第5話

 クロウは自然と目を覚まし、天井を眺めながら、昨日のことを思い出していった。


 クロウが医務室に戻ってきたとき、壁に掛けてあった時計をみると、思っていたより時間が経っていたことを知る。聞いた話によると、他の仲間がいる場所はこの本部ではなく、別の場所に支部があるらしいが、この本部から移動するには少し遠いらしく、リーサの提案でここで一夜を過ごすことになった。クロウは空いている部屋の一つに案内され、そしていまベッドの上で横になっている。


 上体を起こしてあたりを改めて見渡す、部屋の中にはクロウ以外に誰もいない。窓のない部屋に、机や寝具といった必要最低限のもの以外何もなく、誰かが住んでいるという生活臭がなかった。そのことをクロウはそれほど不思議に思っていなかったのは、前日に何度か施設内を移動している間に、幹部と名乗る彼ら以外には誰ともすれ違うことも、見かけることもなかったからだった。


 クロウにとってイルシヲは、その組織自体に謎が多い存在だった。一般人の認識だと、壁に張られた手配書にあるような、犯罪集団そのものだと考えられる。プロキシで同僚たちの話にもたびたび出てくることこそあったが、それも同じようなものだった。そしてクロウの記憶が正しければ、イルシヲが手配されているその罪状は反逆罪と書かれていたはずだった。だがいま改めて考えてみる、反逆とは、何に反逆したのかということを。それまであった価値観が、根底からひっくり返されたいま、クロウの中にあるイルシヲのイメージは、騎士団の物と同様の物になっていた、人々を守り、悪をくじく、そんな大雑把な印象に塗り替えられていた。


 クロウは今日何をするのか知らなかった、そもそも伝えられていない。昨日の夜に、アルダから朝迎えを寄越すと言われていたので、待っていればクロウの部屋に誰かが来てくれるということはわかっていた。ただ何の備えもなしで行くにはクロウは心細かった、それはクロウが感じていた、アルダとの歴然とした差が不安を呼び起こしていた。このイルシヲの中で、クロウがいま唯一絶対的に信じられたのはアルダの技量だった、それはかつて指導を受けたことがある、騎士団の人間よりも高いと感じていたからでこそ、クロウはいまの実力でやっていける気がしなかったのだった。


 部屋に供えられていた時計を見ると、迎えが来ると言われていた時間まではまだ余裕があった。クロウは軽い柔軟を始める、それは毎日日課にしていることで、小さいころからやっていることでもあった。そして普段よりも念入りにやっていくと、目が覚めてきたのか、頭の方もすっきりとしてきた。


 頃合いだろうとクロウが考えると、ベッドの上に座り目をつむる、頭の中にいま自分が思い描く、もっとも強い人間を想像する。そして実技の訓練を想定して、頭の中にもう一人の自分を思い描き、それを動かす。今までそこに描かれていたのは、この訓練を教えてくれた騎士団の人間であるルイスだった。初めて訓練を受けたとき、クロウは憧れが目の前にいることがわかると、その夢がすぐ近くにまで来ているのだと興奮し、そして手合わせをして、現実を知った。

 クロウは勉強や知識といったところ、また魔法の技量では学園でも上位に食い込む存在だったが、実技がまるで駄目だった。それでもどうにかできないかとルイスに懇願したところ、この訓練方法を教えてくれた。


「実際に身体を動かすことが最大の経験値ではあるが、学生の身分ではそれも無理がある、そんなとき頭の中で訓練をすることができる」

「それをすればどうなるんですか」

「あらゆる想定をできるようになる、もしかしたら相手は何か隠し玉を持っているかもしれないとか、すごい人だと相手の手の内が見えてくるようになったりするとも聞いたね」

「どのくらいすればそうなるんですか」

「分からない、ただ毎日続けなければあまり意味がないということは、私も教わった時に聞いた、そういわれたはずなんだけどね、どうしても毎日とはいかず、良く日が飛んだりしたものだ。だけどこの訓練が無駄ではないということを、いまは自分が体感しているよ、それに、頭の中でならいくら斬られても痛くないからね」


 クロウはその話を聞いてからこれまで、一日と欠かさず毎朝瞑想を続けてきた、ただ信じ、ただ追い求め、あと一歩のところまで来ている自分の夢がそのときクロウを動かし続けていた。その夢も潰えてしまったクロウだったが、この訓練だけはやめなかった。それをつい昨日実感したからだった。

