第16話 ボサボサのツインテール
引き金を引くと、ぱん、と音がしてコルクが飛び出した。
屋台に並べられたキャラメルの箱の角に当たり、地面にぽとりと落ちる。カランカラン、と射的屋のおじさんが鐘を鳴らして、私は欲しいわけでもないキャラメルを受け取った。
「すごい!」
ハルカさんが私の肩を抱く。
「わたし全然当たらなかったのに!」
「銃口が左に三度傾いていたんです。だから、狙ったところからすこし右側を狙ったら当たります。キャラメルなら、右の角を狙えば、最もモーメントがかかる場所に当たります」
よーし、とハルカさんが浴衣の裾をまくって、射的屋のおじさんに二百円を渡した。手すりに肘をつき、片目をつむって狙いを定めている。ハルカさんはチョコボールが欲しいらしい。
みんなの意識がハルカさんの射的に向いていることを確認して、私は小さく息を吐いた。ちょっとだけ、疲れた。やっぱり私には、人混みは息苦しい。
空を見上げる。
小津山が見える。今頃、真理はあそこで実験をする準備をしているのだろう。いつものように白衣をまとい、双眼鏡を覗き込んで、今か今かと花火が上がるのを待っているのだろう。
――もう知りません。勝手にやったらいいんです。
あんな言葉を、言わなければよかった。――なんてちょっとだけ思って、私は再びため息をつく。自分のことが嫌になる。せっかくハルカさんが誘ってきてくれたのに、私はまだ祭りを楽しむことができていない。
「ねえ、数美ちゃん」
声をかけられて、はっと顔を上げる。すぐに精一杯の愛想を作って、
「なんですか?」
「見て、あれ」ハルカさんが私の後ろの方を指さしている。「ステージのところ。なんか、もめてるみたい」
ハルカさんの指さす方を見る。そして私の精一杯の愛想は一瞬にして吹き飛んだ。
――どうして、
白衣の女がいた。
ステージとは言っても、ビール瓶を入れるカゴを並べて、その上に板を乗せた程度の簡易的なものだ。上に立っても、周囲から頭二つ分抜き出るくらいの高さしかない。けれど、彼女の大きな瓶底眼鏡はステージから離れたこの場所からでもよく見える。
真理が、ステージの上で役員らしき男性と揉めている。
ステージの上には、まるで漫才をするようにマイクが一本立っていて、それが真理たちの声を拾ってここまで届いてくる。「探している人がいるんです」と真理が懇願するように言っている。「部外者は舞台から降りなさい」と役員の人も声を強めて言っている。
「不審者かな」
ハルカさんが心配そうに言う。けれど、私は何も言えない。のどから声帯を取り除かれてしまったかのように、声が出ない。
どうして真理があんなところにいるのだろう。今頃、彼女は小津山の高台で実験をする準備をしているはずなのに。真理はどんな事情があっても、実験を最優先にする。今この会場にいたら、花火を打ち上げ始める時間までに高台に戻ることなんてできるわけがない。
役員の男性が真理の腕をつかんで、真理が抵抗するように頭を振った。その拍子に、私はやっと気付いた。
真理の髪型が、ツインテールになっている。
アフロ一歩手前だった髪は、伸ばせばかなりの長さで、背中の半分まで届いている。その二つに結われた髪は、まるで長年使い古されたモップみたいに見える。
あの真理が、髪を結んでいる。
——なんで、
いや、疑問に思うまでもない。明白だ。私が真理にそうしろと言ったのだ。
一体、どんな表情で鏡の前に立ったのだろう。これまで触ったことすらないブラシを手にして、真理はどんな顔をしていたのだろう。緊張した面持ちだったのか、それとも腰を据えて、平然とした表情だったのか。
あんなにぼさぼさだったのだから、きっと毛先がブラシに引っかかったりもしただろう。痛いと思って、顔をしかめたのも一度や二度では済まなかっただろう。なぜ自分はこんなことをしなくてはいけないのかと自問しながら、半泣きで髪をといたのかもしれない。あるいは、あの真理のことだ、案外やってみたら楽しくなって、ノリノリでといたのかもしれない。
結局、真理はそのままステージから引き下ろされ、姿は人混みに隠れてしまった。ちょっとだけ祭り会場にただよっていた緊張感が、さっと波を引くように消えていった。
「びっくりした。じゃあ、これから花火の見える場所に行こうか」
ハルカさんがそう言って湖岸の方に歩き出した。私は黙って、彼女について行く。
大通りへと出ると、湖岸は当然のこと、ホコ天の大通りも人で埋まっていて、目が回りそうになる。これではもう座って見ることはできないだろうなと思ったけれど、ハルカさんはうまいこと場所を見つけて、私たちは湖岸ちかくの石垣に座ることができた。
「ほら、数美ちゃんもこっち」
ハルカさんに促されて、私は隣に座った。浴衣を着たハルカさんと並んでいると、いかにも夏祭りを楽しんでいる普通の人のように自分は見えるだろうなと思う。なんだか普通に祭りを楽しんでいる一般人であることが、真理への裏切りのような気がして顔が上げられない。「ガリ勉の地味子ちゃん」はこうして、浴衣を着てうちわ片手に祭りを楽しむ普通の人間になってしまった。
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