第10話 あざらしマヌカと秘密の木の実

「はぁぁー! 両手でモノをつかめるってしあわせ!」


 両手で掴んだホットミルクたっぷりのカップ。薄い皮膚から遠慮なしに熱がしみてくる。これだよ、これ! このひりひり感!

 熱いけど、ミルクにふーふー波をたてつつ頑張って掴む。今だけは中身のはちみつ香るミルクよりも、手の中にある陶器製に感動しきりだ。


「これぞ、人の手! 吸い付くんじゃなくって、両手でつかめるってすごいねー!」


 あざらし形態の時もなぞの吸引力で、一応モノは掴めた。

 でも、違うのだ!

 まず、姿勢からして違う。綿がたっぷり上質スプリングのソファーに腰かけているのが、お尻で認識できるのだ。自分のもふ毛ではない。ものが認識できる尻。


「うひゃひゃーなのです。なんか、へんな感触!」


 久しぶりの感覚に、つい足をぶらぶらと揺らしてしまう。ひれを交互に動かすのは困難だが、両足ぶらぶらは簡易かつ快適だ。

 しばらく、ぼふんぼふんとソファーに踵がぶつかっていたが、ふいに膝をおさえられた。


「マヌカ、嬉しいのはわかるけれど。そろそろ、お行儀が悪いわよ?」


 隣に座っているお母さまに、ぴしゃりと叱られてしまった。

 それさえも嬉しくて、頬が緩む。怒ってくれるってことは、私を見てくれているということだ。二年経っても、猫宮小鳥の意識は健在なのだ。


「ごめんなさーい」


 足を揺らすことは止めたものの、にへにへと笑ってしまう。

 そんな私を見て、隣のお母さまも正面に座っているお父さまも、仕方がないという風に苦笑した。

 ただ、ピングルは許してくれなかった。強制的にがっしり両膝を掴まれてしまった。はい。すいません。


僭越せんえつながら申し上げますと、旦那様も奥様もお嬢様にもう少し厳しくなさるべきかと」


 もとから涼し気な目元のピングルだが、注意を促す時はさらに鋭くなる。

 ピングルはただのメイド頭ではない。この二年間で得た情報では、没落した遠縁の子で、おじい様と共に育ち、お父さまの教育係でもあったらしい。ので、お母さまはともかく、お父さまは完全に頭が上がらないらしい。

 現に、お父さまは困った顔で頬を掻いている。


「マヌカは望んで望んでやっと授かった子だから、ついね」


 私は、ハープシール族の長にようやく生まれた子どもらしい。お父さまとお母さまはそれはそれは仲睦まじい夫婦だが、子宝にはなかなか恵まれなかったとのこと。

 そこに生まれたのが私、マヌカだ。

 なるほど、と思う。それならば少々おかしな言動をする発達しすぎた子どもでも可愛がってくれるだろう。現に、私はなに不自由なく、のびのびとしたいように育ててもらった。

 まるで、猫宮小鳥とは正反対に。正反対だからこそ、私はがむしゃらに頑張れる。


「それは重々存じ上げております。だからこそ、お嬢様には立派なレディーとなり、後継ぎとなるお方を迎えていただかなければ」


 全てを承知しているピングルは容赦がない。ぴしゃりと言い放つ。

 まぁ、うん。そういう点は元の世界と変わらないんだよね。

 正直、ヴァルタ先生に誘われたものの、職に生きるか貴族の令嬢としてつとめをはたす人生か、どちらでもいいのだ。ひとまず、何がしたいかっていうとマートル兄との和解。


「マヌカをお嫁になんてやらないもん!」


 お父さま、本気の号泣はやめてくださいまし。当主としての威厳が皆無です。

 高速移動してきたお父さまに抱き上げられて、再び高速すりすりの刑だ。どうせなら、もふ毛の方がいいかもしれない。そうして出来上がった図が、すりすりされつつ、お父さまのシャツからはみ出した極上ふんわりもふ毛をふにふにする私という奇妙なものだった。謝らないぞ、私は。


「そうだ! お父さまのもふ胸毛でおもいだしたの!」


 ぐいっとお父さまの頬を押しのけ、地面に着地する。頭上でお父さまが「まっマヌカに拒否された……!」と呟いているが、私には可及的速やかに確認することがあるので、ごめんね!

