第12話 あざらしマヌカと氷谷
「ヴァルタ先生、たすけにきてくれたんじゃないのできゅか!」
興奮のあまり、赤ちゃんあざらし語になってしまった。
現状、私も体があざらし形態に戻っていて役立たずなわけですがね。人のことを棚にあげていうと、助けに来た人が遭難するっていう二次被害が発生中なのだよ!
やめて、二次災害絶対反対!! あざらしの手を激しく地面に打ち付けるくらいにはやめて欲しい!
「かっこよく――かは微妙でしゅけど、ヒーローばりに登場しておいてそれはないできゅよ」
あざらし手で、ばしばしと地面を叩く。
目を三角にして怒っている私を、マートル兄が先生の後ろに隠れて怯えている。ツンデレ少年の根っこは臆病で繊細だ。それを感じたからこそ、二年間くらいはしつこく、もとい粘り強くしがみついてこれた。が、今はかまう余裕はない。
「まっマヌカ?」
「いいのう。やれやれ。存分にやったれ」
ヴァルタ先生は怯えるマートル兄ちゃんを抱えながらぼやきつつ、私の前に座った。片腕でマートル兄を抱きかかえ、頬杖をつく。
「そうは言われても、わしの得意分野は製造魔法の精油使いであって、万能な魔法使いではないのでな。神気に満ちている空間を魔法で割るほど力はないのだよ」
「お空を飛べる精油はないのできゅか!」
言って、しまったと口を塞いでも時遅し。この二年間で学んだはずなのに。ヴァルタ先生の前で精油を便利な道具扱いすることは禁句だって。
おずっと見上げると、ヴァルタ先生は子ぎつねに似つかわしくない表情を浮かべていた。
「無茶をいうな。精油は悪魔祓いや魔法の補助剤としての効力が主であって、魔法を作り出すものではないのだよ」
案の定、ヴァルタ先生の口調は淡々として冷たい。
いつものからかう様子はないどころか、私を見下ろす瞳には感情がない。
「そっそんなの、マヌカだって知ってまきゅ!」
この二年間、ちゃんと精油の勉強だってしてきた。まだ作らせてはもらえないけれど、その分、知識の吸収をしてきたし、先生やマートル兄の仕事を傍で見てきた。
事情までは不明だけれど、ヴァルタ先生にとって精油は単なる商売道具ではない。悪魔祓いをする大切な相棒っていうだけでもない。それは伝わってきた。これでも元二十代だ。それ位の観察眼――とまでは言えなくとも、考えようと思える一歩位は踏み出せる。
「この中で飛行魔法が使えるものがおれば、その能力を増強し、谷を越えるくらいはできるやもしれんがのう」
「じゃあマヌカがいきま――!」
「マヌカはせいぜい『浮遊』どまりじゃろ。それに精油で増強しても、谷を昇ることは無理じゃよ」
ぴしゃりと言われ、唇を噛むしかない。人化できたのを報告に行った時はほめてくれたのに、この変わりようはなんだ。
ヴァルタ先生の腕の中からぴょいっと地面に降りたマートル兄ちゃんが、不安げにくぅんと鳴いた。
「じゃあ、僕たちこのままなんですか?」
「まぁ、お転婆娘の脱走に両親や屋敷の者が気が付けば、捜索はしてくれると思うがのう」
「そんなぁ」
地面にお尻をつけ座り込んだマートル兄ちゃん。ぺたりと垂れた耳に申し訳なさが込み上げてくる。
「マヌカ、マヌカは――わかってるもん。全部、マヌカのせいだって」
遭難しているのだって、状況判断が甘かった私のせいだ。得た規格外の力になんとかなるなんて生ぬるい考えを抱き、行動した自分のせいだ。
涙声の私に振り返ったマートル兄ちゃんは、ぎょっと目を見開いた。きっとすごい顔しているんだろうね、私。
「だから、放っておいてくれればよかったのです。でも――ごめんなさい」
ぐぬぬと唇を噛んでも、涙は滲んでくる。一人の時はまだ我慢できたのに。人を巻き込んでしまったと自覚した途端、感情的になってしまう。
「なんじゃ。ここに来たいと思ったこと、実際に行動したことを悔いておるのか」
「違うできゅ!」
