話し方に揺らぎがある
道彦はキッチンで料理をつくる雪子に話しかけた。
「なぁ、雪子。ちょっといいか?」
「なぁに、どうしたっちゃ?」
雪子はネギを細かく刻んでいた手を止める。コンロでは味噌汁がもう出来上がろうとしている。雪子は振り向いて道彦を見る。道彦は仕事終わり、ダイニングで缶ビールを飲んでいる。
「俺たちも結婚して長いこと経つな」
「おう、そうだっぺな」
「思えばさ、最初は美大生だったおまえが、絵画館前で、いちょう並木を絵に描いてるところをさ。俺がからかったのが始まりなんだよな」
「そうアルネー、いきなり、俺がモデルやろうか、とか言っちゃってネー。突然でネー。私もネー。びっくりしちゃったアルネー」
「いやあまりに美人がいるから、何か話しかけなきゃって思っちゃってさ」
雪子がいたずらな笑みを道彦に向ける。
道彦は自分が言ったセリフが急に恥ずかしくなって手元の缶ビールを見つめる。
「でゅふー。やっぱりふふふー。道彦氏はオイラにぬふんフー。ひ・と・め・ぼ・れーでしたでゴザルかぁー!ふぉっふぬふぉほー」
「いや、まぁ、うーん。まぁそうだったかなー?」
道彦は顔を赤くしてビールをグイと一息で飲む。
雪子は満足したように、ふたたびネギを刻むのにとりかかる。静かな台所にトントンと包丁の小気味良い音が鳴っている。あたたかな家。
つい先日、ひとり息子の正人が結婚相手を連れてやってきた。道彦も雪子も、その相手をとても気に入った。とても慎ましくて出来た女性だった。道彦も雪子も少し緊張しながら彼女を受けいれ、ふたりの幸せな決断を祝福した。向こうの家族との顔合わせも日取りを決めた。
お腹にいた頃から愛を注ぎ、幼少期、小、中、高、そして大学生となり、無事、就職まで育てあげた感慨深さ。息子の正人はたくさんの戸惑いと驚きと、溢れるほどの幸せを自分たちにくれた。正真正銘の愛息子だ。素晴らしい相手を見つけ、いよいよ子供が巣立つ時がくるんだなと、道彦も雪子も考えた。
挨拶で息子が出ていったあと、就職してひとり暮らしを始めたときよりも、家の中が静かになったように感じた。いよいよ子供が片付いたんだなという雰囲気がある静けさだった。その静けさは寂しさではなく、これから訪れるであろう幸福の予兆のように思えた。不思議と心満たされた静けさだった。
そんな中、道彦は連れ添った雪子を改めて見つめ直す。
「本当さ、昨日のことみたいだけど、30年も前の話なんだな。あのいちょう並木のことは」
「ふふふ、そうだ。余と其方が邂逅し、最早、30年の月日が経とうとしておるのだ。光陰矢の如しとはこのことよ、ふっふっふ」
「俺さ、正直なところ、見てくれも良くないし、気の利いたことも言えないし、あのとき以外は女性に話かけたこともない度胸なしだよ。それがなんであの時は、おまえが俺なんかにかまってくれたのか、いまだに不思議なんだよな。変なこと言って話かけちゃってさ。自分でも焦ってたくらいなのに」
雪子は「はいはいはいはいはいー」と微笑む。
「あれはね」雪子は味噌汁の隣にある、肉じゃがの鍋の蓋を開けて、なかの様子を見る。
「ฉันตกต่ำในเวลานั้น ดังนั้นบางครั้งฉันต้องการทำสิ่งที่แตกต่าง」
「そうだったのか?じゃあ偶然、俺なんかに付き合ってくれたってことか」
「んーまぁ偶然っていえば、偶然だけど〜。でも道彦さんのことぉ〜。描いてるときにぃ〜。いろいろお喋りしてたらねぇ〜。あぁなんか良いなぁ〜って。そう思えたんだぽよぉ〜ん♪」
「そうか、あの時……なんか、運命みたいだな」
「不思議だよな!!!人生ってさ!!!」
「俺は本当、雪子に会えて良かったと思ってるよ」
雪子は肉じゃがの火を止めると、少し慌てたように道彦を振り返った。
「ウェイウェイウェイ!なにーーーー道彦ちゃーーん!?どうしちゃったのーーー?突然そんなサァーーーーーー!?スッウィートなヴォイス聴かせちゃってさぁーーー」
「いやぁ、今みたいなときじゃないと、言えないと思ってさ。俺は本当に運がいい男だよ。雪子みたいな出来た女性と出会えたんだから。いろいろあったろ?俺はそんなに稼ぐ方じゃないし。絵を描きたいおまえのこと分かってても、好きにはさせてやれなくてさぁ。申し訳なかった。でもおまえはいつも笑顔で正人のことを愛してくれた。俺のこともずっと支えてくれた」
「それは貴殿(以下甲)が必要な勤めを果たし、家計に過不足ない程度の貢献を長期間に渡って行っていたことによるものであって、弊社(以下乙)はその貢献に見合う形で自身の労力を提供していたことによることと主張する。よって甲は乙に必要以上の感謝を受け渡す義務はない。ただし権利は剥奪しないものとする」
「だからさ、改まった感じで変だけど」
「変とかwww」
「まぁ言わせてくれよ」
「べ、別にアンタが言いたいっていうなら言わせてあげなくもないけどっ!」
「ありがとう、雪子、愛してるよ」
道彦は雪子の目を見て微笑む。お酒に強くない道彦はビールに酔ってしまったのか、それとも恥ずかしさが勝ったのか、顔を真っ赤にして雪子を見つめていた。
雪子は思わず涙した。
慌てて近くにあったティッシュで涙を拭く。
道彦も感極まってか、目を潤ませている。
「ううん、私こそ、ありがとうね。こんな変な話し方の人間をここまで愛してくれる良い男、世界中探したっていないよ。道彦、本当にありがとう」
「何言ってんだよ。話し方なんて些細なことだろ?」
「DA〜YO〜NE〜〜〜⭐︎」
その日は木枯らしが吹いていて、深夜には今年、初めての雪が降った。夜の間、しんしんと降り積もる雪。でも道彦と雪子の心の中が冷えることはない。彼らは温かい。ふたりの心は、愛の積み重ねだけがもつ、本当の「温かさ」を宿している。
ごはんが炊ける。
空っぽの、二人だけの家でふたりは笑って肉じゃがと味噌汁の夕飯を食べる。
初雪の冷たさがふたりの幸せをより一層、際立たせている。
「これからも幸せに生きていこうな、雪子」
「押忍!!!いっちょやってみっか!」
End.
面白くない物語 例集 遙夏しま @mhige
★で称える
この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。
フォローしてこの作品の続きを読もう
ユーザー登録すれば作品や作者をフォローして、更新や新作情報を受け取れます。面白くない物語 例集の最新話を見逃さないよう今すぐカクヨムにユーザー登録しましょう。
新規ユーザー登録(無料)簡単に登録できます
この小説のタグ
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます