第6話

 クロウは森の中にいた、自分が今いる場所が街から少し離れた場所だと思ったのは、その場で見渡しても人工物が目に入らないからだった。どのあたりにいるかまでは正確には分からなかい、そしてどのくらい眠っていたのかを感じさせない、まるで瞬間移動でもしたかのような錯覚を感じていた。


「起きた」


 そして正面にはアルダが立っていて、クロウを見おろしていた。部屋に迎えに来た時と同じような、恐らく普段着であろう恰好で立って、そしてその手をクロウに差し伸べてきていた。木を支えに座っていたクロウはその手を取り、身体を起こしてあたりを改めて見回した、やはりどこにいるのかクロウにはわからない。


「街から少しだけ離れた森だよ、特に何もないわ」


 組織の場所がどこか分からないものかと最初は考えたが、騎士団が頑張っても見つけられないものを、クロウが見つけられるわけはないとすぐに諦めた。 時間間隔がクロウの中でおかしくなっていた。ただ日の上り方が朝方だということくらいしかわかない。起きてすぐだというのに、駆け出すこともできそうなくらい身体の調子は良かった。


「何か変な感じとかない、身体の調子が悪いとかそんな感じの」

「大丈夫ですよ、まるでこの場所に一瞬で飛ばされたんじゃないかって思ったくらいで」

「あたしも最初かけられたときそう思った、見事な物よね、真似できる気がしないわ」

「アルダさん、は魔法はどのくらい使えるものなんですか」

「あたしは必要最低限、自分の身を隠したりするくらい、それ以外の難しい魔法は無理ね、やろうとも思わない、頭が痛くなっちゃうし」


 アルダは急に身体に触れる、その行動にクロウの心臓がぐっとはねた。何かを探るような手つきはくすぐったさを覚えるものだった。


「や、やめ、ちょ、くすぐったいですって」

「一応ね、リーサから魔法をかけるたびに、こうやって問題がないか聞くように言われてるの、運んだのもあたしだから、どこかぶつけてたりしてないかって思ってね、がさつだしあたし」

「でも、本当に大丈夫ですよ」

「ううん、これはあたしの問題、ちゃんと確認させて」


その声が真剣なものだったから、クロウはそこで茶化すのをやめた。その横顔が邪魔しちゃいけない気がしたから。


「あたしもリーサの魔法は経験したことがあるから、いつも大丈夫だって言ってるんだけどね、それでも不安でしょうがないみたいよ」


クロウは信じられないと言った様子でその話を聞いていた。


「あんなにすごい魔法使いなのに、しかも高度な治癒魔法も使えるんですよね」

「うん、そうよね、気にし過ぎなのよリーサは、それもしょうがないことかもしれないけど。うん、身体の方は問題はなさそうね、それじゃ早速移動できるかなクロウ」


しょうがないの先はなんだろうかとクロウが考えるよりも先に、アルダは一通り調べ終わっていた。くすぐったさと、安心を感じていたその手が離れていくと、小さな疑問が離れ、少しだけ寂しさを感じていた。


「はい」

「人には誰にでも、いろんな事情ってものがある、だけどそれは個人の問題ってところ、本人以外にはどうしようもないのよ」


 身に覚えがあったクロウは、アルダのその言葉だけで言いたいことを理解できた。


「じゃ、あたしについてきて」


 それからクロウとアルダは歩き出した。あたり一面が深い木々に覆われているとクロウは思っていたが、少し歩くと街の外周が見えてきた。背の高い木々に囲われていただけで、街からそれほど遠くない場所にいたことが分かったクロウは、その光景に少しだけほっとする。


 まだ日が昇りきっていない朝の街には、薄い靄がかかっていた。長いこと学園で寮生活をしていたせいか、朝の街の様子はクロウにとって初めての光景でもあった。まだ朝も早いせいか、人の姿は全く見受けられない、普段の活気づいた街並みと違い、何かが潜んでいるかのような感じさえしていた。


 アルダは円状にできている街を、外周に沿うように移動を始めた。来たことのない場所で土地勘があまり働かないクロウだったが、街の形が綺麗な円状になっていることは知っていたので、そのまま歩いていけば、しばらくクロウが働いていたプロキシの建物が見えてくるのではないのか、その足取りはだんだんと重くなり、当然のように歩く速さも遅くなっていた。

 陽だまりの中にいるような居心地の良かった場所は、もうすでに遠いどこかの世界へとなり、イルシヲに飛び込んだクロウにはもう二度と戻れない場所にある。それを承知で入った世界だと言っても、頭の片隅にちらちら浮かんでくると、クロウが思っていたよりも覚悟が足りなかったのではないのかという、後悔の念がぽつりとでてくる。

 そのことを振り払うように、最初に依頼をしてきた少年たちのことを思い浮かべた、彼らは大丈夫だろうかと。彼らは救われているに違いない、確認できないが、そう思うことでクロウは自分を納得させた。自分の行動に無理やり理由をつけ、クロウはなんとか心を奮い立たせることができた。