 だけどクロウは一つだけ、ルイスが嘘をついていたことを知ったが、その嘘を追求することはできなかった。それからルイスと会うことがなかったからだ。ルイスは一時的に学園生の指導に出てきただけらしく、それ以降に学園を訪れることはなかったのだ。恐らくは騎士団としての仕事をしているとクロウはわかっていたが、確認できないもどかしさをずっと抱えていたが、いつの日か気にすることをやめた、本当は言わなかっただけなのではないのかと。


 瞑想とはいえ、頭の中とはいえ、たとえ一言も喋らないとしても、その見知った姿に出会えるのであれば、たとえそれが錯覚であっても寂しさが紛らわされるのではないか、そんな思いもクロウの中にはあった。いまクロウのいる立場は、混乱を極めた場所にあった。そんなクロウがどこかに心のよりどころを求めるのは自然の流れでもあった。


 そしてクロウが頭の中で思い描いた訓練相手は、ルイスではなく、アルダになっていた。特徴的な赤い髪に、自分より少しだけ高い背、そしてそれ以上に大きい大剣。クロウはルイスのことを忘れたわけではなかった、いまでも思い出せるすらっとした長身に、一般的な長剣、立っているだけで堂にいった様子が見てうかがえる、大事なことを教えてくれた恩師だということも覚えている。だがそんな畏敬の念などもひっくるめて、アルダのあのひと振りはクロウの中を塗り替えてしまったことを、その時になってクロウは理解した。


 想像の中のアルダは、常に構え続けており、クロウが近づくと上から一振りをする人形のような存在だった。だがそのキレ、迫力、その全てがそのまま残っている。それはクロウの中の心残りを、ここで解消しなければならないということを、無意識で考えていたのではないのだろうかと。ずっと心残りなことがあった、もしアルダのあの一刀を受け流し損ねたならば、いやもし相手が本気で殺す気でいたならばと、アルダが切り伏せるのは容易いことだろう、ガルムとアルダの戦いを見て、その間に行って入るそんな考えを思いつかせないほどに違う世界の戦いにさえ見えた。そしてその高みに挑みたい、そういった思いもあってかアルダが現れたのだと思うと、クロウはやる気に満ち溢れていた。



 扉をノックする音が部屋に響いたがクロウは気づかなかった、頭の中のアルダをどうやって打ち倒せばいいのか、守ることもない、仕掛けてくるわけでもない、ただその頭上からの一振りだけでクロウの仕掛けは全て潰される。それはもはや意地のようなものになっていた、すでに訓練ではなく、自らの矜持をかけた戦いになっていた。クロウの頭の中の事情など知らないアルダは、ノックをしても返事が返ってこないことを不思議に思い、勢いよく扉を開き部屋に入ってきた。


「いないのかな……え」


 ベッドの上で目をつむって座るクロウを見て、アルダは驚いた、部屋に入るまで人の気配は感じられなかった、それどころか部屋に入って、正面にクロウをとらえた今でさえ、この部屋には誰もいないと思わせるほどの静寂さが漂っていた。

 たとえどんな人間でも気配は発しているもので、それを敏感に感じ取るアルダにとって、人がいるのに誰もいないといった感触は、未知の物だった。

 瞑想の奥深くに入っていたクロウはアルダの声に反応できなかった、アルダはクロウが寝ているのかと思って近づいてみる、じっとその顔を観察した。寝ているようではないのが分かったが、その姿に見覚えがあったので、しばらく待つことにした。


 アルダは近くにあった椅子を引き寄せその様子を眺める。ただ座っているだけなのにやけに息が荒く、それでいて額に汗が浮かんでくる。何か辛そうな表情も浮かべるが、終始その表情が楽しそうでしばらくアルダは眺めていた。

 暫く待っていたアルダだった、クロウの顔を眺めることに退屈はなかった、たまに苦痛にゆがむような表情も見せるが、それを除けば楽しそうだった。だがそのことを抜きにしても、長い時間待たされたアルダはだんだんイライラしてきていた。


