第11話 あざらしマヌカと迷子の師弟

さて。先程ぜんわに二行で終わらせたマートルお兄ちゃんとのやり取りだが、もうちょっと詳細に語っておこう。

 というのも、遭難している今、どうせ一人っきりなのだ。回想するくらいしか、やることがない。


「あっ、ほしだ。これぞ、満天の星ってか」


 見上げた空は飲み込まれそうなくらい暗くて明るい。

 おかしな表現だとは思う。でも、星はやけに輝いていて、その隙間にある闇をさらに深く深く引き立たせているから仕方がない。

 数年たっても、ここは異世界で自分は日本人なのだと自覚してしまう。


「こわいな」


 再び人化して抱えた膝は記憶にあるよりも小さくて、いっそう心細くなる。

 一人が平気だった時の私は、片手に酒グラスを持って、パソコンの前で胡坐をかいていて、音楽も流して寂しくなんてなかった。


「やだな、なんか、へんなの」


 猫宮小鳥の膝は両腕で抱えても余裕で、心の隙間を一人で埋める方法も知っていた。

 あの世界のあの時代はよかった。お酒もテレビも、ネットもあった。いくらでも、一人を楽しむ道具があった。


「いまは、ほんとうのひとりぼっち。このままずっと、見つけてもらえなかったら、凍死するのかな」


 自覚した途端、谷に吹く風がより一層冷たく感じられた。ぶるりと震える体。ふわふわの毛で作られたコートを握りしめても、皮膚が裂ける感覚が和らぐことはない。


「だめだな。ははっ。この数年間『マヌカ』に向けられた愛情に甘えすぎてたんだ」


 かじかむ手でリュックから魔法石を取り出す。火打石のように打ち付けると、青い炎が上がる。地面に置いて手をかざすと、少しだけ寒さが和らいだ。

 ステータス画面を呼び出すと、制限時間一時間と表示された。ということは、あと一時間以内に暖をとる他の方法を考えなければいけないのか。


「あったかいや」


 考えなければいけないことはあるのに。炎のあたたかさに、うとっと意識がまどろんでいく。抱えた膝に頬が沈む。思い出していたのは、つい数時間前のことだった。そうそう、冒頭に言ってた回想だよ。

 突っ込みながらも、意識がすとんと落ちたのがわかった。


◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇


「マートル兄! みてみて、人化したの!!」


 意気揚々と扉を開ける。ヴァルタ先生とマートル兄ちゃんの部屋の扉もやすやすと開けられたよ! うん、ちょっと見栄をはった。精一杯背伸びしました。


「って、あれ? マートル兄ちゃんは?」

「なんじゃ。師匠に挨拶もなしに、兄弟子を探すのかい」


 呆れた声を背に受けて、振り返る。ソファーには同じ位の子ども、もとい、子ぎつねヴァルタ先生が腰かけていた。室内でも相変わらず帽子を被ったままだ。右手には、怪しげな色の液体が入っている試験管が握られている。左手に持った試験管にぴちょんと音を立てて液が落ちると――ぷしゅっと煙があがった。その雲みたいな煙から、ぽやんぽやんとピンク色のスライムが降ってきた。


「こんにちは、ヴァルタせんせー。っていうか、わがやをスライムでうめつくさないでくださいね?」

「愛らしい子どもの姿に人化しても、口が達者のは変わらぬか」


 けらけらと笑うヴァルタ先生。

 これなんだよ。このショタじじいはさらりとお世辞を口にする。いや、落とすために褒めているのだろうけれど、それでも、中身が元成人な私にはこっぱずかしい部類のセリフを吐くから質が悪い。


