第17話
クロウが目を覚ます、そこは辺りを見渡しても何も見えない真っ暗な場所だった。
どこまで眺めても闇が続くその場所に、クロウは二本の足で立っている。
周囲を見渡しても誰もいない、少女も、ニールも、それどころかデミトラの屋敷さえ見当たらなかった。
クロウは人も風景も見当たらない暗闇の世界に不安さえ覚える。
最後に覚えていたのは、少女の持っていた短剣にはめられていた宝石を砕いたところまで、それからどうしてこうなっているのは分からない。
ふと遠くで光るものが見えた、暗闇に一筋光が入るだけでクロウは安心した。
周囲の闇に自分が溶けていきそうな錯覚すら覚えていたが、その光がクロウをつなぎとめたかのようでもあった。
光の先には四角で切り抜いた画面があり。その中にデミトラの屋敷が映り込んでいたが、画面の前に立ちふさがる人影がその光景を遮っていた。
「誰だお前は」
その影で女性だとわかった、細身で身長が高く髪は長い、少女でもなければ、ルトラでもないのはすぐにわかった。
クロウはその女性の正体がどうとか、そもそもここがどこだろうかとか、そういったことを考えるよりも先に、その女性の事を怖く感じた。
雰囲気は穏やかで、ただそこに立っているだけのようにも感じる。
だけど画面に向かって手を伸ばしながら、何かをしているところからして無関係の人間ではないのは間違いなかった。
そしてその姿に感じ入るところがない、それがとてつもなく怖かった。
不穏な気配とか、不審に思う気持ちが湧いてきてもおかしくないのに、近所に住んでいる気のいいお姉さんみたいな、そんな印象さえ与えてくる。
どう考えてもこの時この場所にいる人間が、味方であるはずはないというのに、感情に訴えてくるものは安堵という気持ち、もしくは安心といったものなのだろうか。
気を強く持とうと思った、それが既に何らかの攻撃の可能性もあったから。
「あなたのせいで」
女性が喋った、少女と違い会話ができるとわかると少しだけほっとして、そしてまた思う壺に動こうとしている自分の気持ちを律した。
「あなたのせいで失敗した、失敗できなかったのに」
その恨み言を聞くまでは、クロウも安心できていた。
「失敗って、なんだ」
クロウは歩み寄り女性にその意味を問いただそうとしたが、歩いても歩いてもその距離が縮まっていないことに気づいた。
進めば離れ、止まれば止まる、女性との距離が永遠に縮まらないことに気付いた、何か得体のしれない事をされているのだと初めて気づいた。
「だから貴方の身体で任務は遂行させてもらうわ」
女性がそういうと、風景を移していた画面に変化が起きた。
まず地面を映した、そこには少女が寝転がっており、既に意識はないように見える。
魔法の支配から逃れられたのか、もう暴れるような様子はなかった。
その傍らには砕けた短剣があり、少女の胸は上下し、安らかな寝息が聞こえていた。
その次にニールが映りこむ、そして誰かの手を、その至近距離で握ったり開いたりするのが見えた。
その人物が腰に構えていたであろう武器を引き抜いて、磨き上げられたであろうその刀身に映った姿を見てクロウは驚いた。
そこに自分の姿が映っていたからだった。
クロウは猛烈に嫌な予感がした。
「あなたの仲間、殺すわ」
女性がそういうと女性は画面に向かって手を伸ばす、何をしているのかは分からなかったが、画面が急に動き出し、その映像はニールに接近していき、その手に持った武器を振りかぶっていた。
よどみない動きから、激しく金属のぶつかり合う音、わずかに散る火花がその目の前で弾け、ニールの表情は困惑に満ちて画面いっぱいに映り込んだ。
その瞬間にクロウは察した、これは自分の身体から見ている光景なのだと。
そして少女に掛けられていた魔法の正体が、人を操る魔法だったのだとも分かった。
「やめろ、どうしてそんなことをするんだ」
身体を乗っ取られたことに気付いたクロウは、とにかくその動きを止めようと女性に向かって叫んだ。
「どうしてって、それがお仕事だからよ、あなた自身の手でお仲間を殺しちゃうけどね、今回の仕事はデミトラ氏の暗殺、だけど殺しちゃダメな人間とかは聞いてないから全員殺したっていいし、あなたが全員やってしまえばもう取返しもつかないものね」
クロウが危惧していたことは現実になってしまった。
魔道具を破壊されたときの保険として少女に掛けられていたものと同じ魔法を、そのすぐ近くに立っている人間、すなわちクロウがまともに受けてしまったのだった。
ニールの苦悶の表情が画面に映る。
痛々しく、ところどころに怪我が見える、少女を捕らえるときに無理をしたのか、その足はどこかぎこちない動きをしていた。
