第4話

「君という人間はいつもいつもやりすぎだ」

「そんなこと言われても、あたしは魔法がうまく使えないなんだからしょうがないじゃない」

「そうではない、いくらでもやりようはあると言っているのだ、まったく乱暴な」


 クロウは周りの騒々しさに目を覚ます、ベッドの上に寝かせられていると気づいた。柔らかい明かりは見覚えの無いもので、部屋には無機質な冷たい空気が辺りを漂っている。ゆっくりと身体を起こして声のする方を向いてみると二人の女性が言い争っている、クロウがぼやけた頭で観察していると、一人はクロウを助けてくれたアルダだとわかった。いまは被っていたフードを外してその顔がよく見えている。その表情でクロウは少しだけ安心できた、工場で見たときの敵意や疑いをかける目と違い、親しさの様なものが前面に出ていたからだった、その視線はアルダの正面に立っている女性に向けられていた。

 工場で見た時よりも、いまのアルダの姿が少し小さく見えたのは、その正面にいる、アルダに食って掛かるもう一人の女性のせいのように見える。その女性はクロウの記憶にはない人物で、クロウにとっては初めて見る顔だった。白衣を着ていて黒い髪がその白衣に映えていた、そしてクロウよりも小さい。だがアルダに食って掛かる勢いの強さが完全にアルダを圧倒していのか、その剣幕に小さく収まろうとしているアルダのその様子が、その女性をアルダよりも大きく見せていた。


「やあ、目を覚ましたかい。よかったよかった」

「はあ、えっと」


 女性がクロウに話しかけてきた、最初から親し気な雰囲気を出してくる彼女にクロウは呆気にとられる、


「まだ混乱してるんだね、それはしょうがない。ここは医務室だ、クロウ君は気絶させられていたのでな、念のための検査と治療を行っていた。背中を少し怪我していたこと以外には、特に気になる傷は見当たらなかったが身体の調子はどうだい」


 体の調子を聞かれて、クロウは自分の身体が前よりも軽くなっていたことに気づいた、つい先ほど打ち付けた背中からも痛みが消えている、それどころか自分の身体が新品にでもされたかのような、ちょっとした違和感も消え去っていた、適切な治療を受けていたのだと分かるとクロウは礼を言った。


「なに、礼には及ばないさ、これから仲間になるんだからね、いつでも頼ってくれ――おっと、紹介が遅れたね、僕は医療部門を担当しているリーサと言うものだ、治癒魔法と魔法を除いた治療もできる、これから君の仲間になるだろう、よろしく」


 リーサと名乗る女性の言ったことが、クロウはすぐには理解ができなかった、急に気絶させられて拉致されたことくらいしかクロウには理解できていなかったからだった。


「あの、仲間って、何の話ですかね」


 うっすらとその前後の記憶はある、それは同時に、クロウが夢であって欲しいと願った出来事が、全てが本当に起こったことだという事も意味していた、なにより自分がいる場所が分からないことが、非現実的な事実を証明しているようにも感じていた。その事実を受け止めようとしたが、現実はクロウにとって重くのしかかり、顔色を暗くさせる。


「それはいったいどういう―――どうしたんだい、ひょっとしてまだ何か悪いところでもあったかい」

「いえ、こっちの話です、身体はもう問題ないです」


クロウの顔色が曇ったことを、身体の不調と勘違いしたリーサはクロウを心配した、取り越し苦労だとわかるとリーサは話をつづけた。


「ところで、君はイルシヲに入るという事でよかったんだよねクロウ君」

「え」

「は」


クロウはその後の事が気になった、身体を起こしてから、自分以外にこの部屋で寝転がっている人間はいなかったから、それはこの場にライと呼ばれた少女がいない事を意味していた。


「あの子はどうしたんですか、あの女の子は」

「あ、ああ、えっと――――たしかライって呼ばれていた女の子のことかい、彼女ならあの後駆けつけた騎士団に無事に保護されていたよ」

「そっか、よかった」


ほっと胸をなでおろすクロウを、リーサは今度は怪訝そうな目で見ていた。先ほどまでの親し気な様子が鳴りを潜め、今度は値踏みするようにじっとこちらを見ている。そして何か思いついたのかアルダの方を向いた。