「マヌカはごまかされません!」


 宣言しつつ、掌サイズのスライムを抱き上げる。スライムはことあるごとに、ゼリーみたいにぷるんと弾む。

 かっ可愛い! つぶらな瞳で見上げ、体をぷるぷると揺らすんだもん! ただ、鳴き声が「むはー!」なのが、ビールを煽ったおじさんみたいだけど。


「案じずともすぐ消えるわ」


 先生の言う通り、私の肩に飛び乗ったスライムちゃん以外は、ぽひゃんと音を立てて消えてしまった。

 私の肩で愛らしくぷみゃんと跳ねているスライムちゃんは、特別なのだろうか。そういえば、ピンクというよりは桜色なスライムちゃんは人一倍可愛い気がする。


「ほぅ。おぬしはマヌカの魔力にあてられたか」


 ふむと顎を撫でたヴァルタ先生。

 こいこいと手招きされ、先生の隣に座る。が、先生の興味はスライムちゃんにあったようだ。私の肩から先生の手に飛び乗ったスライムちゃんを、指先でつっついている。っていうか、スライムちゃんしか目に映していない。


「ヴァルタせんせー。せんせーは弟子の人化よりも、スライムのほうが、気になるんですか? わたし、あざらし浮遊もできるようになったのに。ちっとも驚いてくれないんだから」


 いやいや。なにむすりとかしちゃってるの私ってば。散々、両親やピングルに褒めてもらったじゃん。承認欲求は満たされたでしょ。

 それでも満たされないのを自覚しているから、頬が熱をもっていく。

 絶対からかってくると思っていたのに。ヴァルタ先生はにやにやとはせず、ゆっくりと頭を撫でてきた。


「なんじゃ。わしはマヌカのすごさも頑張りも一番知っておる師匠じゃからのう。驚きはせんよ」


 そう言って、ヴァルタ先生はにっかりと笑った。なおも、頭を撫でたままで。

 ヴァルタ先生は、色々教えてくれている。私のあざらしもふ毛を刈るだけじゃなかった。

 

 もう一度言おう。だいぶ毛は刈られたけど、それだけじゃなかった。

 

 弟子入り当初は変だと思われたくなくて、できることを小出しにしていた。けれど、先生に「全力でやらぬ者に教えることはない。どうせちょっとおかしいと言われておるなら、全力でおかしくなってやれ」と言われたのだ。それからは、遠慮なく書籍を読み漁り、修行に取り組むことができるようになった。


「しかし、ようやった」

「ヴァルタ先生……」

「人化すれば、これまでは出来なかった精油生成の補助もできるからのう。精一杯働いてもらおうか。それに、もふざらしの時より、人化した際のもふ毛の方が魔力も高いしのう。多くは取れないのが難点じゃが」


 おい! 私の感動を返せ、幼女に労働をしいるとか、今から全力で我が領地に労働基準法つくるぞ! 精油は作りたいけども! 幼女の髪飾りもふを丸刈りにするくらいなら、お父さまの豊かな胸毛を提供するぞ! もふ子ざらしをあてにするな!

 心の中で全力で突っ込んだ私は悪くないと思う。

 実際、凶悪な表情だったようだ。ヴァルタ先生は一瞬ぽかんとしたあと、腹を抱えてげらげらと笑いだした。

 ……もしかしなくても、心の声は音になっていたのだろうか。


「わたし、帰りますです。マートル兄ちゃんもいないし、ヴァルタせんせーも笑ってばっかりですし」

「まぁ、まて。父親の胸毛をいけにえにするのはどうかと思うが、からかって悪かった。素直に祝わねばな」


 笑いすぎての涙目じゃあ、説得力ないんですけど。ヴァルタ先生。

 ぶすっとしたままでいると、苦笑されてしまった。なっなんですか、急に大人っぽくならないでくださいよ。小さな外見と雰囲気のギャップに、そわそわしてしまう。


「ほれ。守護の石じゃ」


 ヴァルタ先生が、さっきのスライムちゃんを掌にのせ、詠唱を始める。魔法文字がスライムちゃんを取り囲むと、みるみる間にスズランの形に変わっていった。ピンク要素は一体どこに、と思っていると花の真ん中にピンクダイヤみたいなものが見えた。


