第7話 あざらしマヌカと世界事情
ごきげんよう。弟子入りという名の、素材強制提供者になったあざらしことマヌカ=ハープシールです。
一応、人化できる一族らしいですが、私は生後十日なので純粋なるホワイトコートをまとった、ただのあざらしです。
さてさて。冴えない地球人からあざらし転生した私ですが、現段階のマックスチートが体毛ってどうなんでしょうかね。もう一回言うけど、体毛だよ? いくらホワイトコートとはいえ、文字にすると単なる私の肌から生えている、人間でいうならムダ毛だ。あざらしにとってはムダ毛ではないのだけは確かだけれど。
そんな拝啓かしこに始まったが、我がハーブシール族の領地は今日も雪がちらついています。生前ならテンション上がりまくる風景だが、ここでは当然らしい。牛皮に降りかけられた砂糖状態を楽しんだのは、ただの九秒ほどだった。日常に興奮できないのはしょうがない。
そんなこんなで、お父さまの胸にあざらし成分が結集している悪夢から、三日が経過している。
幸い、あざらしのもふ成分がどこに反映されるかは、個人差があることをちゃんと説明してもらった。ちなみに、お母さまは甲側の両手首がもふーっとしていた。手首にファーをつけているみたいでオシャレ。
私は一体どこにでるのだろう。ステータス画面を操ることを考えると、やはり尻尾だけが残るのだろうか。スカートに隠れていいとは思うが、つまらないよなぁ。胸毛とかひげじゃなければ、見えるところがいい。
問題は、赤ん坊な私がヴァルタ先生の弟子入りについてだ。この三日間の間に弟子業を開始した――ということは、さすがになかった。ただ、毎朝毛先をちょちょいと切られるだけ。朝積みハーブみたいで悪い気はしない。
「だめだ。またねむけがおそってきたできゅ。つかれてるんでしゅかね」
赤子の脳みそで一気に前世を思い出した代償だろう。運動しながらも、ここ三日間ずっとうとうとしている。
談話室の一角に置かれているベビーベッドで、ごろんと寝返りを打つ。そこにぬっと乗り出してきたのは、メイド頭のピングルだ。黒髪が今日も美しい。ただ、目がほとんど黒目なのがちょっと怖い。
「お嬢様、なにをおっしゃっておられるのですか。赤ん坊とはそういうものです」
「きゅう」
ですよねーっと手をこねるのだけは防いだ。せめて仕草だけでもあざといぐらいでいっておこうか! と心の演技指導が全力をもって、首を動かす。
ただし、ピングルさんの心には全く響かなかったようだ。無表情でじっと見つめられただけだった。
「んー? マヌカちゃん、なんでしゅかー?」
効果があったのは、たまたま横を通り過ぎたお父さまにだった。文字がつまった書類を片腕に抱きかかえ、でれでれとほっぺを突っついてきた。もちろん、人型である。人型のお父さまはステータス画面曰く身長約百七十五センチ、六十五キロ。腹筋度は十中七らしい。おっおなかを見たい、触りたい。
「ふっきんまじはぁはぁ」
涎まじりに呟いてしまったのは許して欲しい。
「うん。よしよし」
キモイ発言をした私の頭を、お父さまは普通に撫でてくる。お父さまのスルースキルが高すぎて辛いわ、これ。
っていうか、ここまでストレートに愛情表現された経験がないので、心内では動揺しまくりである。
二十数年分の記憶がある私に、たった三日で大袈裟なくらいの反応に慣れろというのは、それこそハードモードだ。
「おとうさまとおはなししたいけど、ねむたくて」
が、今世の私の脳は存外器用らしい。動揺する反面、ちゃんと甘える言葉は出てくる。すごいな、私。
なんかお父さまのまわりにハートが飛び散ったのが見えたのは、ステータス画面が見せる効果かなにかだろうか。
「まぬかー!!」
ベッドに置かれた書類の代わりに、お父さまに抱き上げられ、高速すりすりされた。お父さまの胸毛、予想よりかなりふぁさーっとしていて気持ちいい。色や質感から予想していたものの、人間的な臭くて気持ち悪い体毛である可能性も一応考慮していたのだ。
ちなみに、お父さまの毛は、私の毛の間に滑り込んでくるくらい繊細だ。
どうしても照れくさいのはあるが、嬉しくないかと聞かれたら絶対にそんなことはない。
「旦那様。もうすぐエンヒュドラ・ルトリス様とのお約束の時間です」
「うむ」
かっこよくきりっと背を伸ばしたお父さまだが……その小脇には私が抱えられている。違うよ、お父さま。持って行かないといけないのは書類でしょと、ぺちぺち脇腹を叩く。が、見上げたお父さまの片手にはちゃんと書類があった。
私は、小指を立てている幻覚が見える表情になっていたと思う。恐ろしい!