零れそうになった涙をぐぐっと飲み込み、きっとヴァルタ先生を睨みつける。
全身の毛が逆立っているのがわかる。肌がぴりぴりとしていて、実際に毛先から放電しているのが見えた。
「マートルお兄ちゃんとなかよくなりたいって思ったのはほんとうで、この谷に来たことも後悔なんて絶対してないできゅ!」
腹の底から叫んだ声は谷中に響いて、何度も反響し続けている。正直うるさい、ぶっちゃけ静けさと反した声量が耳から体の中に流れ込んできて耳鳴りがして体が震える。
私は赤ん坊だし、コミュ障だし、転生あざらしだし。おまけにステータス画面でずるをするどうしようもない奴だ。
それでも、抱いた気持ちだけは本物だって胸を張れる。
「後悔なんてしてないもん。けど――」
けれどと思った瞬間、涙腺が壊れてしまった。ぼろぼろと目から大粒の涙が落ちていく。ついでにいうと湿った鼻からは、より湿った鼻水がだだ流れている。あざらしって鼻水流すのかなんて突っ込みを入れる余裕はない。
ただただ、霞んでいく視界をぬぐうこともできない、人化もできない未熟な自分がうらめしい。
「自分の気持ちを後悔するのと、ヴァルタ先生やマートル兄ちゃんをまきこんじゃったってごめんなさいってどうしようもなくなるのは、べつものできゅ!」
もう、うべぇぇぇと訳のわからない鳴き声があがるばかりだ。あざらしの鳴き声でもないよ、なんだよ、うべぇぇぇって。谷に木霊してるんだけど。
「マヌカひとりが迷子になるのも、遭難するのも……勝手にひとりになるならよかったのに! ヴァルタせんせーやマートル兄ちゃんを巻き込むくらいなら、ひとりぼっちのほうが、よかった! ひとりでよかった! マヌカひとりがないないでよかったんだ!」
人間の時って頬を涙が流れるのはさほど気持ち悪くなかった。っていうか、感覚を明確に思い出せるほど前世では泣いた覚えがないが。
一方、今は毛がしなって肌にはりついて気持ち悪すぎる。ほろほろ流れる雫が毛で跳ねる、なんて美しい表現はしようがないくらい、べっちゃりと肌に張り付いている。
「すまぬ」
両脇にすっと入ってきた小さな手。私を抱き上げたヴァルタ先生の顔は涙で霞んでいる。けれど、顔を反らした先にあるもふっとした狐尻尾は、確かにしょんぼりとしていた。
ぐしぐしと鼻をすすりながら顔をあげると、両脇抱えから抱っこに変わった。背中のもふ毛を、小さな温度と感覚が往復する。
「ヴァっヴァルタせんせー?」
「一人の方が良かったと、弟子に言わせてるなどあってはならんかった。おぬしが大人のような言動をする時があるものだから、つい、強くいいすぎた。いや、大人だからといって無神経さが許されるわけではないが。とにかく、すまぬ」
初めて聞く先生の弱々しい声に、思わずぴたりと涙が止まった。
短い両手をつっぱり、しげしげとヴァルタ先生を見つめてしまう。私の視線があまりにも無遠慮だったからだろう。ヴァルタ先生の柔らかそうなほっぺがわずかに色づいた。
「なんじゃ。わしだって、自分は間違っていると思う時ぐらい謝罪するわい」
じゃあ、普段の傍若無人暴君ぶりは悪いと思ってないんですね。根っからのどえすさんですか、とはさすがの私も突っ込めなかった。
っていうか、私の胸がいま、きゅううぅとかあざらし的な鳴き声をあげなかったか⁈ いやいや、さすがにないだろう。心臓まであざらし属性とか勘弁して欲しい!
「マヌカ! 僕も、ひとりは寂しいと思うよ! ひとりの方が良かったなんて言ったら、絶対にダメだよ!」
地面に降ろされた私にぐっと顔を近づけてきたのはマートル兄ちゃんだった。捕食されそうだと一瞬でも思ってごめんなさい。子犬とはいえ、ハスキー犬の牙はかなりするどく見える。
たぐいまれなき皮下脂肪を持つ、もふざらしとしては警戒心を抱いてしまうのだよ。いや、ここはむちざらしというべきか。じゃない! そうじゃない!