クロウが気づいていなかっただけでその手傷も深かったらしく、切りかかってきたクロウに相対するだけの体力もないように見えた。
そのうち振りかぶった一振りが、ニールの防御の隙を縫って肩に当たった。
刃が肩の肉を切り裂き、深々と刺さるのを想像していた女性だったが、勢いそのままにニールは膝から落ちるだけだった。
クロウは自分の武器の刃を最初から潰してあった。
誰かを傷つけることが目的の武器じゃないからと、その刃の部分だけは潰してある。
そしてこの時だけは潰して使い続けていて本当に良かったと思っていた。
画面は再びクロウの手元を映し出し、刃のつぶれた武器を眺めていた。
もう片方の指でその上をスッと滑らせ、その指に傷がつかないことを確認していた。
「変な武器使ってるのね」
そして画面は周囲を見渡していた、投げナイフも一瞬目に入った。
「強度が低いのよねあれ」
そう言って女性はまた違う武器を探したが、この場に残っているものはクロウの握っている刃を潰した武器か、ニールがもっている武器くらいしかなかった。
「まあ、撲殺でもしょうがないかしら」
クロウは思い出していた、少女はその身体に見合わない怪力で振りかぶっていたことを。
そう考えるとクロウもまた自分の能力以上の力を発揮するかもしれないと、手負いのニールがどれほど持つのか、それはあまり期待してはいけないと直感で感じ取った。
女性がまたクロウを操ってニールへと肉薄していった。
クロウは自分の身体を乗っ取られたことを理解してから、ずっと考えていた、この状況をどうすれば脱出できるのかを。
今いる場所から手に入る手掛かりは極端に少ない。
自分がいる場所は心の中で、いま乗っ取られているという事くらいだった。
クロウはそれまでの戦いを振り返りはじめた、そこに何かしらの手がかりがないかと。
この魔法は少女に掛けられていたものと同じ魔法であり、現在の支配権は女性にあるという事。
女性は投げナイフの事を知っているため、同じ組織か近しい人間であること。
操られている少女は話しかけると反応を見せたが、それはわずかなもので、おそらく操られていたからだということ。
少女は操られていたからぎこちない動きをしていたという事。
がちがちと刃と刃がぶつかり合う音が聞こえてくる、その所々で受け止めきれなかったニールだったが、寸前のところで避けていた。
急がなければいけない、だけど冷静に、それまでの行動にヒントがあるはずだとクロウは振り返り、とある場所に違和感を覚えた。
何故今のクロウの身体は澱みなく動いているのかということに。
少女はそうではなかった、最初はぎこちない動きをしていたが、そしてその動きは時間とともに鋭さを増していった、つまり制御が正確になっていったとも言えるのではないのかと。
それはつまり、少女はこの魔法に抗っていたのではないかということを意味していた。
抗う方法が、ひいては逃れる方法があるのだと、一つわかると徐々にクロウの中で謎が紐解けていく感覚があった。
そもそもクロウが一番謎に感じていたことがある、それはなぜ女性がこちらの言葉に耳を傾けて、話しかけてくるかだ。
最初はクロウから話しかけていた、だけどいま女性は自分から話を続けようとしている。
ただの敵、それも任務を失敗させた怨敵であれば、言葉など交わす必要もない。
無言のままにニールを殺し、ルトラを殺し、デミトラを殺して終わりにしてしまえばいい。
恨みをそのままクロウの身体を通して実行すればいい。
なぜそうしないのか、それはひょっとしてできないか、もしくはするために準備が必要なのではないかということ。
つまり話しかけてくることに何かしらの意味があるということになる。
クロウは女性の話しかけてくる内容を振り返ってみた。
あなた自身の手で、あなたが全員やってしまえば、取返しもつかない
そのあたりに不自然さを抱いていたが、その一つの可能性を考えたとき、一つの答えが浮かび上がってきた。
恐怖を煽っているのではないかということに。
そのどれもが恐怖を煽り、冷静さを失わせるための言葉だと考えると、その他の事も繋がってきた。
そもそもここはクロウの心の中なのだ、最初の魔法がどう作用したのかは分からない、だが自分の心の中にいるのに何故外から入ってきた部外者がその支配を奪っているのか。
なぜ女性がクロウの身体を動かせているのか。
不安、恐怖、おそれ、そういった言葉を並べ心を折ることが目的なのではないのかと。
この場所は最初から暗かったのだろうか、実は後から暗くしたものなのではないのか。
