第8話

「何をしたらこんな屋敷に住めるんだろうな」


 ニールは目の前に広がる壁を眺めながらそういった、人目を避けながら狭い路地を歩いて行った先にその屋敷があり、周囲は一等地が立ち並ぶ住宅街でもあった。


 屋敷の外壁はそれなりに高く、背の高い庭木以外にその場から中は見えなかった。隙間もなく、ひび一つない白い壁がずっと続いていた。護衛の依頼を頼んだ人物は、いまクロウたちの前に広がる屋敷の主という話を道すがらニールに聞いていた。


 街の中心部には重要な建物が密集していることもあり、個人で所有することができなくなっている。王城、騎士団の本部、冒険者ギルド、そしてプロキシの本部と言った感じに、街の中心部には重要な拠点が集まっているため、個人が持つ最上級の土地は、街の中央から少し離れた場所となる。そこに大きな屋敷を立てることが有力者として力を誇示しているのだとも聞いたこともある、依頼主はそれなりの金持ちだとわかる。


「ここのやつも何か悪いことでもしてんじゃねえのか」 

「依頼主のことを悪くいうのは、よくないよ、それにそのあたりもちゃんと調べての依頼了承なんだからね」

「でもよ、こういう場所に建てたやつって、いままで碌な奴がいなかったじゃねえか」

「でも、でも、ここの人も同じって決まったわけじゃ」

「へっ、どうだかな」


 ルトラが依頼主を悪く言うニールを戒めたが、その返しにニールが言い放った言葉はルトラを黙らせた、ルトラとニールがこの組織に入ってどのくらい経っているのかクロウは知らなかったが、その簡単なやり取りだけで会話が通じる様子は、一朝一夕のものではないだろう。


 クロウは屋敷を外から観察していた、外壁の上から見える木には庭師が捕まっていた、剪定しているようで鋏を器用に扱っていたが、クロウが見ていることに気付いたのかクロウの方を向く、そこでクロウと目が合うとその庭師は会釈をした。クロウは自分に手配書が出ていたことを思い出し、一瞬びくついたが、庭師の様子からしてまだ知れ渡っているようではなさそうだった。


 流石の騎士団でも、一日で街の全域に手配書を出すことはできなかったのか、もしくは彼が知らないだけか。だけどクロウは会釈を返していた、いまの立場がどうであれ、好意は無下にしたくなかったのだった。それから庭師はまた自分の作業に戻るともうクロウの方を向くこともなかった。


 クロウがいる場所から少し離れた正門には、門の内側に見張りがいた、こちらはまだ距離があるせいかクロウたちには気づいていない。背筋をピンと立て、その手に槍を構え、門の向こう側で直立不動を貫いていた。だがその雰囲気がピリピリとした緊張状態ではなく、穏やかそうな、もはや長閑さを覚えるくらいような門番の様子で、クロウにはとても護衛を頼んだ依頼主の館には見えなかった。


 ニールのいう、なにか悪いことをやっているお偉いさん、が建てた屋敷といった印象はクロウには浮かばなかったが、クロウの中には疑う気持ちが残っていた。そうやって騙されてきた自分のこれまでを、簡単に忘れてはいけないと自分の中で唱えながら、それは突如として鎌首をもたげてくる疑問の気持ちだったが、疑う気持ちは悪い事だと思っていたクロウが、この半日ほどで大きく変わっていた。自分の中の変化に少しクロウは戸惑ってはいたが、その変化を悪いものだとはあまり感じていなかった。




 ニールが歩き出したのでクロウたちが付いていくと、正門とは逆方向に歩き始めた。歩調を合わせるつもりはなく、ぐいぐいと先に行くニールを、ルトラとクロウはおいて行かれないようについていくように、そしてしばらく歩き、ちょうど正門の裏側にあたる場所に着いた。そこには小さいながらも頑丈そうな扉があった。正門より狭く、人一人がぎりぎり通れそうな小さな扉、だからでこそ正門よりも逆に侵入しずらそうな扉で、その前に一人の老紳士が立っていた。


「ちょっとここで待ってろ」


 ニールがそういうと、顔をフードで隠しながら老紳士の方に一人で向かっていった。何を話をしているかクロウには聞こえないが、打ち合わせでもしているように見える。手持無沙汰だったクロウはルトラの方を見た。


