第4話 未来の先に

「はぁ……はぁ」


 いったいどれだけ走っただろうか。

 一歩、また一歩と進むたびに、限界が近づく。

 エロヴィスを支える手は、感覚がなくなっていく。

 つらい。

 全身が鉛のように重い。

 それでも、立ち止まることはしない。できない。

 ダンジョンに着くまでは。

 

「……もう少し。もう少しで街を出るからな」


 エロヴィスは、俺の言葉にコクリとうなずく。


「痛いだろうけど、まだ『マナ』は温存しとけよ」


 コクリ。

 

 冒険者に就職するとき受けた講習を思いだす。






 『マナ』

 モンスターだけが持つ、特殊なエネルギー。

 攻撃、強化、弱体化、治癒。

 消費するマナの質と量によって、さまざまなスキルを可能にする……らしい。

 

 エロヴィスの太ももに視線を移す。

 太ももには、二本の短剣と滴る血。

 くっ……あれだって、マナを消費すればすぐにでも治癒できる。

 だが、マナの使用はダンジョン内しかできない。


 マナとは人間でいう酸素。

 消費すれば、新たに取り込まないと生命維持ができない。

 そして、マナが存在するのはダンジョン内だけ。

 だから、モンスターたちはダンジョン内で生活する。

 自分たちになにかあってもマナが使えるように。

 

 俺は、一刻も早くマナを使うためにダンジョン、特にマナの濃い洞窟を目指す。


 治癒スキルはマナの消費が激しく、洞窟のようなマナの濃い場所に存在するモンスターしか使わない。

 なので、俺のような初級職の冒険者は立ち入り禁止なのだが、そんなこといってられるか。


「洞窟に着いたら、治癒してすぐ寝ろよ。俺が見張りしとくから」

「けど……サクト……も、休まないと」

「いいから。喋るなよ。しんどいんだろ」


 コクリ。

 

「待ってろよ。絶対に洞窟まで行くからな!」


 コクリ。

 エロヴィスの顔をチラリと覗く。

 彼女は、俺の言葉に頷いて少しだけ笑顔を見せた。

 その笑顔は激痛に歪み、痛みで噴き出す汗まみれ。

 呼吸をするのも苦しい。 

 そんな状況で、彼女は笑顔を見せた。

 胸が熱くなる。

 どうしようもなくいとおしい。

 エロヴィスを支える手に、ぎゅっと力を込める。

 一秒でも早く進めと足を上げる。


「あと少し! あと少しで街を出るぞ!」


 そう口にして、建物の角を曲がる。


「――!」


 大きく口を開けた門が視界に入る。

 門を隔てた向こう側には、ダンジョンが見える。


「……よかった! とりあえずダンジョンに着いたぞ!」


 まだ、通過地点だというのに、声が自然と明るくなっていく。

 背中にいるエロヴィスへと振り返る。


「……ありがとう。サク……ト」


 そう言ってエロヴィスが涙を溢す。


「――!? 痛いのか? ダンジョンはすぐそこなんだ! だから頑張れエロヴィス!」


 再び前を向く。

 早くしないと――


「うっ……ちっ、ちがっ」


 エロヴィスが俺の服を強く掴む。


「っ、ずっとひとりだったから……こういうのに慣れてないの……」


 彼女の涙が俺の肩を濡らす。

 俺は前を向いたまま、


「ったく、まだ着いたわけじゃないぞ」


 そう言って軽く水を差した。

 いや、俺の行動に涙を流す彼女を見るのが照れくさくて、つい隠そうとしてしまった。


 そうして、俺たちは門の前までたどり着く。

 どれだけ走っただろうか。

 なんとか逃げることができた。

 これもシグマのおかげだ。

 あいつの無事を祈りながら、門をくぐる。


「……?」


 あ、れ?

 門をくぐろうとした足が地面につかない。

 前へ進もうとした身体が地面へと倒れる。

 衝撃を軽減するため、本能的に両手が動く。


 ――バタンッ!


 両手が地面と俺の身体に挟まれる。


「……いってぇ」


 痛みに耐えながら顔を上げる。


「ああああ、ううっ……」


 目の前でエロヴィスも倒れている。

 彼女は痛みに顔を歪めて、うめき声をあげていた。


「ごっ、ごめん」


 咄嗟とっさに苦しむ彼女へ手を伸ばした。


「――っ!」


 そのとき、いいようのない痛みが俺を襲った。

 今まで耐えていたのとは、比べものにならないほどの激痛。

 

 あああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああ。


 痛覚がすべてを支配する。

 頭の中は痛みに耐えることだけ。


 いたい。

 いたい。

 いたい。

 いたい。

 いたい。

 いたい。

 いたい。


「サ……ト。……が!」


 エロヴィスが、何かを叫んでいる。

 だが、どうでもいい。

 痛すぎて聞き取る余裕なんてない。

 とにかくこの苦しみから開放されたい。

 あし、あし、あし。

 足の痛みをどうにかしたい……。

 足の痛みを取り除きたい、と自分の足へと手を伸ばす。


 ……?

 冷たい水のようなものが手を濡らす。


 なんか濡れてる。

 それに、ここから――

 

 脳みそが痛みで混線するなか、自分の足を何度も触る。

 何度も何度も何度も。

 あるのは、手を濡らす感覚のみ。


 腕を突き立て、上半身を軽く起こす。

 そのとき、視界に入った自分の赤く濡れた手がすべてを物語っていた。だが、それでも確認する。

 もう、それしか俺にできることはなかった。


「――っ!」


 目を見開く。


 ない……。


 右足。


 膝のあたりから先が――

 

 その光景をの当たりにして仰向あおむけに倒れた。


 ひとりの男が俺の頭上に現れる。


「ま……は、お…………らだ」

 

 何か言ってる。


「…………て!」


 横でエロヴィスが叫ぶ。


 うるなさいな。

 少し静かにしてくれ。

 もう何も考えたくない。


 俺の頭上で男が剣を突き刺そうと――  






「グフッ、ゴフォッ」


 口のなかが水のようなもので溢れかえる。

 苦しくて呼吸ができない。

 俺の意思とは関係なく口のなかが満たされていく。

 誰かが目の前にいるが、ぼやけてわからない。

 メガネ……かけてるのに……。

 なんにも……みえ。

 まぶた……落ちて……。


 ……。

 

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