「じゃあ、マートル兄ちゃんは怒ってない? マヌカが勝手に暴走したって」
「そっそれとこれとは別だよ! 僕のせいにされたら迷惑だって思っただけで!」
おっと、そうきたか。マートル兄ちゃんはぷいっとものすごい勢いで顔を反らして、ヴァルタ先生の後ろに隠れてしまった。
世の中、そう甘くはなかった。
「でも、どーしたらって、ぶえぇぇ!」
どうして私の鳴き声はこうも可愛くないのか。もふざらしとしては、一言謝っておく。
谷に吹いた風に全毛を掬われ、ごろごろごろと氷の地面を転がる体。めっ目が回る。実際、くるくる目を回す私に、ヴァルタ先生もマートル兄ちゃんも駆け寄ってくれた。逆を言えば、なぜに私だけ転がったし。
「ともかく、神樹の下に移動するかのう。枯れかけておるが、枝から風よけの魔力はと鼓動は感じる。マートル、マヌカのリュックを持ってきておくれ」
「はい、先生!」
そうして、だだっぴろい氷谷にぽつんと生える樹の下に、私たちは腰を下ろした。先生の言う通り、樹の根っこは人肌みたいにあたたかい。
私がすりすりと頬を擦りつけている間に、ヴァルタ先生は私のリュックをあさり始めた。リュックから取り出したのは、掌サイズのランプと赤い宝石。
「やはり、わしの教えはちゃんと聞いておったようだな」
「魔法ランタンと炎の石。すぐ帰るつもりとはいえ、さすがに、この氷谷できゅもん。防寒道具は持ってきてまきゅ」
ヴァルタ先生は私の発言には特に反応せず、ランタンの真ん中に赤い石を置き、短い詠唱を口にする。そして、ふぅっと息を吹きかけた。息はこの気温の中ではまるで綿毛のように見える。綿毛の中では小さな魔法文字が踊っているのが見えた。
ランタン内に魔力が満ちると、ヴァルタ先生はランタンを上空に投げた。魔法のランタンは落ちてくることはなく、宙にとどまる。石は赤かったが、炎は青い。
こっそりステータス画面を開くと、結構な効果が表示されていた。
――魔法のランタンと純度の高い炎の宝玉。ともにレア度星四つ。ただし、この二つを組み合わせると長時間効果を保つ。そのため、ハンターの乱獲を防ぐため、宝石自体は準能力の赤い宝玉に擬態している。ハープシール領では常備道具――
おぉ! ということは、しばらくは凍え死ぬ心配なさそうだ。石は庭に転がっていたものを『防御用の炎石』っていうステータス表示されていたから持ってきたんだけど、正解だった。
が、世の中そう甘くはなかった。
「ぶえっくしゅ!!」
特大のくしゃみが野に放たれた。
ずびびと垂れる見事であろう鼻雫、もとい鼻水。そういえば、なんか皮下脂肪にさて染みてくるくらい冷えてきた。
「マヌカってば、女の子なんだからもうちょっとおしとやかにくしゃみしようよ」
「この極寒の環境で乙女チックに『くちん』とかできないできゅよ」
「なにそれ」
口を両手でおさえてくすくすと笑ったマートル兄ちゃん。まるで、初めて会った時のような柔らかい雰囲気。ふいうちの笑顔を間抜け面で見上げてしまう。
マートル兄ちゃんは、私のぶしつけな視線に気が付いてしまったようだ。すぐさまそっぽを向かれてしまった。
「風邪ですめばよいが、子どもらの体には少々堪えるかもしれんのう。では――」
ぽきゅんとやけに可愛い音が響いたかと思った直後、なんだこのー!! 九つのココナッツが生えているのかーというほどのボリュームのもふしっぽの子ぎつねが現れた。本物の子ぎつねだ。短い手足にきゅるんとうるんだ瞳。ちっさなおてての先が黒くなっていて、金と銀の毛のコントラストをさらに栄えさせている。
「さすが、子ぎつねせんせー、可愛いできゅよ!」
ナイス変化と片手を突き出した直後。残念な掛け声が響いた。
「からの、ほいっとな」
おじいちゃんみたいな声は聞かなかったことにしておこう。
って、うわぁぁ!! 煙と共に姿を現したのは、巨大な九尾の美麗な狐だった。まごうことなき成人狐だ。白目でおののく私と、おめめきららきらのマートル兄ちゃんを、くるっと尻尾が引き寄せた。おぉぉ、なんだこの幸福感!! もふ毛同士の触れ合いなんてモフリストではないと思っていたのに!