 ルトラの方もクロウを見ていた、その瞳が揺蕩う水面のように青く、吸い込まれそうな色で、だからでこそ何を考えているのかクロウには図りかねた。ルトラをみるクロウの姿が映し出されている、クロウは焦っていた、同じ部隊ならば何かと仲が良い方がいいに決まっていると、何か喋らなければと思ったが、出会ってすぐの人間との共通の話題は簡単には見つからなかった。


 ルトラは何も言わないというよりも、何かを言うつもりがないといった風にクロウの様子を伺っていた。そしてルトラも話しかけはしなかった、それは話題を探すつもりが最初からないかのようで、たまに泳ぐ視線のせいか、むしろ凝視しているクロウを少しだけ怖がっているようにも見えた。



 二人がお見合いをしている間に、ニールが話を終えたか遠くから手招きをしていた、いつの間にかフードを外しており、そのままの姿で手招きされるがままに近づくと、狭い裏口から屋敷の敷地内へと自然な流れで案内された。


 裏口で立って待ち構えていた老紳士は、その名前をセルバンと名乗った、この屋敷の執事だという。セルバンは今回の依頼を知る数少ない人間だという話で、他の従者たちは今回の件については何も知らないために、できる限り秘密裏に事を済ませてほしいという話をまず最初にしてきた。


「なんであんたのご主人様は他のやつらに言わなかったんだ」

「巻き込みたくなかったということと、心配させたくなかったのでしょう」

「言わない方が危なくねえかそれ」

「大丈夫でございます、明日より彼らはしばらく休暇を与えることとなっております、ご主人が出かけて館を留守にするという名目で、ゆえに彼らが巻き込まれることはまずございません」

「へー、じゃあ俺らが暴れても巻き込む心配もないわけだな」



 館の主人に依頼の話をするためと、セルバンはクロウたちを敷地内に招き、その案内をし始めた。クロウが外から見た時は広大に見えた屋敷だったが、その中はそれほど広くないことを知った、走れば10分とかからずに端までたどり着けるくらいの広さで、その庭は手入れがよくされているのか、見栄えも良いものだとクロウは思った。ところどころに庭木や、小さな小川のようなのようなものもあり、遠目に見て魚がいるのも見えた。何十分でも眺めていられそうな、落ち着く庭だった。


「こちらご主人様もお気に入りのお庭でしてな、庭師の方々も丁寧に世話をしてくださっております」


 そんなクロウの様子を察してか、セルバンは庭の説明をもしだした。クロウの中では、庭師という言葉が出てから、屋敷の外で会釈をした人物が浮かんでいた。柔和な笑顔で、仕事にも熱心に取り組んでいたように見える、そんな職人だったら、この庭を造ることもまた不思議ではないと思ったし、いい仕事をする職人だなと感心もしていた。


「ご主人は普段あの建物の二階におられることが多く、いまからそこへと向かいます、ついてきてください」


 セルバンがそう言って目を向けた先には、二階建ての建物があった。質素な建物でこじんまりとした建物だった。セルバンの言っていた二階の、庭に面したその部屋がいま依頼主がいる場所だと言った。建物の周囲には花が植えられており、質素な建物ながらも決して暗いといった印象は受けない。建てられてそれほど経っていないのか、それとも手入れが行き届いているのか、廃れているといった印象も受けない。だがその屋敷は、土地に比べればとてもこじんまりとしたものだった。


「小さいな」

「ちょ、ちょっとニール君なにいってんの」

「いやはや、それはごもっともなご意見ですな」


 クロウの心の中の声をニールが代弁していた、真っ先にその声に反応したのはルトラだった、クロウも思いはしたが口に出すのは駄目だろうと思っていたからでこそ、セルバンがニールの意見に賛同していたのは最初頭に入った来なかった。


「わたくしも、ここに居を構えるという話になったとき、もう少し大きくしてはどうかと言ったのですが、そんな無駄はいらないと言われておりましてな、ですからお嬢さん、小さいと言われるのもしょうがないことなのです、わたくしどももそう思っているのですから」

「なんでだ、でかい方がいいんじゃねえのか」

「ご主人様はあまり欲がない方なのですよ」


笑う紳士の横顔は、自然と漏れたもののように映った。



 屋敷の中に入ってみるとすぐに大広間が広がっていた。天井は二階まで吹き抜けで、クロウはついつい辺りを見回してしまう。入り口から正面に、二階へと上がる大きな階段があり、大広間の外周にはそれぞれ扉が付いている、その先に各々の部屋があるといった様子だった。