 アルダに連れられて歩いているクロウには、もう一つ懸念材料があった。それは騎士団の監視が街の外周にあるということだった。そこでは外から不審者が入ってこないよう、騎士団の人間が交代制で、一日警護にしているということをルイスから聞いたことがある。


 そこには櫓があり、上には一人遠くを見張る人間、櫓の下もう一人見張る人間、そしてその後方にある小さな建物には、半日ごとに交代する人間が休憩をしているという話だった。もしこの施設を襲う人間がいれば、その建物から援軍が飛び出してくるということもルイスから聞いたことがある、いまのクロウにとっては鬼門のような場所でもある。


 実際に見たことはないが、ルイスが言うには特徴的なものだから見ればわかると聞いていた。その櫓の周りにある建物はどれも低いもので、一つだけ突出していたからクロウはすぐに気づいた。だが予想外だったのはアルダの足が決して緩まないことだった、アルダの足はその場所に向いていて、その櫓の前を通過するつもりらしく、足取りが遅くなる様子も、方向を変える様子もクロウには見当たらなかった。


「あの」

「ん、どうしたの」

「そろそろ騎士団の」

「ああ、それね大丈夫大丈夫」


 クロウは最初アルダが知らないものだと思って通るとばかり思っていたもので、事情を知ったうえで前を通ろうしていることに、また落ち着きを失おうとしていた。


「大丈夫大丈夫、仲間を信じなさいって」

「信じろって、そんなこと言われても」

「リーサの魔法は、組織一だと思ってるから」


その場にいないリーサの名前が出て、クロウはその意図が分からなかった。


「おいそこの者」


遠くから大きな声をかけられると、クロウはびくりと驚いてそれまで考えていたことがすべて吹き飛ぶ。そして全身から汗が一瞬吹き出し、そのまま引いていくのがいやでも分かった。


「とまれ、何者だ」


 櫓の上から声をかけられ、その根元にいた団員が二人に向かって駆け寄ってくる、その手は剣にかけられている。不審者に対し毅然とした態度で立ち向かう、かつては憧れさえ抱いていたその姿が、その目が、いまはクロウに向けられていた。クロウはその騎士団員の目を見られそうになかった。


「前を向いて」

「で、でも」

「目をそらす方が怪しまれる、これも訓練だと思って我慢して」


正面に立つ、がたいの良い騎士団の男は、腰に象徴を表す剣を捧げ、一本芯が入ったような、堂にいった立ち方をしていた。アルダはそんな団員に向かって、胸から金属の板のようなものを見せて、相手と話をし始めた。


「はい、お疲れ様です」


急に口調を変えたアルダにクロウは驚いてそちらを見る、軽くアルダが耳打ちをしてきた。


「相手には見知った冒険者の姿にでも見えているはずだから、口調をそれっぽくしなさい」


 聞いていない話についていこうとしたが、どういうことなのか説明を受けていないクロウにはどうすることもできなかった、ただまっすぐ、相手の顔を見ることだけに集中していた。目を見ると泳いでしまうと思ったからだった。


「いやあ、引き留められたのなんて初めてですよー」

「登録されている冒険者の方でしたか、はい、確かに本物のようですね、これは申し訳ない、少々事情があっていま警戒態勢中なのです。」


アルダが見せたのは身分証明のようなものだったらしく、騎士団員の警戒するような、ピリピリとした雰囲気は緩んでいた。


「なにかあったんですか」

「こういった人物を見かけていないだろうか」


そして1枚の紙を見せられたアルダの眉は、一瞬だけ歪んだが、また一瞬で元に戻っていた。


「いや、知らないですね、この人なにしたんすか」

「上からの話ではこいつは重要参考人らしい、なんでも違法な薬物の取引を行おうとしたらしいのだが、その現場をプロキシの人間に抑えられ、逃亡したという話だそうだ。取引自体は未然に防げたとも聞いているから、最悪の状況だけは免れたらしいが」


 クロウも少し気になり横から覗いてみたその紙には、クロウそっくりの似顔絵が描かれていた。上には見覚えのある手配書の文字、追記された年齢、身長、特徴、出身地、それらすべての情報は間違いなく自分のことを差していることにクロウは気づいた。


 冷たい水の中に投げ入れられたかのように、クロウは血の気が引いていた。これはいったい何の間違いだろうかと。自分が見ているものがきっと間違いなのだろう、どんどんクロウは自分を納得させるための理由を、ここにはない架空のものに求めていく。ひょっとするとこれも夢なのかもしれない、


「なー、お前はこいつのこと知らないか」


肩をつかむアルダの力強さは、そんなクロウを現実に引き戻していた。あとちょっとその腕が遅かったら、クロウは駆けてどこかへと逃げていたかもしれない。その瞬間に、目の前の男に取り押さえられることも想像できないほど追い詰められていた。それがどれだけ無駄で、無謀な事かを理解する余裕ができると、クロウは少しだけ落ち着きを取り戻していた、


