第2話 深夜

「これ、討伐の確認書と報酬の五千ゴールドです」

「ありがとう」


 そう言ってギルドの受け付けから書類と金貨の入った小袋を受け取る。


「それにしてもどうしたんですかサクトさん? スライム十体も討伐するなんて初めてじゃないですか。なにかいいことでもありました?」


 受け付けのお姉さんが小声でヒソヒソと聞いてくる。


「いや、べつに……」

「フフッ。もしかして彼女でもできました?」

「――っ! いやいや。そんなわけないじゃん」

「けど、顔がすごいニヤけてますよ」


 そう言われて窓ガラスへと視線を向ける。

 そこには鼻の下が伸びきった、しまりのない冒険者の顔が映っていた。

 ていうか俺だった。


「それで相手は誰ですか? ギルドの人?」

「さぁー、どうだろうね」

「えー、教えてくださいよう」


 受け付けのお姉さんが甘えたような声を出す。

 普段なら今のでゲロっただろう。

 けど、ごめん受け付けのお姉さん。

 さすがにギルドの人に『俺サキュバスが好きなんです』とは言えない。


「また、今度ね」

「もう、それ絶対教える気ないでしょ」


 受け付けのお姉さんから逃げるようにギルドを出た。






 深夜一時。

 こうして時計を見るのも何度目だろうか。

 夜の九時頃からずっとそわそわしていた。

 しかし、


「遅いなー」


 本当に来るのか?

 もしかして、からかわれただけ?

 うーむ。

 エロヴィスならありえる。

 サキュバスだし。

 いや、もうちょっと。

 もうちょっとだけ待とう。

 そう決意して、勢いよくベッドに座った。


「…………」


 それから一時間が経過した。

 エロヴィスが来る気配は一向にない。

 明日も朝八時からクエストだし。

 このまま待って、朝まで来なかったらお笑い草だ。ぜんぜん笑えねーけどな。


「はぁ……寝るか」


 電気を消してベッドへ潜る。

 メガネをはずして真っ暗な天井を眺めた。


「はぁ」


 またしても、ため息が漏れる。

 そうだよ……。

 けっきょく傷つくだけだから恋愛なんてしたくなかったんだ。

 

「はぁ」


 胸の中のドス黒い感情を消しさるために、まぶたを閉じた。

 こういうときは、寝たらいい。

 目が覚めたら、いつもの日常が待ってる。

 昨日がイレギュラーだっただけ。

 忘れろ!

 童貞を卒業できたんだ。

 文句なしじゃないか。

 そう、喜ぶことなんだ。

 童貞を卒業したんだぞ。

 あんな美女と!

 ……。


「はぁ……昨日に戻りたい」


 そんなバカみたいな独り言を呟いた――

 足音がする。

 とてもゆっくり。

 耳を澄まして、やっと聞こえるような小さな音。


 期待するな!

 そのまま、まぶたを閉じて寝ろ!

 違ったら悲しいだけだぞ!


 頭の中でそう聞こえる。

 そのとおりだ。

 いってることは正しい。

 だが、右手はメガネを探していた。

 上着を羽織って、急いで靴を履く。

 そして、勢いよくドアを開けた。 

 

 ――ドアの向こうには、傷だらけで地面に膝をつくエロヴィスの姿があった。


「エロヴィス! しっかりしろ!」


 急いでエロヴィスの元へと駆け寄る。


「……サクト」


 エロヴィスは、俺に気づき顔を上げる。

 クソッ、なんでエロヴィスがこんな目にあってんだ!


「来ちゃ、だめ」


 その瞬間、俺の背後から何かが飛んでくる音がした。

 音に反応して振り返ろうとした、その瞬間――

 何かが俺の頬をかすめていく。


 ザクッ!


「ああああああああああ!」

「――!?」


 すぐ側で悲鳴が聞こえる。

 エロヴィスへと視線を戻す。


 最初に視界に入ったのは苦痛に歪むエロヴィスの顔だった。

 その次は、太ももに突き刺さった短剣。

 太ももから赤い血が溢れ出す。


「あなたジャマですよ! 死にたいんですか?」

「――っ」


 短剣が飛んできた方向から声がする。

 すぐさま視線を移す。

 数メートル先に短剣を握るひとりの女の子の姿。

 月夜を照らす銀髪の髪。

 全身を護る金属鎧。

 背中の大剣。


「マジかよ……」


 その女の子を……俺は知っている。

 彼女の名前は、ルビア・ヴァゼット。

 ギルドマスター、グレン・ヴァゼットのひとり娘。

 もちろんギルドのメンバー。

 しかも、上級職『クルセイダー』である。

 だが、それ以上にマズいことがひとつ。


 彼女は、狙ったモンスターを必ず仕留める『モンスターキラー』の二つ名をもっているからだ。

 その二つ名のせいで、この先が容易に想像できてしまう。


 シュッ!


「――!」


 ルビアが手を動かした。そう認識したときには、彼女の手に短剣はなかった。


 またしても、俺の身体をかすめていく。


「うぐああああああああああああ!」


 その瞬間、エロヴィスの悲鳴がふたたび俺を襲う。


「――っ」

「二回目です。そこを退きなさい!」


 冷たく言い放たれたその言葉に怒りを覚える。

 俺は目の前の相手を睨み、


「やめろ! やめてくれっ!」


 そう叫ぶと、エロヴィスの身体を覆うように両手を広げた。


「……? わかってますか? そいつはモンスターですよ。……モンスターは敵です! 悪です! 害悪です! 絶対悪なんです!」


 目の前の女の子が憎悪と殺意を俺とエロヴィスにぶつける。


 相手は、上級職クルセイダー。

 冒険者歴三ヶ月の俺が敵うはずがない。

 頭では理解している。

 だが、今もなお聞こえてくるエロヴィスの悲鳴が俺を突き動かす。


「そ、それでも俺は退かない! 退くことはできないっ!」


 ルビアへと言い放つ。

 震える手をギュッと握りしめる。

 足の震えを必死に止める。

 びびるな! びびるな! びびるな!

 何度も自分に言い聞かせる。

 大丈夫。

 市民を攻撃するのは法律違反。

 そして、モンスターを庇う人間を攻撃するのも法律違反だ。

 だから、諦めてくれるはず――


「じゃあ、あなたごと斬るしかないですね!」

「えっ……」


 自分の耳を疑った。


 ――その瞬間、ルビアが姿を消す。

 いや、気づいたときには俺の真横。

 手を伸ばせば届く距離まで来ていた。

 ルビアの手には大剣が握られている。


「ちょっ、うそっ――」


 俺の言葉をさえぎるように大剣は振り上げられた。


 ――そして、躊躇ちゅうちょなく振り下ろされる。

 微塵のためらいもなく。

 頭上から、大剣が襲いくる――

 

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