「アルダ、ひょっとして君は彼に承諾も得ずにここまで連れてきたのかい」


リーサはアルダに詰め寄っていた、クロウ自身が気になっていた事だけに、その説明をクロウからも聞こうと考えたが、そのリーサの勢いの前にクロウは言葉を発せなかった、さっきまで言いあっていたものとは違う、本気の怒りの様なものを感じ取ったからだった。


「で、でもほら、行くところがないって言ってたから、ね……だめ、かな」


アルダは詰め寄られ、顔をそらしながら自分の正当性を語っていたが、リーサの勢いは止まらなかった。


「君は向こう見ずなところがあるとは思っていたが、まさかここまでひどいとは思っていなかったよ。君が大丈夫だというから彼を通すことを許可したと聞いていたが、これでは事情が違うじゃないか」

「入っちゃえばいいじゃない、実力はあたしがお墨付きだすよ」

「すまないがアルダ暫く黙っててくれないか、これはかなり不味い事なんだ、それは君でもわかるね、それとも説明しなきゃわからないような人だったかい」

「―――はい」


アルダがしぼんで見えた、伸びていた背が丸くなり、物理的にも小さく見えるアルダの姿が、ついさっきまで大剣を振り回し、クロウと少女を守った女性とはうまく重ならなかった。その一方でリーサの怒りはすぐ近くにいたクロウにもひしひしと伝わってくる、心なしか何かが漏れ出ているかのようにも見えて、当てられているかのようで、当事者であるクロウはいたたまれない気持ちになっていた。だがクロウは、自分が渦中の人間だというのはなんとなく察していたが、それでも何が起こっているのかをまだよく理解できてはいなかった。


「クロウ君、きみはちょっと、いやかなり面倒なことに巻き込まれたようだ」


リーサは眉間にしわを寄せながらクロウの方を見ていた、クロウはその詳細がリーサから語られるのを待つことにした。


「ここはイルシヲの本部に当たる場所になる、ここに組織以外の人間を連れてくることは許されていない。連れてくる場合は組織に入る意思があるのかどうかを前もって尋ねるものとしているんだが、ひょっとすると何か近いようなことは言われたんじゃないだろうか」

「自分の行く場所がないっていう話をしたときのことでしょうか」

「それだ、じゃあクロウ君は、行く場所はないけれど、このイルシヲに入る事を了承したわけではないんだね―――全く面倒なことをしてくれたなアルダは」

「だったらいいじゃない、このままここに入ってしまえば」


リーサは一言も喋らずにアルダに一瞥をくれた


「ごめんなさい」

「ここに来る手段はいろいろとあるが、正規の方法だとその人間の素性や身辺調査といったものを、また来る目的なども詳細に調べられる、その辺りは他の組織と一緒だと思うがね。ただ唯一幹部格のアルダや他の幹部たち、その中には私も含まれるのだが、そういった者たちはこの施設に瞬間的に跳ぶことが出来る特別な魔法がある、魔法の管理者によって通すものを決めることが出来るが、君はその方法でここまで運ばれたことになる、そして彼も恐らくはアルダに言いくるめられて通してしまったんだろう」

「この場所は組織の中でも最上級の機密事項だ、この場所が外部の人間にばれてしまう事はこの組織の終わりをも意味する、そういっても過言ではない」

「つまり組織に入るかどうかをまだ決めていない君を本来ここには入れてはいけなかったことになる。そしてそのまま外に出すこともまた保全の問題上できない」


リーサの目は先ほどまでの親しげな様子から、相手を見定めようとするものに変わっていたことにクロウは気づいた。


「これからの話をしておきたい、君がイルシヲに入るかどうかだ、恐らく君も知っているだろうが、この組織は騎士団にお尋ね者とされている」


 壁に張られた手配書に、クロウはその名前を見た覚えがある。世間話の様なものにもたびたび出てくる名前だった。世間の、クロウの知る限りの範囲ではいい噂は一切聞かない、お尋ね者集団の名前でもあった。


「だがここは本来そのような犯罪集団ではない、とある理由からそういった立場にされてしまっているが、私たちの理念は人々の平和と安寧といったところになる。表だって依頼することが出来ない仕事を引き受け、その遂行にあたる組織、それがイルシヲというところだ。君は今回だと、危険な薬物の取引を潰す依頼に巻き込まれたことになる」

「話を戻そう、つまりここに入るということは、当然騎士団に目をつけられるということになる。狙ってその所属を伝えるような規則はないが、下手をすれば日の下を堂々と歩くことができなくなる可能性だって十分に考えられる。十分にその危険性を理解してもらいたい、一度入った後に、もう抜けますなどと言えるような場所ではないのだということだ」


先の事件は表ざたにならないだろうと聞くと、まるでその依頼が何もしていないようにさえ世間の目からは映る。だがその影響を未然に防げたことが、ひいては人々の平和を守ったと考えれば、その功績は計り知れないものになっている。取り沙汰される綺麗ごとよりも、事実としてどうなのか、そういった意味で考えれば、クロウは自身が本当に望んでいたのはこういった存在なのではないのかと考えるようになり、いつしかクロウの意思は一つに固まりつつあった。


「もしここでイルシヲに入るのを断ったとしても、君を無事に帰すことは私が約束しよう、ただし少しばかり記憶をいじって、ここでの出来事は無かったことにさせてもらうが、それはしょうがないことだと理解してくれたまえ」

「入ります」


 クロウの即答にリーサは一瞬固まった、リーサは最初からクロウに考える時間を与えずに、早々に退場してもらうつもりでいた。それだけこの組織にはいる事が危険であることを理解していたからだった、だからでこそ、返事が即答されるとは考えてもいなかった。


「本当に、よく考えたのかい、もしその場の流れだけで入るのを決めたのだったら絶対に後悔する。ここは君が思っている以上に過酷な場所でもある、死ぬ可能性だって十分にある、そして一度入ったらもう抜けられないし、やめることも許されない」


クロウの目を見ながら、だけどリーサはその瞳を見た時点で、クロウの意思が変わらないであろうことは想像がついていた、まっすぐ見つめるその目に、他の思惑を感じられなかった。


「自棄になってないかと言われると嘘ではないです、だけど本当に追い求めていたものがやっと見つかったような安堵があるのが正直なところです」

「そうか、やはり君はあの時の事を」

「あの時」

「いや、何でもない、気にしないでくれ、ともかく君の意思は固そうだな。わかったよ、僕はクロウ君を歓迎するよ」


「さて、君には一つだけ乗り越えて貰わなければいけないものがある、それはイルシヲの最終決定権は団長にあって、彼に認められて初めて仲間となるということだ。本来は彼と直接会ってもらうのが規則になっているが、あいにく団長はいま出払っていてね、代わりの者にやってもらうことになる」

「ただその代わりの人間が少々、なんというか、難しい人間でな。戦う事以外に興味がないとでもいうのか、戦闘狂のような男だ。だけど悪い人間ではない、もしかしたらひと悶着あるかもしれない、」

「会って、どんなことをするんですか」

「僕は創設初期からいる人間だから、あとから入ってくる人間に対してどういったことをするのかはよくわからないが、まあ簡単な面談の様なものだと聞いている、そしてこの面談は団長と副団長だけしかしていない、そこでイルシヲに入るのをはねられる者も少なくはないとだけ聞いているよ、僕は君だったら大丈夫だと思ってる、無事を祈っているよ」

 