「ちゃんと朝迎えに行くってあたし言ってたよね」


独り言が部屋の中で消えていく、受け止めるはずの相手は目の前に座っているのに、どこか違う場所にいるかのようにさえアルダは感じていた。


「というかあたしこれでも幹部のはずなんだけどね、自分で言うのもなんだけど、待たされてるのおかしくない」


そして改めて時計を見た、流石にこれ以上は待つわけにはいかない、いや、待てないと思ったアルダは、クロウを呼び起こそうと、その肩に手を伸ばした。



 クロウは頭の中に思い浮かべていたアルダにぼろぼろにされていた。近づくと振り下ろしてくるその動作だけなのに、攻撃を避けたり、受けようとしたりするだけで腕がしびれ、体は悲鳴をあげていた。一度としてうまくいかない、もともとそうだろうと思っていたクロウの考えは、自分の頭の中で証明されていた、あのときはまぐれだったのだと。だからと言って諦めるつもりもクロウにはなかった。まぐれだったなら、できるまでやればいいのだと。所詮は頭の中の相手、実物が繰り出すものよりも格段に劣るところがある、それを頭の中に入れれば、いずれはこの相手を倒すくらいにはならなければならないのだと。

 そう考えていたクロウの目の前、待ちの姿勢を貫いていたはずのアルダに変化があった、武器も構えず、歩み寄って急にその腕を伸ばしてきたのだった。勝手に動き出す自分の妄想が、ついに進化でもしたのかとクロウは思い、その腕を取った、そこからクロウはアルダを押し倒した。


 クロウはそれまで無敵の印象しかなかったアルダが、この程度の技で投げられるものだろうかということに疑問を覚えた。ベッドの上に、その腕を押さえつけ、そして気付いた、ベッドの上にいることに。それまで身に着けていた装備を身に着けていない、外に出歩くような軽い服装、そしてこちらをじっと見るアルダには、自分が想像したものではない、表情があった。



 アルダは伸ばした手が取られ、引き寄せられた。捕まれると思っていなかったアルダはその行動から逃げようとしたが、そのままクロウに引き寄せられるように、ベッドに抑えられていた。アルダは呆然としていた、急に投げられると思っていなかったので、それまで抱いていた小さないらいらも一緒に消えていた。


「おはよう」

「お、おはようございます」

クロウの汗が止まらない、どうしてアルダを押し倒しているのか、状況がよく理解できていなかった。

「今日は施設の案内をするけど、準備はもうできてる」

「は、はい」

「そう、じゃあ扉の外で待ってるから準備できたら声かけてね、あとどいてくれないかな」

「はい」


 クロウは身体を横にずらすと目をつむった、だがどれだけ待ってもその一発はとんでこない、再び目を開くとアルダはすぐさま部屋から出て行くところだった。

 部屋を出ると、アルダに連れられながらクロウは部屋を移動し始めた。さっき押し倒したことを謝るべきかとも思ったが、相手がなかったことにしようとしているのが分かると、下手に掘り起こさない方がいいと判断した。


「今日何したらいいかわからなかったからゴルドラにきいてみたのよ、そしたら施設の案内でもしろって怒られちゃった」

「それってこの本部のですか」

「ううん、ここは幹部しかいないし、あたしはよくわからないけど重要な物とかがあるらしいからまだだめってさ、だから一番人が多い支部に今から行くよ」

「それってどのくらい時間かかりますか」

「そうだねー、本当は結構時間がかかっちゃうんだけど、なんかいま街のほうちょっとごたついてるっぽいんだよねえ」


そういうとアルダは何か道具のようなものを取り出し、それに向かってしゃべり始めた。


「こちら実行部隊幹部のアルダ、門の使用を申請する」

「うん、そう、支部に出してくれる、え、だめ、なんで」

「あー、そっか、帰ってくるの今日か、じゃあ無駄遣いできないねわかった」


 クロウには相手の声は聞こえなかったが、その道具で会話をしていることだけはわかった。帰ってくる、門、クロウにはその言葉の意味が分からなかったが、何かを頼もうとして断られたことだけはわかる。


