第16話
ニールは周囲に転がっていた投げナイフを少女に向かって投げた、当てるつもりはない牽制だったが、少女はその軌道をじっと見て微動だにしなかった。
当たらない投げナイフに一瞥をくれた後は、ニールを敵と認識したのか身体をむけている、その姿にニールからは隙が見当たらなかった。
次にニールは手に持ったナイフで切りかかってみた、小柄な少女であれば力押しで行けば勝てるのではないかという考えだった。
だが最初に接敵した時がそうだったように、力が弱いなりの体さばきでうまくいなされていたので、あまり期待もしていなかった。
そしてニールの予想通りに、少女は力勝負に入らせないよう器用な足取りでその勢いを殺しながら後ろへと下がっていった。
霞に切りかかっているような錯覚を覚えた。切りかかっても切りかかっても手ごたえがなく、避けられるか受け流される。
手を伸ばしても届かない、だからといって気を緩めればそれを察知するのか、間を詰めてくる姿は脅威にすら感じた。
短剣もその軌道をそらす程度にしか使われていない、それが実力の差だと言っているかのようにも見えてニールは歯噛みをした。
いったん距離を取ってクロウの方を向いた。
クロウがどうにかすると言ったので賭けてみたが、その方法までは聞いてなかった。
そしてニールは自分の目を疑った、クロウが使おうとしている魔法はニールにも見覚えのある基礎的な魔法だったことに。
「おい、それ初級魔法じゃねえか」
クロウが使おうとしていた魔法は捕縛するための魔法だったが、初級魔法ということもあって本来は小動物などに使われるものだった。
実践に用いるにはもう少し上の知識が必要な魔法がある、戦場でもニールがその魔法を見たことは一度としてなかった。
何故なら人間を捕らえるにはその魔法では不十分と思われるほどに強度が低い、それは魔法について良く知らないニールでさえも知っていた。
「そんなんで捕まえられるかよ」
自分の判断を誤ったかと思った、初級魔法は発動に時間もそれほど掛けないことが特徴なのに、クロウは未だに準備をしているのだから。
魔法に詳しいとアルダに聞いていただけに、その状態が不自然にしか見えなかった。
「大丈夫だから、信じてくれ」
そういったクロウの目は真剣だった、勝算の分からない賭けをしているような目には見えず、ニールはその目を信じることにしたが不安はぬぐえなかった。
どちらにしろクロウがいなければニール一人では太刀打ちできそうにない相手なのだとわかっていた、信じざるを得ない状況だった。
クロウは魔法を組み立てていく、構成術式が基礎からわかるとそこに手を加えることができる。
先人たちの研究の粋が中級、上級、といった魔法の形態を形作っていたが、クロウは初級魔法から組み替える事であらゆる魔法を使うことができる。
だからでこそクロウは緊迫した今の状況であってもルトラのように手早くかけることができない、ニールに時間を作ってもらう必要があった。
「捕縛範囲を人一人分に、術の強度は大の大人でも破れない強度に、投擲速度は変更なし、形状はひも状に」
クロウでも初級魔法で通用すると思っていなかったため、魔法をその場で作り変えていた。
ただその間は完全に無防備になる。
そして口に出しながらでないとクロウは魔法を構築できない。
ゆえにクロウは、初級魔法以外は一度に複数の魔法が使えなかった。
学園で戦闘技術が低いと言われた原因はクロウも知っていた、戦闘中に魔法をおいそれと切り替えたり、臨機応変さがクロウにはなかった。基礎をそのまま擦りこむ様に勉強こそしたが、それを生かすすべを知らなかった。
クロウ自身考えたこともある、あのまま学園に居られたらこの問題も解決できたのではないのかという考えを。
そんなクロウでも魔法の術式を一から組み立てるのは難しく時間がかかる、元々用意された理論を用いればそんな面倒なことをする必要はなかった、だがクロウは途中で学園を追い出されたので、その中級や上級までの理論を勉強することができていない。
中にはかけられた状態異常や、今クロウやニールをまとっている強化魔法を解除する魔法もあるとは耳にしたことがあったが、それはまた聞き程度のもので、その実態も知らなかった。
