第9話 あざらしマヌカと子犬のマートル

 あざらし生が始まって一月も経っていない。いわゆる新人あざらしな私は、あざらしであることに打ちひしがれているところだ。


 一体、何度目だろうか。


 そう。何度目かなのだが、今回は特にひどい。何がひどいかって、前世の記憶がある私には普通に予想できた事態なのに、未然に防げなかったの情けない。いよいよ思考が赤ちゃんよりになってきたのだろうかと思うくらいだ。


「なに、これ生クリームの塊……っていうか、食べ物?」


 マートル君の訝し気な声は無理もない。赤ちゃん座りしている彼の腹あたりにある箱の中を見れば、十人中十人は同じ感想を抱くだろう。


「せっ生前は、ショートケーキだった、なごり的な、白いなにかできゅ」


 彼の前で冷や汗を流す私に、マートル君の目が据わった。

 言い訳をしておくと、一応対策はとっておいたのだ。ケーキの周りに硬めの紙をおいた。が、人間だった私には縦揺れを甘く見ていたのだ。はっ、そうだ! 跳ねずに、左右に体を揺らしながらこればよかったんだよ!


「みためは、ぐちゃぐちゃだけど、あいじょーはいっぱいできゅ!」

「マヌカって、変な言葉いっぱい知ってるね。赤ちゃんなのに、変なの」


 ぐぁ! 子どもの直球な言葉が胸に刺さる! しかも、私の方をじーと見つめ続けているよ。


「えーと、えっと」


 ここはうちの屋敷内にある、ヴァルタ先生とマートル君の客間だ。ちなみに、ヴァルタ先生は客間から扉で続いている研究室で私の毛を加工している。ので、助け船などない。


「まぬかは、きっとおかあさまのおなかのなかで、いっぱいべんきょーしたのできゅよ。たいきょうってやつできゅ!」

「どっちにしても、変だね」

「うぎゅう」


 畳みかけられて、そろそろ心が折れそうだ。本当に子どもって容赦ない。私が俯くのにあわせて、全身の毛がしなーと下を向いていく。あっ、これちょっと面白い感覚かもしれない。って、違う! どうして今世の私はこうも楽観的なのか。

 がばりと顔をあげ、ぴょんとひと跳ね前に出る。


「なっなに? 一応、クリームは食べるから、あげないよ?」


 ひょいっと箱ごと持ち上げたマートル君。ちゃんと食べてはくれるのか。食いしん坊なのか優しいのかはちょっと判断がつかないが、あれだけ縦揺れで潰れたケーキを口にしてくれるのだから、優しい子だと思う。

 さらに、ずいっと距離を詰める。


「まーとるお兄ちゃんは、まぬかがきらい?」


 直球には、直球だ。変な小細工はしないでおこう。

 黒目ばかりの目で、じっと見上げる。マートル君は、そんな私にハスキー犬の真っ青な瞳を向けてくる。にらめっこには自信がある。……生前だけど。

 ふいに視線をそらしたのは、マートル君の方だった。


「わかんないよ。会ったばっかりだし」


 よし! ということは、嫌われてはいないよね!

 私の周りにぱぁぁっと花が咲いた。実際に、ステータス画面が勝手に表れて、花のエフェクトを出した。すごいけど、過剰な演出は正直ちょっと気持ちが醒める。


「ねぇ、まーとるお兄ちゃんが好きな木の実ってなぁに?」


 興奮は醒めているはずなのに、尻尾は勝手にぱたぱたと動く。高揚しているようだ。ので、調子に乗っていたのだろう。


「え、ピンポイントに木の実? 僕、マヌカのお母さまにもお父さまにも、言ってないんだけど、どうして知ってるの?」


 しまったぁぁ!! お母さまの反応で学習したんじゃないのか、私!! いや、たぶん、お母さまの反応があまりにも天然さんだったから、油断していたよ。


「マヌカ、やっぱりなんか気持ち悪い」


 ですよねー! 猫宮小鳥としては別にかけられたことがないわけじゃない。美鳥と比べられて『根暗』とか『うじうじしていて気持ち悪い』って嘲笑されたことがないわけじゃない。