クロウは不運なことこそ多かったが前向きであろうとしていた、そんな自分の心の中がこれほど暗闇に包まれているとは思えない。
つまりこの状態も既に普通ではないのではないかと。
画面には再びニールが映りこんて、その口元が動いたのが見えた、『さっさと戻ってこい』とでも言っているようにもみえた。
音は遠くではっきりとは聞えない、だがクロウが気持ちを奮い立たせるのには十分すぎるほどの光景だった。
自分の心の中であれば、強い心を持っていれば女性を追い出すことが出来るのではないのかと、そうしてクロウは自分を奮い立たせるために、ここに来るまでの事を思い出していた。
学園を追い出され、プロキシに拾ってもらい、それが虚構だったと知りイルシヲに入り、この護衛任務に就くに至った。
その仮定でいろいろなものを見てきた、アルダの活動、イルシヲの活動理念、ニールとルトラという仲間、デミトラとその周囲の人間の関係、そのどれもがクロウにとって大事で、どれ一つとして大切で、無くしてはいけない宝物だと思った。
湧き上がってきたのは勇気で、それはこの暗闇の場所にいる不安を吹き飛ばすのには十分すぎるものだった。
だがそれでも現状は変わらなかった、身体が軽くなったような気はしたが、それだけでは何かが足りない。
もし心の強さが問題なのだとすれば、それは相手の心も同じではないのか。
そう閃いたからには、クロウは実行に移すしかなかった。
「あの子の仕事だって言うなら、貴女が手を出してはいけないんじゃないのか」
女性に揺さぶりをかけてみることにした、任務が少女だけで行われなければいけないかのような口ぶりだったが、そもそも女性が何者かさえ分かっていない。
「結果さえ良ければ彼らは気にしないわ」
その言葉でクロウは確信した、少女とこの女性の裏には何かしらの組織があり、そこから命令を下されたのだろうと。
そこにもどういうわけか理由があり、少女をこの女性が無理やりに動かす必要があったのではないのかと。
だとすれば女性と少女の関係性はなにか。
失敗したときの保険という線はどうか、しかしその口ぶりからして違う、そもそも本人が出向いてくればいい。
わざわざ心を支配してまで、まどろっこしいことをする意味とは何か。少女自身の手で行われなければいけなかったのではないのか。
無関係の人間が、少女の為を思って、少女が嫌がる行為を無理やりさせる理由。
そこまでする気持ちの入れよう、それは例えば、親子ではないのかと。
そう考えれば少女の年齢と考えても筋が通った。
目の前にいる女性が少女の母親で、何かしらの理由で少女自身の手で殺しをさせなければいけなかったが、出来ないであろう少女に代わり自分が操って手を下そうとしている、そう言ったところだろうと。
なんて悲しいのか、そこにどんな理由があるか分からなくとも、そんな状況に追い込まれるのは到底普通ではない。
だとすれば、そこに勝機があるのではないのかとも。
「それがもし、あなたの組織にばれたとしてもですか」
「どうせあなた程度の人間じゃ、私たちの本部にはたどり着けないわ」
ゆさぶりをかける、女性も冷静ではないのかクロウはその綻びに気づいた。
「本当は、怖いんですね」
「……何を言ってるのかしら」
組織の任務だという事を、否定はしなかった。
「もしニールやルトラを殺そうと思ったら、やめた方がいいですよ、少しきな臭いと思ったので増援を呼んであるのでもうすぐ駆けつけてきますよ、イルシヲに目を付けられたくはないでしょ」
それは真っ赤な嘘だった。応援など呼んでいないし、イルシヲが女性を追い続けてくれるという保証もない。
「だったら仕事を完了してすぐにでも引き払うわ」
「それは、あの子を置き去りにしてですか」
幸いにも女性はクロウの嘘を信じてた、だからでこそ女性はそこで動きを止めた。
「ニールやルトラにも話をしたように、増援にもあの子の事は話をしています。もう既に護る対象になっています。気を失った人間一人を抱えて、それも不安定なこんな魔法を使って貴女にはそれでも逃げ切る自信がありますか」
画面の動きも止まった、それは女性の動きと連動していて、その動揺は後姿から察することが出来た。
あと一押しだとクロウは思い、魔道具の特性を思い出しながら話しかけた。
「魔道具を砕いたときに、俺に向かって魔法が発動した、つまり遠隔から魔法をかけなおすことは出来ない。つまり貴女はあの少女の身体に戻ることは出来ない。だからこの体を使って、少女を抱えて逃げなければいけなくなる。人ひとりを抱えながら、あとからくる増援から逃げきる自信がありますか、その時は恐らく保護なんてされない、殺されるかもしれない」
