第17話 打ち上げ花火

 特大の赤い花火で、夜空のショーは幕を開けた。


 それは、本当に大きな花火だった。ずっと真理のことを考えていた私ですら、目を奪われた。赤くて、大きな花火だった。わあ、と観衆が沸いた。


 一発、二発、三発、四、五、六発――夜空に、花が咲いていく。すぐ横の子供たちが天を指さし、どこかから「たまやーっ」と声が聞こえた。

 すぐ横で、わあっとハルカさんが声を上げる。「きれい」可愛らしい声で、そんなことを言う。ドン、という音が胸を打つように響く。音が聞こえる。空気が振動している。


 半開きになった私の口から、その台詞はぽろりとこぼれ落ちた。


「赤色ってことは……リチウムですよね。一体どうやったら、ああいった光が出るようになるんでしょう。花火の中身ってどんな構造になっているんでしょうか」


 ドンドン、と花火が舞い上がっている。赤、青、黄色。それぞれ炎色反応の色が、きらびやかに夜の空に舞い上がっている。花火の上がる数に比例して、会場に熱気が帯びていく。


「あの高さまで飛ばすとなると、打ち上げるときの球の初速はどのくらいなんでしょう。花火の火種の重さはどのくらいで、……火薬はどのくらい使うのでしょうか。……あの、打ち上がる際に出てくる音はなんなのでしょう。笛でもついているでしょうか」


 疑問は尽きなかった。空から振っている火の粉が、好奇心にも引火してしまったのかもしれない。

 くすくす、と笑う声で、ハッと我に返る。てっきり、隣に真理がいるものだと思って話をしてしまった。


「数美ちゃんって、やっぱり変わってるよね」


 おかしそうに笑いながら、ハルカさんが言った。


「え、――私、変わってますか?」

「うん。変わってるよ。だってそんなこと、普通気にしないもん。他の人は、——少なくとも私は、あの花火が綺麗だなあって、それからどこで見るのが一番いいかなあって。そんなことしか考えてない。だって、今日初めて生で花火を見たんでしょ? それで、第一声が『きれい』でも『すごい』でもなくて、炎色反応だなんて、やっぱり変わってる」

「でも、炎色反応って化学で習いますよ」

「うん、習うね。でも、教科書を閉じたら、もう忘れちゃう。あの色の光を出すために、どんな金属を使っているのかなんて、たぶん誰も気にしてないんじゃないかな」


 私は、普通の人間であるつもりだった。今の自分は、周りの人と大差ないはずだ。あのガリ勉だった頃とは違い、今はこういう夏祭りで浴衣を着ている。


 ハルカさんは、私の顔を見て、にこりと微笑んだ。


「ずっと変わってるなって思ってた。だって数美ちゃん、誰に対しても丁寧語で、すっごく几帳面で、身なりも綺麗にしてるから人当たりよさそうだけど、人付き合いとか興味なさそうだし。――でも、冷めてるってわけでもないみたいで。ほら、数学を解いているときだけはすっごくハツラツとした表情してるから。たぶん、私とは全然違うものを見てるんだろうなあって思ってた。それが、なんだろうって、ずっと気になってたの」

「……そうですか。やっぱり、私は変わってますか」

「うん。やっぱり変わってる」


 ふふ、とハルカさんが爽やかに笑った。


「屋台回ってるとき、無理させてるかなってちょっと心配してたの。でも、花火打ち上がって、ようやくキラキラした顔になって、ホッとしてさ。いつもの、数学解いてる時の顔になってた。で、何を言うのかなって思ったら『炎色反応』だって。——ふふ。ああ、数美ちゃんの見ている景色って、これなんだって思った」

へんでしょうか」

わってるけど、へんじゃないよ。私にはない部分だから、すごくかっこいいよ。だから、数美ちゃんのことが知れてよかった。今日は来てくれてありがとう。ちょっとだけ緊張したけど、でも誘ってよかった」


 ——変わってるけど、変じゃないよ。私にはない部分だから、すごくかっこいいよ。


 一体、自分はなにを右往左往していたのだろう。

 変だとか、普通とか、何を気にしていたのだろう。


「さっき、白衣を着ていた女の人、いたじゃないですか」


 私がそう言うと、ハルカさんは少し考えて、


「ああ、うん。ステージのところにいた人ね」

「彼女、私の従妹いとこなんです」

「え? そうなの?」


 ハルカさんは目を丸くした。


「彼女、昔から本当に変わってたんです。好奇心に従順というか。格好も気にしないし、突拍子のないことを言い出すし、何も考えずに行動するし、――でもそのくせ、ちゃんと人の気持ちを考えてくれる優しさもあるっていう。変な人なんです」


 言葉があふれてきた。私は、真理のことを小さい頃から知っている。


「でも、だからこそ、私は彼女のことが大好きなんです。他の誰かがなんと言おうと、私は彼女のことが魅力的だと思うし、彼女の従妹いとこであることを誇らしく思うんです」


 立ち上がる。


「すみません。ちょっと、行かなくてはいけないところができました」


 ハルカさんはキョトンとしていたが、くすっと笑って、


「そっか。分かった。じゃあまた塾でね」

「はい。今日は誘ってくださって本当にありがとうございました」


 皆に一礼し、私はきびすを返して走り出した。


 花火が始まっているのに、屋台の前は人であふれかえっている。まっすぐ走れない。もともと走ることなんて小さい頃からしなかったから、下駄が地面の石垣に引っかかってつまづきそうになる。けれど、そんなことを気にしていられない。花火はあと三十分で終わってしまう。


 間に合うだろうか。真理のいる場所まで、私は間に合うだろうか。


 こうして走っている私のことを、他の人が迷惑そうに見ている。ぶつかりそうになって、すみませんすみませんと謝りながら走って、それでも前にはたくさんの人がいて、下駄の鼻緒がすれて足が痛くなって、こけて、「大丈夫かい嬢ちゃん」と唐揚げ屋のおじさんが声をかけてくれて、ありがとうございますと言って、私はまた走り出して、


 もうまるで、真理みたいだと思う。

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