 って思うのに、目が勝手に湿っていく。目の前がぶわーって霞がかっていく。


「きっきもちわるい、できゅか。そう、できゅよね……」


 笑え、笑え私。ぺちぺちと短い手で頬を叩く。心と体がつながらない感覚こそ、気持ち悪い。


「あっ赤ちゃんのマヌカがヴァルタ先生の弟子になれるなんてのは、絶対認めないからね!」


 不可抗力ながら、泣くという卑怯な手段に出てしまった。そんな私にマートル君は、あからさまに動揺した。

 てしっと涙を流し、ふわ毛を総立ちさせる。


「じゃあ、ヴァルタせんせいの弟子にならなかったら、仲良くしてくれる?」

「え? あのヴァルタ先生の弟子になるより、僕と仲良くなりたいの?」

「まぬか、いまはまーとるお兄ちゃんのいうとおり、赤ちゃん弟子から、ヴァルタせんせいのおでしになるより、まーとるお兄ちゃんと仲良くしたいのできゅ」


 とても単純な質問だった。そして、心からの想いだった。

が、直感的にまずい! と思った。ステータス画面には警告は出ていないが、ショートケーキを体から降ろす瞬間に感じたものと、同じ部類のものだ。

 首を傾げたまま、マートル君を見上げて――血の気が引いた。さぁぁっと、本当に音がたつんだなぁと思った。


「なに言ってるんだよ」


 俯いたマートル君はぷるぷると震えている。グレーの毛が逆立たせて。


「まーとるお兄ちゃん?」


 聞き返しても、目の前の低く唸っているマートル君の様子は変わらない。

 どんと。大きな音を立てて、ケーキの箱が叩きつけられた。思わぬ衝撃で、お腹が跳ねる。


「ヴァルタ先生の弟子になるつもりもないのに、先生に弟子にって言われて! 僕と仲良くなりたいなんて、まとはずれだよ!」

「そっそんな。まぬかは、だって、まーとるお兄ちゃんがはじめてのおともだちに――」

「帰ってよ!」


 マートル君は、大きな声と共に背を向けてしまった。おろおろと右往左往するものの、彼はぴくりとも動かなかった。恐る恐る、彼の前を覗き込んでみるが、クリームパンみたいな手で、頭を押さえつけられてしまった。

 ちらりと見上げた彼は、真っ赤になって怒っていた。白い部分の毛が、赤く染まっている。今は、毛が染まるのかという突っ込みを入れる余裕はない。


「でも、まーとるお兄ちゃん」

「うるさい!」

「マートルよ、なにをそう叫んでおるのだ」


 かちゃりと扉が鳴る音がして姿を現したのは、ヴァルタ先生だった。先生の声が聞こえた途端、柔らかい肉球の感触が頭から消えた。

 ぶるっと身を震わせると、マートル君はとっとっとと部屋の隅っこに駆けていった。そのまま、小さく丸まった背を向けたままぴくりともしない。


「まーとるおにいちゃん……」

「なんじゃ。マヌカと喧嘩でもしたのか」

「ケンカじゃありません! それに、マヌカはもう帰るって言ってます!」


 ヴァルタ先生は私とマートル君を交互に見つめたあと、「しかたがないのう」と小さく笑った。その困った笑みのまま私を抱き上げ、扉に手をかける。

 ちょっと待って! このままだとケンカ別れの最悪な形だよ!


「まって、ヴァルタせんせい、わたし!」

「うむ。まぁ、頑張れ」


 って、まってよ! ヴァルタ先生はぺいっと私を外に投げた。どこの世界に赤子をなげる子ぎつねがいるか! ぎゃぁと悲鳴をあげたのは一瞬で、うまいことぽよんぽよんとお腹が三度跳ねて華麗な着地が決まった。安堵するより早く、くるりと回転する。

 無情にも扉が占められるところだった。その隙間にヴァルタ先生が見えた。


「わしの弟子になるには、まずマートルに認められる必要があるようじゃな」


 にやりと、これ以上ないくらい凶悪に笑ったヴァルタ先生。極悪である。

 っていうか、弟子にって言ったのはヴァルタ先生じゃないですかい! でも――。


「まけないのできゅ! まーとるお兄ちゃんと仲良くなるまでは、毛の提供だけするのきゅ! 弟子入りはおあずけでし! まーとるお兄ちゃんに認められたら、正式に弟子入りさせてもらうでし!」


 黒く湿った鼻先をふんと膨らませる。冷たい空気が流れ込んでくる。

 って、うん? もしや、これって自分から弟子入り志願したことになるのか?

