第14話

 ルトラは走れない、それでも足を無理やりに動かしながらもニールのもとへ急いだ。クロウの事は不安だった、何故ならルトラから見たクロウと敵の力量差は、とても一人で敵うと思えなかったからだった。


 クロウがどこから来た人間なのかルトラは知らないが、それでも全くの素人ではないことはわかっていて、その体さばきも訓練をしたものなのか一般人よりは遥かに動けそうだったが、ルトラたちのような環境に身を置いていたわけでもないというのは、その考え方でわかっていた。


 誰かを救おうとするその姿勢は立派なものに見える、だけどルトラにとっては、その気持ちが、挫折を知らない人間が持っている、無鉄砲な感情に見えていた。もちろんルトラには相手の感情が見えている、その時のクロウがやけくそに言ったわけでも、浮ついた気持で言っているわけでもないことはわかっていた。

 だけどそれとこれとは違う話だった。


 少女に見たどす黒い感情の色が、激しい殺人衝動だとルトラは知っている。人を殺せば業を背負い、その業から逃げるために人を殺す、一生抜けられない負の連鎖の成れの果ては殺しが日常となる生活。その行きつく先は殺しに支配される、それがあのい色の正体だと。


 そんな相手を生かして捕まえようとするクロウと、絶対に殺すと考えている相手、その差は技量以上に開いている、生かして捕まえる方が圧倒的に難しいのだから。

 もちろん捕まえられるならそれに越したことはない、だがそのために払う危険性は、その代価に見合うとも思えない。

 ルトラも最初はニールを呼びに行く提案を蹴ってクロウと共に戦うことも考えたが、こと戦闘に関しては役に立てないことをついさっき身をもって知った。


 人に魔法をかけるのは得意だったが、自分が戦うのはとことん苦手で、あのままいても敵に真っ先に狙われるのはわかりきっている。そしてクロウはそんな自分をかばいながら戦い続けるだろうことも簡単に予想できていた、だからとても一緒にはいられないと思った。


 助けを呼びに行くという大義名分を貰ったことで、ルトラは少しだけ安心もしていた、自分が足を引っ張ることはないという、自分が役立たずではないと思えるその状況に。


 戦うには戦う人間が、世の中は適材適所という言葉があり、ルトラは自分が加わるべき場所ではないと考えている。荒事にはそれに長けた人間に任せようと、自分の仕事はその人たちが傷つかないようにと補助魔法をかけるのだと。

 ルトラはニールの元へと急いだが、思うように動いてくれない足がその焦りを強くする、その間の一分一秒にクロウは苦しんでいるのかもしれないのだと思うとそれはなおさらだった。


 ようやく屋敷の前までたどりつくと、そこでルトラは叫んだ。

 部屋まで行くのにもルトラの足では時間がかかる、そこまで歩いていくには時間が惜しかった

 ルトラは自分でも何を言ったのかがわからなかった、助けてだろうか、敵が来ただろうか。だけどどうでもよかった、届けばいいのだから。



「どうした」


 その声に反応するようにニールはルトラの目の前に、すぐに現れた。

 ちょっと危険な雰囲気もあるが、ルトラにとっては頼もしい仲間のニール。


「敵、がきた、いまクロウ君、戦ってる」


 大声を出し、杖を突きながらも急いできたルトラは息が切れていた。


「どこでだ」

「庭の方にいる」

「数は」

「一人、他の侵入者は見当たらない」

「わかった、ルトラはデミトラの扉の前を頼む」

「お願い」


 そしてルトラは、応援に向かおうとするニールにも、クロウに掛けた補助魔法と同じものを一通りかけた。

 引継ぎが終わるとニールはすぐさま外へと向かった。

 ルトラは考えていた、少女とニールだったらどうだろうかと。

 もしニール一人であの少女の相手をするならば、それでも勝てる見込みは薄かった、だけどクロウにはないものがニールにはあることを知っている

 だけどそれは強さでもあったが、弱さでもある。


 ルトラから見たニールの後ろ姿は赤かった。現実主義で、排他的で、実力主義で、だからニールは怒っているのだろうと察した。

 クロウとニールは水と油のように反発しあう存在で、その考え方も極端に違っている。

 現実を見るニールと、理想を求めるクロウ、それはどちらも悪くないし、ルトラはどちらも嫌いではない、ただ全く真逆の存在である二人が協力できるか、それだけがルトラには不安だった。