後悔ばかりしながらも、だけどいま考えるべきはそうではないと思い立った。
無いものはしょうがない、今やれることをやろうと、その魔法を構築していく。
その間もニールと少女が肉薄している様子がクロウには見てとれた。
少女は向かってくる相手を優先的に攻撃するのか、クロウの方には目もくれずニールを迎撃していた。
そして目に見えるようにニールが押され始めているのも分かった、投げナイフこそなかったが、手数の多さで圧倒しているニールが、徐々にその攻撃を受けきれなくなるのが見えて、さっきまでのクロウ自身と被って見えた。
ニールにとって少女はやりづらかった、それは傷つけないことが理由だとか、そういったものではなく、自分よりも小さく、すばしっこい敵を相手にしたことがないからだった。
基本的には大人、それも荒くれ者だということが多い。
用心棒として雇われた人を切り伏せたりしたこともある、そんな相手でもニールはそこまで苦戦はしなかった。
自分よりも手足が長い人間や、手の届かない場所から攻撃をしてくるといった存在とも何度だって戦い、勝ち続けてきた。
だが懐に入ってくる小さな子供と闘うのは初めての経験だった。
攻撃範囲は狭いが、その分小回りが利く、一突きしてきたかと思えば、すぐに第二撃が来る。
腕を引く距離が短いからでこそ次への転換が早い、そして最初に考えていたものとは違う、少女のものとは思えないような怪力がニールを苦しめた。
魔法で身体能力を上げているわけでもない、純粋な身体能力だった。
その小さな体のいったいどこにそんな筋力が隠されているのかと思うと、乾いた笑いしかこみあげてこない。
少女の事を化け物だと形容していたニールだったが、得体のしれなさに額から汗が流れる。
すべてが謎だった、その技術の高さも、身体能力の高さも、不自然な動きの原因も。
だけど一つだけ説明できる言葉があった、少女が操られているということですべてがつながる。
その怪力も無理やり引き出されているとすれば、少女の方にも負担があるはずだし、それが長くは続かないだろうと思っていた、だがその前にこちらがやられては元も子もないと、徐々に押され始めていたのもニールは良く分かっていた。
受けそびれた短剣がかすめる、最初は毒のようなものを警戒したが、ボロボロなクロウが普通に動けることや、ニール自身動けている事でその心配はない、そもそもそんなものに頼らずとも十分なほど強かった。
クロウに言われたその短剣を、ニールも何とかして奪ってみようと試したが、少女は動きを止めないような短剣の振り方をしている、流動的ですべての動作が流れるようなもので、そこに手を差し出す勇気はニールにはなかった。
差し違える覚悟があればなんとかなるだろうかと考えた。
能力的に劣っていたとしても、体格や質量的な差は力では覆せないだろうと。
そしてその考えを一瞬でニールは捨てた、誰だって死にたくない。
アルダだってそんなことを望んではいないと。
14歳くらいに見える少女、そしてその身に叩き込まれたであろう技術などは、その年の少女が覚えていいものではない。
どう見ても少女が裏の世界の人間だとわかり、ニールの頭の中をアルダの言葉がよぎった。『裏の世界の人間は時に常識を覆す』それは何度か聞いたことがある言葉だったが、実際に目の当たりにして初めてわかったことだった。
悔しいが、一人では相手をしきれない。
頼みの綱であるクロウの様子を伺いたかったが、そんな余裕を与えてくれるほど甘い相手にも見えない。
だいぶ疲れてきた、どうして自分よりも小さい子供の方が俊敏に動き、疲れも見せないような様子なのか、これが才能の差とでもいうのかと。
「いける、捕まえてくれ」
心が折れかけているニールにクロウからの合図が聞こえた。
既に身体が悲鳴を上げ始めていたニールだったが、ここ一番とその瞬間に力を振り絞り少女へと突貫していった。
不穏な気配を感じたのか、少女は思いっきり後ろに飛び、距離を取ろうとした。
「逃がすか」
ニールは距離を詰めるようにもう一歩踏み込み、その腕を掴んだ。
やっと手が届いたとニールが喜んだのは一瞬で、次の瞬間に少女のものとは思えない拳がその腹に入った。
一瞬だけ体の中の空気が叩き出されるような感覚を覚えたが、それでもニールは手を緩めない、それが才能に負けない唯一の根性というものだった。