「まぬかの新雪のようなうぶげとはまた違った、長毛特有の包み込むような優しさ」
ほぅぅ。顔が埋もれるぅ。っていうか、もふふぅと尻尾に吸収されかけたところで、ぐいっと体を引き上げられた。危ない。もふもふに埋もれる幸福感に負けて窒息するところだったよ。
「マヌカってば、ぼうっとしすぎだよ」
「マートル兄ちゃん。ありがとうできゅ」
「べっ別に。隣で窒息死されたら僕も先生も困るし!」
相変わらずのツンデレである。が、マートル兄ちゃんはちっさいわんこの手で私を抱えてくれている。
「ヴァルタ先生ってば、いつもは子ぎつねの姿なのに、獣型では大人になれるのできゅか?」
素朴な疑問だ。私はうちの屋敷でも、先生のお店でも、ヴァルタ先生の子どもの姿しか見たことがない。なので、てっきり長寿族であり幼児の姿をとる一族だと思っていた。
小首を傾げた私に、マートル兄ちゃんが同じような仕草をする。
「え? マヌカってば、もしかして、ヴァルタ先生の――」
「マートルよ、そこはわしとおぬしの秘密じゃろうて」
いやいや、私ってばそんな言葉に誤魔化されるようなあざらしではございませんけど。
もしかして、を言及しようときりっとする。けれど、目があったヴァルタ先生に、それよりも大事なことがあるじゃろうと目で訴えかけられてしまう。あくまでも、個人的な感覚だが。
「あのね、マートル兄ちゃん」
もふ毛に埋もれる隣のわんこの腕をちょいっと掴む。これまた極上の毛並みやねぇぇとは叫ばない。私は叫ばずにいられる系のあざらしである。
そう、我慢できる系のあざらしだ! あざらしだ!
「なんだよ」
急に襲ってきた眠気。ぼやっとした意識の中、マートル兄ちゃんの手をきゅっと掴む。出会った頃よりも大きくなっている。
ありがたいことに、掴んだ手が振り払われることはなかった。
とろんとする意識の中、それがすごく嬉しくて嬉しくてしょうがなかった。
「マヌカね、マートル兄ちゃんとなかよくなりたくて、いっぱいずるっこしたのできゅ。ごめんなしゃい。マートル兄ちゃんがマヌカのこと嫌いでも、マヌカは……」
言いたいことだけ言って、私は夢の世界へと落ちていく。
まどろむ意識の中聞こえたのは、冷たい風の音に交じった、すごくすごく優しい声色だった。
「さて、マートルよ。そろそろマヌカの気を引きたいがゆえに冷たくするのは潮時ではないかのう」
ヴァルタ先生の声、普段よりもツートーン位低くなっていて、心地よい。まるで本当の大人みたいだ。耳で聞いているだけだと、実にイケボ。
父性なのかなんなのか。ほっとして尻尾にすり寄れば、もふ毛がぺしぺしと頬を撫でてくれた。すごくないか! 毛の束まで操れるの⁉ おののいても幼児の眠気には勝てない。
「ごめんなさい、先生。僕、ただ、嬉しかったんです。先生の弟子としてではなく、僕と仲良くなりたいって思ってくれたマヌカが。でも、まさか、一人で氷谷に来るなんて思っていなくて」
いやいや、ここはマートル兄ちゃんが謝るところじゃないでしょ。私のエゴだし、むしろ、もっと準備万端にして能力マックスでくるべきだったよ。
そんな私の反省は残念ながら言葉にならない。脱赤ん坊、幼女でも眠気には勝てない。むしろ、眠気に勝てる魔法や精油を開発したら、すごくないだろうか。もちろん、合法のね。そこ大事。
「泣くな、マートルよ。きっとどうにかなるじゃろ」
おっ、いいぞ。なんだかんだ言っても、結局は解決してくれるのか? ヴァルタ先生が。
期待を込めて、安らかに寝ようとした瞬間、うん、まぁ、お約束だ。
「ひとまず、全員もふもふじゃから凍死はなさそうじゃ。あとは、飢え死にさえなければ、きっとハープシール公たちが愛娘を必死で助けるじゃろうて。それに賭けようぞ」
いやいやいや!! そこはもっと頑張ろうよ、ヴァルタ先生!!
っていうか、その九尾の巨体で氷谷を駆け上れるでしょと突っ込みたくなった私は、至極まっとうだと思います。
「この子ぎつね――いや、九尾め。腹の底が見えないできゅ」
呟いた声は、からっからという至極楽しそうな笑い声にかき消された。
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