お弁当は楽しく食べましょう

 …………精神的に疲れ果てた四時限目が終わり、昼休憩が始まる。


 教室に戻った僕は、極力女性達と目を合わせないようにしつつ教科書を仕舞い、財布を取り出しつつ立ち上がる。


 僕はいつも購買でパンを買い、それを食べながら勉強するのを習慣としている。やはり勉強のお供にはこれくらいの軽食がちょうどいい。


「あれ? あっくん、どこ行くの?」


 と、教室を出ようとした僕に深紅さんが話しかけてくる。名状しがたい気まずさに少し迷ったが、無視するのはやはり忍びない。僕は振り返って笑った。


「いや、購買でパンを買おうと」

「お弁当、食べないの? ほら」


 と、自分の机を僕の机に寄せながら弁当箱を取り出す深紅さん。それも、4つ。


「いつも深紅ちゃんのお弁当を一緒に食べるのに、どうしたの? 淳史君」

「…………バカ言ってないで、早く食べるわよ」


 藍梨さんと陽菜さんも机を引きずりながらそんな事を言う。どうやら、僕と彼女達が一緒に弁当を食べる事は、この世界の中では至極当たり前の事らしい。


 ふと。ふと、僕の中で誰かが囁く。


『このまま強引に購買に行ってしまえば、3人の好感度が下がるのではないか?』


 ……確かに、その可能性はある。今の僕にとって……特に、さっきの惚れ薬の一件で60を超えてしまった陽菜さんの事を思えば、好感度を下げる必要性は明らかに高まっている。


(……けど)


 好感度が下がると言う事は、彼女達が悲しむ、という事だ。僕にとってはまだ半日の付き合いでしかないが……そんな顔を見たいとは、思わない。見たくない。


「……あぁ、すまない。食べようか、みんな」


 僕はそう言って席に戻り、彼女達の机と自分の机を合わせる。気が付けば、彼女達に対する気まずさのようなものは消えてなくなっていた。


 あぁ。我ながら、何とも意志薄弱だ。情けない。


 僕はノーマルエンドを目指す事を最優先にしていたはずだろう? ならば、例えどんな事態に陥ろうと好感度を下げる努力をすべきじゃないか。


 でも。安堵したように笑みを漏らす3人を見ていると、そんな自分の小ささもどうでもよく思えた。




「……美味しい」

「ホント? いひひ、ありがと!」


 ほわん


 深紅さんはホントに料理が得意なんだな。素直に感心する。好感度が上がったのは……まぁ、仕方ないな。


 3人のモノよりも少し大きめの弁当箱。その中にこれでもかと詰め込まれた弁当の具は、ことごとく僕の大好物だった。箸を止める暇なんてありはしない。


 特に、卵焼きだ。世の中には甘いモノと塩辛いモノの2種類があるらしいが、個人的には塩辛いモノしか認めない。卵焼きはご飯のおかずに相応しい塩味を兼ね備えてこそだ。


 深紅さんのそれは、その塩加減が絶妙だ。最後まで取っておこうと思ったのに、気が付いたら卵焼きは無くなってしまっていた。恐るべし、卵焼き。


「にはは、相変わらずあっくんは卵焼きが好きだね~。多めに入れといたのにもう無いや」

「む、す、すまない。どうにも自制が出来なくて」

「いやいや、謝る必要とかないし。それじゃあ……」


 意味深に笑った深紅さんは、自分の弁当箱に眠っている卵焼きをおもむろに箸で掴み、


「はい、あーん」


 僕の前にそれを差し出しながら、そんな事を言った。


(こ、これは……姉さんの乙女ゲーにも同じようなイベントがあったな)


 あちらは男から女主人公にではあったが、やってる事は同じだ。いや、しかし、僕は生まれて今までこういう事をした経験が……、


「あっくん? あーん」


 ……これを断るのは、かなり失礼だな。卵焼きを作ってくれたのは他ならぬ深紅さんなのだし。


 確か、乙女ゲーでは食べる側もあーん、と言っていたな……・


「あ、あーん」


 口を開け、放り込まれた卵焼きを噛み締める。うん、やっぱりとても美味しい。


 って、滅茶苦茶恥ずかしいじゃないか、あーんって! 食べさせてもらっている、という事実もまた恥ずかしさを加速させる! ああくそ、遠くからにやにや笑うな田代ぉ!


 ほわん


 深紅さんの好感度が上がったようだ。だが、僕は今それどころじゃない。くそ、顔が赤くなってるのが鏡を見なくても分かる……!


「え、えっと、淳史君……」


 と、今度は藍梨さんが言う。見やると、卵焼きを箸でつまんでスタンバイしている。


「よ、良かったら私のも」

「いや、大丈夫だ! もうお腹いっぱいだからな!」

「そ、そっか……ごめんね」


 いや、謝る必要はないぞ藍梨さん。むしろ、君の好意を僕の羞恥心を理由に無下にしてしまって申し訳ない限りだ。


「弁当、か……ねぇ、深紅」


 と、つまんでいた卵焼きを口に放り込んだ陽菜さんが深紅さんに視線を投げた。


「ん? どしたの、陽菜ちゃん」

「明日の弁当、あたしが作る。いいでしょ?」


 どこか有無を言わさぬ口調。深紅さんが首を傾げる。


「別にいいけど……陽菜ちゃん、お料理苦手じゃなかったっけ?」

「今から得意になるから問題ない。……淳史の好きなモノだけでも……」


 何やら小声で呟いている陽菜さん。


 ほわん


 ん? 好感度が上がった? タイミング的に言えば陽菜さんだが……よく聞こえなかったが、今呟いた事と関係があるのだろうか。


(しかし、明日、か……)


 僕はこの夢が覚めれば、いつものように明日がやってくる。慣れ親しんだ高校生活が待っている。


 けれど、彼女達に明日は、来ない。いや、正確に言えば、僕の手で『明日』を消すんだ。ノーマルエンドと言う結末によって。


 僕はその為に、ここにいる。僕の為に、そして彼女達をギャルゲー世界の創り出した仮初の好意から解き放つ為に。


 その為だった、はずなのに。


「……本当に、僕は意志が弱いな……」


 情けない自分から目を逸らすべく、残った弁当を掻き込む。あんなに美味しかった弁当は、あまり味がしなかった。



 そして僕は、気付けなかった。


 〝彼女〟の、思い詰めたようなその表情に。




 好感度ラブチェッカー


『天海藍梨 24』


『緋村深紅 58』


『日輪陽菜 69』



女神様の一言

『ふぅむ、淳史君にもようやく心の変化が出てきましたかね? 良い兆候です。あと、好感度に結構バラつきが出てきましたねぇ……』

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