抵抗は予想できていたので備えていた。
ニールを振り払えなかった少女に初めて焦りのような、感情の色が見えた気がした。
クロウが少女を捕らえるのはその一瞬で十分だった。
飛翔体が少女にぶつかり、縄上の魔法がその身体を縛った。
身体を三か所縛り、手足を完全に拘束していた。
もがきその魔法から抜け出そうとする少女が遠目に見え、魔法が決まったのを確信したクロウはすぐさま近寄って行った。
「やるじゃねえかクロウ」
ニールの賞賛の声を素直に嬉しく思いながら、まだ油断は出来ないと少女の様子をよく観察していた。
直立不動の姿勢のまま地面に横たわっていたが、それでも決して短剣だけは手放さなかった。
地面に倒されたのに表情一つ歪めない少女に不気味さも感じていた。
そして少女を上から見ていると、みるみる間に魔法の縄にヒビが入っていくのが目に映った。
「嘘だろおい」
ニールの声が横から聞こえ、クロウ自身同じことを考えていた。
大の大人でも砕けないはずの魔法を、小さな少女があっという間に砕こうとしているという異常事態に。
その方法が力なのか、それとも何か別の魔法なのかは分からなかったが、ゆっくりと魔道具を調べるだけの猶予はないことしかクロウには分からなかった。
そして短剣を観察してみると、それは装飾がついていた。
素材は分からないが軽そうで、その刃が体に何度か触れて知っていたが、切れ味が鋭い短剣だということくらいしか分からない。
短剣の鍔の部分に小さな石が埋め込まれているのに気づき、その石を注意深く観察してみるとそこから魔素が漏れているのが分かった。
だけどそれ以上の情報は得られない、魔素からある程度の魔法を分析する能力はあったが、クロウには見たことがない魔法だった。
「中級か、上級か、それとも何か別のものか」
クロウも専門家ではないとはいえ多少の知識があったからでこそ、何とかできると思っていたが、未知の魔法に、それを調べる時間がないことがさらなる焦りを生む。
さらに拍車をかけるように、魔法に入ったひびはどんどん大きくなっていく。
「お、おいどうすんだ」
ニールが言うまでもなく、クロウも困り果てていた。
魔法が砕ければ恐らく次はない、同じ手段が通用するような相手ではないこともクロウはわかっていた。
それ以上観察しても少女に掛けられている魔法の正体は判明しない。
最悪の状況は拘束が破られて、また戦うことになった場合だ。
ニールは肩で息をするほど疲弊している、クロウもだいぶ息が上がってきている。
少女は少し呼吸音が荒くなっていたが、それは拘束魔法から逃れようとしているからであり、根本的には疲れていないようにさえ見えた。
クロウは最後の手段に出ることにした。
「ニール少し離れてくれ」
クロウはニールを少女から離した。
クロウはもう一度短剣を見た、少女は決して離そうとせず、その怪力で無理やりに剥がすこともできない。
短剣の素材自体は脆そうに見えて、違う方向から力を加えれば簡単に砕けると思った。
短剣を手放させることも考えたが、もしその時にクロウが手にしてしまった場合、その魔法がクロウにかかってしまう可能性もあった。
「もし俺がおかしくなったらすぐにぶっ飛ばしてくれ」
「ああ、何言ってんだおまえは」
クロウはある程度予想を付けた、この魔法の正体は何だろうかということに。
屋敷の外で会った少女はつかみどころのなさを感じはしたが、此処まで冷酷無比な様子ではなかった。
少女は魔法に抗っている、つまり少女の意識は残っている。
心を壊す魔法ではない、もしそうだったら既に詰みだった。
魔法にできる事には限界があるが、中にはその危険性から使用を禁じられた魔法もあると聞く。
その類ではないだろうかと。
クロウは自分の武器を腰から取り出し、その溝に少女の短剣を挟み込んだ。
そうすれば素手で触ることはないからだった。
仮に短剣に込められた魔法が、禁断の魔法だとして諦めるのか、クロウは自分に問いかけた。
そしてその短剣の柄の部分を、クロウは手甲を思いっきり振り下ろした。
短剣の砕ける音が響き渡った。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます