第10話

 壁を見上げる少女は、その後ろ姿だけでも異質さが伝わってきた。注視しなければ見失ってしまいそうな、熱い日差しの中の陽炎のようにおぼろげな印象だった。

 ルトラに声をかけられて初めて、少女はいまそこに現れたのではないのかと思ってしまうほどに。

 その姿をよく観察した、小さな少女だった、クロウたちより歳は5つくらい下に見える、身体は小さい。

 そしてどこにでもいそうな印象を受ける少女なのに、どうしてかその子を見失ってしまいそうになる、その状況がクロウを警戒させ続けていた。


「こんにちは」


 頭の中で鳴る警戒と、袖を引っ張り続けていたルトラを押し切り少女に話しかけていた。声をかけられて振り向いた少女はじっとクロウたちを見て、次に辺りを見渡す、まるで自分に声をかけられていることが分かっていないかのような動きだった。

 丸い黒目がくりくりと動き、小動物的な印象を与えるはずなのに、どこか不自然さを覚えていたのは、まるで自分たち以外の何かを見ているように思えたからだった。


「ばれちゃってる」

「うん、きみに話しかけてるんだよ」

「すごいすごい、こんなの初めてだよ」

「そっかそっか、お兄ちゃんこれで魔法には詳しいんだよ」


 はしゃぐ少女は年相応で、その無邪気なふるまいが幼い子供にしか見えなかった、この年頃でも魔法が使える子供はいる、そんな些細な悪戯を目にしただけだとクロウは思っていた。

 だけどそういう風に見せられているような感覚もある。さっきまでは消えてしまいそうになっていた少女が、いまは何故かその輪郭を持ち、一人の人間としてしっかりと認識できていた。

 クロウが最後に言った言葉を聞いてから、少女は首を傾げていた。クロウが何を言っているのか分からないといった様子にも見える。何か自分は間違えただろかとクロウが思い返すが、その理由にはたどり着けなかった。


「あたし魔法なんて使ってないよ」


 だから少女のその言葉で、クロウの中で燻っていた、ずっと抱いていた疑問の正体に気付いた。

 少女の周りには何もなかった、魔法を使っていたのなら残留しているはずの少女の魔素はおろか、ほんのわずかでも残りそうな地面の足跡も。本当にその場所に、突然発生でもしたかのような痕跡の無さに気づくと、クロウの目にはこの少女が、何か得体のしれない生き物のように映り始める。

 少女自体にはなんの恐怖も覚えていない、やはりどこにでもいそうで、街の中を走っていそうな女の子で、それがまたより一層不気味さを醸し出している。


「お兄さんたちは、ここの人」


壁を指さし、少女は聞いた。


「違うよ、ここにはお仕事でお呼ばれしたんだ」

「そう、じゃあ明後日はここには近づかない方がいいかもしれないよ」

「それはどういう」

「あ、もういかなくちゃ」


 言葉の意味を聞こうとしたクロウだったが、少女はどこかへ行こうとしていた。嫌な感覚がする、よくわからないが、ここで逃したら駄目だという危機感を感じて、クロウは腕を伸ばしたが、途端に強い風が吹いて思わず目を閉じてしまった。

 再び開いた時には、すでにそこには誰もいなかった。最初から誰もいなかったかのように、朝の空気がその空白を埋めていた。

 周囲を見渡しても、朝の街の中には誰も見当たらない、うっすら張っている靄の中に溶けていったのではないかと思えるほど。クロウとルトラ以外、最初から誰もいなかったかのように感じるほどだった。



 呆気にとられていたクロウだったが、正気に戻ると、すぐさまルトラの様子がおかしかったことを思い出し振り返った。

 唇は青く、身体は震え、目の焦点がぶれているように見える。どれだけ声をかけても届かないような、その狼狽した雰囲気が少し前までの姿に重なることがなかった。

 どうしていいかわからないクロウだった、何かしなければ、何かしなければと考えた結果、クロウはルトラを抱きしめ、頭に手を添えた。一瞬だけルトラの体は跳ねたが、徐々にその震えが収まっていった。

 クロウは執拗に駆られて、つい抱きしめてしまっていたがそれが正解だったのかどうかは分からない、だが胸の中のルトラは震えが止まり、徐々に落ち着きを取り戻していった。

 死人だったかのように蒼白だった顔色に朱が戻り、クロウの方も赤くなり始めていた。

 自分でも大胆なことをしたものだとクロウは冷静になり、そして離れてみる。その時には既にルトラももとに戻っていたが、耳は真っ赤に染まっていた。


「も、もう」


消え入るような声でつぶやくルトラはもう大丈夫そうだった。




「あの子は異質だった」


 少女がいなくなり、落ち着きを取り戻したルトラはそう言った。

 そしてクロウもそう思った、確かにおかしな少女だった、だけどそれ以上に木になっていたのは、少女を見て取り乱していたルトラの様子の方だった。

 あまりの取り乱しように、ついクロウもルトラを抱きしめてしまったが、ただ事ではなかったことしか分からなかった。

 ただそれだけではなぜ怯えているかの理由が分からなかった。


「あんまり頭に入らないって感じだね」

「その、どうしてあんなに取り乱したのかって、理由が分からないと気になり続けるというか」


 踏み入っていい場所かどうかわからないからでこそ、クロウは消え入るような声で言うしかなかった。教えたくなければ教えなくていい、そんな気持ちで、ダメもとでクロウは言っていた。



「分かった……クロウ君は、天才能って知ってるかな」


 ルトラが突如語り出したのは天才能と言われる特殊な能力の一つだった。人が生まれつき持っていることがあるという、天から与えられた才能というもので、一人に一つあるといわれているが、人類全てにあるかどうか、またどういった能力があるのか全く解明されていない、そんな未知の領域の能力全般を差している言葉だとくらいにしか知らない。

 クロウは学園でも多少かじる程度に学んでいたが、詳しくは知らなかった。魔法を強める能力や、その発動を早くする能力と言った簡易なものが紹介されていた、だけど現象には説明のつかないことが多く、人知を超えた能力ということで、天からの才能だと言われているくらい、クロウの知識ではそれが限界だった。

 だけどこのタイミングで天才能の話を出してきたルトラが何を話し始めるのか、クロウはうすうす感づいてもいた。


「私の天才能は、人の感情が色になって見えるってものなの」


 クロウの想像通り、ルトラは自身の天才能の話をし始めた。ルトラが言うには、ルトラの天才能は人の周りに薄い色のついた膜が見えるというものだそうで、その色を見ることで相手のその時の感情を読み取るというものらしい。それも魔法ではないため魔力を使うこともないという話だった。


「それと、あの子と一体何の関係があったっていうんだ」


 ルトラは折を見て自分の能力については話そうと考えていたらしいのだが、少女の異常さを説明するには、自分の能力について喋らなければ理解してもらえないとも言ってのけた。結びつかない情報が、クロウには何とももどかしかった。


「まあ慌てないで、例えば今のクロウ君だと、私の言ってることがよく分からないといった灰色、困惑の色が出てる。ラスタさんやアーガムさんと話をした後は、安心している橙色が出ていた」


 その時々の精神状態をルトラに言い当てられたクロウは驚き、その能力というものが確かにあると痛感させられる。


「その代わり私にはこの能力を切り替えることができない、それこそ、知りたくなくても、その人の、その時の感情が分かってしまう」


 ルトラはこの能力を切り替えられない、つまり常に相手の感情が分かってしまうということだった。時折口にしていなくともうなずいたりしていたのは、きっと視えていたのだろうとクロウは気づいた。屋敷を出るときについてきたのは、クロウが不安を抱えているのを、その色で見てしまったからだったのだということも納得できていた。

 そしてあの少女はいったいなに色をしていたのだということが気になった。


「この色というのは必ずあって、その人その人に特徴がある、デミトラさんだと、静かな青、ニール君だと燃えるような赤、その人が培ってきた人生も、ある程度ならわかってしまう」


「どんな人にだってこの色は現れる、この能力の事を知っているのは組織の人間と、昔私の身近にいた人たちだけ」


「ひょっとしたら私が知らないだけで、色を変えたり無くしたりするような魔法もあるのかもしれない、だけど、百歩譲ってそんなものがあったとして、私の能力を̪知らないとすれば、対処の仕様もないということになる」

「つまり知られなければ最強の能力で、知られても対策を講じることができないかもしれない能力というところですか」

「最強は言い過ぎだけど、そんな感じかな」


 ルトラの天才能についてはわかった、その驚異的な能力がイルシヲにいる理由ではないかという想像もできるくらいには強力なものだった。


「あの子には、その、色がなかった、ぼんやりとした半透明状のもので覆われていた」


「私はこの天才能で人がいると認識してしまうところがある、昔からそうだったから、だから色がなかったのが、そこにだけ何も無いかのように感じるくらい、ぽっかりと空いた空間のようにさえ感じたの。あの子自体も何故か見えにくいというか見つけにくいって感じの子で、ただどう見ても普通ではなかった」

