第10話 夏の思い出 奏汰編


 あっという間だった。かえでと出会ってからの時間は特に。

 あの公園で彼女と再開した時、俺は一瞬でかえでだと分かった。それにあんな風に自分の歌を褒めてくれてただ嬉しかった。――そんなことを思いながら、俺は終業式の話を聞いていた。明日からは夏休み。俺達にとっての最後の夏休みであり、受験生にとっての追い込みの夏だ。

 彼女と毎日会えないのが、とても寂しい。いや、仕方がないとは分かっているけれど、それでも、もっと一緒にいたい。話していたい。そんな気持ちがふつふつと込み上げてきていたのだった。




「はーい、今日の練習はここまでね」


 俺はそういって軽く手を叩き終了の合図を出す。かえで達は返事をし、楽器のメンテナンスと片付けを始めた。

 そして、時計の針が十二時をさす頃には部室の鍵を職員室に返し、自販機で飲み物を買ってテラスで雑談をした。俺と凛久はコーヒー、かえでと朱音はいちごミルクが定番になってきた。

 話をしながらも彼女のことをチラチラと見てしまう自分がいて。俺はグッとコーヒーを飲み込みその気持ちを奥にしまったのだった。


 その後も日は過ぎていき、あっという間に凛久とプールに行く日になった。朝起きて、俺はサッと準備を整える。今日は親が早朝から仕事の為、家は静かだ。テーブルの上にあった置き手紙付きの朝食を済ませると、妹に小さな声でいってくる、といって家を出た。


「ん……?」


 最寄り駅に到着すると、ベンチで本を読んでいる女性が目に入った。艶やかなストレートの髪に、雪のように透き通った白い肌、俺はついつい見とれてしまった。そして、五分程経った頃だったろうか。彼女は本をそっと閉じると立ち上がった。彼女の髪はふわりと風になびいた。


「かえで?」


 俺は小さな声でそう呟く。彼女は一瞬こちらを見た――ような気がしたが直ぐに改札の方へ行ってしまった。やっぱり、何か仕組まれてるのか?そう考えては見るものの目的がわからない。


「おはよう。奏汰」


 そんな中後ろから背中をつつかれた。凛久に向けて、俺はなるべく平静を装ってニコッと笑う。そして、彼女が行った方向へと俺達も向かったのだった。


 そして電車に揺られること三十分。プールに到着した。サッと着替えを済ませ、中へ入る。今日は絶好のプール日和だ。


「んじゃ、片っ端からまわっていこうか」


 俺はそう言うと奏汰と一緒にプールを楽しんだ。久しぶりのプールはとても楽しくて、時間というものが短く感じた。ふと気づいた時に時計を見ると時刻は十二時を過ぎていた。


「ちょっとはしゃぎすぎちゃったかも、そろそろお昼にしようか?」


 凛久が髪を掻きながら微笑する。ぐー、と俺の腹の虫が鳴った所でクスクスと笑い合う。俺達はテラスに向かうと焼きそばとラムネを注文し、席に着いた。パックをそっと開くとソースの濃厚な香りがフワッと辺りに広がる。箸が止まらなくなる美味しさだ。そこでラムネをぐいっと飲み込むと、シュワシュワとした感覚が肺から広がっていくようで気持ち良かった。そんなこんなで俺達はものの十五分程で完食をしてしまった。


「あ、そいえばさ奏汰に聞きたいことがあるんだけど……」


「ん、どうしたの?」


「いや、奏汰が歌を歌ってる理由って何かあるのかなって思ってさ」


「うん、あるよ。まだ誰にも話したことはないんだけどさ……。実は俺、妹がいてさ。その妹が歌を歌うことが大好きで、毎日何かしらの歌を歌ってたんだ。それで不思議なんだけどその歌を聞いていると何故か励まされるって言うか、元気になるって言うか、そんな感じだったんだ。__でも、五歳の時交通事故に巻き込まれて命を落としちゃってね。妹がお気に入りだった曲があの歌なんだ。だから、あの歌を俺が歌い継げば天国にいる妹も、この歌を聞いた皆も元気になるかなって思って歌ってるんだ」


