第6話 あざらしマヌカと子ぎつねヴァルタ、師弟になる

 庇ってもらっているのは嬉しいが――私はお母さまの腕から跳ね出て、テーブルに着地する。


「精油が悪魔をはらうんできゅか? っていうか、悪魔って?」


 てしてしと手を動かし、ヴァルタ先生に近づく。お母さまかお父さまの手が伸びてきた気がするが、それを振り払うように、無意識で纏った魔力が静電気を発したのがわかる。

 私は前世でキノコとアロマが趣味だった。その知識が今世でちょっとでもいかせるなら……!


「マヌカは悪魔なんかに興味があるの?」


 私の反応に大人たちが固まる中、目線を合わせてくれたのはマートル君だった。同じようにテーブルにうつ伏せ、首を傾げている。もふ毛がぺたりとしなっている姿はすごく可愛い。クリームパンみたいな手が顔横にあるのも、飛びつきたい。

 そんな萌えはともかく。正直なところ、すごく胸が詰まった。前世では空気を読まない発言に対して、こんなに素直に返してくれる相手がいなかったから。


「うん、興味あるし、知りたい。教えて、マートル君」


 ひげをぴこぴこと跳ねさせる。

 マートル君はへにゃりと笑って、それからテーブルに座り、得意げに胸を叩いた。


「悪魔っていうのはね、変化型や獣型に関わらず、闇に取り込まれた者のことをいうんだよ。魔法で撃退はできても、浄化させることは出来なかったんだけど、ヴァルタ先生が精油の効力で祓えることを発見したんだ!」


 なるほど。この世界でいう精油は単なるアロマではなく、悪魔祓いにも活用できるってことか。

 うんうんと一人納得していると、大人陣から盛大なため息がもれた。子ぎつね先生含み。


「その精油の生成におぬしの魔力が含まれる毛が活用できるのじゃ。そいでも、全部をそぐわけにもいかんしのう」


 それは私も全力でお断りである。見知らぬ他人のために一肌ぬぐどころか全毛を脱ぐほど、私は純真無垢ではない。特に、今世では自分を大事にすると誓ったのだから。

 が、別の好奇心が沸く。この世界での精油の生成法はいかなるものか。もともとオタク気質のある私は、精油の生成法自体が気になって調べたことがある。


「悪魔祓いの精油って、どうつくるできゅか?」


 ヴァルタ先生以外は瞬いたが、彼だけは真剣なまなざしを返してくれた。机にいた私の脇をひょいっと抱え、自分の前に連れていく。私は無防備に彼に腹をさらし、じっと彼を見上げる。と、彼の膝におろされた。

 なんだと見上げると、ヴァルタ先生は大きな帽子をすぽっと抜いた。紫がかった銀髪から覗いているのは、金色のぴんと長い耳だ。


「おぬしだけが素を晒すのは割にあわんからのう。わしも、本来の姿で話そう」


 別に、そういうの気にしないんですけど。とは言えなかった。ヴァルタ先生が誠心誠意の姿を見せてくれているのがわかったから。

 ならば、私も自分の能力を隠し立てをするのは失礼だろう。


「わたしの、この知識は、特別なものじゃないのできゅ。私の――」


 この期に及んで、私は言い淀んだ。ヴァルタ先生に知られるには問題ないが、お父さまとお母さまにはどう思われるかなって。気持ち悪いって思われないかなって。

 口をぎゅっと紡ぐ私の頭を、ヴァルタ先生はくしゃりと撫でる。


「わしはこの聴覚と魔力をもって精油を補助薬として、悪魔祓いを生業としておる。ちなみに、おぬしが問うた精油方法は、『圧搾法』を用いておる。成分は植物のエッセンスそのものじゃ。が、劣化が早いため、今回はその保存法に活用できる方法を求め、時間魔力が高い北欧の一族であり、毛並みの質が良いハープシール族の長である公を訪ねた」


 きいーんと耳鳴りがする。頭の中を駆け巡る過去の記憶。アロマ好きだった頃の知識が一気に蘇ってくる。けれど、それは理路整然としたものではない。

 なのに、私の思考を映したように、ステータス画面には読んだ図書のようにまとめられた記述が映し出される。しかも、ご丁寧に右下に出典図書が記されている。元の世界の。


「なら、水蒸気蒸留法とかは? 化学成分がある程度異なっちゃうし、オイルによっては原料植物にはない成分を含んでしまうこともあるけれど。悪魔祓いにダメなら、他に溶剤抽出法とか超臨界流体抽出法とか、いくらでも方法が――」


 徐々に前世の知識が蘇ってきて楽しくなったのがいけなかった。わくわくと両手をばたつかせた私を見るのは、一歩引いた視線と空気。

 やってしまったと思った。前世でもよく浴びていたものだ。つい興奮して、語ってしまう私に向けられるやつ。

 心臓がばくばくとする。生まれて十日の赤子が語るにはあまりにおかしい内容だ。


「ごっごめんなさい。わたし、あの、わたし、ほんとうは、生まれたばかりじゃなくって。とうさまやかあさまの娘じゃなくって」


 ぼろぼろと流れ落ちる涙。もふもふの毛が湿っていくのが分かって気持ち悪い。

 それは申し訳なさからの涙だった。だって、本当ならこの両親のもとに生まれるのは普通の赤子で可愛くてうぶで、私みたいに屋敷を抜けだしたり、変なことを言ったりしないマヌカだった。なのに、私が転生を願ったせいで、生まれて間もないのに気持ち悪い知識をひけらかす子供になってしまった。