「給仕を雇ってみてはとも進言してみたのですが、ご主人様は『この建物ならば必要あるまい』と押し切られておりまして、わたくしが好意で執事兼使用人もやらせてもらっております。いらっしゃいませお客人、お部屋へご案内させていただきます」


 セルバンは多芸なようで、執事と使用人をこなしていた。屋敷の中はちょうどよい広さで、家に住んでいる人間は依頼主である館の主人とセルバンだけだという。屋敷の広さはその二人で掃除をしても十分に手が届くように思えた。だけどクロウが入ってすぐその綺麗さを感じるのは、常にセルバンが清掃をしているのだろうと想像できる。


 屋敷に入ったクロウたちは、セルバンにそのまま案内されるがままに階段を上がり、二階の一番奥の、屋敷の入り口の方の扉まで案内される、そこでセルバンは扉をコンコンと叩いて声をかけていた。


「ご主人様、セルバンです、例の件で使いの者を連れてまいりました」

「おお、待っていたぞ、入ってもらってくれ」


 クロウが想像していなかった、若い男の声が聞こえた。この立地に屋敷を構えているのだから、それなりな年齢の人物が出てくると思っていたクロウは少し驚いた。年上だとは思えたが、声の感じは一回りも上というわけではなさそうだった。


 セルバンが開いた扉から部屋の中に通されると、正面に仕事机のようなものが見え、その上には紙や本が乱雑に積まれていた。部屋の両側には本棚が備えられ、書物があふれかえっている。遮光幕を下ろした部屋は魔光灯で照らされていて、部屋を締め切っているせいか紙独特のにおいが籠って漂い、少し湿っぽくもあった。

 入ってすぐ、人の姿はどこにも見当たらなかったが、わずかに紙のこすれる音だけがその山の向こうから聞こえてきた。


「よく来てくれた、ありがとう、すぐに終わるのでちょっとその椅子に掛けてもらってくれセルバン」


 言われるがままに長椅子に案内される、ふかふかで手触りもいい、クロウたちが一列に座ると宣言通りに作業を終えた男が、その紙の山の後ろから現れた。青白い肌にぼさぼさとした頭、少し歪んでいる眼鏡、そして何かやつれているようにも見える。


 こういった屋敷に入ること自体クロウには無い経験だったが、家主の、その自らの恰好を気にしないという姿が、どうにもこの場所とは不釣り合いな気がしていた。ある程度の地位となると、何かしら自慢したくなるというのが、クロウが学園で見てきた世界でもあったからだった。


 男はすっと一直線に歩いてきて手を差し伸べてきた、中指のたこが目立つ手だった。クロウとルトラはついその手を取っていたが、ニールはじっと見るだけで握手を拒否した。


「ようこしイルシヲの者たちよ、私が依頼主のデミトラという」


 デミトラと名乗る男は声の印象通り、クロウより少し年上に見える男性だった。その見た目もクロウとそれほど離れていないようにも見える。だけどその握った手の皮が厚かった、長い年月を過ごした手だった。


「いやしかしイルシヲ、まさか本当にいたとはな、手配書に掲げられていることは知っていたが、その実質的な悪事も聞こえてこなかったので、実は存在しない空想上の存在なのではないかと思っていたのだが、いざ呼びかけるとそれまでなかった実体のようなものが浮かび上がって、いま私の目の前に立っている。もはや疑いようがあるまい」


 デミトラは一人でひたすら喋っていた、自分の考えを口に出してしまう種類の人間なのか、もしくは考え始めると止まらないような種類か、目が悪そうに見えるのは一つのことに没頭して、目を悪くしているように見える。


