第5話 マヌカとハーブシール族

 立ち話もなんだということになり、私たちは談話室に移動した。

 もちろん、私はお母さまに抱っこされて。今の私は赤ん坊だし、なんせあざらしだからみんなの歩幅にあわないからなんだけれど……ちょっと照れくさい。

 たどり着いたのは、談話室のような部屋だった。部屋をあけた瞬間、香ったのはひどく懐かしい匂い。これは私も大好きだったミモザのアロマだ。ちょっと若いバナナやメロンみたいな甘いフルーティーな香り。すんと鼻を鳴らすと、体の奥にまで香りが染み込んでくる。確か効能は――恥を忍んで尻尾を回すと、ステータス画面に『皮膚に塗布すると温まる』と出てきた。そうそう。この国、寒そうだもんね。レースのカーテンからちらっと見えたが、雪と氷の国だ。まぁ、あざらしだしね。

 香りは懐かしいが、部屋は日本とは全く別空間だ。お母さまのドレスチックな服やお父さまのシャツは軽装ながら、肩からかけている上着が騎士様チック(漫画のイメージ)なことから、ある程度は予想していたけれど。

 白を基調とした空間だが、ブルーやグレーなどほどよく色落ちしたような風合いの家具が多い。

 その一角に置かれたベビーベッドに、そっと寝かされた。


「さぁ、マヌカ。疲れたでしょう。おやすみなさい」


 お母さまがとんとんと背中を撫でてくれて、また意識が落ちそうになる。

 が、歯を食いしばって我慢だ。動物の感が、此処で寝てはいけないと言っている気がする。ぐぎぎぎとすごい顔で歯を食いしばっているのが見えたのだろう。ヴァルタ先生がひょいっと私を抱き上げた。


「ハープシール公よ、そこに寝かせておかぬ方がよいぞ。先ほどもそうしておって、赤子はこっそりと出て行ってしまったのじゃからのう」

「はい、おとーさま。わたしもお話いっしょに聞きたいです。思いっきり、毛を抜かれた理由を」


 じとりとヴァルタ先生を見上げる。ヴァルタ先生はひるむことなく、「ほぅ」と、にやりと笑っただけだった。

 一方、お父さまとお母さまは顔を困ったような顔を見合わせている。


「ほかの子どもより脳が発達もしておるようだし、ついでに自分の立場をしかと教えて、自由になどで歩かぬよう釘を刺した方がよいぞ」


 その一言で、お父さまとお母さまは諦めたようにため息を吐いた。


「旦那様、紅茶をお持ちしました」


 若い女性の声に、はっと振り返る! 確か変化できるのって、特異な遺伝子って書いてあった! まさか、あざらしがトレイを持ってきているのか!

 私の期待はすぐに裏切られた。静々と部屋入ってきた女性は前髪の一部が白いが、他はいたって普通だった。がっ!!


(ぺぺぺぺんぎんがぞろぞろとついてきてるー!)


 はぁぁぁと目をらんらんにして感動してしまう。涎は必死に我慢した。

 メイドっぽい女性の後ろからついてくるペンギンたちは、ちょっと前傾姿勢。両羽でクッションやらひざ掛けを挟んで運んでいるじゃないか。中にはグレーの毛をした子ぺんぎんもいる。皇帝ペンギンのひなみたいだ。

 え、これ労働基準法違反かよ(日本じゃないけれど、つい)と思った瞬間、ステータス画面に『小型ペンギン族』と表示された。なるほど、もともと小さい種族なのか。


「ピングル、ありがとう。あとはこちらでやるから置いておいてくれ。あと、私が出るまで、こちらの部屋には人を近づけないように」


 私にすり寄っていた時とは全く違う威厳溢れる調子のお父さま。娘の私でさえ見惚れてしまうくらい、かっこいい。

 そうだ。ピングルはうちのメイド頭だ。私にミルクをくれるお母さまの近くにいてくれてんだっけ。ステータス画面によると、人間外見では二十代前半くらいだが、実年齢は五十を超えているらしい。


「かしこまりました。御用の際は、魔法玉にておよびくださいませ。それと、マヌカお嬢様が次に屋敷を抜けられた際に備え、屋敷周辺に警備を置いておきます」


 周囲が吹雪そうな視線を頂戴した。ものすごく怒られている。怒っている。私に対して、旦那様と奥様に余計な手間をかけさせてんじゃないよって念を送られているのが、わかる。


「あぁ、頼むよ」


 幸い、お父さまの一言ですぐに彼女は退室していった。

 それを合図に私はお母さまに手渡された。両親と私、その向かいにヴァルタ先生と手足を拭いてもらったマートル君が腰かけた。マートル君は、さっそくシュガークッキーにありついている。