「半透明の精神状態って、どんなものなの」

「分からない、私も見たのは久々だったから、あれを見たのは一度目じゃないの、だから昔のことを思い出して、怖くなってしまったの」

「その時の半透明の人は、どんな人だったの」

「分からない、遠目に見えただけで、ただ一つの命令だけをこなす、冷たい何かのようにしか見えなかった、人間であるかどうかさえ分からないくらいの」




「一応私もいろいろと調べては観た、完全に推測だけど半透明の感情は、感覚が麻痺しているか、慣れてしまったか、それか本当に何も考えずに命令されるがままに行動をしているときか、とにかく普通に生活している人でこの状態になる人は、見たことがない、それだけであの子の生きる世界が見えてしまったの」

「じゃああの子が件の殺し屋ってことか」

「ほぼ間違いなく」

「でも、あんな小さな子供だよ」


 ルトラは突然クロウの肩をつかんだ、力強く、防具が少し痛く感じるくらいに肩を抑えながら言った。


「クロウ君、その油断が命を落とすよ」


 ルトラの一言でクロウには十分だった、その目を見て、ルトラが悪戯に脅しているわけでもないのが分かった。あんな小さな子でも戦う場所に出てくる、自分よりも幼い子供が敵になる、果たしてその時自分は、自分に与えられた責任を果たせるのか、クロウは考えたが、できるような気はしなかった。


 少女が殺し屋の仲間だと想定して、それまでの行動を考えていった。壁を見上げていた理由は何故か、標的の下調べではないか。相手から何も感じ取れないのは何故か、そういうことに慣れた人間だからではないか。

 そしてその脅威を逃してしまったことにも気づいた。その直前に、何かしらの危険を感じたから捕まえようと伸ばしていたが、いざはっきりと危機感の正体が分かると、そこで逃がしてしまったことに激しく後悔していた。

 あの時に捕まえてしまえば、すべてうまくいっていたのではないのだろうかと。自分の油断が絶好の機会を逃してしまったのではないかと。



 すでに周りにはクロウたち以外に誰もいない、魔法を使っていないのだからその痕跡も残らない、それどころか魔素が出ているのかも怪しい少女を、いったいどうやって追跡すればいいのか。

 それは無理だった、もう少女がいなくなってそれなりに時間もたっている、すでに近くにはいないだろうし、何よりこのまま追いかけても危険でしかない、クロウたちは一度屋敷に戻り、ニールやデミトラたちと相談してみることにした。





「結論から言うと、無い可能性ではないと思います」


 屋敷に戻ったクロウとルトラは、外で起こったことを事細かにデミトラとニールに説明した。

 ルトラが人の感情の色を見ることができるという情報だけを除き、魔素を全く残さずに魔法を行使することはできるのかと言ったことをデミトラに話をした、天才能という分野で絡めて聞くとデミトラはそう言っていた。


「天才能の研究にはそれほど詳しくないのですが、まったくの門外漢というわけでもなく、私も少し勉強をしたことがあります。天才能はまったくもって未知数の世界です」


「いま分かっていることは、一人に一つまでしか発現しない事、持っていない人もいること、外から調べる方法がないということ、そして常識を覆すものがあるということも」

「常識を覆す」

「例えばです、実際に会った話なのですが、ある能力者は発現させようとした魔法が反転するといったものがありました」

「反転ってどういうことですか」

「単純なものです、炎の魔法を使おうとすると水の魔法が出る、土の魔法を使おうとすると風の魔法が出る、構成も論理も全く異なるはずの正反対の魔法に変わってしまうという能力者でした」


「最初は単に面倒くさいだけの才能だと思われていたそうですが、研究をしていくうちにこの能力の恐るべき一面が分かりました。反転する魔法はその魔力量に同等のものが発動します。では、創造の魔法を使ったとき、どうなると思いますか」

「創造の反対は、破壊ですか」

「そうです、そもそも反対の魔法を使うといってもその労力は全く違います。理解していなければならないものを全て取っ払い、その逆の魔法が発動するだけでも十分面白い現象だったのです」


「ある日研究者の一人が、試しに召喚魔法を使わせてみました。するとその場に小さな穴のようなものが発生し、何もかもを吸い込む強烈な吸引力をもってして、周囲のものを引き寄せたといいます。幸い小さな穴ですぐに閉じたといわれています、これが破滅の魔法の最初の記録だとも言われています」


