第2話 キミの歌声
真っ直ぐ家に帰りたくない気分だった私は、中学からの最寄り駅に向かうと休日限定のフリーパスを買った。特に何処かへ行くあてはないけれど、今はなんだか遠い果ての何処までへも行ってしまいたい――、そんな気分だったからだ。間もなく電車はホームに滑り込んでくると、私を含めた数人を乗せて静かに走り出したのだった。
――それからどのくらいの時間が経っただろうか。気づけば陽は傾き始め、段々と空が赤く染まってきている。終着駅が近づくにつれ、乗客が一人二人と減っていく。
「次は、影川――、影川――」
ここがこの切符で行ける終着駅。私は微かな期待を胸に読んでいた本をそっと閉じると、一人この駅で降りたのだった。
――こんな風に見知らぬ街へ来たのは初めてだ。改札を過ぎると出口から見える新鮮な風景に心が踊りだし、私はいつの間にか駆け足で歩き出していた。
何だかこの街は妙に居心地が良い。風を受けてゆさゆさと枝を揺らす木も、花壇にお行儀良く並んでいる色鮮やかな花々も、全てが美しく感じられた。坂を下り、駄菓子屋の前を通り、小さな橋を渡った。街の外れにある階段を登っていくと空に近づいている感じがして気持ちが良かった。登りきった先でしばらく空を眺めていると、ふと右の方から何かが聞こえてきた。
――何だろう、歌が聞こえてくる……?
私は興味が湧き、声のする方向へ歩いて行った。入口には柵のようなものがあって、奥には公園とその横に隣接するように屋外ステージがあるみたいだ。先程よりも歌が鮮明に聞こえてくる。その歌に吸い寄せられる様にゆっくりと歩き、近くにあったベンチにそっと座り目を閉じてその歌を聴いた。
「世界を彩ろう、キミとボクで――」
月に照らされたステージで彼が歌ったその曲。透き通った歌声が私の心を掴んで離さなかった。美しいとはきっとこういうことを言うのだろう。聴く人々の心にすっと入って来て心地良さを感じさせるものなのだ。
パチパチパチ――気づけば私は自然と拍手をしていた。目には涙を浮かべながら。その男の人はこちらに気づくと驚いたような顔をして、それから少し照れるように
「ありがとう」
とニコッと笑って言い、こちらに向かって歩いてきた。街灯が彼の顔を照らし、うっすらと顔の輪郭が見える。くせっ毛の髪、笑った時に右頬にできるえくぼ――まさか。
「セト……?」
私は小さな声で呟く。風は私の声を乗せて彼の所まで届いたようだ。目を見開いた彼は何かに気づいたように私の所まで駆け寄って来た。
「君は確か――」
「シノ!篠崎かえで」
彼の声を遮るようにそう言った。夜風が私と彼の頬を通り抜けていく。サワサワと葉の揺れる音がする。
――間違えない、彼は幼馴染の瀬戸口奏汰だった。
それから私達はベンチに座って状況を整理しあった。幼馴染の彼は小学生の頃、父の仕事の関係で遠い街まで引っ越したと言っていた。顔を歪ませるほど泣いて、嫌だと最後まで駄々を捏ねていた様子が脳裏に浮かぶ。
「またこうしてシノに会えて、嬉しいよ」
彼は笑ってそう言った。頬が火照り、今までに経験のしたことのないくらい私の心臓は早鐘を打った。ただ、また会えて嬉しい。と言われただけなのに。彼とはその後も沢山のことを話したけれど、何もかも上の空になってしまった。
「ねぇ、何か書くもの持ってたりしない?」
彼はふと私にそんなことを聞いた。
「あ、これならあるよ」
私は持っていた鞄から小さなメモ用紙とペンを取り出し渡す。彼はそれを受け取るとありがとう、と言って何かを書き始めた。その間約十秒。沈黙の後に彼は、
「これ、俺の携帯の番号。何かあったら電話して」
なんて言って私に紙片を渡す。整った懐かしい文字だ。
「うん!」
私はそれを受け取るとそっと胸に当てて、微笑んだのだった――。
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