 首を傾げた瞬間、扉の向こうのヴァルタ先生がにこりと愛らしさ満点に笑った。


「そうか、そうか。はじめはわしが強引に弟子入りさせてしまったと思うたが。さすがに、ハープシール族の長の娘を無理にはのう、と反省したものじゃがな。マヌカ自身がわしに弟子入りしたいと思うておったか」


 やられたー!

 白目をむいて背を反らす私に掛けられたのはとても優しい声だった。


「楽しみにしておるよ、マヌカ」


 ちなみに最後にかけられたのは「宣言通り、毛の提供は毎週よろしく頼むよ」という邪悪そのものの声だったけど。


◆◇ ◆ ◇ ◆



 それからかれこれ二年近く経ったり。子供は一日を長く感じているらしいが、小鳥の時と同じようにあっという間だった気がする。

 ちょっ! そこ! 文字数の都合とか思わないの!



「マヌカお嬢様、とても立派なお姿ですわ」


 ピングルの感極まった声が、魔術訓練部屋に響いた。声をあげたピングルに続き、お母さまとお父さまが涙ぐむ音が聞こえる。

 いまだ不安定な状況で上下する体。しっぽに力をいれつつ、ぐっと手を握った。


「マヌカ、やりました!」

「はい。とっても立派な浮遊状態ですわ、お嬢様!」


 ぷかぷかと浮かぶ私の体を、ピングルがぎゅうぅっと抱きしめる。苦節もうすぐ二歳になる私は、ようやく自由に動ける体を手に入れた。普通のハープシール族の赤ん坊にしては二年あまり早いみたいだけど。

 メイド頭のピングルの性格が変わりすぎだって思いました? 私もだが、ピングルが私をじっと睨んでいたのは、赤ちゃん好きだったからとのこと。実際、私の赤ん坊らしくない行動に警戒はしていたようだが、繰り返す間抜けな行動のおかげか、ちょっと発達した赤ん坊くらいに思ってくれてたようだ。それからは、せっせと世話を焼いてくれるようになったのだ。かなり過保護といえるが。


「これで、マヌカも空飛ぶあざらしの仲間入りだな」


 お父さまは腕を組み、うんうんと何度も頷いている。立派な胸の雪原顔負けな色のもふ毛がきらりと光る。


「飛行っていうより、浮いているのだけどねぇ。お母様はマヌカがよりお転婆にならないか心配よ」


 お母さまの、のんびりとした突っ込みは無視である。本当にぷかぷか宙に浮いて、しっぽを揺らすことでなんとか先に進むんだけどね。十回振って一センチくらい。

 飛べるようになったのに劇的なきっかけはなかった。実に地味な努力の積み重ねなので、カットさせていただいた。すべてをつづっていたら、「指立て伏せで十話かよ」と言われかねないくらい、ほんと地味だから。

 じゃなくて。どう浮上しているかというと、つまりは魔法だ。全身の毛、特に腹部の毛に風魔法を集中させて浮く。ポイントは、毛先だけではなく毛根を意識すること。それからの、毛先にわずかな水魔法を混ぜて、水中を泳ぐ感覚で前に進むのだ。

 この微調整がすこぶる難しい。何度お腹を壊したことだろう。両方が魔法を含む毛全体に広がると、お腹を冷やしてしまうのだ。魔法ってもっとスマートなものだと思っていた自分が懐かしい。まさか、魔法の修行でお腹を壊すとは、変にリアリティがある。


「そしてーからのー!」


 きゅぽんとピングルの腕から抜け出し、くるりと一回転。脳内のイメージを膨らませる。


 そう、思い描くは、人の姿。


 自由に地面を蹴る足と、お菓子とカップを掴める手。それに、大事なのはお母様ゆずりのふわっふわのベイビーブルーの髪に、甘いストロベリー色の瞳。お父様のもふ毛ゆずりの真っ白な雪原の肌色。決して、毛自体ではない。毛じゃないからね!

