第12話

 その宿屋の一室は薄暗く、窓掛けが外からの光を遮り、薄暗い空間を作り出していた。部屋は綺麗に整理され物は少ない、あるのは備え付けてあった机の上にある、屋敷の配置図程度のものだった。


 事細かに書き込まれた図はデミトラの屋敷のもので、大まかなつくりと屋敷の位置が書き込まれている。侵入経路、屋敷に入ってからの進路、デミトラがいると考えられる場所などが記されている。その配置図のすぐ横には屋敷の作りについての設計図もある。

 

 妙齢の女性がその地図を眺めていた、ところどころに記号や印があったが、女性にとってそれは見慣れたもので、その意味も良く分かっていた。

 見慣れた道具で、手慣れた依頼、だが今回その依頼を受けるのは女性本人ではない、だからでこそ普段よりも念入りに調べていた。



 部屋に一人の少女が戻ってきた、女性の目つきがそれまでの注意深いものから柔らかいものに変わった。


「おかあさんただいま」

「お帰りなさい」


 二人は母娘だった、嬉しそうにする娘と、その姿を見て微笑ましく笑う母親と言った図に見える、だがその目の前にある地図が、その部屋の状態がその関係を怪しげなものに見せる。


「大丈夫だよおかあさん、あたし一人でもやれるから」

「そ、そう、だったらいいんだけど」


 心配を悟られたか、少女は母を元気づけようとしたか。


 親子の家は代々裏家業では、知る人ぞ知るといった殺し屋の家系だった。幼少の頃から訓練を重ね、小さいうちから仕事を任せ、それを生涯に続けてやっていくという、表の人間とは決して縁のない、闇の世界の住人。


「何か気になることでもあった、初めての仕事なんだからなんでも聞いてごらん」

「あのね、またあの人がいた」


だがその姿はどこにでもいる母娘のようにさえ見えてしまう。



 女性にはその人物に心当たりがあった、一回目の視察の時に少女の跡を付けていたのだが、その時自分の娘に話しかける二人の男女がいた、そいつらだろうと。


「あの二人のことかしら」

「ううん、男の人しかいなかった」


 あの場所にあの時間にいるとなれば、女性は彼らの正体をデミトラの護衛だろうと察したが、遠くから見ている事しかできなかった、それが家の掟だった。一人で仕事ができると判断されれば、家長が請け負ってくる殺しの依頼を一人で達成して、そして独り立ちを認めるといったことだった。そのためにも今回手を出すことは許されていない。


 なんとも歯がゆかった、女性が自分で受ければたとえどんな想定外の事が起きたとしても達成できる自信があったが、自分の娘がそうだと不安で仕方なかった、自分はこんなに弱い人間だっただろうか、暴れる不安を抑え込み、顔には出ないように振る舞っていた。


 なんでも依頼主は出来ることなら波風を立たせたくないと、最初脅迫をしてから様子を見るといった面倒なことをしたという。それで思い通りに動けば依頼を取り消すという、なんとも日和った依頼主だと思っていた。そしてその結果がこの護衛だということだろう、女性はなんて面倒事を増やしてくれたものだと思っていた。



 男の方に見覚えはなかった、だからと言って初見の人間に対し油断はしないがそれほど脅威に感じないのは、娘を前にしても普通だったからだ。実力がある人間は一目でその人間を見抜く、才覚で言えば母親さえ凌駕する少女を前に普通にしていた、それだけで男はそれほど脅威にならないと考えていた。


 むしろ女性はその男よりも、真後ろにいた、少し気弱そうな女の子の方に脅威に感じていた、震えて顔を真っ青にしていたが、何故かその少女は自分の娘をすぐに見つけ出していたからだった。


 自分の娘には天才能として、存在が希薄であるという能力がある、それは探知の魔法にも引っかかりにくく、何より目視で発見するのが難しいという殺し屋にとっては最強の能力だった。だからでこそ少年はすぐには見つけられなかったのだが、その後ろにいた少女は惑うことなく見つけたのだった。


 その時点で相手も何かしらの能力者だということはわかっていた、その顔にも覚えがあった女性が、そのあと独自に少女について調べてみた、情報の入手に多少困難したがその少女の情報は手に入っていた。