 話を終えるとリーサは準備が必要だと言い残して部屋を出ていった、その隙を見計らい、アルダはクロウに話しかけてきた。


「あの、ごめんね、はやとちりしちゃって、まだそうって決めたわけでもなかったのにつれてきちゃったこと」


初めて会ったときの覇気に溢れた印象を、そのままひっくり返したように見えた。小動物のようなその姿に、クロウは自然と笑いが出ていた。


「大丈夫です、結果的には仲間になるってことになったんですから、アルダ……さんの考えた通りに進んでるってことですよ」

「そ、そう、だったら大丈夫か、そっか、そうだよね。うん、あたしらしくもない、そうだよ、問題なし、よし」


見た目にはクロウより年上に見えるアルダが、この時だけはクロウには少し可愛らしく見えた。



 暫くするとリーサが部屋に戻ってきた。最初に話をしたように団長はいまこの施設にはいないらしく、規則として副団長と面談をすることが決まったことを伝えられる。そしてその準備も既にできているとのことで、リーサに連れられてクロウは部屋を移動し始めた。アルダはついてこずに、いつの間にか曲がっていた背が伸び、身長が元に戻った状態で医務室から送り出してくれた。

 医務室から出ると、狭い通路がずっと続いていた、いくつかの扉が連なり、その扉には窓がなくその中の様子は見えなかった。完全に遮音されているのか扉からは物音ひとつ聞こえなかった。ただクロウには起きたときから聞こえていた、建物全体を鈍く震わせているような音が、部屋を出てから少し大きくなって聞こえていた。


「この音が気になるかい、すぐになれるさ、僕もすぐに慣れたよ」


 リーサは音の事を説明してくれなかったが、それはまだ仲間ではない相手には当然なのかと考えると、クロウは教えてくれる日を待とうと思った。目当ての部屋は、歩いていた通路をまっすぐ行った突き当りにあった。


「医療室所属リーサ、クロウ氏を連れてきました」

扉の前で、リーサがそれまでの砕けた雰囲気を一新し、慇懃無礼な態度でそう名乗っていた。その様子に自然とクロウの背筋も伸びてくる。


「おう、いれろ」


男の乱暴な物言いが返ってきた。クロウはリーサに案内された部屋に一人で入るなり、急に気分が悪くなった、全身に何か重いものを載せられたかのような重圧は、目の前に座った男から発せられているように感じる。室内にはその男一人しかいないのに、まるで何十人もの監視を受けているかのような緊張感、そして下手な身動きが取れないことを嫌が応にも感じさせられたからでもあった。額から流れる汗を拭きとる、そんな余裕さえないほどの圧力を前に、クロウは正面に座る男の脅威をその肌で感じ取っていた。最初は魔法の様なものを疑ったクロウだったが、その残滓はどこにもなかった。


「そこに座れ」


金縛りから解き放つようにでたその言葉はクロウを突き動かした。机を一枚挟んで座った男は、その眼から鋭い眼光を放っている。眼帯で隠されたもう一つの目が直接は見えないが、その見えない目がこちらの奥底を見定めようとしている、そんな感覚をクロウは感じた。いかにも武闘派といった様子で、顔にバツ印の傷があり、筋骨隆々な様はどんな状況も力で押し通すといった様子がうかがえた。


「俺の名前はゴルドラ、ここで副団長を務めている、お前の説明はいらない、こっちは知っている」


ぶっきらぼうに喋るゴルドラに自己紹介を返そうとしたが、ゴルドラはクロウの言葉を最初から聞こうともしていなかった。出ばなをくじかれたクロウだったが、しばらくは話を聞くことにした。


「クロウ、元アレイス学園所属、学内騒動により除籍処分、学力は基礎魔法が最高評価、実技魔法が最低評価、家族は父と母の二人で兄妹はなし、また父親の方は行方知れず」


 クロウは突然並べ立てられた自分の出自についての報告に心底驚いた。ここにきてクロウはまだ一日どころか半日として経っていないと思っていたからで、正確な時間はわからなかったが、身体が食事を求めていない以上半日以上は経っていないという事はなんとなく察していた。だからでこそ、この短時間にそれほどの情報を集めている能力、そして表に出ていない筈の学園除籍の大まかな理由を知っていることには特に驚かされた。何故なら除籍処分は有名なことでも、学内騒動という理由については伏せられるだけの事情があったからだった。