「ましゃか! おとうさま、まにゅかの毛を商売に!」
「そんな訳ないよー!」
また高速すりすりだ。これはハープシール族の特殊能力なのか? それならば大歓迎だ。人の倍、もふもふできる回数が増えるということでしょ? 真のもふりすとを目指すならば、緩急のあるもふ技を身に着けたいところだ。
でひゅっと口元をだらしなくしている私をベッドに置き、お父さまは髪を掻きあげて部屋を出ていった。ピングルもその後に続いていく。
「しずかだー」
元が割と大きな部屋なだけに、急に一人になると声が響いた。
暖炉から鳴る重い音。空気が爆ぜるとでも表現すればいいのだろうか。ぱきぃぱちんという優しい音だけが耳に届く。これだけでも、前世とは違う環境にいるのだとしみじみしてしまう。
「というわけで、ふっふっふーできゅ」
仰向けになり、ちょいっと後ろ脚というかヒレをあげる。できた空間で、ぴこぴこっと尻尾を動かした。
なんか、これあれだ。SNSで見た人をダメにする空間ってやつだ。お腹しかない仰向け状態に、手を動かさずにテレビみたいなステータス画面を見上げる私。
これ私、今後ここから離れて生活できるのだろうか。すっと仏顔になったのも束の間、すぐに当初の目的を思い出しぶんぶんとひげを振った。ひげである。
ふふふのふ。
私だって、だてにごろごろしているわけじゃない。ステータス画面に映されているのは、『解説』『分析』『知識』『取り込み』『状態』等々の文字だ。
『解説』はこの世界に関する基本情報が投影される。そして、『分析』は子ぎつね鬼畜ヴァルタ先生の時のように目の前にある物をスキャンし情報を教えてくれる。
『取り込み』は私が実際目にしたり遭遇したりした映像や経験を保存できる。
『状態』はいわゆる毒状態とか健康状態、それにMP等のRPG要素のデータだ。
そこで、やっかいなのが『知識』である。こればかりは、私の経験則に忠実にそうものらしい。ただ、このあたりがサービスなのだろう。前世でかじった精油やハーブの情報はかなり正確かつ精密に情報提供してくれる。
というわけで、この世界の情報についておさらいタイムだ。ステータス画面の『解説』の『存在種』を選択する。
この世界の大部分を二分するのは『人型』と『獣型』の種族。前者は言うまでもなく、地球におなじみの、いわゆる人間だ。後者は、純粋に動物の形態をもつ種族。
なにが元の世界で違うかというと、『獣型』の中でも他種族とコミュニケーションが取れる共通言語を理解できる種族と、いわゆる普通の動物でだけ意思疎通できる種族が存在するのだ。うちの子ペンギンずや領民と呼ばれる者は、獣型の前者に属する。雰囲気やジェスチャー、あと魔力の動きで相手との関係をはかる。
そこに、特殊遺伝子を持つ獣ベースで人型にもなれる『獣人型』種族が加わる。
地球と異なり、人型が治める国よりも『獣人型』が統治する国の方が繫栄しているとのことだ。うちみたいな各種族の長や貴族、主な平民の多くがこれに属する。
簡単に言うと、人型に動物特徴があるかないかだけで、基本は地球と同じ。それにペットと呼ばれていた子たちが独立しているかどうかだけの差だ。
ステータスさん曰く、人型は獣型にも獣人型にも否定的なのがたたり、数を増やしたその種族に押されているらしい。まぁ、前世で人型しかいなかった中でも色々あったので、そこはさもありなんと納得できた。
「でも、なんかい調べてもヴァルタせんせーみたいな例はでないきゅね」
私のもっぱらの興味はそこである。この世界には不老不死も長寿も普通にいる。が、ヴァルタ先生みたいな年齢であっても、ただ『少年』の姿をとる種族はいないのだ。ピングルだってアラフィフなのに、ぱっと見た目は二十代よく見れば三十半ばだ。こんなこと言ったら本人には無茶苦茶しかめっ面されそうだがっていうか、私ならする。
だが、彼女はあくまでもそんな種族。問題なのはヴァルタ先生のウゥルペース・ウゥルペース族は特に年齢に特化した魔力が使えるわけでもないみたいなのだ。
まぁ、そのあたりはヴァルタ先生が私たちハープシール族の時間魔法に着目した時点である程度推察は出来ていたのだが。
となれば、先生は特別な魔法で、体年齢を少年時点にとどめているということなのか?
「まっ、考えるだけむだできゅね。わからないんでしゅもん」
本当に、今世の私はあっさりとしているっていうか、発言した直後に自分でも不安になる程度には前向きだ。
うーん、どっちかっていうと、思考の支離滅裂具合のが疲れるわ。これがマヌカと小鳥の入り混じった状態なんだろうか。
私はただ――そう、ただモフリストになりたい!!
