お薬の力は偉大です

 無駄に褒めちぎられた現国が終わり、三時限目、世界史。


 拍子抜けするほど、普通の世界史だった。現国での失敗を教訓に最後まで集中を切らさなかったのに、何一つ問題が起きやしない。完全に無駄な努力に終わってしまった。おのれ女神め、僕を弄びやがって。


 そして四時限目、化学。今日初めての移動教室となる。


 行き先は当然、科学室。僕はイヤな予感がしていた。


(この緩急の付け方が女神のやり口なのだとすれば……)


 次の科学の授業で、また何かしら仕掛けてくる可能性が高い。科学室では基本的に実験をするので、そういった特異な出来事が起きやすい環境とも言えるしな。


 そんな僕の危惧が正しかった事は、程なくして証明される。


「それじゃあ前に言った通り、今日は惚れ薬を作ってみましょう」


 授業開始のチャイムの後に、科学担当教諭の八十神やそがみ先生が発したこの言葉によって。


「この惚れ薬を飲むと、目に入った異性全てがこの上なく魅力的に見えます。なので、好きなヤツに飲ませて自分の事だけを好きになってもらう、みたいなピンポイントな使い方は出来ません。愛はお金じゃ買えないんだよ……」


 溜息交じりのその言葉には、やけに含蓄があった。やはり30代後半の独身女性が言うと重みが違うな……。


 八十神先生はいつも通りなのでいいとしよう。惚れ薬なんてものが現実に存在しているのか、という問題もあるが、それもひとまず忘れよう。


「先生。教科書を忘れたので、取ってきてもいいでしょうか」


 先生の言葉が途切れた時を狙い、僕は挙手をしつつそう言った。


「ん? 水鏡君にしては珍しいわね。いいわ、急いで取って来なさい」

「はい、すみません」


 僕は立ち上がる。女性達3人が何か言いたそうにしていたけれど、極力気にしないようにして科学室を出た。


 本当は、教科書をちゃんと持ってきている。ただ、一度科学室を出てヤツに文句をぶつける必要があっただけだ。


「おい女神、出て来い」


 僕は廊下の隅、あまり人目に付かない場所まで移動し、スマホを睨みつけた。


『な、何ですかぁ……淳史君、最初の頃と性格変わってません?』

「ああ、変わったかもな。どっかの女神のおかげで」


 棘のある言葉になってしまう。だが構うものか。


「これはギャルゲーだ。だから好感度が上がるイベントが起きる。それは分かる。だが、惚れ薬って何だ。目的と手段がすり替わっているじゃないか」


 何らかの行動によって好感度が変動するのではなく、好感度を変動させる事が前提となっている行動。ギャルゲーに詳しくないとはいえ、さすがにこれは色々と間違っていないだろうか。


『あぅ……でもでも、こうでもしないと淳史君は好感度を全然上げてくれないですし』

「好感度を上げない、という選択肢も用意されていて然るべきだろう。現実に好感度なんて分かりやすい数字はないが、恋愛とはこういう駆け引きを含めたものだと僕は考える」

『……ぅ』


 言葉を失う女神。ちょっと泣きそうな声だが、自分でも不思議なくらい同情心が湧いてこない。自分で思う以上に、この女神に苛立っているのだろうか。


『……ぅぅぅぅううううう、うがー!』


 と、唸りだしたかと思えば何やら吠える女神。


『そんな小難しい理屈知りませ~ん! 私にとってのギャルゲーはこんな感じ! 惚れ薬とか量産してヒャッハーしてればいいの! 二股三股とかして修羅場っちゃう、そんな人生もいとおかし!』

「言ってる意味が分からない。それに、おかしって何だ。古文の勉強か」

『うるさいうるさいうるさ~い! このギャルゲーは女神プレゼンツ! つまり私がジャスティス! 淳史君はさっさと戻って惚れ薬を一気飲みしてきなさい!』


 ぶつっ! とアプリ強制終了。くそ、逃げられた。


「……はぁ。どうにか凌ぐしか、ないな」


 僕はこの苦境を乗り切る為の策を考えながら、科学室に戻った。



「お、やっと来た。もう始めちまってるぜ?」


 僕を出迎えたのは、田代だった。その周りには藍梨さん、深紅さん、陽菜さんもいる。


 見たところ、クラスメイト達は5~6人程で班を作り、それぞれ惚れ薬作りの実験にいそしんでいるようだ。そして僕は田代の班らしい。


 黒板の前では、八十神先生が化学式を書きながら惚れ薬作りの解説をしている。……と言うか、何だあの化学式。今までに見たこともない化学記号が飛び交っているんだが。


 夢の中、しかもあの女神の作ったギャルゲー世界。あの化学式も適当に作っただけかもしれないが……あまり気乗りはしていなかったが、この惚れ薬には僕の知らない知識が凝縮されているのかもしれない。