 髪型はひとまずツインテールなんてどうだろうか。髪飾りは毛と同じくふわふわなもふ飾りがいいかな。前世の私はしたことがなかったから。

あと全体はシンプルながらに、スカートの裾あたりに控えめなレースがついていてもいいかな。


「せいやっ!」

「お嬢様、相変わらずお言葉が可憐ではありません」


 ピングルの言葉は聞き流し、ぼふんと煙が私を包み込んだ。けほけほとむせてしまう。口を押える手が――手が、昔は当然にあった手が視界いっぱいに映る。いや、紅葉の可愛い肌色のものは、まるで初めて見るような印象さえ受ける。


「マヌカ―!!」

「ごふっ」


 喜び舞うよりも早く、両親に抱きしめられていた。両側から抱きしめられ、ぐいぐいと押し付けられる頬。もちもちと肌を撫でくりまわされる。肌同士が触れるなんとも言えない人肌の温度。もふ毛も気持ちいいけど、肌同士がひっつきあうぬくもり。

 目頭に、じんわりと熱いものがこみあげてきた。


「へへっ。へんな感じ。お父さまとお母さまと、マヌカも一緒だぁ。もふもふも好きだけど、もちもちもあったかいねー」


 ぽろりと零れた言葉に、お父さまの高速もふもふならぬ、高速もちもちが襲いかかった。まっ摩擦! 毛の時より気持ちよくないよ!

 恥ずかしいけど嬉しい、っていうか、激しい!


「マヌカは、自由に動ける体で目的を達するのです!」


 ひゅたっと地面に降り立つ。久しぶりの感覚だー! お腹ではなく、二本の足で立っているよー!! 踏みしめる地面、高い視線。まぁ、冷静に言うと私の背丈などお父さまの膝ほどだけどね。


「んー、お母様ね、思ったの」


 愛らしい様子で、お母さまが頬に指をたてた。相変わらず、私なんかよりヒロイン度が高すぎるよお母さま。しかも、ぶりっ子に見えないのがすごい。


「なんだい、我が美しき妻よ」


 お父さまの劇調なセリフはどうかと思うが、私も首を傾げる。

 ちなみに、再度お父さまにつかまって、ぶらんと抱きしめられている。

 あざらしの時と違って、結構恥ずかしい。二年近くたっても、いまだに猫宮小鳥の意識は抜けないようだ。


「ハーブシール族が浮けるようになるのって、赤ん坊の柔肌を守るためよね?」

「そうだな。屋敷内は特殊な絨毯を敷いているし、外も安全な場所は雪が降り積もっている場所か、滑らかな氷の上だけだからね。屋敷付近以外はむしろ人化が住みやすい環境の方が多い」

「術を取得するのも、通常なら四歳くらいよね。人化は魔力によってだけれど、平均は七歳くらい」


 そうらしいね。あざらしだし異世界だし、普通の年齢カウントとは違うのは重々承知だ。今の私の姿も、四歳くらいだ。っていうか、幼児と縁もなかったのでイメージだけど。

 はてさて、お母さまは何が言いたいのだろう。よじよじとお父さまの肩に乗る。おぉ、高い!


「マヌカくらい発達が早ければ、浮く魔法は身に着けなくってもよかったのじゃないからしら。同時に人化できているのだし」

「あっ」


 え? えーと……うん?

 お母さまー!! そういうことは早く言ってください!!


「奥様、ハープシール族にとって浮遊魔法を取得することは、すべての魔法に通じるものかと思われまして」

「うっうん。何事にも基礎は大事だよ」


 何とも言えない空気になった中、私は早々に立ち直る。


「マヌカは気にしません! だって。ようやく!」


 ようやく、自由に出歩ける体を手に入れたのだ。保護者からの行動制限があるとはいえ、行動力がないことから比べたらへでもない。


「待っているのですよ、マートル兄!」


 ぐんと高く拳を掲げる。あぁ、自分の視線より高くあがる手って素晴らしい。

この二年間で手に入れた知識とこの体で、絶対にあなたの好物を見つけてみせます。

 ちなみに、この二年間、ちゃんとマートル兄にも突撃し続けていたけど、振られ続けていたのは内緒である。


 追伸。ステータス画面の操作はちゃんと指で出来るようになりました。人化後の尻尾の役割っていうか存在の行方は……ご想像にお任せします。はい。

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