「あっありがとう、ございますです」


 どうやら髪飾りだったようだ。もふ飾り近くに、かんざしのようにさしこまれた。

 ふわりと花の香りもした。目を閉じて、すぅっと深呼吸をすると、肺にまで染みわたるような深さがある匂いが香った。


「よう似合っておるよ」


 邪気なく笑うヴァルタ先生だが――経験上、これは絶対なにかあると直感で悟った。意地悪子ぎつねなヴァルタ先生が、ただでただの飾りをくれるとは考え難い。

 これは宿題か。なにかの宿題かと眉間にしわが寄っていく。そして、ヴァルタ先生、その様子を満面の笑みで見ているあたり私の予想は間違っていないようだ。


「常に考える癖をつけたのもじゃが、なんにせよ、ようやった」

「うい」


 ほっぺをむにむにと揉まれ、気持ちよさにへらりとなってしまう。いけない。ほっぺたマッサージに負けるな、マヌカ。

 でも、ほっぺたマッサージは殺人級に気持ちいいのだ。むにむにふにふにと揉まれ、とけたおもちみたいになる。とけあざらし、いっちょあがり!


「ヴァルタ先生。この精油の生成これで大丈夫ですか?」


 実験室に続く扉が音を立てた。隙間からてこてこと出てきたのは、目的のマートル兄ちゃんだった。

 相変わらずイケハスキー犬だ。


「マートル兄ちゃん! ねぇ、ねぇ見て! マヌカ人化できたの! これで、お兄ちゃんの好きな木の実をとりに――」

「マヌカの馬鹿! 僕がまだ人化できないのを知って、見せつけにきたんだろう!」


 がつんと頭横を殴られたようだった。駆け寄りかけた足が、ぴたりと止まる。

 傷ついた私の顔を見て、マートル兄ちゃんは私よりも悲しそうな顔になった。それに、また、胸が痛む。


「マヌカ、今日は一度帰るのだ」


 ヴァルタ先生の声に、私は力なく頷いた。


◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇


「まっ! だからといって、計画は実行したんだけどね! それで、このありさまだよ! はっはっはっ!! ぷぎゃ!」


 高笑いしても、氷谷に虚しく響き渡るだけだ。我ながら反響しまくって、怖い。ゆっ雪はないから、雪崩は起きないと思うけど!

 そもそも、あの時ショックを受けたのは、マートル兄ちゃんの言葉にではなかった。あのマートル兄ちゃんが、猫宮小鳥だった私と重なったからだ。


「わたし、美鳥にたいして、あぁだったのかもしれない」


 前世の妹の美鳥が化粧を教えてくれたのも、洋服を買いに付き合ってくれたのも、いつしかうっとおしく思っていた。だって、私はどんなに頑張っても美鳥にはなれない。なのにどうして押し付けるのって、違いを見せつけるのって苛立ってさえいたのだろう。

 そんな自分が透けて見えて、後悔したのだ。

 推測でしかないけれど、もしかしたら、美鳥も自分が覚えたことを姉である私が変わる助けになればって思っていたのかもしれない。私が人化してマートル兄ちゃんの好物を探せるようになったよって言いたかったのように。


「あー! いまさらだけどね! だから、そうだ、わたし、今は後悔しないようにがんばるってきめたんだ!」


 両頬を思いっきり叩く。わっ我ながら馬鹿力で、かなり痛い!

 仁王立ちになって、ふんと白い息を口と鼻から放出する。頭上から、はらはらと粉雪が降ってきたのも気にしないもん。


「とりあえず、ステータス画面。マップを呼び出してっと。うん。来た時の道は表示されてる。ただ、最初、帰りはマッピングで転移できるかなぁと思っていたから、来る時は氷エイの背中に乗せてもらったんだよね」


 針先に蝶ネクタイをつけた紳士な氷エイさんには、ちょうど一年前に出会った。氷谷を下見に来た際、一年に一度うちの領地をエイ族を往来するおじさまにこの樹のことも教えてもらったのだ。おじさまも噂程度に聞いたらしく、何度も止められたけど。