「そうね、無理かもしれない。だけどやってみる価値はあるわ、あの子の無事が守れないなら何の意味もないのよ」
クロウは、女性が少女の安全を願った時点で、彼女が母親なのだと確信した。
「だったら、だったら俺たちに任せてみてくれないか」
「……何を言ってるのあなたは」
「イルシヲならきっとあなたの組織からも隠し通せる」
それは本心から思っていた、騎士団にさえ見つけられないイルシヲを、他の組織に見つけられることはまずないだろうと。
「そんなこと信じると思う、そう言っておいてひどい目に会わせるかもしれないじゃない」
「もし俺がそんな嘘つきだったら、どうしてあの子は無傷のまま気絶していると思ってるんですか」
心が揺れたのか、女性の動きは完全に止まっている、ニールと向き合ってはいたが、こちらから仕掛けることも、またニールが仕掛けることも無かった。
そして画面が再び動き出し、今度は後ろの方で倒れていた少女を映し出した。
その視界が少女の身体を眺めていて、肌の見える部分に多少の擦り傷程度はあったが、目立った切り傷や打撲痕はどこにも見当たらないのを確認した。
害するつもりがない事を、その姿で女性は確認した。
「本当は、こんなことさせたくなかったんじゃないんですか」
心がつながっているせいか、女性の気持ちが流れ込んでくるような感覚があり、そこには少女を慈しむような気持がうっすらとだが漂っていた。
「わたしだって、私だってあの子に殺しなんかさせたくなんてなかったわよ、でもこの家に生まれたからにはそれができなきゃ、できなきゃ処分されてしまう」
女性は弾けるように、そして最後は絞り出すように言った。それは女性にとってもやりたくない事だったという。
「おれが、きっとあの子を護って見せます」
「そう、あの子が言ってたのはあなたの事ね」
「どんな風に言ってたんですか」
「変な人だけど、こんな場所に居そうにない人って、場違い的な意味でよ」
「それは、正しいと思います、少し前までは普通に働いてたんですから」
女性が俯く、クロウの身体はもう完全にその制御を失ったのか棒立ちの状態のようで、その映り込んでいる光景にも全く変化が起こらなかった。
「じゃあ、本当にあの子を守ってくれるの」
女性の声が何かに縋るようなものになったことにクロウは気づいた。
それまで感じなかった、縋るかのような口調にその心境の変化に多少焦った。
もしかしたらこの女性も被害者だったのではないかと、ただクロウにはそれを知る由はない。
少女は間違いなく被害者だった、いまはそれだけしかわからないし、それで十分だとも思っていた。
「あの子はね、本当は生き物も殺せないような優しい子なの」
「あの子にはこんな世界じゃない、日の当たる世界を行かせたかった、だけどそれは、この家に生まれたからにはもう無理だと思ってた」
「それでも、うちにいるよりは死んだことにでもして、匿ってもらった方がいいのかもしれないのかもね」
女性の気持ちが徐々に収まっていくのがクロウにはわかった。
「わたしも弱くなってしまったものね、こんな敵の言葉で気持ちを揺らがされるなんて」
「それは違うと思いますよ」
女性が怪訝そうにこちらを見ていた。
「あなたは、あの子の事を護りたいと思ったんだ、それは強さですよ。たとえその結果がどんなものになろうとも」
「……ふふ、嬉しいこと言ってくれるじゃない。私の手から離れていくことが不安ではあるけど、もしかしたらそれがこの子にとって一番幸せなのかもしれないわね」
「もう一人にはさせませんから」
クロウは心からそう誓った。
「実践はまだまだのようだけど、あなたは心が強いのね、この魔法を抜け出せた人間はあなたが初めてよ」
最初に落とされこそしたが、女性から褒められると、クロウは素直に嬉しく思った。
実際押され気味だったことを考えると、もっと強くならなければいけないなとも考えていた。
画面が動き、暫く少女を眺めた、そしてその髪をかき分けながら顔を覗き込む、名残惜しさを感じているようにも見えた。
「あなたなら、大丈夫なのかもしれないわね、シイをお願いするわ」
少女の名前を女性が口にすると、途端に女性は光の粒となって消え始めた。
女性が魔法を解除したことが分かると、途端に暗闇だった場所に上から明るい光が差し始める、心象風景はやはり操作されていた。
「もしあの子が危険な目にでも合ったら、許さないからね」
そんな恨み言も聞こえると同時に、クロウの意識はまた閉じていった。
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