(よし、折角だし真剣に取り組んでみるか)


 僕は未知なる惚れ薬作りの為、頭を勉強モードに切り替える。



 結果として、惚れ薬は出来た。血のように赤い液体だ。


 だが、その仕組みは良く分からない。多分、でたらめの化学式とかではないと思うのだが、どう考えても高校で学ぶような内容じゃなかった。


 さて、問題はだ。


「これ、誰が飲むよ?」


 先生は言った。あまり健全な代物とは言えないから、作った班ごとに責任を持って惚れ薬を飲む事、と。


 一つ。生徒に健全とは言えない代物を作らせるな。


 二つ。処分するにせよ、飲まずに捨ててしまえばいいじゃないか。


 などという不満を抱いているのは僕だけのようだ。僕以外の4人は、この惚れ薬を飲む方向で話を進めてしまっている。


「こ、これを飲んだら、異性が魅力的に見える……んですよね」

「へぇぇ、確かに綺麗な色してるけどな~」

「バカバカしい。そんな事あるわけない……はずよ」


 3人が惚れ薬に対して意見をする。三者三様ではあるが、少なからず興味を持っているように見えた。


 この惚れ薬は、まぁ多分本物なのだろう。でなければイベントの意味がないしな。


 で、彼女達の誰かが惚れ薬を飲んだ場合、どうなるか。考えるまでもない。ほわん、という音が鳴るに決まってる。


 僕としては、その事態は避けたい。最善の選択肢は……、


「……田代。飲んでくれ」


 これが一番安全なはず。だが、田代は首を振る。


「んー、それもアリかと思ったんだけどなぁ……女性陣に射殺さんばかりに睨まれちゃってるしなぁ……俺も命は惜しいわけでなぁ……」


 小声でそんな事を言う。……確かに、3人が親の仇を見るかのような視線を田代に向けているな。何故か田代は惚れ薬を飲む権利も資格も持ち合わせていないようだ。


 ならば、次善の策を取るまで。


「なら、僕が飲む」


 僕が飲むだけであれば、好感度に変化はないはず。惚れ薬の影響を受けてしまっても、僕がそれを我慢できればそれでいいのだから。


 こういう事は変に迷ってもしょうがない。僕は惚れ薬を手に取り、一気に飲み干した。


「………………、……っ!?」


 数秒後、すぐに効果が現れる。くっ、何だこれは……!


(か、可愛すぎる……!?)


 藍梨さんが、深紅さんが、陽菜さんが。元々可愛らしかったのに輪をかけて可愛く見える。もはや可愛さの二乗。すなわち絶世の美女。って何だその良く分からない理論は。


 ああ、マズい。このままじゃ、僕は彼女達に何かをしてしまいかねない……!


「っ……はぁっ、はぁっ……!」


 どうにか心を静めつつ、僕はうずくまる。彼女達を視界に入れさえしなければ、何とかこの衝動は抑えられる。


 先生が言うには、効果は数分程度との事。どうにか耐え抜いてみせ


「ちょ、ちょっと淳史! 大丈夫……?」


 と、陽菜さんがうずくまる僕の顔を覗き込む。あぁ、こんなに近くで見ると、もはや天上に住まう天女の如き美しさじゃないか……!


「ふぇっ!?」


 僕は、思わず陽菜さんに抱き着いていた。陽菜さんが間の抜けた声を漏らす。


「ちょ、ちょっと淳史!? 何やって」

「すまない……すまない、陽菜さん! 君がどうしようもなく可愛らしくて!」


 ほわん


「か、可愛らしいって……バカ言ってんじゃないわよ! あ、あたしは」

「いや、可愛らしいぞ! 僕は冗談でこんな事を言ったりはしない!」


 ほわん


「もう少しだけ。少しだけでいい。このままでいさせてくれないか?」

「あぅ……う、うん、いい、わよ……」


 ほわん


 ……………………………………


 そうして、惚れ薬の効果が切れた頃。


「むぅぅ、あっくんってば情熱的だよぉ。陽菜ちゃんずるい~」

「……淳史君……」


 深紅さんと藍梨さんが微妙な表情で僕を遠巻きに見やり、


「………………バカ」


 ほわん


 顔を真っ赤に染めた陽菜さんが、ほわんを置き去りにしてダッシュで科学室を飛び出し、


「あー、水鏡。他の班よりも激しかったぜ? お前」


 田代がどこか楽しそうに言う。


 ……真面目に惚れ薬作りに取り組んだ結果、僕らの班の作った薬の効き目がかなり強くなってしまったらしい。うん、死にたい。



 好感度ラブチェッカー


『天海藍梨 24』


『緋村深紅 44』


『日輪陽菜 62』



女神様の一言

『これですよ、これ! 私はこういう青春の熱暴走、みたいなヤツを見たかったんです! 淳史君、あんな一面があるんですねぇ……あは♪』


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