむ。実際彼は言ったよ。『世の中が辛い苦しいとばかりしか思えない時には、親のことを思いやることもできないものです』と。『あの時はもう何を置いても出家したかったのです』と」

「そんなにも、お苦しかったのですね」

「私は幸か不幸か、その様な苦しみを経験せずに済んでいる。あなたのおかげでもありますね」


 大宮はそっと微笑む。


「兎にも角にも彼をそのままにはしておけない、と私は忠君に、この家へ来て女御の護りなどの祈願をしてくれる様に頼んだ」

「それが宜しゅうございます。しかし今、そうなっては」

「ああ」


 正頼は天を仰いだ。


「行人はこの時、熊野詣に出る途中だったのだよ。祈願そのものは承知してくれたのだがね。去年の八月から、あちらこちらで読経をしていたらしい。そこでたまたまあの日、昔覚えのある琴の音が聞こえてきたのだと」

「『かたち風』のおかげですわね」

「それと我々のあて宮の」


 大宮はそれには微妙な表情を浮かべた。

 忠君が当時素晴らしい殿上童であったことは記憶にある。だが二十年経った今では、三十代の男だ。

 確かに道心にかられての出家は尊いものだと大宮も思う。

 だがその一方で、自分を取り巻く世間全てから逃げる様に出家した人が今どれほど心強いものか、と思う。

 しかも琴だ。

 彼女の愛娘の琴の音に惹かれてふらふらとやって来たという。

 大宮の美意識的には、あまりそういう「行人」は好ましくない。昔の友人を懐かしく思う夫には悪いが、何やら嫌な予感もする。口には出さぬが。


「で、その方は今どちらに」

「旅が順調に行くならば、四五月くらいには戻ってくると言っていたが。暑い時だ。さすがに足も鈍るのだろうな。神楽そのものはともかく、納涼会の管弦の遊びだけでも一緒にできていたら、と思っていたのだよ」


 妻の心中も知らず、のんきに夫は願望を素直に述べる。大宮はそこに忠君が来ていなくて本当に良かったと思う。弟宮からの愚痴を聞くだけでもうんざりなのに、それ以上の厄介事が増えるのはごめんだった。

 そしてふと思う。

 あちらの方はそういう心配はなさらないのかしら、と。もう一人の妻、大殿の上は。

 彼女とはそれなりに文を交わしている。折々には顔を合わせてもいる。自分達はそれなりに仲の良い関係だと思っている。向こうがどう思っているかはともかく。

 少なくとも、大殿の上は、夫である正頼より自分のほうが好ましいのではないか、と思われる様な口振りが時々ある。

 自分もそれは時々思う。何故だろう、と自問すれば答えは容易に出る。

 自分達は互いに嫉妬する程夫を強く愛してはいないのだ。

 無論頼りがいはある。子を沢山為しているくらいだから、身体の慣れもある。だが気持ちの方は、と言えば。

 ときめきは無い。

 自分の降嫁は父帝の決めたものだった。

 大殿の上は正頼の添い伏しだった。

 形の上での「恋」はあっても、全てそれはあるべきところに収まるためのものだった。

 それが悪いとは思わない。大宮にはそれ以外の人生は浮かばない。

 大殿の上も同様だろう。

 それ故に自分達はそれなりに仲良くやっている。正頼という男を挟まなければもっと楽しく女同士の楽しみを増やせただろう、と思う時すらある。

 だからあて宮は、彼女にとってはかなり厄介なことだった。

 確かに入内させられる程の姫ではある。仁寿殿女御もそのつもりで育て、実際、現在は中宮以上に帝の最愛の妻である。

 そんな仁寿殿の大君でも、あて宮程に懸想人が出ることは無かった。

 まるで「参加することに意義がある」とばかりに名乗りを上げた右大将兼雅も、当時は心底彼女を慕っていたらしい。他にもそれなりに文は送られてきた。

 だが今回は異様だ。

 特に実忠が彼女は心配だった。実忠自身もそうだが、実忠の思いの強さが大宮には困りものだった。

 恋するのはいい。だが何故そこまで思いこむのか。そこまで来るともう大宮の理解を越える。夫は「男はそんなものさ」といなすが、そういうものではない様な気もする。

 夫の昔の友とて、安心はできない。

 大宮はそう思っていた。


 ―――残っていたというのだ。血文字で何やら行人が書いたという恋の嘆きらしい歌が。

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