「いや、自分も、知らないですね」


 振り絞るように出した声は不自然な物だったが、身分を証明する道具がそれ以上の疑問を抱かせなかったのか、そのまま騎士団の男はその言葉を受け入れていた。


「相方も知らないって言ってますね、自分も知らないですけど、そいつ見かけたらすぐにでも通報しますよ」

「ご協力、感謝いたします、お時間取らせて申し訳ない、もう行っていいですよ」

「朝からご苦労様です、頑張ってください」

「はい、良い一日を」



 櫓を十分に離れると、それまで背に感じていた恐怖が引っ込む、だが冷静にはとてもなれなかった。クロウは街の外周に無数に立ち並ぶ木々の一本にその感情をぶつけた、怒りでもない、悲しみでもない、理不尽さはクロウを混乱させていた。腰の入っていない拳で幹が少し割けたが、地面にどっしりと根を張った木はびくともせず、それ以上の変化は他に見当たらなかった。殴ったこぶしが痛い、だけど殴らなければ頭がおかしくなりそうだと、クロウは痛みを無視してまた振りかぶる。


「殴るだけ自分の拳が痛いだけよ」


その声を聞いて、振りかぶった拳をそのままクロウは降ろした。


「なんで、こんなことに」

「クロウは事件の後始末として、身代わりにされたってところかな。犯人が誰かいなければ事件は解決しない、たとえそれがでっち上げのものであっても、捕まえて内々に処理さえしてしまえば嘘も真実になる」


アルダに言われるまでもなく、おおよその想像はついていた、だけどそれが現実に起こるとは全く思っていなかった。だからいま他の誰かに冷静に説明されると、いやというほど理解してしまう。


「おれが何をしたって言うんだ」


 俯くクロウを、アルダは胸に抱きかかえた。少し痛いくらいの抱擁で、クロウは逆に冷静になれた。力のこもった腕が安心を与える。クロウは制御できなかった感情を深く秘めることができていた。


「大丈夫、クロウならなんとかできるよ」


その言葉に根拠はなかったが、ひたむきに頑張ればきっと何かできるような気がする、そんな予感はクロウに十分持たせてくれた。





「さてついた」


 櫓から少し離れた場所に雑貨屋があった、治療薬や日用品などの道具を売る場所で、一般人にもなじみ深いその店は、クロウも何度か訪れたことがある店だった。その店にアルダが寄った理由はわからなかったが、もしかすると必要な道具でも買い足すのだろうかと思って店の前で待とうとしたが、引っ張られるようにクロウは店の中に入っていった。朝も早くとあってか、クロウが行ったときの盛況だった姿は見えなく、時計が針を進める音だけが静かに響いていた。


「らっしゃい」


無骨そうな大柄の店主が声をかける、


「もう他の人来てる」


その声にアルダはそう返す。店主は眉をしかめて反応する、クロウもその言葉の意味が分からず、また店の中が静寂に戻ろうとした。


「ひょっとして、姐さんですか」

「あ、ああごめんごめんそうだった魔法かけられてるんだった。アルダだよあたし」

「勘弁してくださいよ姐さん、自分たちじゃ魔法は見破れないんですから」


偽装魔法のことを聞くと、途端に店主は破顔した、さっきまでの不審者を見る目はなりを潜めている。クロウは引っかかることがあった、いま姿が変わっているのは聞いていたが、普段のアルダの姿を、この店主は知っていることになるのではないのかと。クロウはそれがどういうことなのかを聞こうと思ったが、二人の会話に入ることができなかった。



「二人来てますよ」

「うん、それで十分、じゃ、借りるね」


 そういうとアルダはそのまま店の奥に入っていこうとする、店主もアルダを止めることなく、むしろ歓迎しているようにさえ見えた。


「ところで姐さん、その隣にいる奴は誰ですかい」

「ああ、こいつはクロウって言ってね、将来有望な新入りだよ。あとで顔も出すから楽しみに待ってなよ」

「ほー、姐さんがそこまで言うとは、」


「あ、はい、よろしくお願いします」

「おう、俺の名はラジール、見てのとおりこの店の店主をやってる」


背中をバシバシ叩かれながら、クロウの胸元に回復薬の瓶を押し付けてきた。


「んな縮こまんなっての、ほら選別だ、これもってけって」




廊下を歩きながら、アルダはこの場所について説明を始めた。


「あたしたちが、あたしたちだけの力でイルシヲの活動ができているわけではないってことよ、彼ら彼女らはかつてイルシヲに助けてもらったってことで、協力者になってくれた人たち。この人たちなくして、あたしたちの活動は成立しないと言ってもいい」

「ところで姐さんってなんですか」

「なぜかみんなあたしのことを姐さんって呼ぶのよ、そんな年でもないし、歳だって離れてないのに」


 ぶつくさと文句を言うアルダだったが、クロウにもその姿は年相応の女性に見えた。何もない廊下の突き当り、そこまでくるとアルダは立ち止まり、クロウの方を向いた。


「ようこそイルシヲの実践部隊拠点へ」


アルダがそういった場所は廊下の突き当りの小さな空間がある場所で、他には何もない場所だった。

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