ぐっと拳を握った。実際にはえいひれみたいな手が、あぶられた時みたいにくるっとうち側に巻かれただけだけど。例えが親父臭いのは許して欲しい。だって、元二十代でそいう世代の接待が多かった業界の新人だったんだもん。はー、ミルクとかいらないんで、マヨネーズ欲しい。
「じゃないできゅ! ただのおっさん思考できゅよ!」
仰向けのまま、若干ごろごろする。
しかし、本当にすごい。なにがって、ベビーベッドの大きさが畳一畳半くらいあることだ。ちなみに、私は貧乏性のせいか常に柵のそばにいてしまっている。
っていうか、まぁ、このあざらしの体が寝返りするくらいには、それほど必要なんだろうね。体の大きさではない。全身のフォルムの関係だ。全面が転がる要素しかないんだもん。いつどこに転がっていくかの潜在能力が高すぎるでしょ。
「そりゃ、こんなにまん丸なら、勢いあまって、よくころがるでしゅよ。柵にぶつかって、エンドレス、ころころできゅ」
自分に苦笑しざるを得ない。なんせ腹しかない体だ。っていうか、全部が腹だろ。
あ、ダメだ。また考えすぎで視界がぼやけてきた。なんなら白目をむく勢いで意識が遠のいていく。
「あかちゃんて、寝るのがしごと、いうできゅけど。思考がぷっつり途絶えるのは、けっこう、しんどいできゅね」
そこだ。人でいうところの寝落ちなら、割と夢に思考を引き継ぐことも多い、うとうとしている間にも考えている記憶がある。
しかし、赤ん坊は本当に『あ、ねむたい』と思った瞬間に、すとんと思考が落ちるのだ。背中とんとんがいい例だ。正直、元大人からしたら怖くてしょうがない無警戒状態だ。
「ステータス画面さん、例のじょうほー」
全身に重力がかかってくる状態の中。なんとか呟く。尻尾は動かなかったが、ステータス画面は希望の人物分析の情報を映し出した。
「そうそう。マートル兄
にい
できゅ」
とろんとまどろんでいく意識。まさにどろに沈んでいくのに似ている。夜もだが、大学時代やOL時代にデスクに突っ伏した際に感じた、こっからー寝るでーみたいな予兆を感じた。この意識が混濁していくような感覚が、私は昔から好きだった。寝ることが大好きな友人以外には同意してもらえなかったけれど。
じゃない! 睡眠が足りじゃなくってね!
「マートル兄のこうぶつは」
出会った時はお兄ちゃんぽかったマートル君だが、私がヴァルタ先生の弟子入りするとなった瞬間敵意を向けられた。
ちなみに、その後もずっとめらめらとした視線は投げ続けられている。まともに口をきいてもらえていない。兄弟子に嫌われるなんてさっそくつんでいる。
「わたしが用意できる範囲でかつ、おかしならクレープかな」
ステータス画面の好物欄には『ちょっと青めのバナナ』と記されている。私は思わず両手でぺしっと体の両側面を叩いた。本当は、手を打ちたかったんだけどね。むなしくなんかないぞ。
「たしか、そうこに、ぱっしょんふるーつある、いってたでしゅ!」
幸い、私の行動ステータスに鍵はかかっていない。
胃袋を掴む作戦で行こう。マートル兄ってば、お母さまのシュガークッキーをむさぼってたし、相当の食いしん坊っぽいしね!
善は急げだ。ぼいーんと跳ねて、絨毯に降り立つ。ふっ。私はベビーベッドの柵を超えていく女よ。
「ちょちょちょ」
が、降り立った絨毯はひょうの胸毛みたいなもっふもふな肌ざわりだった。大きなサモエド犬を自由にしている包容力がありつつ、その下にウォーターベッドを敷いているような弾力がある。これは最早、私が知っている絨毯ではない。
そこで、『分析』画面が起動した。目の前の絨毯もどきを七色の光が包み込む。
「へぇ。お腹ではねるハーブシール族ご用達の、絨毯でしか」
主に、もっふもふだがその下の皮膚が剥けやすい赤子がいる家には、必須なアイテムか。
どうやらもなにも、本当に、この世界の私は生まれたころから大事にされているんだと思った。ただ、思った。前世とのギャップを感じざるを得ないのは、仕方がないよねと内心でため息をつく。
浮かんできたもやもやなんて綿菓子と一緒だ。食べてしまえ。
「よし。マートル兄のすてーたすも出たできゅ」
好物欄には『温泉たまご』とあった。っていうか、氷の国で温泉卵とかもあれだし、アレンジきかなくない⁉ 温泉たまごかけごはんなの⁉ それなら、私がいますぐ食べたい。シンプルに醤油でもいいけど、かつおぶしのだし汁とかお茶漬けの物でも香りがたまらんのだよね。はぁぁ、お吸い物飲みたすぎる。生前やっていたのは、飲んだあとに無性にしょっぱいものが欲しくなって、お茶漬けのもとをお湯に戻したのをすすっていたっけ。飲んだ後には、結構おすすめだ。不思議とお腹が満たされる。
はぁぁと涎をたらしかけた私の視界の端に映ったのは鍵マークだった。
「シークレットモードでたぁぁ!!」
どどどうしようと慄く私の視界の端に映ったのは鍵のマークだ。きたこれ。隠しモード。でも、あれ? しっぽをまわして移動させたやじるしには『木の実』とポップアップが出ている。木の実のなんなの?
「おかーさまにきいてみるできゅね」
仲良くなるにはまず胃袋を掴むのが鉄板だろう。私は跳ねながら扉に向かった。
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