「おっと失礼した、私はついつい先走りしてしまうところがあってな。ところできみ達のことを何と呼べばいいだろうか」


「ニールで」

「ルトラ」

「ク、クロウです」


 偽名など考えていなかったクロウだったが、ニールとルトラがそのまま名前を伝えていたので、クロウもそのままに伝えることにした。


「そうかそうか、おや、きみはとはどこかであったことがないかなルトラ君」

「いえ、ないです」


 デミトラはルトラに見覚えがあるのか、じっとその顔をのぞき込んでいた。だがルトラの方に覚えがないというと、さっとその身を引いた。


「そうだったか、私の勘違いだったようだすまないね、女性に対して失礼なことをした。時間がもったいない、さっそく話に入ろう」


「今回の依頼は私を護衛してもらいたい、期限は今日から三日ほどだ」


クロウは三日という期限に引っ掛かりを覚えた


「なんで三日で大丈夫だと思った、てか何であんたは狙われてるってわかったんだ


 ニールが窓口になってまた代弁してくれた、ニールは物おじせずズバズバと何でも聞いてくれる男のようで、聞きたいことは何でも聞いてくれていた、クロウからでは気おされてしまう。その態度が一見失礼なように見えても、この時は助かる、ニールが会話の船頭を努めるように見えたクロウは、しばらく黙って静観することにした。


「つい最近私のもとにこのような脅迫状が届いたのだよ」


【辞退せよ、さもなくば命の保証はない】


差し出された紙にはそういった文字が書かれていた、だれがどう見ても脅迫状だった。


「そして三日というのは、今日から三日後にとある発表会に出席することになっている、その時まで無事ならば恐らく今後に問題はない」

「発表会ってのは何だ、そもそもあんたは何をしているやつなんだ」

「そういえば紹介が遅れたね、私はこの街の中心にある、レ・ケミという研究組織に所属し、そこで研究を生業にしている者なんだ」


 クロウはその名前に聞き覚えがあった、レ・ケミは街の中心部の拠点の一つであり、魔法の研究を主にしている組織だった。学園からの就職先としても名をあげられる、一部の人間にとっては憧れの組織の一つで、クロウの可能性の一つでもあった。そしてその組織にいるのであれば、この場所に居を構えていることも不思議な話ではない、なかなかの高給取りだと聞いていたからだ。


「私の専門は魔素についてだ、残った魔素を調査や追跡にうまく流用できないかといった研究をしている」


「この発表会に求めているのは、研究の発表による資金の援助、そしてもう一つは、能力があると証明されると王族により貴族へと召し抱えられることだ。そうすれば晴れて上流階級の仲間入りが果たせるということになる」


「あんたは権力が欲しいのか」


ニールの目つきが少し変わった、クロウから見たニールは、どうにもこういった上流階級の人間を憎んでいるようにも映る。


「そうでは……いやそうなのかもしれないな、私は研究職に貴族がいれば、その研究に信用ができる、そうすれば宣伝にもなるし、資金援助という点でもより一層の貢献が期待できると考えているんだ、いま現在レ・ケミには貴族は所属していないものでね。本当は貴族階級なんて面倒なものはない方が楽なのかもしれないが、一組織だけの力ではどうにも限界を感じてしまうこともあるんだ」


「あんたは、今回の発表がそれほどのものだという自信があるってことでいいのか」


「ああ、その通りだ。今回私が発表しようとしている内容は、魔素を長時間保持させる研究だ。魔素は知っての通り時間が経てばその痕跡をなくしてしまう、この研究はその消えた魔素を、時間制限こそあるが復活させようという研究内容だ」


 クロウの中にアルダとの会話が蘇る、魔素を辿る研究についてクロウは学園で聞いたことがあったが、研究をしている当事者たちに会うのは初めてだった。


「それができるとどうなんだ」

「魔素を辿って逃走経路の判明ができていたが、多少現場に遅れたとしてもそこからまだ辿ることができるようになるだろう。いまはまだできないが、その場で使われた魔法の詳細な分析といったものも将来的には可能になる、つまり犯罪を解明する助けにもなるし、防犯という意味では抑止力にもなりうる、我ながらこの世を変えるものだと自負もしてしまうね」

「ってことは、それを調べられると困る連中が脅しをかけているわけだな」

「話が早くて助かる」


 話を聞くと何かしらに悪用できるような研究でもなさそうで、それを阻止する連中がまともな集団ではないとクロウは悟った。


「そういうやつに心当たりとかはねえのかデミトラさんよ」

「いやあるね、だけどこっちからはどうしようもない」

「なんでだよ、それこそ騎士団にでも通報すればいいだろ」


 クロウはデミトラの俯いた表情に既視感を覚えた、その表情だけで、デミトラの相手が理不尽な者だとわかったのだった。


「ある程度はわかっているんだ、誰が私を狙っているかについては。ある程度は裏もとれている、だがある程度ではどうしようもないのだ、相手はなかなかに狡猾で、決定的な証拠だけはどうしても見つからなかった。こちらがかける疑いは百%証明されなければならない、そうでないと、次に疑いをかけられるのがこちらということになる」