「マヌカ」


 そっと、分厚い掌が頭にのせられたのがわかる。おおきくてあったかくて、重い手。あまりにも優しい手つきに、きゅうきゅうと余計に涙が零れた。

 短いあざらしの手では目元を隠すことも叶わない。

 より重くなる掌から掬うように、柔らかくてあったかい手に体ごと抱き上げられる。


「マヌカ。ごめんね。母様も父様も、かしこいあなたにちょっとだけ驚いてしまったの」

「だから、わたし、ほんとうは――」


 言いかけて、ぎゅっと強く抱きしめられた。


「なにがあっても、どんなでも。あなたが、私たちの娘であることには変わりがないから」


 その一言で、私はもう感情をコントロールできることはできなかった。

 それは生前の私が欲しかった何よりの言葉に違いなかったから。


◆◇ ◆ ◇


「で、なんでわたしの毛を欲しがったできゅか」


 私の目は真っ赤でぱんぱんだろう。まさか目の下の毛まで赤くなるとは思わなかったけど。テーブルがガラス使用なので、嫌でも自分の姿が映ってしまうのだ。

 お母さまの膝に抱かれ、ヴァルタ先生を見る。すでに帽子をかぶりなおしているヴァルタ先生は、私の毛を入れた試験管を揺らす。


「おぬしの毛は、さっき言った精油の劣化を遅らせる時間魔法の効果を持っておる」


 なるほど。貴重な精油の保存時期を伸ばせる効力があるなら、それは欲しいだろう。これも転生した体ゆえなのだろうか。なら思わむ副産物だ。


「が、さっきおぬしが言うた方法が実践できたなら、特定の人物に負担を掛けずに済む」

「なら、わたし、全身全霊をもって、ヴァルタせんせーに協力するのきゅ」


 私の全毛が刈られるのを阻止できるなら、いくらでも協力するぞ。

 このステータス画面が活用できるなら! おまけに、ヴァルタ先生は魔法のスペシャリストみたいだし、早々にもふりすとになれる人化技術を身に着けられるなら、どんな努力も惜しまない。ひとまず、ヴァルタ先生のしっぽとマートル君をもふるのが目標だ。


「いい心がけだ。ならば、マヌカ」


 急に名前を呼ばれて、どきんと鼓動がうるさくなる。こっこれまでずっと名前を呼ばなかったくせに! あぁぁ、落ち着け私の心臓! 名前一つで懐柔されるほど、私のもふ毛も皮下脂肪もお安くない!

 動揺する私をよそに、ヴァルタ先生は床の絨毯に膝をつき、私に目線を合わせた。


「明日からわしの工房に赴き、知恵を貸せ」


 にこりと笑った子ぎつねは、真っ白な空気を纏っている。が、有無を言わせない雰囲気も同時に纏っている。

 っていうか、明日からー⁉


「わたし、まだ人化もできない赤ちゃんでしゅ!」

「問題ない。もともとしばらくはハープシール公の屋敷に世話になる予定だったし、工房とここを転移魔法で繋げば問題はない」

「ちょっと待ってください! 先生、それはマヌカを弟子入りさせるってことでしょうか!」


 マートル君、ナイス。

 うちの両親はもうすっかりおまかせしまうモードだもん。私を抱きかかえて、すりすりとほおずりをしてくる。それだけ両親がヴァルタ先生を信頼しているのもわかるけど。


「やっぱり占星術は本当だったのね」


 なんておかしな呟きが聞こえてきたのは無視しておこう。まだこの世界の常識にはついていけそうにない。

 それよりも、マートル君だ。四肢を机につけて、わなわなと震えている。


「せっかく先輩が独り立ちして先生を独り占めできると思ったのに! マヌカが先生の弟子になるなら、ライバルだよ!」


 なんてこった。お友達第一号だと思ったマートル君に、すっかり敵対心を抱かれてしまったようだ。

 マートル君の逆立った毛を、ヴァルタ先生はさらさらと撫でる。


「落ち着け、マートル。マヌカはおぬしのライバルかもしれんが、妹弟子にもなるのじゃぞ?」

「妹弟子?」


 余裕綽綽なヴァルタ先生に対し、マートル君はきょとんと首を傾げた。

 ヴァルタ先生はそれ以上口を開かず、じっとマートル君を見つめている。微笑みを浮かべて。

 小さく口を動かし続けていたマートル君は、きっと視線をあげた。


「なら、マヌカは妹弟子だから、僕のことマートル兄さんて呼ぶんだよ! 負けないからね!」


 ぷんぷんと頬を膨らませたハスキー犬なマートル君。

 そこかーい! と右手で空気を切った私は悪くないと思う。決闘とかはないのか。

 私たち二人を交互にみたヴァルタ先生は、かっかっかと大きな笑い声をあげた。


「マヌカが人化するまでは通いとすれば良いだろう。玄関の一角に、転移魔法を敷かせてもらうぞ?」

「はい。ヴァルタ殿、よろしくお願いいたします」


 お願いしつつも、お父さまは私をぎゅっと抱く。痛くもあり、嬉しくもある。

 そういえば、人化した際にもふもふ成分は残らないのだろうか。


「ねぇ、とーさま。じんかすると、あざらし成分はなくなるできゅか?」

「安心しろ、マヌカ!」


 私をお母さまに預けたお父さまはシャツの前ボタンをはずした。そこに現れたのは――。


「いやぁぁ!! あざらしのもふ成分が胸毛に集まるなんて、絶対にいやでしゅ!!」


 父の胸にもふもふと生える真っ白な毛を目の当たりにして、私は気絶してしまった。遠くに、お母さまの「違うから、マヌカ! 人によって名残は違うところに出るから!」なんてフォローの声が聞こえたのが救いか。


 ともかく、私の異世界ライフはこれから充実したものになる。そんな期待だけは胸に残ったのだった。

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