従姉妹と私は、理科と数学

鶴丸ひろ

第1話 変人の従姉妹

「やばいって」


 学食横のトイレで手を洗っていると、すぐ後ろから声が聞こえた。ちらりと鏡越しに確認すると、可愛らしい女の子たちが集まって話をしている。襟元のリボンの色がピンクだから、一年生だ。


「だって、ネコの目に針を刺しているとこ見たもん。こうやって顔を掴んで、ぶつぶつ何か言いながら」

「目に針を? やばくない? いくらなんでもそれは、」

「でも本当なんだもん。裏庭の隅にいたんだもん。知ってるでしょ? あの、いっつも白衣を着てる変な三年生。変人って呼ばれてる人」

「知ってるけど、」

「絶対そうだよ。あの人だったら平気でネコとか獲ってきて食べそうじゃない?」

「やめてよ気持ち悪い」


 こそこそと声を潜めて話しているつもりらしいけれど、彼女たちの声はトイレ中に響いていた。私は小さくため息をつく。彼女たちが誰のことを言っているかなんて、考えるまでもなかった。


 私はハンカチで手を拭いた。鏡で自分の髪の毛をチェックする。


 ショートカットのボブヘア。チャームポイントの前髪は、真横にまっすぐに切りそろえられている。うん、今日も完璧。定規で引いたようにきれいな直線だ。


 少し右に傾いた赤い眼鏡を両手で直して、私はトイレを出た。後ろでこそこそ話している一年生たちはまさか、その変人の従姉いとこがすぐ横にいるだなんて考えもしなかっただろう。


 昇降口で靴を履き替えて、裏庭へと向かう。


 一年生が言うとおりだ。白衣を着た女が裏庭にいた。花壇の横でしゃがみこんで、こちらに背を向けている。


「何をしてるんですか?」


 私が声をかけると、寝癖でできた天然アフロが振り返った。


「あ、数美っ」


 少し鼻に掛かった声。

 顔にはギャグ漫画かと思うほど大きな瓶底びんぞこ眼鏡めがね


 間違いない。私の従妹いとこで、合力ごうりき真理まりという名前の変人だ。


「みてみて。ほら、猫がいたの」


 真理はわざわざ体をよじって、腕に抱いた猫を私に見せる。やけに毛並みがきれいな茶色いしま模様の猫。当然、目も付いてるし、体のどこにも食べられた形跡はない。首輪がつけていないから野良猫なのだろうけれど、真理によほど心を開いているのか、腹を見せた状態でゴロゴロとのどを鳴らしている。


「なんかね、目ヤニが付いてたから取ってあげたの。そしたらなついちゃってさー」


 真理は右手をポケットに突っ込んで、取り出したピンセットをぱちぱちと鳴らした。


 ――目に針みたいなのを刺してるとこ見たもん。


 トイレで聞いた一年生の言葉が頭によぎる。どうやら、彼女の言っていたことは全くのデマというわけではなかったようだ。あの一年生には本当にそう見えたのだろう。

 おもしろ半分で勝手にあることないこと作り上げて話す人がいるけど、あの一年生はそういう類いの人ではなかったらしい。


「さっき、真理が猫を食べようとしてるって噂になってましたよ」


 トイレでのことを話すと、真理はケタケタと笑った。こんな身なりをしているけれど、真理はシャレも冗句じょうくも通用するし、ノリだって良い。腕に抱いた猫の腹をくすぐって、


「食べちゃおうかにゃー」


 不思議なことに、猫はくすぐったそうに身をよじるけれど、決して真理の腕から離れようとはしないのだ。


「猫と友情を育むのもいいですけど、はやく旧校舎に行きましょう。放課後は一緒に受験勉強をする約束でしょう」

「……はぁい」


 露骨に不満げな表情を作って、真理は猫を放した。地面に降りた猫は、一度真理の足に顔をすりつけ、花壇の横にちょこんと座った。


「じゃあねー」


 真理がそう手を振ると、まるで別れを惜しむように、猫がしっぽを振った。

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