「そこから研究を重ね、魔法の一分野が出来上がりました。たとえどんな能力であっても、調べてみるととんでもない能力だったということもあり、天才能が本当の意味で天から与えられたものだと考えられるようにもなりました、研究はおろか、そもそも発見もされていなかった破滅の魔法は、この彼の天才能から生まれたといっても過言ではありません」

「じゃあその少女も」

「そこまではわかりません、ですが可能性は十分あります」


 クロウは自分に天才能があるのか知らない、そして調べようもない。天才能が見つかるときの多くは偶然だという。ルトラや、魔法が反転する人なんかはその日常に現れるので知ることができるが、魔法の速度が速くなるとか、魔法が強くなるといった類は、その努力で向上していくものでもあるために、発見されにくいともいう。

 クロウがその力に憧れを抱いたことがないといえば嘘になる、絶大な力があれば、守る力として使っていこうと考えたこともある。だがクロウには今のところ見つかっていない。持っていないのか、それとも見つかっていないだけなのか、どちらかなのかもわからないクロウは、理想を捨て、知識という現実を取った。



「ただ、その研究内容、得られる情報といった点から、一部の過激派には人体実験を推奨する者たちもいて、あの分野の連中は、正直私は嫌いです」


 そのデミトラの言葉にルトラが目を背けるのが視界の端に映った。ルトラが天才能を持っていることを知ったクロウだからでこそ、ルトラの行動の意味が分かった。



 少女の能力について考え、意見を出し合ってみたが大雑把にしか分からなかった、可能性としてはいくつかあげられるが、確定情報でなければあまりあてにしてはいけないという話もあり、それもまた事実だった。

 他人の能力を妨害する可能性、魔素を出さない可能性、いくつか候補が上がったが、そのたびにデミトラから聞いた能力の裏の話が浮かんでくる。

 そのほんの少しの違いが、能力の幅を変えてしまうことになると、迂闊に能力の断定はできなかった。


 それからは発表会当日までの護衛の仕方について話すことになった。屋敷の周囲に、侵入者が入ってきたことを知らせるための魔法をかけるといったこと。デミトラが屋敷を移動するときは必ず誰かを供につかせること、夜は屋敷の一室、窓のない部屋で寝てもらい、またその番をクロウたちが交代で行うということ。

 だがそのどれもあまり意味をなさないような、そんな気がしてクロウは安心などできなかった。

 クロウは最終的な手段として、違う場所に移動してそこで匿うという方法を提示しようと思ったが、少女が下調べをしていたのだと考えれば、そこから動くことが危険な事が分かる。既に屋敷は監視されている状態だったということになる。実体が現れたことで、脅迫が冗談や悪戯の可能性も極めて低くなっていた。

 そのうえデミトラは、この屋敷で研究内容を煮詰めたいということもあって、移動することは提案する前に拒否されてしまった。





「ちっ、めんどくせえ野郎が来ちまったってわけだな」


 いまはクロウとニールとルトラの3人しかいない、デミトラは自室に戻ってやりたいことがあるという話だった。少女の情報を共有したニールは誰に聞かせるといった風でもなく一人こぼしていた。


「野郎じゃないよ、女の子だよ」

「んなこたわかってんだ、いちいちこまけえ、問題はそいつをどうするかってことなんだよ、そいつの能力だってわからねえんだろ」


 室内にニールの声が響いた、3人の呼吸の音さえ消えたかのように他の音は何も聞こえない。

 話を切り出すにはちょうどいい空気になったと思ったクロウは、少女と話をしたときからずっと気になっていたことがあった。


「一つ気になることがあったんだ、あの子はなんで明後日って言ったんだろうかって」

「あ、んなもんそりゃ騙すためだろ、おまえみたいなお人好しはちょろいってことだ」

「もし百戦錬磨の殺し屋だったとすれば、ほんの僅かでも情報は与えないと思うし、もし見つかったら自分たちが襲われていると思うんだ、あんなふうに会話することもできなかったと思うんだ」

「まあ、そりゃそうかもしれねえな、でもだからってなんだって話だよ」


 クロウはずっと考えていたことがある、実はまだ何とかできるのではないのかということを。明後日だと教えていたのが少女の失態だとすれば、その機会は必ず来る。


「あの子、明日も来るような気がするんだ、あの子が嘘を言っているようには思えなかったんだ」

「てめえは馬鹿か」

「それは私もちょっと危ないと思うよクロウ君」


 ルトラとニールが共にクロウを戒めようとしたが、クロウの自信満々な色を見たのかルトラは引き下がった。


「明日の朝、一人で門の外に行かせてくれないか」


クロウは一つの決断を下した。わずかでも可能性があるならそれに賭けたい気持ちがあった。

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