 ニールに言われたとおりにルトラはデミトラの部屋まで急いだ、願わくば何もないことをと祈りながら。


――――――


 クロウはその短剣に狙いを定めて、何度と機会をうかがったが少女はそう簡単には隙を見せてはくれなかった。

 懐にしまっていたであろう投げナイフはクロウの手足を掠め、少し血が流れるくらいの傷は負っていたが、どれもが致命傷ではなかったし、動くのに支障をきたすような傷もなかった。

 だがその甲斐もあってか、いま少女は短剣一本で戦っていた。

 辺りに散らばっているナイフを拾わせないようにクロウは立ち回っていた。

 クロウがそれまでに払った代償はその身体に残っていたが、それでも少しずつ、確実に少女へと詰め寄っていた。


 ただ一つだけクロウにとっての誤算があったとすれば、それは時間と共に少女の攻撃に鋭さが増していくことだった。

 飛び道具がなくなったことで戦いやすくなると思っていたはずが、短剣一本握りしめるようになると、それまでの迷いが徐々に見えなくなっていった。

 クロウはその状況を推測する、恐らく短剣を深く握りこむことで、その魔道具に込められた魔法が深く浸透してしまったのだろうと。

 少女の攻撃にその容赦も躊躇いも見えなくなり始めていた。


 少女が魔道具に呑まれ始めているのだとクロウはわかった。


 その魔法の正体さえまだクロウは知らなかった、ある程度の予想は出来ていたが、人の心を操るような魔法は禁忌と呼ばれる類のものであり、その知識を深く共有することが、学園では禁止されていた。だがクロウは確信している、その手の魔法で間違いないと。


 クロウはその状態になる前に、何度となく少女に話しかけていた。その度に、少女も最初のうちは少しだけ反応を見せていた。わずかに動きがぶれたり、何か動きづらそうにしていたり、まるで何かに抵抗しているような様子も見せていた。

 だがいまはもう全くの無反応状態だった。


 そしてそのころには少女の単調な攻撃も消えていた。急所を一辺倒に狙ってくる少し前と違い、そのところどころに虚実が入り混じる攻撃は、受けにくい事を意識した攻撃のようにも見える。

 動きそのもののキレも良くなったり、振りぬく鋭さが増している事からも少女の中で変化が起こっているのがクロウにはわかった。そしてそれがクロウにとって望ましくないものではないという事も。


 そして何よりもいまクロウが頭を抱えていたのは、短剣を狙っていることを途中で悟られてしまったのか、その動きが少しでも止まるような振り方を極力避け、流れるような連続攻撃ばかりがクロウを襲っていた。

 踊るような剣技はクロウも見たことがなく、持っているものが凶器でなければどこかの舞踊のようにもみえたが、その手にあるものが見惚れることを許さない。

 そしてところどころに取りこぼした斬撃は、クロウの体に小さな切り傷を作っていった。手に、足に、腹に、紙一重で致命傷だけは外せていたが、クロウは明らかに押されていた。