「えらく驚いてんな、こういうのを調べるのが得意なやつがここにはいんだ、でも当たり前の話だ、どこの馬の骨とも知らねえ奴に、自分の背中なんか任せられるわけがねえってことくらい、だろ」


 クロウの様子から察したのか、ゴルドラはその説明をし始めた。考えてみればその通りだった、騎士団より指名手配を受けてもなお捕まらない、組織も崩壊しないという事は、相手の手の内を常に探っているか、読んでいるか、とにかく情勢に長けていることの証明でもあった、クロウはその能力の高さに少しだけ唾をのんだ。だけどどうにも引っかかるのは、ゴルドラの一言一言に、やけにとげを感じる事だった。もともとそういう人間なのだろうかとクロウは考え、リーサの言っていた難しい人というのはこういう事なのだろうかと納得しようとしていた。


「んで除籍になった理由ってのは何だ」


そしてゴルドラはクロウの核心をついてきた、その言葉を聞いたときクロウは心臓が高鳴るのが分かった。嫌に早く、抑えが効かなくなる、さっきまでとは違う汗が流れ始める、クロウが最も触れられたくない過去であり、一生ついて回るであろう出来事の事を。夢にまで見てしまう過去の過ちを。一度ぐっと目を閉じた、あの時の出来事は本当にどうしようもなかったのかを、自分が行ったことは間違いだったかどうかを振り返り、そこに間違いはなかったと思うと、その一歩を踏み出した。


「学生を、数名けがをさせ一人を、その、手酷く」

「つまりキレてぶっ飛ばしたんだな、殺したか、いや殺してたら除籍じゃ済んでねえな」

「はい、」


言葉を濁したクロウの言葉をゴルドラは要約した、そのうえでチクリと嫌みのように喋るゴルドラを前にクロウは段々と嫌気が差してきた、この会話には本当に意味があるのだろうかという事だった。


「なんでやったんだ」


自分の罪を贖罪するような気持ちで、学園での事件の事を吐き出すことは、クロウにとっては苦痛でしかなかった。あの時の行動は間違いではなかったはずだと、だけど他に方法はあったのではないのか、その心残りがずっとあるからでこそ、あのときのことが夢という形で繰り返されるのだと。何よりも、幼馴染の顔はすぐに浮かんでくる。


「私は、アレイス学園で嫌がらせを受けていました、最初は些細なものから、ものが無くなるといったものでした。それは生まれが高い身分ではなかったためだと聞いています、ひょっとしたら、大した理由なんてなかったかもしれない」


詰まりながら、どもりながら、クロウは自分の罪を告白し始めた。


「私自身が、嫌がらせを受けることは、耐えていました。理由もあってないような理不尽なことでしたが、だけどそれも卒業するまでだと堪えていました」

「だけどその時だけは違いました、心が折れない私に強硬手段に出た彼らは、どこから知ったのか、同じ学園に通う幼馴染を付け狙うという話をしてきました。そんなことはあり得ないと思っていた、でも万が一襲われたらその考えが頭の中をぐるぐると周った結果、今まで嫌がらせをしてきたその学生たちを打ちのめしてしまいました。そのうちの一人はまだ医療施設にいると思います」


クロウは話し切ることが出来た。学園で秘匿されている理由は簡単だった、この騒動に関係した人間に名家の人間がいた、外聞上外に漏れては困るという事で、緘口令が敷かれたからだった。


「そうか、まあその事も全部知ってたんだけどな」

「は」


クロウの頭に血がのぼろうとしていた、からかうにしても度が過ぎていると。失敗をしたのはクロウ自身で、その行いが悪い事だという事もクロウは理解している、それが責められるべきことだという事もわかっている、だがだからといって悪戯に茶化されてはいそうですかと。だがここで手を出せば同じことの繰り返しだと、歯を食いしばり、指がうっ血するほどに握りしめて堪えた。


「それでここでも何かやらかすってか」

「そんなことは」

「口約束ってのはなんのあてにもならねえ、ついさっきまで仲良かった奴が、ふとしたきっかけで急に敵になる、そんなことが日常茶飯事のこの世界で何が大事だと思う」

「自分自身、ですか」

「違う、信用だよ。信用があるからイルシヲは依頼を受けるし、その成功を約束している。だからお前みたいに不透明なやつってのが一番困る、それは依頼主の信用を裏切る行為になるかもしれないからでもある」


クロウは否定できなかった、一度やった人間は次もやる、そこで自制をできるかできないかと言うのは大事な資質だと、失敗して初めて分かったことでもある、だが既に失敗をした人間をそのまま受け入れるほど、世界は優しくないという事も、クロウはその身で体験していた。


「まあんなことはそこまで問題じゃねえ、人間誰だって失敗する、俺だってしてる、失敗しねえのは神か悪魔か、少なくとも人間じゃあねえ、だから―――あーめんどくせえ、俺は頭があまりよくねえんだ、だから一つだけ聞く、それで決める。単純でいいだろ、いいか、言い直しもなしだ、否定も無し。一発勝負だ、簡単な話だ」


次の返事で全てが決まる、そう思うとこのとき一番の緊張感がクロウに走った。


「質問は簡単だ、おまえは人を斬る覚悟があるかどうかだ。その刃で、人の命を奪う覚悟があるかだ。俺たちの行いは人々の為になる事へ繋がる、だからでこそ、誰かが血を流す必要も当然出てくる、その覚悟がお前にはあるかどうかだ」


荒事も辞さない集団だというのは、巻き込まれたクロウが一番よくわかっていた、アルダの剣技を見たときからその行く先々の危険性は、今までクロウがいた、ひだまりのような世界とは全く異なる事を意味していた。研ぎ澄まされた技術、卓越した技量が、違う世界を垣間見させていた。いまその世界へ一歩を踏み出そうとしている、クロウはそう思いながら一歩目を踏み出そうとし


「あり」


勢いよく一言で言い切ろうとした


「ません」


そしてクロウには嘘がつけなかった。クロウの頭の片隅には、以前に医療施設送りにした学生の存在がちらついていた。嫌がらせをしてきた人間のことでさえ未だに心配してしまうような性格では、クロウ自身が人を斬ることなど出来るなど、とても考えられなかった、クロウの武器はソードブレイカーという、刃に備えられた溝に、相手の武器を挟み込み、その武器を破壊することで無力化するものだったこと、それはつまり戦意を喪失させることが目的の武器であり、相手を打ち倒す武器ではない。アルダの様な大剣で相手を打ち倒すものではない、目の前にいるゴルドムのように、圧倒的な力でねじ伏せるわけでもない、そもそも心構えが、他の人と違うことにクロウは気づかされてしまった。

 クロウはそのまま下を向いた、これで終わったという確信と共に。危険な現場に向かう組織でその覚悟がない、一体だれが受け入れるだろうかと。人を斬っても心が動かないような、強靭な精神の人間こそがこういった場所に入るべきなのかもしれない。手を伸ばせばあとちょっとのところにあったクロウの理想が、その手をすり抜けていくような錯覚を覚えた。この一時だけでも嘘をつけば、クロウは考えた、この一瞬だけ嘘をついて、あとで本当の事にでもできてしまえば事実になったのではないかと。だけどその一瞬でさえ、自分は乗り越えられないものだったのかとクロウは自分を振り返っていた。


「だろうな、お前みたいな甘ちゃんにはおれは無理だと思う」


 ゴルドラがそういうと、クロウは突然全身に掛けられていた重圧を外されたような感覚がした。目の前の人間から発せられた、クロウを押しつぶさんとする圧倒的な敵意の波が、緩くなっていく。不思議に思ったクロウが顔を上げた、ゴルドラは警戒をまだ解いていないようだったが、それでも額の汗を拭くくらいの余裕は出来ていた。


「だけど自分のことをよく理解してるやつってのは違う、夢見がちなやつらに多いのは、自分をよく理解できてない事だ。その場しのぎの嘘を連ね、本当にいざというときに力を発揮できずに死んでいく。そしてそれは味方をも巻き込んでいく。一つの嘘が全体の首を絞めていく、だからここイルシヲでは、嘘を許さないというルールがある」


「そこで嘘でもついてくれりゃ、一発殴って終わりだった、だが団長が決めた規則は規則だ、お前のイルシヲへの入団を許可する、そしてここから抜けるときは、死ぬときだと思え」


舌打ちをするゴルドラは心底悔しそうだった。


「おまえの所属は追って連絡する、それまでは……アルダの馬鹿についてけ。連れてきたのはあいつだし、その責任もあいつにある。本当に不本意だがいまは形式上お前を認めるしかない、俺はまだお前を認めていない、もし悔しかったら実力で認めさせてみろ、以上だ」


感情の上がり下がりの激しさにクロウは最初何が起きているのかを理解できていなかったが、徐々に自分が入ることをは認められたのだという事を理解していくと胸が昂るのを感じた。その気持ちを戒めるようなゴルドラの最後の一言は生々しい現実をも突き付けてきた、もうあとには戻れないという不退転の覚悟を改めて問われたような、そんな気持ちと、今まで多少といえ縁があった人間との別れを意味している一言でもあった。学園で世話になった教員、幼馴染、実家にいる母、その全てがまともに会うことが出来なくなるだろうと思うと、胸に何かが空いたようにも感じていた。

 面談が終わるとクロウはすぐさま退出を命じられた、尻に蹴りでも入れられそうな勢いで追い立てられ、クロウは慌てて部屋を出ていった。ゴルドムはその姿を見ながらひとり呟いた。


「幹部格が引き抜いてきた人間は本当は面接なんざいらねえんだがな、リーサのやつは知らないみたいで俺に連絡を取ってきやがったが、まあんな人間ほとんどいねえから知らなかったみてえだが、少しは骨がありそうなやつが入ってきたか、次はないようにしねえとな」


クロウが背中で受け止めていたゴルドラの言葉は、クロウの耳には届いていなかった。



 クロウは面談が終わり扉を出ると、すぐ傍で待ち構えていたリーサに連れられまた医務室に戻ってきた。医務室にはアルダが心配そうにクロウを待っていた、クロウがその顔を見た途端、それまで張り詰めていた緊張の糸が切れたのか、地面に座り込んでしまう。


「無傷で戻ってきたってことは、認められたんだね、いやあ、よかったよかった」


まるで、今まで無傷で帰ってきた人間はいなかったのようなリーサの物言いに、クロウの背が薄ら寒くなった。部屋の中で感じたあの重圧は振りでも何でもなく、恐らく嘘を言った瞬間に文字通り一発入れられていたのかもしれない。圧倒的強者の、一切の加減のない敵意は、学園では決して感じたことのないものだった。ゴルドラから離れたいまでさえ、実際に肌がひりつくような感覚がクロウの中には暫く残っていた。


「はい、暫くはアルダさんについていくようにと命令されました」

「まあそうだろうね、拾ってきたのは彼女だし、だけどまあ彼女も結構無茶することがあるから気を付けるんだよ。怪我をしたらいつでもここに来ると言い、すぐに治してあげよう、なんだったらいつでも来てくれて構わない、私は暇である方がいい仕事でもあるからね」

「無茶って何よ」

「ここに連れてきた時の事をもう忘れたかいアルダ」

「すみませんでした」

「まあいい、クロウ君は正式に僕たちの仲間になったんだ、たとえどんな経緯であろうとね、とにかくこれからよろしく頼むよクロウ君」

「はい、よろしくお願いします」

「もう、ほんと勘弁してよリーサ」


クロウの表情はその日一番穏やかなものになっていた。

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