その静謐は大海に煌めくさざ波のように

『まず最初に言っとくけど、この声は淳史君にしか聞こえてません。

 あと、そっちの声は私には届いてません。

 なので、淳史君が私にツッコミを入れてもウィットに富んだ返しをしてあげられないし、周りの人からは淳史君がスマホにツッコミ入れてるwww、みたいな感じの生易し~い視線を向けられるでしょう。

 よって淳史君は静かに私の話を聞くのが吉です。

 いやむしろ聞いて下さいお願いします』


 アプリ初起動時特有の長ったらしい説明を早口で終えた女神の声。


 何となくだけど、夢の中で僕が質問攻めにした事でちょっと傷ついたのかもしれない。ちょっと申し訳ない気持ちになる。


『さてさて、気を取り直しまして。

 ようこそ、私の創ったギャルゲーの世界へ!』


 やっぱり夢じゃなかったのか。って事は目の前の女性は、このギャルゲーの……?


『基本的な説明は夢の中でしちゃったので、今回はこのアプリの説明をするだけにしときまぁす』


 アプリの説明、か。長くなりそうだな。


 女性を見やるも、穏やかな微笑みを返されるだけ。自惚れかもしれないが、いくらでも待つから、みたいな絶対的な信頼を感じた。


『けどまぁ、あんまり説明する事はないんだけど。

 その1、攻略対象の女の子の好感度がこのアプリでチェックできます!

 その2、好感度が上がったり下がったりする時には音でお知らせするから、こまめにアプリで好感度をチェックしてね!

 その3、私に会いたくなった時には好感度とか関係なくいつでも起動してね♪』


 その3みたいな事を言うから煙たがられるんだ、とあの女神に忠告してやりたい。


 まぁそれはさておき、仕組みは分かった。好感度を操作するには、確かにこういったモノが無ければどうしようもない。


 今のところ、恋愛対象であるらしい女性3人の僕に対する好感度は0。期限は1日らしいから、これをどのように上げていくかは今日の僕の行動に掛かっているわけだ。


 って、僕は何故このギャルゲーとやらに参加するのを前向きに捉えているんだ。まさか、本当にこれで個別エンドとやらを目指し現実世界での彼女にしたい、とでも思っているのか?


 冗談じゃない。人の好意なんてものは、神様の気まぐれで手に入れていいモノじゃない。もっと相手と真摯に向き合って……、


『あ、あと最後に補足だけど。女の子3人は君のクラスメイトになってるから、学校のどこでも好きなだけイチャイチャしてね♪』

「な……っ!」


『もう1個付け足すと、女の子達は今君の家族の代わりにこのお家で暮らしてるから、家でも思う存分イチャイチャしてね♪♪』

「ちょっと待て!」


 思わず声を荒らげてしまう。女性がびくっと肩を震わせた。


「ど、どうかした……? 淳史君」

「あ、いや。ごめん、いきなり大声出して」


「う、うん。えぇと、大丈夫……?」

「ああ、大丈夫」


 女神の声は僕にしか聞こえていないんだったか……女神の言う通り、スマホに向かって叫ぶおかしな人に映っただろうな。


 って、そうだ。アプリの中には、恋愛対象となる女性の顔、名前、そして好感度が表示されていたはず。なら、彼女の名前も分かるはず。


「えっと……心配してくれてありがとう、天海あまみ藍梨あいりさん」

「ふふ。淳史君の事だから、心配するのは当然、だよ?」


 花も恥じらう、と表現するのが全く恥ずかしく思えない、穏やかな笑み。


 まず目を引くのは、深い藍色を湛えた背中まで届く長い髪。女の子にしては高めの身長と、それに見合った淑やかな風合いのある顔立ち。


 すらりとした体つきは、モデルとかでも十分通用するのではないだろうか。見る限り、本当に非の打ち所がない女性だな。


 ……まぁ、藍色の髪は僕の通う高校では認められていないはずだけど、そこは夢。何でもありなのだろう、きっと。


「それで……もうそろそろ朝ごはんが出来るから、呼びに来たんだ。陽菜はるなちゃんと深紅みくちゃんも待ってるよ?」

「そ、そうなのか。分かった、行くよ。天海さん」


 陽菜さんに深紅さん、か。どうやら、彼女を含めた女性3人が僕の父、母、姉の代わりに暮らしているのは事実のようだ。これもまぁ、ギャルゲーと言う名の夢として受け入れるしかない。


「……ねぇ、淳史君」


 と、天海さんがどこか沈んだ口調になる。


「ど、どうして今日は、そんな他人行儀に呼ぶの……?」

「……え?」

「いつもは藍梨さん、って呼んでくれるのに……私、淳史君を怒らせるような事、何かしたかな……?」


 いかん、泣きそうだ。女性を泣かせるだなんて、それは流石に心が痛む。


 けど、藍梨さんって……僕は女性を名前で呼んだ事は生まれてこの方一度も無いので、かなりハードルが高いな……。


「淳史君の気を悪くさせたなら謝るから。私、何でもするから。だから、私の事嫌いにならないで……!」

「ちょっ、な、泣かないでくれ! その……藍梨さん!」


 軽く錯乱気味の彼女を前に、もはやハードルだ何だと言っている場合じゃない。僕が勢いに任せて名前で呼ぶと、藍梨さんは安らいだように笑った。


「……淳史君にそう呼んでもらえると、落ち着くな……」

「そ、そうか。なら、良かった」


 むぅ……どうやら藍梨さんは、少し思い込みが激しいというか、繊細な女性のようだ。会話をする時は少し言葉を選んだ方が良いかもしれないな。


 ほわん。


(……ん? 何だ今の音は)


 気の抜ける、優しい音。しかも今の音、頭の中に直接響いたような音だった。


 そう言えば……好感度が上下動するときには音でお知らせする、とか言っていたな。俺はスマホに手を伸ばし、ラブチェッカーを起動する。


(やっぱりか……)


 0だった好感度が、8まで上がっている。今の音は好感度が上がったことを知らせる音だったんだ。


 ってちょっと待て。好感度が80で個別エンドなのだろう? 一気に8まで上がるようなら、80なんてあっという間じゃないか。


 確か、姉のやっていた乙女ゲーでは一度にあがる好感度は2とか3とかだった気がするが……あの女神、まさか好感度が上がりやすいように設定したのか?


「ねぇ、淳史君。早く行こう?」

「あ、あぁ、すまない」


 俺はスマホをポケットにねじ込み、彼女の後について部屋を出る。いつもと変わらない家の光景、だが嗅ぎ慣れない甘い香りが充満しているように思える。


 そうだ。ここはあくまでギャルゲーの世界で、今日と言う1日は僕の体験した事のないような1日になるんだろう。


 何が起きるのか、まだまだ分からない。でも、1つだけ肝に銘じなければ。


(いたずらに好感度を上げるような行動は、極力控えなきゃならないな)


 僕の最終目標は、好感度を抑えに抑えてノーマルエンドに辿り着く事なのだから。




 好感度ラブチェッカー


『天海藍梨 8』






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