 焦っていた、まだ今なら、迷いが残っている今なら止められるとクロウは考えていたからだった。

 もし万全の状態、本気の状態でこの少女と対面しても、いまのクロウは勝てると思えなかった。

 それは純然たる才能の差だった。

 だからでこそクロウは歯がゆかった、才能に負けないために、そしてあらゆるものから護るために努力をしてきたはずだったのにと。


 諦めが入り始めたその時、突如少女に向かって横から蹴りつける男の姿が目に入った、それはニールだった。

 ニールの攻撃は不意打ちだったが、少女はその攻撃を難なくいなしすぐに後ろへと引いていた。

 まるで後ろに目でもついているかのような反応だった。

 クロウは一安心していた、これで2対1ならば少女を捕らえられる可能性が出てくるからだった。

 いまのクロウにはそのあと少し足りない、だから誰かに力を借りるしかないと考えていた。

 ニールはクロウと合流できた。


「状況は」

「飛び道具はその辺に散乱して今はもう投げてこない、手に持っている武器は短剣が一つ、あとはあの短剣が魔道具の可能性があるくらい」

「魔道具の種類は」

「詳しくはわからない、だけどあれにあの子が操られてる可能性が高いから、どうにかしてあれを壊そうとしてる」


 少女は敵が増えたことで様子を伺っているのか、すぐに仕掛けてくる事はなかった。

 ニールはゆっくりとクロウの方を向いた。その目は冷たい印象を感じる、蔑むような目つきに見えた。

 クロウに見えたそれまでの希望は、その目を見ていると何か別のものだったのではないのかと思わされるくらいの、冷たい目だった。


「てめえは、まだそんなこと言ってんのか」


 静寂を切り裂いたのはニールの小さいが明らかに怒りを孕んだ声だった。


「甘ったれんじゃねえぞ、てめえは力も能力もねえ、だからいまボロボロなんだろうが、勇者気取りならこんなところにきてんじゃねえ」


 ニールはため込んでいた怒りが爆発したかのように、その不満を捲し立てていった。

 手痛い事実だった、もしクロウは自分自身にもっと実力があったらと思っていたからでこそ、ニールの言葉はど真ん中に突き刺さった。

 気取ってなどいない、一生懸命だ、命がけだ、必死だ、だけどクロウはそこまで考えて、それは自分だけがそう思っているのは出ないのかと気付かされた。


「俺らの依頼は護衛だ、襲撃者の捕獲じゃねえ、たとえ相手を殺したって成功だ、それもこんなにボロボロにされてまでやる事なんかじゃねえ、ましてやてめえは、誰かの命と仲間の命を天秤にかけられるのか」


「見た感じお前は俺と同じくらいの強さかもしれない、そしてあの少女はお前よりも強い、どう見たって化け物の類だ。だからでこそお前が負けたら、いや、死んだら俺たちは全滅する、間違いなくだ」


「お前は自分の背に、たくさんの人間の命がかかっていることを理解していたか」


 はっとなった、自分が助けることばかりを考え、味方の事など考えてはいなかった。

 最悪失敗したとしてもルトラやニールがいれば大丈夫だろうと高をくくってもいた。

 そして、自分の命をそこまで重く考えてはいなかったことを、そのときクロウは気づかされた。


「命には優劣がないなんて言うやつがいるがな、そんなことは嘘だ」


「命には価値がある、順序がある、そうじゃなきゃ王族や貴族はそうそう死ねないが、冒険者や用心棒の人間は簡単に命を落とす」


「命の価値はその人間によって違う、お前にはお前の、俺には俺の価値観がある。そして俺の価値観は、俺が一番、そして仲間が二番だ。だから俺はそれ以外に容赦はしない、たとえどんなに恨まれたとしても、俺は俺の大切に思うものを守る、そのためならたとえ万人から後ろ指をさされてもおれはこの考えを貫く」


「残される奴らの気持ちを考えたことがあるのか」


「どうせ自分は死なないとか思ってたんじゃないだろうな」


「自分は何か特別な存在だとか思っちゃいないだろうな」


「たとえいま俺とおまえの仲が良くなかったとしても、万が一にもあとから良くなる可能性はある、そいつが親友になる可能性もある、それが女なら付き合う可能性だってある」


「だけどそれは生きていなければありえない可能性だ、その前にどこかで死んだら同じだ。死だけはどんな奴でも平等に存在する、容赦なんてねえんだ」

 

 それまでまくしたてるように喋っていたニールだったが、その言葉の最後から語気が衰えていくようだった。

 その表情は怒り狂っているのに、口から出ていくものは弱弱しい、それがクロウにはまるで体験談のように聞こえた。


「お前は気づいてたか、俺らの支部に、空き部屋があったことに」

「それは」


 部屋の数とその時の隊員数は同じではなかった。

 アルダには一人に一部屋支給されているとも説明されていた。

 クロウはそれだけでニールが何を言いたいのか理解できた。


「もうおれは嫌なんだ、誰か知ってるやつが死ぬなんてことは。たとえそれがつい数日前に出会ったやつだったとしても、ほんの少しの縁しかないやつだったとしても」


 言いたいことを全ていい終わったといわんばりに、既にニールは闘争心をむき出しに、手にナイフを構えていた。

 それまでの烈火のごとき怒りは沈み、背筋を曲げる、すぐにでも動きやすい前傾姿勢。

 そして隣に立っていたクロウが寒気を感じるほどその目からは感情を感じなかった、心を殺しているのか、それとも何も考えようとしていないのか。

 あるいはそのどちらもか。


「だからおれはあの子を殺す、そのためだったら俺は地獄に落ちたってかまわねえ、相手を殺して誰かに怨み通される道を歩んだっていい」


 夜の闇に、一つ輝く凶刃をニールはその腰から引き抜いた。

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