伏線だらけなのに回収しない

僕は静かにコンセントを抜いた。


そしてコンセントの裏側に輪ゴムをひとつ引っ掛けて、挿し直す。コンセントと壁の間にわずかばかりの隙間ができる。


「よし、と」


僕は部屋をグルリと見回す。

清潔に整えられたワンルームの部屋は白を基調として、木目の家具たちが美しく調和している。自然さを前に出した落ち着く部屋だ。


一点、不似合いな大型テレビを除いては。


僕は慣れた手つきで引き出しからプラスティック製の黒い箱を取り出す。そして自分のスマートフォンでアプリを立ち上げ、その箱へ近づける。


ピピッと電子的な音がする。


「これでオーケー」


それから僕はキッチンへ行ってヤカンを火にかける。お湯が沸くのを待っている間に、マグカップへインスタントコーヒーの粉を入れる。そうしてヤカンがピーという音をさせ沸騰を始めるギリギリ手前で火を消して、その場を立ち去る。


なるべく自然に部屋から出て行く。

まるで自分の住んでいる部屋のように。


玄関の扉を閉めた瞬間、廊下の角から突然、彼女が姿を現わす。


「あれ?」


「残念でした」


「バレちゃってたか」


「バレちゃってるも何も。あなた定時で帰ったでしょう」


「やっぱり変だった?」


「やっぱりどころじゃなく。周りの人たちもあなたが帰ったあと、ザワついてましたけど」


「いやぁ、張り切り過ぎちゃったか」


「ところで私の部屋の前で何してるの?」


彼女は左手にキーホルダーを持っていた。そのキーホルダーには見慣れた黒い箱が付いている。手のひらに収まるほどの黒くて四角いプラスチックの箱。


箱には小さなスイッチが付いており、一部が赤く点滅している。


「いやぁ、待ち合わせの前に一度、部屋に戻るだろうと思ってたから。君の家は会社から近いしね。部屋の前でサプラーイズ、なんて」


「バカねー。ふふふ」


彼女は少し嬉しそうに笑う。


「ところで、君の部屋、鍵が開いてるみたいだったけど?」


「え!?やだ、閉め忘れちゃったのかしら!」


「不用心だなぁ」


「部屋の中...見た?」


「まさか。そこまで図々しくないよ」


僕は両手を顔の前に挙げて、彼女に振ってみせる。

彼女は目を細めて、冗談交じりで僕のことを怪しんでいる。

でも僕は背中に脂汗をかいている。


「...まぁ玄関を開けて、中はちょっと、見えちゃったけれど」


「あぁ良かったぁ。それくらいなら」


「許してくれる?」


「鍵をかけ忘れる私がいけなかったのよ。でも良かったぁ。私の部屋とんでもなく汚いのよ。もう全然、人を招けるような状況じゃなくて。ね、ちょっと、ここで待っていてくれる?すぐ支度してくるわ」


「え?」


「なに?」


「もう十分に君は綺麗じゃないか。そのまま行こうよ」


「あら、ありがとう。でもどうしたの?そんな急に慌てたような」


「慌ててるかな」


「さぁ。でも急に褒めたりして」


「思ったことを言ったまでだよ。君と早く出掛けたい。君はすぐって言って三十分は出てこないだろ?」


「まぁ、それを言われると言い返せないところがあるわね。じゃあカバンだけ。会社用のは資料が入ってて重いのよ」


「僕が持つよ!」


「持たなくていいわよ?置いていけばいいんだから」


「君は部屋に入ると長いから」


「うーん、怪しいわね」


「そうかな」


「あなた、私の部屋に入った?」


「入ってないってば」


「何か見たの?」


「何かって?」


「見たでしょう?」


「例えばミイラになった前の旦那とか?」


「悪くない予想ね」


彼女は手元の黒い箱をギュッと握る。箱にはスイッチ以外に小さなボタンのようなものが付いているのがわかる。彼女の親指がその上をなぞっている。そっちできたか。僕はそれを見て鳥肌を立てる。


「わかった!正直に言おう!」


「そうよ、言ってちょうだい」


「玄関の裏側に在るものを置いてある」


「あるもの?」


「それ以上は言えない。でも君は今日、なんで僕と出掛けるんだっけ?」


「それはお祝い...あ、まさか!」


「君のお祝いの日に申し訳ないんだけれど、僕にワガママを言わせて欲しいんだ。家にはまだ帰らないで欲しい。そして君のその重いカバンを僕に持たせて欲しい」


「ふふーん。そういうことだったのね」


彼女は目尻を思いっきり下げて、ニヤニヤしながら自分のカバンを僕に渡す。キーホルダーは自分のポケットにしまってしまった。

まあでもカバンは僕の手元にきた。


彼女は別のポケットから財布を取り出し、そこから家の鍵を出す。玄関の鍵を閉めて、きちんと錠がされたか確認もする。


「よし、と」


僕と彼女は目を合わせる。そしてふたりで微笑み合う。


「車で行こう。レストランの予約をしてあるんだ」


「嬉しいわ」


「君の好きそうワインもいくつか取り置いてもらってある。好きなのを飲むといい」


「最高」


僕たちはふたり、帽子を目深に被り、サングラスをかける。腕を組んで歩く。


「珍しいわね。腕時計なんて」


「そうかな」


僕たちはマンションの前にとめておいた白いスポーツカーに乗り込む。


出発する前に僕は少しだけスマホを確認するフリをして「領収証は後日」とメッセージを送る。

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