「ごめんね、楽しようと思ったんだけど駄目だったから、これから街の中歩いて支部の方に向かうことになっちゃった」

「別に大丈夫ですよ、そんなに遠いんですかその場所って」

「それなりに遠いけど、まあ一日の三分の一くらいはかかっちゃうかも、でも明け方の今だったらそんなに遅くならないと思う」

「わかりました、だったらすぐにでも出ましょう」


 クロウが意気込んで出発を促す、ただ一つだけ引っかかったのは、明け方だったら早いとはどういう意味なのだろうかと。


「あー、ちょっと医務室によらなきゃだめかも、まだいるといいんだけど」


そんなクロウを制し、アルダは医務室によらなければならないことを言い出した。


「やあクロウ君おはよう、昨日ぶりだね、なにか悪いところでもあったかい」

「おはようございますリーサさん、それがアルダさんが寄らないといけないって言っていて」

「どういうことだいアルダ」

「門をお願いしようとしたんだけど、今日はちょっと使えないって言われて」

「あー、なるほどね、すべて承知した、いやあ、きみも学習してくれてうれしいよアルダ」




「さてクロウ君、本来この場所に来るには何重もの検査と、最後に一つ保険をかけているんだ、でも君だったらひょっとすると気づいているんじゃないのかな」


クロウは、この建物の構造に見出していた一つの可能性を出した。


「本部の場所を知られないこと、ですか」

「その通り、だからきみを気絶させてアルダは運んだんだ。本当は魔法で眠らせでもできればいいんだけど、彼女そんなに魔法が器用じゃないからね。じゃあここでもう一つ問題、出るときはどうなるのか」

「―――あの、痛くしないでくださいね」


その言葉でクロウは全て理解した、意識がない状態でないと、この施設を入るのも出るのも許されていないということを。最初に入るときはアルダに殴られて気絶させられた、ならば次にこの本部から出ていくときも、また気絶させられるのだろうと。


「理解が早くて助かるが、あんな殴って気絶させるのなんてアルダだけだよ、心配しないでくれ。そう、また寝てもらうよ。大丈夫、痛くしないから、でも不安じゃないのかいクロウ君、昨日今日会ったような僕に任せるって」

「だってもう仲間、なんでしょ」

「うれしいことを言ってくれるね、じゃ、しばらくお別れだ、僕は普段はいろいろな場所にいる、今回は緊急ってことでここに来たが、普段生活をしていると会うかもしれない、その時にまた」


次の瞬間にはクロウの全身から力が抜けていく、意識を保っていることも困難になり、クロウはその意識を手放した。


「じゃあこれをアルダに渡しておくよ、嗅がせたらいつものようにすぐ起きると思うから、外に出たらよろしくね」

「わかった」

「しかしあれだね、クロウ君は純粋というか」

「単純っていいたいの」

「いや、従順というか、違うな、もはや信奉的でさえあるというか、とにかく危なっかしい子だね」

「だけど、それだけのものが彼の中には蓄積しているようにも感じた、似たような人間はいくらか見たことがあるが、ここまで突き抜けているのはいままで見なかったタイプだ、こっちの世界に来るような人間ではないとさえ思えてくる、もしよかったらだけど彼に一体なにがあったか詳しく教えてくれるかいアルダ、きみからはあまり詳しい話を聞いてなかったからね」


アルダはリーサに、今回の依頼で何があったのかを話した。クロウがプロキシという組織の闇を暴いてしまったこと、そして自分が尊敬していた上司がその手を染めていたこと、さらには居場所を失ってしまったかもしれないということまで。ガルムがクロウに向かって吐き捨てた言葉もアルダはその横で拾い上げていた。


「なるほど、触れてはいけないものに触ってしまったんだねクロウ君は。普通の人だったらそこで見て見ぬふりや、自己保身のための逃げたり、自分を騙したりする人間もいるが、そんな人々にとっては当たり前のことが、彼にはできなかったのか」

「だけど、クロウがおかしいってことじゃないよね、あたしはクロウが不憫過ぎた、だからつい誘っちゃったってところもあるんだけどさ、まさか受け流されるなんて思ってなかった」

「そうだね、僕もその話を聞いた時は耳を疑ったよ。きみの試しを受け流そうとした人間は今まで一人もいなかったんだから。だけど気をつけなきゃいけないことがある、彼は技術的には強いかもしれない、だけど彼自身はとにかく弱いよ、そういう意味ではアルダの部隊に入れるのは正解かもしれない、そこで成功を積めば、彼に本当に足りないものも手に入るかもしれない、だけどアルダ、きみは彼から決して目を離してはいけないよ、こっちの世界に連れてきたきみの責任でもある」


アルダは首をかしげたが、目を離さないという言葉の意味だけで考え、頷いていた。


「うん、わかった、そのくらいは当然だと思ってた」

「おや、改めて言うことでもなかったかい」

「んー、なんっていうんだろ、目が離せないっていうのかな」

「なるほどなるほど、それより早く出ないとまずいんじゃないのかい、そろそろ日が昇り始めてしまうよ」


やけに頷くリーサの姿にアルダは少し疑問を抱いたが、その小さな疑問は時間が吹き飛ばした。まだ薄暗い方がアルダにとって都合がいい、それをリーサに促された。


「そうだった、行ってきます」

「うん、いってらっしゃい」


アルダはクロウを、軽々とわきに抱えると、医務室から出て支部へと向かい始めたのだった。

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