「その相手ってのは何者なんだ」


「相手は恐らく上流階級の人間だと思われる。まあ私もこの年でこの地位まで上り詰めたくらいだ、色々な情報網を持っている、そして調べていくうちに大体誰が主犯かもぼんやりとだが浮かび上がってる、脛に傷を持っている人間は多いが、傷を隠し切れない人間はそう多くはないということだ、探られる腹が痛い人間ほど、大仰に騒ぎ立てるというやつだ。だが相手にはそれまで培ってきた信用というものがある、仮にその界隈での信用がなかったとしても、ただの研究者である私がその場で糾弾したところで信じられるのは相手の方になるということだ」


「だが私が貴族になってからだとその発言にも力が宿る、私の身の安全もその身分によって保障される。その時には私の声も同じ立場から発せられる、もちろん相手の方が期間が長い分、一日の長があるかもしれないが、それでも無下にされることはない、そうなれば平等な調査の立場に持ち込める、その段階になれば相手も迂闊には手を出せなくなるということだ」


「だがもし仮にだ、召し抱えられる前に、どんな理由であったとしても死んでしまったらどうなるか、不審に思われ多少の調査はされるかもしれない、だがもみ消してしまえば、それが表に出てくることもまたないということだ、私の相手はそういうやつらだということだ」


 デミトラの前に立ちふさがる正体が理不尽だとわかると、クロウの心臓はドクンと跳ね上がった。自らの力だけではどうしようもない、理不尽という名の悪魔が今度は目の前の依頼人を襲おうとしている。


「そしてその開催が、三日後ということだ」

「だけどあんた、この手紙が届いたのは最近って言ってただろ、それまではどうしてたんだ」

「ああ、夜も眠れない日々だったよ、いつ来るか分からないんだからね。まあ、その間籠って研究をしていたから、退屈だったというわけではない、多少昼夜逆転の生活にはなってしまったがね」


 デミトラがやつれているように見える理由は、夜に眠れていないからだった。その顔をよくよく見てみると目の下に隈があった。化粧でもして誤魔化しているようだったが、注視してみるとその痕が見えた。


「それが悪戯って可能性はねえのか」

「ないね、私も自分でいろいろと調べてみたんだ、すると何も見つからなかったが警告は受けた、これ以上深入りするならばと。探られて痛くなかったらこんなものは届かない、違うかい。そしてそれ以上先へは、何の後ろ盾もない一介の研究者の私では行けなかったのだ」


 悔しそうに俯く、あごに力が入っているのか、食いしばる歯がこすれる音が少し聞こえてきた。その姿を見るとクロウは居ても立っても居られなくなった。


「すみません、少しだけこの領地を探索してもいいでしょうか」


 クロウは自分にできることはないかと、敷地内をくまなく調べようと思いデミトラにそう言った。疑う気持ちはまだあったが、話を聞く限りデミトラに悪い話は見えなかったからだった。それでもまだ何かを隠しているかもしれない、それは疑心暗鬼というよりは、そうであってほしいと思っているかのようでもあった。だから自分の足で探りたいと思った。この気持ちをそのままに依頼を受けても、クロウは恐らく何もできなくなるという予感があった。


「うん、構わないよ、庭師や門番たちには客人が来ると伝えてあるから、そういう体で頼む」

「わかりました」

「あ、わたしもいいですか」


 ついでと言った風にルトラもクロウに次いで申し入れる、そちらも問題なく受け入れられていた。


「あー、じゃあ俺がデミトラさんからいろいろ聞いとくから、お前らはこの屋敷をいろいろと見て回ってくれ、護衛となれば屋敷の事を知る必要もあるしな、デミトラさんもそれでいいか」

「ああ、構わないよ、いくらでも調べてくれたまえ」


 ニールがそういうとデミトラも快く受け入れていた。その弱弱しそうながらも堂々とした姿勢に、そして許しが出たこともあってクロウは屋敷を調べることにした。自分の目で見て、自分で確かめる、その思いだけを胸にクロウはルトラと共に屋敷の外へと向かった。話が全て真実かどうかクロウにはわからない内容だったが、自分の目を疑っていたら、何も見えなくなると思ったからでもあった。

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