「そっか、じゃあ学園祭は四人で成功させなきゃだね」


 そう凛久は優しく笑ってくれた。それから、ごめんね、言いづらいこと聞いちゃって。と謝る。

 俺自身、誰かにこのことを話すのが初めてだったから改めて目標を再認識できた気がするし、ちょっと背中に乗っていた重い荷物が降りた気がする。


「そうだね。話、聞いてくれてありがとう」


 俺はそう呟いた。そこで、ふと思う。この話、かえでにしていなかった気がする。俺の妹の彩歌さやかとよく遊んでいた彼女がもしこの話を聞いたら……、背筋がぞっと震えた。あとでしっかり話そう。俺はそう心にとめる。と、そこで凛久のスマホから通知音が鳴る。


「ま、まずい」


 咄嗟に凛久の口から声が漏れる。そして俺を見て、しまった。という顔をした。


「何かあった?」


 凛久は話すか話さないか葛藤したらしいが結局のところ、正直に話してくれるみたいだ。


「実はさ、今日朱音と二人で計画しててさ、四人で会おうと思ってたんだ。かえでと奏汰には内緒にして驚かせようと思って……なんだけどさっきの話かえでが聞いてたみたい――」


 さっと血の気が引いていくような気がした。彼女がこのことを知ったら――何も知らずに接していたことを自分を、一人で抱え込んでいたことを聞きもしなかった自分をきっと責めてしまうに違いない。俺はサッと立ち上がる。そして凛久と視線を交わす。


「ちょっと、俺行ってくる」


 そう言って俺はかえでを追って、街中を疾走したのだった。電車に乗ってムズムズしながら席に座っていることが出来そうになかったからだ。彼女が行く場所に心当たりがあった訳では無い。ただ、なんとなく此処にいるだろうという推測があっただけだ。俺はそれを頼りに、今は彼女に会うことだけを考えた。

 信号を待つ時はやけに長く感じたし、自分がもっと速く走れれば良いのに、と何度も感じた。乱れた髪はいつの間にか額にぴったりとついていた。頬を伝う涙の様な汗を俺はシャツの袖で拭うと、階段を最後の力を振り絞って登っていったのだった。


 

 夕空を見上げ、手を空にかざしている。俺は、荒い息を何とか整え彼女の元へ向かおうとする。


「世界を彩ろう、キミと――」


「ボクで――」


 気づけば俺は歩もうとしていた足を止め、反射的にその歌詞を口にしていた。彼女はサッと振り返る。俺は息を殺すようにして身を潜めていたが、そんなことを今更しても意味が無い。俺は覚悟を決めてかえでの元へ行く。そして、


「かえで」


 優しく、彼女の名前を呼んだのだった。彼女は目を見開き、それから何か考えているようだった。一瞬の静寂が辺りを包む。彼女の黒髪は、風になびかれてふわりと舞う。


「ごめんね、何も知らなくて――」


 そういった彼女の瞳から金色の涙が溢れた。涙は頬を伝い、彼女の足元に小さな水溜まりを作った。俺は、優しく髪を撫で胸の内を静かに語りだした。


「あの日、かえでが俺の歌を褒めてくれた。誰かに歌を褒められたのってあれが初めてで嬉しかった。歌で誰かを感動させられたんだって凄く実感したんだ。それで、音楽部を作ろうって決心した。だから俺はかえでに感謝してる。謝ることなんてこれっぽっちもないんだよ」


 彼女は優しく微笑んだ、かと思うと俺にそっと抱きついてきた。風が俺の前髪を舞いあげた。


「じゃあ、一緒に……、ふたりで頑張ろうよ。私達の為にも、彼女のためにも」


 俺はかえでの背中に手を回しぎゅっと抱きしめる。ぽつり、気づけば彼女の肩に何かが落ちた。それは、止まることがなくて。いや、止めることが出来なくて。彼女はそんな俺の髪を撫でてくれた。細い指が、華奢な手が、何故か大きく感じてとても心地が良かった。


「もう少し、このままが良い――」


 俺がそんな我儘を言っても彼女は嫌な顔一つせずに勿論、と微笑んでくれた。温かい。神様、どうかもう少しだけ時間を止めてくれないかな。この温かい場所にもう少しだけ、あと少しで良いからいたい。そんな気分だった――。

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