第17話 きっと、桜咲く
そして、迎えた三月。今日は、公立高校の入学試験日だ。今日の為に、一生懸命努力してきた。あんなに勉強したんだから絶対に大丈夫。そう言い聞かせて、家を出た。
「かえで。努力してきたことを信じて、頑張ってきな!」
母は私を勇気づける言葉を掛けてくれたのだった。私が受験する高校は県内でも有名な音楽学校だ。そこで音楽についてもっと深く学んで、いつか音楽の先生になる。というのが今の私の夢。音楽の楽しさや素晴らしさを一人でも多くの人に伝えられたら、それだけで素敵だと心の底から思うから。
電車に揺られて、小一時間程。電車に乗っていた緊張の面持ちをした学生達を何人も見送った後に目的の駅に到着し、私は下車する。外の空気はピリリと冷たく、思わず身震いしてしまう。——頑張れ、私。そう言い聞かせて、一歩一歩強く踏み出して歩く。
駅近くに高校がある為、周りにいる制服を着た学生は皆、この学校の受験生だ。流れに乗るようにして歩いていくと間もなく受験会場に到着した。受付で手続きを済ませ、指示されたクラスに向かう。しんと静まり返った教室にコツコツと私の上履きの音が恐ろしい程に響く。私の席は端みたいだ。サッと腰掛け、時間を確認する。一秒一秒、秒針が刻まれる毎に私の緊張は高まっていく。
『絶対、かえでなら大丈夫だよ』
いつか言ってくれた彼の笑顔と声が、温かく私を包み込んでくれる、そんな気がした。凍えるように冷たかった手も、ブルブルと震えていた身も、動揺した心も。気づけばいつの間にか緊張は解れていて。私の瞳には決意の炎が灯っていた。
「試験開始——」
◇◇◇
受験から約一週間後。いよいよ合格発表の日だ。この一週間は常にハラハラドキドキとして、毎晩中々寝付けなかった。でも、家族は励ましと労いの言葉を掛けてくれて、とても心強かった。テストは思ったよりも案外解けて、全科目が終わったあと少しだけほっとしたのを覚えている。——でも、まだ気は抜けない。
私はいつもより早起きをして、身支度を整えた。その後の朝食は驚くくらい喉を通らなくて、殆ど残してしまった。家を出る前、最後の確認をする為に、鏡に映った自分を覗き込んだ。今日の私は凄く自信が無さげな顔をしていた。ぺちっと自分の頬を軽く叩き、勇気づける。結果を見る前から、そんな顔しててどうするんだ、私。口角を上げてニコッと笑い、ピースサイン。普段の私にちょっとだけ近づけて家を出た。でも今日は、いつもの朝だと思っていたけど全てのことが普段とは違っていた。外の空気は緊張に包まれて、冷たく乾いて感じるし、電線に止まっている鳥の鳴き声は、何だか私を焦らせるように聞こえてしまう。
駅に到着し、受験生でごった返すホームの間を上手く抜けていく。そして、騒ぐ心臓を抑えながら電車に乗った。心が高鳴っているせいか、今日の電車はいつもより何故か遅く感じた。早く結果を確かめたい、そう思う自分と結果は見たくない、と不安がる自分が混同し、頭をグルグルと駆け巡る。不安がっても仕方ない。もう試験は終わった、やり切ったんだから。私がそう思った頃にはもう電車は駅に到着しようとしていた。
降りた駅で他の受験生達と合流し、高校まで向かう。門をくぐり発表場所へ向かうと、既に沢山の人が発表のボードの前で歓声を上げたり、嗚咽を上げて泣いたりしている。途端に私は緊張してきてしまい、ガタガタと足が竦んできてしまう。大丈夫、きっと大丈夫だから——私はそう言い聞かせてボードの方へ歩いていく。一歩一歩が酷く重く感じ、この場で歩みを止めてしまいたいと強く思った。だけどここから逃げ出しては意味が無い。
一〇二一、私は自分の受験番号を探す。数字を追いながら下へ下へと視線をずらしていく。時々抜けている番号を見つけては恐怖を覚え、自分の番号が近づくにつれ、遂にその緊張はピークを迎える。
……一〇一八、一〇一九、”一〇二一”
私はその番号を見つけると同時に、安堵から一気に緊張が解け、その場にへなへなと座り込んでしまった。良かった、頑張ってよかった——
「ねえ、大丈夫?」
「え?」
私は周りを見渡す。しかし、雑踏の中、私に声を掛けたであろう人影は見当たらない。聞き間違えだろうか、いやそんな筈は無いと思う。私はもう一度周りを見渡してみる。
「まったく。こっちだよ、か・え・で」
彼はそう言って私の背中を優しく叩くと、悪戯な笑みを浮かべて、それから続けて
「これからも、よろしくね」
と、いつの日かのようにその温かい手を差し伸べてくれたのだった。——あぁ、また彼と過ごせる三年間が始まるんだ。そう考えると涙が込み上げてきた。来月の入学式にはきっと、満開の桜が咲いているね。
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