「さて、そもそもわしが今回ハープシール公を訪れたのは、その赤子が原因だったわけじゃが」

「はい! そもそものそもそもっていうか、わたし、自分の立場がわかりませんきゅ!」


 勢いよく右手を上げる。上げたといっても、ぱたりと跳ねただけだけど。それだけでも、隣のお父さまは「よくできました」なんて、でれっとなった。前世のお父さんとの違いに、いたたまれなくなる。いやじゃないけど、なにこれ恥ずかしい。

 お母さまは身を縮めた私に気づいてか、さりげなくお腹の毛を撫でてくれた。ちょっとなにこれ、泣きそうなんだけど。でも我慢しないと。だって、彼らにとっての娘は赤ん坊な私であって、前世を持つ自分じゃない。だから、当たり前だっていう反応を返さないと。


「私たち家族はハープシールという種族名を家名に掲げる、領主の一族なのだよ」


 お父さまが、くしゃりと私の顔毛を撫でた。私を見る目がどこか寂しそうだ。

 ハープシールとはつまり『竪琴あざらし』という意味だ。なるほど。この真っ白でもふもふな愛らしいもふ毛にも納得がいく。あざらシールいっても、ごまふあざらし、バイカルアザラシなど様々だからな。日本で可愛いといわれるあざらしの赤ちゃんは、タテゴトあざらしの太ったホワイトコートなあざらしである。


「おおよその領主がそうなのだが、ハープシール家も代々人型への変化能力を持ち、獣型の際はその毛になにかしらの特殊な能力を授かるのだよ」

「マヌカ。生まれたてのあなたの周りには、柔らかい魔力の粒子が浮いていたの。そして、あなたが産声を上げた瞬間、そのすべてが産毛に吸い込まれていったわ」


 お母さまの声は優しくて寂しげだ。

 っていうか、それってもしかしなくても、あの化学繊維もどきの毛玉の胞子じゃなかろうな! 私のもふ毛にちょっとでもあいつの剛毛要素が含まれているとか許せないんだけど。


「その様子があまりにも神秘的だったから、魔法の権威でもあるヴァルタ先生を呼ばれたのですよね!」


 それまでシュガークッキーをむさぼっていたマートル君が、むせ気味に口をはさんだ。よっぽどヴァルタ先生が好きなのだろう。白い毛が、うっすらと色づいている。この世界すごいな。毛の色が感情によって変わるのか。


「うむ。先ほど抜いた毛で確信を得た」


 子ぎつね先生ことヴァルタ先生は優雅にティーカップに口を付けた後、微笑んだ。っていうか、室内なのに大きな帽子は脱がないんですね。マナー違反じゃないのか。

 ちょっと長めだったもふもふ尻尾は倍ほどに膨らみ、てしてしとソファーを叩いている。


「この子の毛には、精油に魔力的な影響を及ぼすほどの能力がある」


 ぴしゃりと述べたヴァルタ先生。ティーカップを置いて、興奮気味に身を乗り出した。


「そもそも、ダメ元で使った人探しの精油が反応したのも驚きじゃったが――」

「えっと、まってくだしゃい! 精油ってアロマですよね? 香りを楽しんだり、マッサージに使ったり、食事に混ぜたりっていう」


 思えば、ヴァルタ先生は自分の言葉を遮られてばかりだ。っていうか、今しがた遮ったのは、まさに私なので言えたことではないが。

 それでも、ヴァルタ先生は気を悪くした様子はない。むしろ嬉しそうに、傍に置いてあった大きな革鞄をあさった。鞄から出てきた革製の長いものが、膝高さのテーブルに広げられる。広げられたそこには、何本も試験管ぽいものが刺されていた。その一本が、テーブル越しに、突き付けられた。くっとあげられて蓋。冷たい空気に薄いレモン色の煙が溶けていく。


「どうじゃ?」

「どうじゃっていうか、レモン系の香りがしましゅ。うーん、除菌っていうか消毒されたみたいで、周囲の空気がしゅっとしまちた」


 首を傾げながらも、素直に答える。

 が、両親もマートル君もぎょっと目を見開いた。ヴァルタ先生だけは、すごく嬉しそうに笑っている。初めて見る、無邪気な笑顔だ。


「ほれ。この子は精油の効力を感じる力を持っておるのだよ」


 え、いやいや。能力っていうか嗅覚と感覚だよね。そこまで深刻なものじゃないと思うんだけど。

 私の戸惑いと疑問は目に出ていたのだろう。お母さまが私を抱く力に力が入り、お父様がすっと私を守るように右腕を横に流した。


「ヴァルタ先生が何年も精油を研究し、香りだけではなく、悪魔を祓う力があるのを見つけてその道の権威であることは重々承知しております」


 お父さまの声は、かなり低いものだった。周囲に、氷の結晶がぴきぴきっと音を立てて生まれている。実際、部屋のところどころに雪が積もっているじゃないか。

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