 おじさんのことはさておき。この距離を子どもの足で戻るのは無謀だ。あざらしの腹ならなおさらだ。


「かといって、わたしのあざらし浮遊で谷をあがりきるのも、何年かかるのやら」


 腕を組んだところで、突風が吹いた。

 うぉぉぉ、寒い!! 髪もスカートも舞い上がり、全身を風が刺す! タイツ万歳、タイツ大好き!! これ、タイツじゃなくって下手にニーハイオプションだったら即死だったよ。ついでに言うと、人化の際、腹巻と毛糸のパンツもついてきた。実用重視の変化に大感謝するしかない。このあたりはなんとなく、猫宮小鳥の性格が反映している気がしてならない。


「ん? ステータス画面にアラートが出てる?」


 今まであまり見ていなかった右上端に、鈴のマーク横に『2』と表示が出てることに気が付いた。おやとクリックしてみると、ポップアップが表示された。


「えーと、まず一個目を見てみようかな。『精油効果発動可能』とな?」


 その下には、『OK』と『キャンセル』が表示されている。

 愛らしい桜で縁取られたステータス画面とにらめっこすること数分。吹いた風に身を震わせ、私は決意した。

 今世の私のモットーは、『為せば成る、為さねばならぬ』である。何事も挑戦だ。叩く勢いでステータス画面のOKを押す。


「っていうか、しーんなんだけど」


 呆然と立ち尽くす。そのうち、わなわなと全身が震え始めた。


「思わせぶりかい!! せめて、効果ゼロとかでろい!」


 ずびしっと右手で突っ込んだところで、だれも答えてくれない。相変わらず、私の声が氷谷に反響するだけだ。でろい、でろいぃ、でろいぃぃとか響いて、ちょっと恥ずかしい。

 って、うん? 周囲に香りが広がっている?


「これ、ヴァルタ先生がくれたスズランの髪飾りの香り」


 それだけで、一人じゃないと思えた。髪から飾りを抜いて、ぎゅっと胸に抱く。


「ようやく呼びよってからに」


 えぇぇ⁈ ぼふんと現れた煙の向こうから小さな影が二つ。

 地面に着地した姿に、あっけにとられてしまう。


「ヴァルタ先生とマートル兄ちゃん?」

「おう。遅くなったな」

「僕は――別に、先生についてきただけだし」


 とたん、温度をあげた空気にぐっと息を飲む。あったかくなったのは空気だけじゃない。私の目もじわじわと熱をあげていく。だめなのに。だって、自業自得で迷子になって、あげくの果て、助けに来てくれた人たち。だから、泣いちゃだめだ。

 もふっとツインテールを頬に寄せる。唇を噛んで、堪える。それでも、やっぱり、『ひとりじゃない』と思ってしまった心は弱くて、目頭に熱いものがこみあげてしまう。


「マートルよ、意地をはるでない。あれだけ動揺しておいて」

「えっ? マートル兄ちゃんが?」


 驚きであがる顔。湿った目のまま見つめると、マートル兄ちゃんがあからさまに挙動不審になった。


「ちょちょちょっと責任感じただけですよ、年長として! それより、早く帰りましょう先生!」


 ですよねーと、がくっと肩が落ちる。だれだって、自分に関わることで人が行方不明になった責任くらい感じてしまうよね。マートル兄ちゃんも根は良い子だし。

 とほーとなった拍子で、ぼふんとあざらしに戻ってしまった。まぁいっか。ヴァルタ先生が来てくれたってことは、もう屋敷に戻るだけだし。


「うむ、それがのう」


 て、おい。嫌な予感しかしない前置きだぞ。

 ハスキー子犬なマートル兄ちゃんともふ子あざらしな私は並んで、ヴァルタ先生を見上げる。読んで字のごとく、地面から近い場所で見上げる。もふ毛のおかげで氷の冷たさもあんまり伝わってこないけれど、心の中は凍ってるよ。


「どうやって帰ろうかのう。どうやら、ここは転移魔法が使えないようだしのう」

「お約束かーい‼」


 大声で突っ込んだ私に、マートル兄ちゃんはかなり怯えた様子で身を引いた。

 私、わかった気がする。マートル兄ちゃんにはまず突っ込み耐性のスキルを身につけてもらわないと仲良くなれないと。

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