 お父さまを冷めた目で見ていたピングルに向かって、両手を伸ばす。


「ねっねっ! ピングルに教えてほしいの!」

「はい、お嬢様」


 抱き上げる必要はないと思うのだけれど。ピングルはさっと私を抱っこし、片腕に乗せた。その間もずっと、真顔でふにふにと紅葉の手を握られている。はっ恥ずかしいけど、この際、されるがままにしておこう。

 これはかなり深刻なことだ。私の一生を左右しかねない。私もきりっとピングルを見つめる。


「わたしの……あざらし要素って、どこにでてるのかな?」


 周囲がしんと静まり返る。

 お父さまを見ても、お母さまを見ても目をそらされた。えっえー⁈ そんな変なところに出てるの⁉ 自分ではさっぱりだけどって、はっ!


「まっ、まさか、この胸元のかざりだと思っていた、もふもふ、なの?」

「いえいえ、それは単なる装飾です」


 即座に入ったピングルの言葉に、ほっと胸をなでおろす。さすがに女の子で胸毛もふもふはやばいだろう。いくらハープシール族とはいえ、この二年間、人型で毛深い女性は見たことない。

 ならばと、首を傾げる。うん、普通に首を傾げただけなんだけどね。ちょっとばかり、体ごと傾けすぎた自覚はあるが。


「マヌカってば、父様をきゅんきゅんさせすぎだ」


 お父さまに再び捕まった。

 ひとつ言っておくと、こんなお父さまだが、普段は凄腕領主なんだよ? お茶目な面もあるが、仕事に関して厳しい時はとんでもなく怖い。不正を働く貴族には容赦ないし、賄賂どころか、ちょっとした品も受け取らないくらい潔癖さんだ。私としては、そこはありがたく懐に入れておこうよ! って思ったこともあるくらいだけどね(近くで寝てた)。


「お父さま、いまはそれどころではないのです!」

「そうよ、あなた。マヌカに現実を教えなければ」


 お母さまの硬い声が響いた。同時に暖炉の薪が爆ぜる。

 ごくりと息を飲む。すっとお母さまの手が、私のツインテールの結び目を撫でた。


「マヌカ。このふんわり髪飾りを触ってごらんなさい?」


 って、え? やけに真剣な声にびびったが、髪飾りを触ろって随分と簡単な指令だな。

 ピングルが持ってきた姿見に向かい、髪をくくっている青みがかったもふもふに手を乗せる。うん、極上もふもふだ。いうならば、積りたての雪。触った瞬間、あまりの柔らかに戸惑うレベルだ。勇気をだして指に力を入れても、やはり、強く握れないくらい優しい感触が手のひらから伝わってくる。


「って、あれ? 動く?」


 あっれー⁈ もふもふを掴んだ瞬間、ぐいっと下に落ちてきた。髪から頬に沿って、両手首まで下すと、両側大小のもふもふが――!! お母さまも両手首のもふぁーっとはちがって、毛玉が! 毛玉があるよ!


「なんだこれ。ボンボン的なものか」


 いやいや、今はいいよ。腕につけてても、足首にあっても! 

けどね、これって、年齢によってはかなり痛いよね。ボンボンだよ、ボンボンから形が崩れないんだよ? 定型的には、髪につけてろってことだよね?

