第13話 あざらしマヌカと想いの在り方

「きゅっきゅ!」


 マイ驚き声で目が覚めた。鼻周りのしめりっけから、どうやら鼻提灯はなちょうちんが弾けたのだと知る。まぁ、前世の時も自分の爆笑で目が覚めたことがあるので、おかしな話ではないだろう。気づいた瞬間、ちょっとした楽しさでうふふとなる。

 ただし、すぐ横にあるマートル兄ちゃんの顔には、驚愕の二文字が浮かんでいたけどね! マートル兄ちゃんて、本当に繊細だ。


「マートル兄ちゃん、眠れないのできゅか?」


 よいしょっと体を近づけ、てしっと平たい手で子犬の脇を掴む。

 なんせお父さまいわく、私はたぐいまれなき皮下脂肪を持つあざらしだ。迷惑をかけたお詫びとして、せめて温度の提供くらいはしたい。使えるものは惜しみなく提供するぞ。


「べっ別に! 今、ちょうど目が覚めたところだし! マヌカのが冷たいし!」


 とかツンツンしつつ、私のおでこにすりすりしてくれるマートル兄ちゃん。

 前にもふ毛同士の触れ合いはモフリストに反するといったが、撤回しよう。子犬のツンとしてでも繊細な毛は普通に心地よい。むしろ、私のホワイトコートに絡んでくる相性抜群じゃね⁉ って感じだ。


「ヴァルタせんせーは――おねむできゅね」


 九尾の尻尾は一定のリズムを保っている。

 不思議だ、と瞼が落ちる。と同時に、瞳が熱を持った。

 私はここしばらく、確実に赤子であり幼児だった。なのに、寝ている自分の傍に熱があるのは久しぶりだ。


「いっしょに寝てる、人が、目の前にいる、ふしぎだね」


 貴族としては当然なのかもしれない。

 それでも、こうして誰かに包まれ、瞼をあげれば目を合わせてくれる誰かがいる。それが当たり前のようで当たり前でないと、私は知っている。どうしようもなくなってしまうのだ。


「えっ、ちょっと、マヌカ⁉」


 戸惑うマートル兄ちゃんに、へらりと笑う。それでも、彼は必死に肉球で涙を叩いてくれる。ぽちゅんぽちゅんと涙が弾けるたび、私はどうしてか嬉しくなるのだ。

 でも、それは猫宮 小鳥の意識が確かな証であって、どうしようもなくなる。

ちょっとばかし頬に刺さる九尾の尻尾に顔をうずめる。


「ごめんできゅ。ちょっと寒さが目に染みただけできゅから、だいじょーぶ」


 ぐしっと鼻をすすれば、眠っているはずの九尾の尻尾が頬を撫でてくれた。ぽんぽんと、心地よいリズムで目元で跳ねるのだ。


「ヴァルタ先生のもふもふは、涙をよく吸い取ってくれまきゅね」


 うぅ。私のが絶対気持ち良い毛並みをしている! しているのに、その柔らかさに苦しくなる。

 伏せた私の頭をちょいちょいっと撫でたのは、マートル兄ちゃんの手先だった。


「マヌカは――強いね」


 静かな氷谷に落ちた、寂し気な声。耳によりも、心に染みてきた。


「マヌカは強くなんてないできゅよ。ひとりだったら絶対に泣きじゃくって、谷をごろごろ転がりまくるしかできなかったできゅよ。あっという間に、積雪風味の氷漬けあざらしができあがりなのでし」

「なっなんかお菓子みたいなネーミングだね」

「うい。しろくまさんたちには、絶品のデザートできゅ」


 おっと、調子にのってブラックジョークを言いすぎたようだ。マートル兄ちゃんは器用にも、寝たまま一歩後ずさった。よく腹黒ショタじじいのヴァルタ先生とやっていけているな。

 構わずに、私はその分だけ距離を詰める。ついっと視線をそらしたマートル兄ちゃんだったが、しばらくして、小さなため息と共に私に向き直った。


「僕、ね。あのね」


 マートル兄ちゃんが零す音には覚えがあって、小鳥の記憶が涙を誘う。声が寂しいよって叫んでいる。

 ぐっと唇を噛んで溢れるものを我慢する。今泣いていいのは私じゃない。その拍子に、ヴァルタ先生の尻尾の毛を強く握ってしまった。


「あのね、僕のお父さんとお母さんはね、ヴァルタ先生の弟子なんだ」

「うん。マートル兄ちゃんやマヌカといっしょだね」


 小さく零した返事に、どうしてか、マートル兄ちゃんは嬉しそうに笑った。


「そうなんだよ。僕やマヌカと一緒」


 少しだけマートル兄ちゃんの声のトーンが下がり、ボリュームが小さくなった。まるで、そう認めることが悪いみたいに感じた。

 どうしてかじゃない。口調や私の経験からわかる。自分の話を聞いてくれることが嬉しいのだ。わかるよってのと同時に、マートル兄ちゃんの周りにそういう人がいなかったのかと腹が立った。