 それは人を色で見るという能力らしい、恐らくその色は、自分の娘の天才能では防げなかったのだろうと分かった。簡単な依頼だと油断をしていたら、とんでもない護衛が付いてしまったものだと歯噛みしてしまう。手助けをしたい、いや、なんだったら私が依頼を達成してしまって、手を汚さないうちに外の世界に出してやりたい、そんな思いがあったが、手を出すことは許されていなかった。

 

 この依頼は、少女を計る試験だった。



 母親から見た自分の娘は、殺し屋家業の人間とは思えないほどに優しかった。自分がそういう風に育てたのだという自覚はない、生来の性格と言ってもよかったのではないだろうか。


 殺し屋として最も大事な要素がなにか、個人の能力がものをいうところもあるだろうが、一番大事なのは心だと女性は思っている。他人を殺してもなんとも思わない、それを仕事だと割り切ることができる冷徹な心が最も必要な要素だと。

 

 それだけが、自分の娘には無かったのだ。


 女性はこのことをずっと隠し続けてきた、だけど隠しきるのにも限度があった。不審に思った家長はこの依頼を持ってきて、娘に与えた。普通であればもう数年ほどは期間を空ける、明らかに普通ではない、家長が自分の娘に疑問を抱いているのはすぐにわかった。


 恐らく家長はこう考えているだろう、多少問題を抱えていたとしても仕事さえできれば大した問題ではないと。それを試すのが今回の殺しの依頼だということだと女性は見抜いている。


 標的は科学者のデミトラという男ということだった、その男がもうすぐ開かれる発表会に出なければ依頼は取り消し、出るという姿勢を崩さなければ実行という話だった。女性も独自にこのデミトラという男についても調べてみた、研究内容まではわからなかったが、その方向性から人の役に立つことだということはわかる。そして残念なことに辞退する気も全く無いようで、依頼がなくなるという可能性はなかった。本人を叩いてみてもそれほど埃は出なかった、恐らく悪人ではないのだろう。


 だからと言って一家がそれで依頼をやめるかどうかといったことはない。依頼されて、それに見合う報酬がもらえれば誰だって殺す、それが殺し屋という家業だ。だが何の罪もなさそうな男を手にかける、それは娘にとってどれほどの罪悪感だろうかと。


 母親にとっては慣れたものだった、自分の身内以外はたとえ野垂れ死にしたとしても気にかけない、慣れたというのか、麻痺したというべきか。だが我が子が危険にあったらと思うと、自分はこんなにも激情家だっただろうかと思うくらいに心を揺さぶられた。


 自分の娘が、自分の意思で手を下すことはできないと思った、鳥一匹虫一匹、殺そうとすると手が震え、涙をためて向いた時のあの顔は、ずっと忘れられない。



 どうしてこの家系にそんな心優しい子が生まれてしまったのか、いまでも分からないし悔やまれてしまう、他の家に生まれればきっと幸せな人生を送れたに違いないと、当然そのことでわが子を迫害するわけではない、だがもし家の人間に使えないと思われてしまったら、薬だったり、魔法だったりでその心を壊されてしまうかもしれない、ただの殺人人形にされてしまうかもしれない。


 いまだって心配をかけまいと強がってはいるが、その握りこぶしが震えている。自分がやるべきことを本当は理解しているのがわかる。


「本当にあたしに、できるかな」


 女性には一つだけこの状況を打開できる可能性を考えついていた。それは自分の娘を一人前の殺し屋としてしまうことだった。だけど自分の意思では生き物を殺せない、その一歩が果てしなく遠く、難しい。だけど一度殺せば次に誰を殺したって一緒だと思うようになる、それは経験則だった。

 

 暫くはこの子に相当恨まれるだろう、もしかするともう二度とこの笑顔が向けられなくなるかもしれない。だけど今の状況を乗り切る方法はこの手しかないとも思っている、たとえどんな業を背負ってでも、生きて行けるなら、自分の娘を守るためならたとえどんな事をしてでも、そんな強い意志は女性を行動に移させた。



「あなたの事を、愛してますよ」

「お母さん」


 女性は魔法を使い始めた。


「大丈夫、気づいた時にはすべてが終わってるから」

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