 もういっそのこと、うさぎみたいに尻尾にしたらいいのだろうか。しっぽにつける、しっぽ。長細いしっぽなら、もふもふしっぽがついてても問題ないか。白目である。


「だっ大丈夫よ、マヌカ。だいじょーぶ。きっと、おばあちゃんになっても可愛いわよ!」


 前回あたりで無敵呪文だったお母さまの言葉も、今は説得力のない慰めでしかない。

 まさか、転生先でも早々に将来の不安が浮かび上がるとは。このあたりは猫宮小鳥の不幸さが残っているのだろうか。

 白目で反り返る私に道を示してくれたのは、安定のピングルだった。


「お嬢様。それよりマートル様への贈り物のことですが」

「はっ! そうだよ! ありがと、ピングル! さっそく、出かけるのです!」


 ひとまず、もふかたまりはツインテールに戻しておく。そして、しゃきーんとポーズをとる。うん、何の効果もない、気合いだよ。

 ついて来ようとしたピングルと、このあと貴族との面会がある両親にくるりと向き直る。


「ひとりで大丈夫なのですよ! いってきます!」


 後ろ向きに進みこけそうになるが、なんとか手を振る。

 両親をはじめ、ピングルはあわっと両手を前にだしつつも、笑顔で見送ってくれる。


「気を付けて。ヴァルタ先生にご迷惑はかけないようにね」


 二年たってようやく、私に向けてくれているものだと自覚できるようになった微笑みと感情。自分を心配してくれる言葉と視線に、視界がぱぁっと音を立てて明るくなる。

 目の前にいる二人は確かに私の両親で、ピングルも他の子ぺんぎんたちも家族。

そう思っても、やっぱり、ちょっとした申し訳なさは残る。


「うん!」


 申し訳なさを振り払うように、にりゃりと笑う。それは、生前――前世の猫宮小鳥は浮かべること自体なかった笑み。

 それが出来るようになっただけでも、及第点だと個人的には思うのだ。

 そんな私を見て、両親が少し寂しそうに笑うのも、知っている。でも、どうしようもない。


「いってきます!」


 今の私には、そう笑うのが精いっぱいなのだ。


◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇


「いや、困った。これは確実に、まよったやつだ」


 ふむと、腕も組んでも眼前の光景は変わらないし、背のリュックの重さも変わらない。この場合、重みがある方が安心できるな。物資的な意味で。

 厚手のコートに身を包んでいるとはいえ、日の当たらない氷塊の谷ではあまり意味がないようだ。


「これは貼る型コンパクト温暖供給シップを開発すべきだろう。防寒具と時間制限のある防御魔法しかないって、おかしいよ」


 商標的な問題で、遠回しになったのはご理解願いたい。が、言いたいことは理解してもらえただろうか。

 これは前々から考えていた。もふ毛に守られる獣型の時はともかく、人型には北極・南極みたいな気候は結構辛いらしい。人型になった今、自分でも実感している。

 ならば、極寒の当領地の領民、ひいては寒さ対策に前世の知恵を使わない手はない。自由に動けるようになった今、ステータス画面フル活用だ。幸い、元の世界では成分や酸化反応の化学式等は公開されており、目にしたこともあるし、覚えている。これで一儲けできるかも。でひゅひゅ。


「じゃない。現実逃避はこれまでだよ、わたし」


 そう。私は現状を受け入れなければならない。

 深く頷いた瞬間、ぽひゅんと煙をたて、ついに人化がとけてしまった。

 吹雪まみれの子あざらしのできあがりだ。寿司ネタでいうなら、いかだ。真っ白ないかだ。


「木の実を拾いに来ただけなのに、このありさまよ」


 両親たちは転移扉でヴァルタ先生の屋敷に、浮遊術と人化をみせに行くと思ったいたのだろう。いや、実際行ったのだ。

 が、ことの顛末てんまつは以下の通りである。


◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇


「マートル兄! みてみて、人化したの!!」

「マヌカの馬鹿! 僕がまだできないのを知って、見せつけにきたんだろう!」


◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇


 以上である。なんとも虚しい二行ほどのできごとだ。

 言い訳させてほしい。

 そもそも私が人化したかったのは、マートル兄と仲良くなるためだ。それというのも、彼の大好物にして一回しか食べたことない幻の木の実のせいなのだ。それは、うちの領内でもめったに獣型が寄り付かない吹雪の谷にある、貴重なもの。ということはつまり、人柄なら割と難易度低い訳だと、ステータス画面を利用してわかった。


「いけると思ったんだけどなぁ。まさか、当の木の実がなっていなかったんて」


 問題はそこだ。私の目の前にある『祝福の枝』になる雪の種は蕾なのだ。

 だがしかし、なっていないものは仕方がない。マッピングだけしておくか。しっぽをひょういひょいと動かしステータス画面を呼び出し、わかりやすいピンマークを立てる。


「よし。これで、ここにはいつでも飛んでこられる」


 ×《ばつ》印が出ないので、ここは転移可能な場所なのだろう。二年間の経験で、マッピングの可否な場所があるのはある程度理解している。主に自分の屋敷や領地の野外は可能だが、他人の領地や人が多い公共の場は無理らしい。

 ついでに細かい座標と得られるアイテムも登録して――よし。ステータス画面で離脱のアイテムを選択する。座標まっぴんぐが可能な場所では、必ず使えるアイテムだ。


「え、え? あれ?」


 なんど選択しても、ステータス画面に『使用対象外アイテム』の赤文字警告が出る。

 って、なんでさー!! 到着した時点でちゃんと使用できるの確認したよ⁈ リスクマネージメントしたつもりだよ⁉


「いやいや。使用可能前と今での行動の違いなんてないよね――って、まさか、はは」


 察する能力だけは高い自分が恨めしいよ。

 あははと空笑いをこぼすと、ぶおぉっと雪が毛に絡んできた。


「これ、トラップか。木の実を守るために、触れると帰郷率を下げるための」


 それこそ、この木の実が希少たる由縁。

 どうしたものかと、あざらしの短い手で頭を抱えた。

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