 そう思って、合点がいった。おそらくだが、彼が臆病なのと冷たい振りをする理由が垣間見えた気がした。どちらも防衛反応のようだと思った。


「それで、それで?」


 伺うように、じっと私を見つめるマートル兄ちゃん。ふんふんと鼻を鳴らして続きを催促する。

 マートル兄ちゃんは、嬉しそうに、でも照れくさそうにヴァルタ先生の尻尾にすり寄った。失礼だけど、すごく可愛い。私が男なら絶対惚れている。


「すごく、すごくね、優秀な精油祓い師だったんだよ。僕ね、お父さんとお母さん、それにヴァルタ先生と一緒にいるのが楽しかったの。兄弟子も妹弟子も良い人がいっぱいで、みんなが家族で楽しかった」


 この子が言葉の裏に秘める音に気が付いてしまう。寂し気な面持ちと、遠くを見る目。

 溢れる涙は、だれのためのものだろうか。


「マヌカは音で気持ちがわかる魔法使いだね。この木の実もね、ずっと前にね、お母さんが読んでくれた絵本にあったんだ。僕ね、お母さんとね、約束したんだよ? いつか僕が、もいできてあげるから一緒に食べようねって」


 血の気が引いていく。私が覗き見た彼の好物は、思っていた以上に重いことだった。

 ステータス画面で勝手に木の実を知ったとか、そんなレベルではなかった。私は画面上の言葉だけを見て、浮かれていた。人の好きなものを知る喜びを、目の前の能力に浮かれて忘れていたのだ。


「だから、僕ね。マヌカに木の実が好きって言われて、驚いたの。僕、すごく怖かったんだ……だから、マヌカにひどいこといっぱい言っちゃったんだ」

「マートル兄ちゃんはわるくないのできゅ。マヌカはずっこいの。わかるんじゃない。勝手に知ったの。無神経にマートル兄ちゃんの心に踏み込んだできゅ」


 ぶんぶんと頭を振るのに、マートル兄ちゃんは苦笑して、てしてしっと額を撫でてくれた。

 私がしたことはこんなにも無神経だったのかと、今更ひどく痛感している。

 堪えなきゃって思うのに、ひどいくらいに涙があふれて止まらない。私には泣く資格なんてないのだ。


「ずっこいとかわかんないけどね。僕、怖かったんだ。お父さんとお母さんが僕をヴァルタ先生のところに残して消えてからずっとね、みんな、僕のこと先生の弟子ってみてたから。だから、ちゃんとしないとって。お母さんに甘えてる赤ちゃんな僕を見つけられてしまったみたいで、怖かったんだ」


 マートル兄ちゃんの瞼が、うとうとと閉じていく。


「でもね、やっぱり、嬉しくもあったんだ。僕のために頑張ってくれるマヌカが」


 そんなの、私がだ。誰かに認めて貰いたくて、こんなにも頑張ったのは、きっと初めてだった。両親に愛されて、人と違うことを言う自分を受け止めてくれる先生がいたから、頑張れた。

 頑張って掴みたいと思えたのが、マートル兄ちゃんだった。


「僕と仲良くしたいって言ってくれたマヌカが。嬉しくって、それを忘れて欲しくなくって、もっと僕を見て欲しくて、意地悪して……ごめんね」


 頬を伝う熱いものを拭うのも忘れて、私は、ただただ呆然としていた。

 生前、私はこれほどまでに自分を肯定してもらったことがあるだろうか。ただ、人を想う気持ちを想った人に受け止めて貰ったことがあっただろうか。人を想うことを、許してもらえただろうか。


「わたしが、おもってもいいの? おもって、迷惑じゃない? ずるしたのに、怒ってない?」


 呟いて、喉が焼けるくらい熱を持った。

 私の泣き声は氷谷に木霊する。

 両親に対する罪悪感も、ヴァルタ先生との駆け引きも、全部差し引いて、いいよって言われた気がした。


「ずるはわかんないけど、迷惑なんてなかったんだよ。僕は、ずっと嬉しかったんだもん。なのに、さっき、マヌカに『一人の方が良かった』なんて言わせちゃったから、謝んなきゃって。自分がとても寂しかったのに、大事な友達に、妹弟子に言わせちゃったから」


 あぁ、自分がどうとかじゃなくて、マートル兄ちゃんのこの気持ちに応えたい。私を想ってくれたこの人に応えたいと思った。

 マートル兄ちゃんは、私の手の端を握りながら、夢の世界に落ちてしまった。


「うっ、あぁ」


 漏れる嗚咽。隠したくてヴァルタ先生の尻尾に顔をうずめる。

 寝ているはずなのに、九尾の一尾が体ごと包んでくれた。私がそこにしがみついて泣き続けても、尻尾は逃げることなく、心ごともふっと包み込んでくれた。


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